Sweet&Sweet
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 ケーキってステキだ。
 洋梨のシャルロットを口に含み、私はしみじみと胸中呟いた。柔らかなババロアと冷えた洋梨が、咀嚼するたび口内にとろけていく。ふんわりと辺りを包むフルーツやケーキの瑞々しい匂いに身も心も癒され、品の良い甘味に身を委ねている間は、嫌なことなど忘れられるものなのだ。
 例えば気になっていた先輩に彼女が出来たこととか、もしくは憂さ晴らしの合コンで嫌いなタイプに言い寄られたこととか、加えて旅行を一緒に計画していた友達に彼氏が出来てナチュラルにドタキャンかまされたこととか。
 めくるめく過去の悪夢に思わず吐いてしまった溜息に反応し、対席するカポーティが不安そうにこちらの顔を覗き込んでくる。ブルーな気分を思い出してしまった私は、慌てて進み始めた思考回路を方向転換した。
「レイチェル、大丈夫? やっぱカラオケの方が鬱憤晴れたんじゃない?」
「んーん、平気。ケーキバイキングのが私好きだからさ。それよか付き合わせてゴメンね。」
「私も甘いもの好きだもん、それは良いんだけど。ホントに平気? 目が死んでるよ。」
「生き返るために此処に来てるんです、死んでて当たり前だって。」
 先の通り、最近の私の絶不調は本当にただことじゃなかったのだ。思わず優しいカポーティに泣きついて、自棄食いをしている程度には私の心は疲れているし乾いている。
 僅かに少女趣味のこの喫茶店は、仲間内でも人気の店だ。ここはバイキング用のケーキも質が落ちない、良心的なパテシエを抱えている。勿論、溢れているのは甘い匂いと各年代の女性のさざめき。同じ女には居心地が良い。
 出入口に近い窓際の席で、私はシャルロットの最後の一欠片を呑み込んだ。胸焼け防止に生クリーム系は避けていたのだが、そろそろ胃袋も限界だし、店ご自慢のショートケーキに取りかかろうか。
「ケーキ取ってくる。」
「いってらっしゃい。」
 笑顔で見送るカポーティに笑いかけ、それとも木イチゴのレアチーズケーキで我慢するべきかと思い悩む。種類別に設置されたケーキ達の前で、私が半ば本気で考え込み始めた丁度その時、軽やかに、カロンカロンとドアベルが鳴った。
 こりゃまた。
 そう思ったのは、どうやら私だけではなかったらしい。半数ほど埋まっている席の殆どが、瞬間同じ空気を共有していた自信がある。
 木製の扉がドア枠と抱き合う。偶然にも入店した彼等と至近距離にいた私は、まじまじと二人の出で立ちを凝視してしまった。
 どちらも17、8歳の、青年になりかけた男の子だ。はっきり言ってこの喫茶店は、男の子が出入りするような雰囲気を有しては居ない。
 男二人で喫茶店。それだけでも十分浮くというのに、ましてや二人は揃って美形だった。方向性は真反対のようだが、どちらにしろ、学校では別タイプのファンが多いに違いない。店員に人数を訊ねられ、先頭に立っていたブラウンの髪の子がピースのポーズを取った。
 見つめすぎたためだろう、ウエイトレスを相手にしていた子が私に視線を寄こした。唐突に絡み合った視線にどぎまぎする私へ、しかし彼のコバルトブルーは訝るどころかにっこり微笑んでみせる。愛想の良い挙措にいい気分になって笑い返し、そして小さく手を振りながら席に案内される彼と、もう一人の彼を見守ってしまった。
「......やっぱ、レアチーズケーキかな。」
 カロリーも考え、そう結論付ける。遠目にも分かるあの子の細腰が、羨ましかったなんて嘘だ。




「ショコラ美味かった? じゃあさ、ついでにオレのも取ってきてよ。」
「ヒイロ! 柚子シフォン意外といけるぞこれ! こんぐらいなら家でも作れそうだよな? 今度試してみるか?」
「うわ、ショートケーキうまー。この生クリームオレ好み。」
「タルト取ってくるけどいる? ......わかった、ブルーベリーのな。」
 とまぁ、こんな具合で喋る喋る。しかも食べる食べる。
 天の采配か悪魔の悪戯か、「ヒイロ」と「デュオ」というらしい二人組は私とカポーティの座る席の通路を挟んだお隣さんだ。よって会話はよく聞こえるし、因みに様子もよく見える。
 しかし、件の二人組は注視されているのもなんのその。全く気にしていないのか、それとも気付いていないのか、どちらにしろ図太い神経であることに変わりない。どうやら無表情にフォークを動かすのが「ヒイロ」君、何かと感想を述べながら食べるのが「デュオ」君というらしい。
 私的に意外に感じたのはヒイロ君の方で、彼の不機嫌そうな雰囲気からデュオ君に付き合わされたのかと思いきや、彼もまぁ静かなれどよく食べる。表情は一寸たりとも動いていないが、黙々と食し好みも示す。男の子の胃袋ってすごいなあとか感嘆しつつ、それにしても限度ってものがないだろうか。
「すご......。」
 カポーティの独白に、力強く頷いてしまう。
 人間の平均的胃袋許容量からして、標準サイズワンカットの五、六個程を食べ終えれば胃もたれ系の唐突な満腹感が訪れる。これは過度な糖分摂取による急激な血糖値の上昇が原因で、人間にはどうすることも出来ない生体反応だ。
 二人とも、明らかにペース配分を間違えているとしか思えない。ただでさえ響く生クリームやショコラ系は後方に回すべきだというのに、見事に常識を無視している。手始めに着手するとしても、そうばくばくと食べ進めるものではないのだ。
 そもそも数量的にも異常だ。彼等が入店してからまだ二十分も経過していないにも関わらず、二人は何度席を立っただろう。バイキング用のプレートにはその度三、四個ケーキが乗って帰ってくるのだから、はっきり言って見ていて気持ちが悪い。なら見なければいいのだが、思わず彼等が食べた個数を計算してしまってくらりときた。
 この店はバイキングに時間制限を設けている店ではない。よって急いで食べる必要性は全くない。焦っている様子など窺えないが、もっとゆっくり食べたって罰は当たらないはずだ。
 心配性の私が要らぬ事とはいえ彼等の身体を真面目に憂慮し始めた頃、突如、それまでの奇天烈さとは全く違った空気が生まれた。
「ほい、ヒイロ。」
「......何だ。」
「お前まだクラフティ食べてなかったじゃん。味見味見。」
 ......自分で取ってくればいいだけの話じゃない?
 胸中突っ込まずにはいられない。だってそうだろう。奇妙な空気の発生源であるデュオ君は、自分が食べていたクラフティの一欠片を、何とフォークでヒイロ君に差し出して見せたのだ。嫌がらせなのか、果たして天然なのか、それともこれが彼等の普通なのか。少し考えたくない予想に到達しかけ、ぶんぶんと首を振る。
 多分嫌がらせよ! デュオ君て冗談とかすぐ言いそうな子だし!
 しかし、僅かに沈黙したヒイロ君は次の瞬間、さも当然の如く相手のフォークからクラフティを頂いた。そこには意表返しも冗談もない。加えるならば照れもない。特に気にした風もなく再びケーキと向き合った彼等に、私もカポーティも呆然とする。
 おかしい、あの子達。
 目の前にあるチーズケーキに少々現実逃避しながら、私はアイスコーヒーを啜るカポーティに目配せした。対面する彼女は私と同じように奇妙な表情をしている。つまり、「まさか、ねぇ?」という必至に否定を求めるものだ。
 私はパイナップルのクラフティを食べ終え、どうやらお気に召したらしい通算四個目のショートケーキを口に含むデュオ君を見遣った。ヒイロ君の好みはどうにも窺えないが、洋梨のシャルロットは三個目であるし、嫌いではない味なのだろう。
 無意味にもしっかりと彼等の食べた個数を覚えている自分自身に何だか嫌気が差す。
 ケーキバイキングには様々な形式があるが、ここは作り置きの形を取っていて、無くなってしまえば新しくケーキを焼くことはない。バイキング時間は午後の二時から四時半までと決められており、今日はもしかしたら四時半までに食い潰されるかもしれないな、なんて私は些か不自然な笑みと共に小さなセリフを漏らした。
「付いている。」
「へ?」
「大口開けて食べるからだ。」
「え? どこ?」
 始まった二人の会話に、思わずビクついてしまうのは仕方がない。私がやっとの思いで吐いた冗談に、やはりほっとしていたのだろうカポーティも、空気の流れを察して凍り付いた。
 舌で唇を探るデュオ君に、ヒイロ君が溜息を吐いている。そして右手をデュオ君に差し出すと、ヒイロ君は親指の腹で生クリームをぬぐい取ってみせた。
 落ち着いて、落ち着くのよ私!
 きっとヒイロ君はあれで意外と世話焼きさんなのだ。だから少し子供っぽいデュオ君に口や手を出してしまうのだ。絶対に他意はないのだ。少し無茶のある理論かもしれないが、よってヒイロ君がその拭った指を平然と舐めようとしていようと、何も問題はないのだ。きっとそうに違いない。
 隣の席のお姉さんがそんな精神的葛藤を抱いているなど全く気付いていない素振りで、しかしデュオ君は呆れたように声を出した。安堵に見遣れば間一髪、ヒイロ君の行動は阻止されている。
「お前なあ、舐めるなよ。それオレのだぞ。」
 ごもっともなデュオ君のブーイングに、私は胸を撫で下ろした。
 二人が仮にそういう仲なのだとして、まぁこのご時世特に問題はない。確かに珍しいケースではあるが、それが就職や昇進に響くなんて事はありえない。
「ショートケーキなら取って来いよ。まだあるだろ多分。」
 だがしかし、事は時と場所を選んで行うものだ。次いで公衆の面前での、あからさまな露見も勘弁願いたい。彼等以外は女しか居ないこの空間で、私達の立つ瀬が無くなってしまうではないか。
「ったく。ほらヒイロ、渋ってないでさっさと指出せよ。」
 特に私は恋愛関係でこの頃ツキがなかったのだ。これ以上の追い打ちは可哀想だと思わないのか。って何で指を出す必要がある!!
 叫びかけた口を噤み、私は出そうになった裏拳を反対の手で押さえつけた。しかし、私達の目の前でデュオ君はヒイロ君の右手を捕まえると、クリームの付いた親指を舐め上げ、挙げ句の果て小さくキスをしそれを放した。無駄としか思えない艶やかな赤い舌と、可愛らしく鳴った「チュッ」という音が、否応もなく体温の上昇を促す。
 まさに見ている方が恥ずかしい。しかも当人達はやはり様子に変わりがなのだから、腹が立つことこの上ない。
 ヒイロ君は、シャルロットとガトーショコラ・ブランの乗っていたプレートを空にした。ショートケーキを四個もたいらげたデュオ君はすごいが、ショコラを同じく四つ食べ果せているヒイロ君もすごい。また二人ともペースが当初から乱れていないのだから、もはや人間ではない。
 静かに立ち上がったヒイロ君に、チーズケーキに取りかかり始めていたデュオ君が声をかける。
「ヒイロ、行くんなら柚子シフォン取って来てよ。」
「もう無い。」
 嘘ぉ?
 思わず後方のバイキング場を見遣れば、確かに品切れのカードが出ている。彼等だけが食べていたわけでは決してないが、それにしたところで異常事態だ。
 在庫がどれ程用意されているのかは分からない。しかし二時間半のケーキバイキングに五ホールも六ホールも作ってはいないだろう。元々ケーキの種類も多いのだから、一種類に対して三ホール、もしくは四ホールが精々だ。そうでなければケーキのクオリティを保てない。
 先程からすっかり食の進んでいないチーズケーキを、私は口に運んだ。味を感じることが出来ず、反対に満腹感を訴える胃に負けてしまう。
 戻ってきたヒイロ君のプレートにはクラフティとショートケーキ、そしてタルトが乗っていて、甘い匂いが食道を迫り上がってくるような感覚を受けた。
「残り、私が食べようか?」
「お願い。」
 案じるカポーティの申し出に、申し訳ないとは思いつつケーキを押し出す。私はアイスティーを嚥下しながら、彼等の存在を意識から除こうと努力した。




 結局食べるだけ食べた彼等は、一時間も経ったところでようやっとフォークを下ろした。
 数種類のケーキに品切れが提示されているのは、胸焼けを通り越していっそ清々しい。個数をリアルに計算すればぞっとする分量だが、一度気にしないと決めた女は強いものだ。
 アイスコーヒーを半分ほど残し、ヒイロ君が立ち上がる。その手にプレートがないことを確認したのは、店員の皆さんも同じだろう。倣うようにデュオ君も席を立ち、ヒイロ君が伝票を持つ。
「なぁヒイロ、アイス買って帰ろ。アイス代はオレが持つからさ。」
「駄目だ。」
「えぇ? 何で?」
 私はストローでカラカラと氷を鳴らすと、どうやら同棲しているらしい様子の二人を横目で見る。もう既に隠す気もない観察の眼は、レジへの道すがらでさえ仲睦まじい彼等を追った。不満そうな声を出すデュオ君を、ヒイロ君は慣れた様子で扱っている。
「夕飯が食べられなくなる。」
「夕飯食べた後のデザートにするから。」
「そういって明日の朝に回すのは目に見えているだろう。我慢しろ。」
 どうやら胃袋の限界はあるらしいセリフに、それが正常と分かりつつも驚いてしまう。ケーキバイキングの敵となりつつある彼等には、全くもって似合わない説得だ。
 にべもないヒイロ君の口調に、デュオ君が食い下がった。相手の片腕を引き、そして要望を連呼するデュオ君は、愛らしくもあり少々騒がしくもある。麗しい容姿にほだされてしまうが、あの行動パターンは子供と同じだ。
 苦笑を漏らしてしまった私の視線の先で、ふとヒイロ君が眉を顰め立ち止まった。そして、機関銃のようなデュオ君の声だけではなく、店内の音という音すべてが消え失せる。
「......お前、キスすれば大人しくなると思ってるだろ。」
「シチューを作ってやる。」
「クリームシチューな、小麦粉とバターから作る奴。市販のルーは嫌だからな。」
 私は曲げていた腰を元に戻すとずるずると身体の位置を下げ、そして背もたれに全体重を預けた。どうやら機嫌が直ったらしいデュオ君は、出入口付近でヒイロ君を待っているのだろう。鳴らないドアベルが、見えずとも二人を教えてくれる。
 「ありがとうございました。」という女の子の声が、ドアの開かれる音に被った。馬鹿らしいことに体力を使った私はアイスティーを取ろうと腕を伸ばし、今月の恋愛運を最大限に呪う。
「また二人で来ような、ヒイロ。」
 二度と来るなっ!!
 平和に揺らされたドアベルが、優しく退店を伝えている。
 穏やかな午後の光に、食い尽くされたケーキの台が照らされ、そして特有のささめきが波のように帰ってきた。方向性のない衝動を紅茶ごと飲みほし、窓から遠ざかる大馬鹿野郎共を見つめる。そして、虚しくなった。
「恋人、欲しいなぁ......。」
 カポーティは無言のまま苦笑すると、「カラオケ行こうよ。」と誘ってくれた。


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