ステキな食卓
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 その日、デュオはやはりヒイロの部屋に赴くと、すぐさま「戦利品」の開封にいそしんだ。彼の気に入っているソファーの左端に胡座をかき、着替えもそこそこに包装紙とリボンを散乱させにかかる。ヒイロはその様子に内心溜息を吐くと、しかし自身の獲得したそれもデュオの側に袋ごと置いた。
 二月十四日、セントバレンタインデー。
 諸説はあれど特にそれが気にされなくなった昨今、本日はヒイロとデュオにとって至上の日である。見るからに甘党なデュオと、意外と甘党なヒイロにとって、バレンタインデーとは金を出してもいないのに好物が集まるミラクルな日なのだ。
 今日も今日とて仲良く連れ立ちプリベンターへと出勤した二人は、合わせて二つの紙袋を手みやげにそりゃもう意気揚々と帰宅した。勿論中身は全てチョコレートという想像しただけで胃もたれになりそうな、しかし二人にしてみれば何よりもステキな紙袋が二つ。
 「お菓子とお酒を夕食代わりにしないこと。」とは二人に向けたサリィ・ポウの言だが、チョコレート収集よろしく顔を出したデュオへの小言など、もはや他愛ない日常茶飯事となって久しい。
「デュオ、手伝え。」
 キッチンへ立ったヒイロが、恋人へ声をかける。
 瞳を煌めかせチョコレートに見入っていたデュオは、その言葉に席を立った。従順なデュオをヒイロは微かに驚いたが、しかし彼の横に立ちじぃっと見つめる作戦に出たブルーは、甘味に関するドクターストップを端から違えるつもりであるらしい。
 否、女医の言葉に大きく頷いた数時間前など、元よりデュオの記憶には欠片さえも存在していないだけだ。
「なぁ、あんな沢山あるんだしさ、夕飯チョコレートにしちゃわねぇ?」
「成人病になりたいのか?」
「一日やそこら大丈夫だって。」
 デュオは手渡された人参を洗うと、同じく渡された皮むき機をあてがう。上目遣いにおねだりを始めたデュオに、ヒイロは慣れた様子ですげない返事をした。右方から見上げるデュオの攻撃に、ヒイロのジャガイモをむく手が止まることはない。
「ヒイロだって食べたいだろ? お前チョコレート大好きじゃん。」
「ゲリラ戦をしてるわけじゃないんだ。ちゃんとした食事は摂るべきだ。」
 デュオは滑らかな表皮になった人参を二本、ヒイロに差し出した。変わりに渡されたタマネギに眉を顰めるデュオを、ヒイロは「剥くだけで良い。」と宥める。デュオは涙腺を刺激されぬよう、ボールに溜めた水道水の中で薄茶色を剥いていく。
 段々とふてくされ始め猫撫で声もしまい込んだ彼を、ヒイロはちらりとのぞき見た。面倒な癇癪を起こす気配はなかったが、デュオの口元は結ばれたまま剣呑な空気を隠そうともしない。ヒイロは僅かに逡巡すると、しかし結局彼を甘やかすことにした。
「ポトフーを煮ている間、腹が膨れない程度なら構わない。」
「鶏肉は?」
「ある。」
「コンソメ味?」
「マカロニも入れてやる。」
「了ッ解。」
 途端機嫌良くなる現金な恋人に、ヒイロの悪い気がしないのはそこに愛があるからだろう。流行りのポップを口ずさみ、デュオは冷蔵庫からチンゲン菜を取り出す。人参を輪切りし始めたヒイロは、気付かれない程の微苦笑をもらした。




 蒸気で持ち上がる鍋の蓋は、コトコトと平和な音を奏でている。弱火に設定したコンロを確かめ、ヒイロは彼を呼ぶ声に顔を上げた。
 ローテーブルにチョコレートの山を築いている張本人は、しかし幸せそうに笑っている。色とりどりのラッピングを思いがけず綺麗に剥いでいたデュオに、ヒイロはゴミ箱を差し出した。ヒイロにしてみれば過度な包装は厭うものでしかなかったが、しかしその廃棄の意図にデュオは僅かに腹を立てた。
「お前さぁ、それはちょっと酷いんじゃねぇ?」
「何がだ。」
 本当に分からないという表情をするヒイロに、デュオは息を吐いた。その仕草は、ヒイロの機嫌を多少なりとも悪くした。しかし、ヒイロの不機嫌を短くない、また浅くない付き合いで日常としてしまったデュオは、特に気にした様子もなく、長さの違うリボンを一纏めに結びながらセリフを続けた。
「リボンは古新聞や雑誌を纏めるときに十分使えるっ。包装紙だってリサイクルすべきだ! ゴミ箱に放って燃やして終わりなんて言語道断だぞ!!」
 最低である。言い分が確かに的を射るのが、また更に最低である。
 しかもそのデュオの言葉にヒイロが同意を示すのだから、この二人に義理チョコならばいざ知らず本命を贈った人間は目も当てられない。
 ヒイロとデュオの恋愛事情は、それこそ本人達の人目を憚らない諸々によって周知の事実であったが、だからといって全てが義理というわけでもないのだ。戦後早々に見切りを付けたリリーナ嬢及びヒルデ・シュバイカーはともかく、未だ熱冷め止まぬ恋心を燃やす乙女達の思いの丈を、やれリサイクルだなんだと声を大にしては他に用途がないとはいえ、それこそ非道の業以外のなにものでもない。
 そもそも、ヒイロにしろデュオにしろ告白と共に受け取ったチョコレートは幾つか存在する。しかしながら、どちらにしろ「応えられない。」というのが二人の共通したいらえであり当然のところだ。
 方や普段通りの無表情で、方や苦笑を携えた声音で、小さく謝罪を口にする。また、そのままチョコレートだけは受け取る姿に、失恋に打ち震えるうぶな女性職員は気持だけは伝わったのだと美しい幕切れに涙するのが、ここ数年のセオリーになりつつある。
 では、これの真実のところはどうか。
 二人にしてみればただ単に、「応えられないけどチョコレートは下さい。」というそれだけのことだ。女の敵甚だしい本音をオブラートに包み込み、「いつか闇討ちに合うぞ。」という五飛の助言を流す彼等は、しかしながら顔が良い。加えて遠目に見ていれば、それぞれ魅力的。日々その仲睦まじさを見せ付けられながらも恋した女が悪いのか、チョコレート欲しさに柄でもないカラーを纏う彼等が悪いのか。
 コロニーに対しては酷く優しいラッピング処理を終え、ソファーのスペースはあるというのに暑苦しくも隣同士に座っているヒイロとデュオは、お互い手元にあったものを一つ無造作に取り上げた。
「あ、手作りだ。へー、器用に作るもんだな。」
「あまり食べるなよ。」
「分かってるって。」
 デュオは手作りのそれを山に戻すと、気に入りのメーカーを数個側に引き寄せた。潰れやすい紙袋やセロハンのものを避け、ヒイロはデュオの手元を覗き込む。細長い箱の中、区切られた空間に小さくも芸術と伝統を受け継いだチョコレートが六つ並んでいた。
 ウィスキー・ボンボンなどの酒気を帯びた菓子は、二人揃って好物だ。その様相が可愛らしく酒瓶の形を模しているのは女性ならではの趣向であろうが、デュオは整列してるそれらの一つをつまむと、アルミを剥がし口に含んだ。
「何の酒だった?」
「......わっかんねぇ。洋酒じゃない、多分。」
 ヒイロは箱に添付されている真四角をした案内書を広げた。黄色いアルミ箔はウィスキー、緑のものはブランデー、ヒイロは開かれたそれが赤いことを確認すると、桜の花弁と共に吟醸されたという紙面をデュオに示す。
 未だ物珍しそうに口内に残る味を確かめていたデュオは、しかし同じくその案内書をななめ読むと奇妙な表情をした。その様子を見遣り無難にウィスキー・ボンボンへと手を伸ばしたヒイロを、デュオの手が止め代わりに赤い包みを差し出す。
「不味そうな表情をしていただろう。」
「まずかねぇって。桜ってこんな味してんのかと思ったら変な気分になっただけで。」
 渋ってみせるヒイロに、デュオは自ら赤いフォルムを剥ぐと彼の口元へチョコレートを運んだ。それでも子供のように口を開かない頑ななヒイロを、同じく子供じみた意地でデュオは軽く睨んだ。デュオの日々の行いにより自然警戒心の強くなったヒイロは、その眼光にも顔を背ける。信用のない態度に苛々としたデュオは、チョコレートボトルの先端を銜え、そっぽを向いたヒイロに強引なキスをした。
 俗にいう口移しであるが、乱暴な所作により酒を包むチョコレートが割れ、ヒイロの口内では件のアルコールが不可思議な味の広がり方をした。マナーに則り瞳は瞑るデュオに、ヒイロはやはり紳士的な態度でその腰を抱く。
 壊れてしまったボトルがそれぞれの舌の上で溶けきり、そうしても二人の密接はほどかれなかった。
 行為を彷彿とさせる誘いに出たのは、この場合明らかにデュオだった。ヒイロは「YES」なのだろうと判断し、薄布の衣服越しに彼の背筋をなぞる。しかし、デュオは身じろぎするとヒイロの胸を押した。開かれた隙間にデュオの零した吐息が消え、気儘勝手なその両腕を、ヒイロは思わずねじ伏せてやろうかと思案した。
「別な意味で、変な気分になりそ。」
 色気よりも食い気に重きを置いているデュオは、その気になってしまったヒイロの対処に窮した。嫌いなはずはなかったが、デュオは今チョコレートとポトフーを頂きたいのであって、決して気持ちよく頂かれたいわけではなかったのだ。
 ヒイロは、諦観の念と共に息を吐き出すと魅惑的なデュオの腰を解放した。機微を察した彼の、そのよく出来た離れる体温に、デュオは胸中で謝罪する。口に出せば反対に恋人を逆撫でしてしまうことを知っているからだったが、空気を変えるようにキッチンへ向かう男を見つめ、デュオは申し訳なくなった。
 自身を追いかけてくる視線に、ヒイロは「押して駄目なら引いてみろ」という古来から続く口説きの処方を思い出した。竹串でジャガイモを刺し煮加減を計る。予想と反してまだ芯の堅かったそれに、ヒイロは時計の針を確認するともう一度蓋をした。そして、コンロの上に出たままになっていたケトルをしまう。
 ヒイロは、その時酷く偶然に喉の渇きを自覚し、インスタントコーヒーを棚から取り出した。二つのカップにポッドの湯を注ぎ、すると出来合いの香りがその空間を満たしていく。共通して、甘味を好む割にコーヒーについては無糖を掲げる二人だ。砂糖やミルクの必要もなく、さして時間は取られない。
 しかしながら、対してデュオはなかなか戻らないヒイロに僅かな焦心を抱えた。悪ふざけが過ぎたことを段々と解したデュオは、その結果、随分とうい態度でヒイロをソファーへと迎えた。ヒイロはカップを置きながらも気取られぬ程度にほくそ笑み、デュオにとって飲みにくい温度のコーヒーを一口嚥下する。勘違いを働かせたらしいデュオに、彼はそつない仕草で話しかけた。
「もう少し時間が掛かる。」
「ん。」
 だから、まだ食べても構わないというセリフにデュオは頷いた。どうやら下降していない相手の心理状況を悟り、彼は微かに安堵した。もし嫌われれば哀しくなってしまうのは、デュオにとっては不覚であろうが、しかし事実だった。
 デュオは気詰まりをほぐすように再びチョコレートを物色し始め、ヒイロはそれを隣で見ている。均衡を保つ不自然な山を、崩すか崩さないか楽しむような手付きで探っていたデュオは、その中から先のものよりも更に小さい小箱を拾い上げた。トリュフが四つ入るような正方形の入れ物の封代わりであるシールを、デュオの爪が裂く。薄紙に守られるようなそれらは、しかし円形型をしていなかった。
「王冠チョコレートじゃん。」
 喜色を乗せたデュオのセリフに、ヒイロは中身を一つ取り出した。馬鹿らしいほどの繊細さで作られた指輪サイズの冠を、ヒイロはしげしげと観察する。チョコペンで一々象ったのだろうかとその生産方法がわからない物体を、しかしデュオは楽しげに己の指にはめた。ヒイロはその行儀の悪さに一瞬眉を顰め、掌の王冠を口に放る。食べてしまえば普通のチョコレートである冠を、彼は解せなく感じた。
 何度か抜き差しを繰り返し、デュオは輪の大きさと一致した左手薬指に王冠を収めた。左手であったのは単純に右手でチョコレートを持ったためであったが、ワンテンポ遅れて到来した気恥ずかしさが彼を捕らえた。浮かんだ少女趣味の思考を紛らわすように、デュオはマリッジ・リングの疑問を問うた。
「そういや、何で結婚指輪って左手の薬指なんだろうなぁ? 確か薬指って心臓に直結してるんだっけ。」
「それはユダヤ教が元だ。場所によっては足の人差し指にするところだってある。」
「マージでー? 所変わればなんとやらだな。」
 変化ない平坦な解答にデュオは左手を天井へ上げると、逆光になった指輪を笑った。
 他方、左手ではなく右手の薬指にはめるのはドイツやスペインであるし、また性別によってはめる手が違う国もある。シンガポールでは左手の薬指でなく中指にはめるが、指ではなく指輪の交換を重要視する地域も存在する。
 ヒイロは、無邪気にチョコレートで遊んでいるデュオの左手を取った。体温によって些か柔らかくなっている王冠が、彼の薬指に茶色い染みを付けていた。唐突なヒイロに、デュオは崩れないよう体重を支える。そして、どうやら気に食わないことが起こったらしいヒイロを見遣り、首を傾げた。
「何だよ、チョコレートの指輪で宣誓でもするか?」
「左手の薬指に付ける理由は、もう何個か読んだことがある。」
「ハイ?」
 叩いた軽口を更にはたき落とされ、デュオは成立しない会話にいつものことかと大人しくなった。そもそも自ら振ったネタであったし、デュオにも幾ばくかの興味はあった。
 ヒイロは、右手に捕らえていたデュオの左手を持ち替えた。自ずから近くなった距離に、しかし大した感慨などお互いに湧かない恋人達は、愛らしいチョコレート・リングを意識したまま会話を続ける。
「左手というのは、何でも「信頼」を表すらしい。そして、薬指は「創造」を意味するんだそうだ。」
「いんじゃねぇの? 信頼ある新婚生活創造していきましょうなんてそれっぽいし。」
 どちらかといえばその雑学の出所の方が気になるデュオだったが、訊ねようとした矢先に再び口を開かれタイミングを失ってしまう。しかし、持ち替えられ、自然と空いたヒイロの右腕が己の腰に回されていることに、デュオは気が付いた。
「後は、左薬指というのは一本では使えない弱い指であるが故に、相手への服従を示すためだともいうな。」
「ふーん、服従ねぇ。」
 元々、古来エジプトから長々と続いてきている慣習だ。そのような旧態依然の思想が、根であったとしても不思議はない。しかし、脳裏を掠めたそんな無駄知識一つで、ヒイロがどうにも不機嫌になってしまうという予想外の事態は、不意打ちでデュオの心を喜ばせた。数年前までエージェントとしてガンダムを駆り、また現在進行形でプリベンターに努めるデュオ自身の薬指が、果たして弱い指とは到底思えなかったが、どうやらそのことで気分を害したらしいヒイロをデュオは可愛く思った。
 額をヒイロの肩にすりつけ、けたけたと笑い始めたデュオをヒイロは訝った。彼の視界のすぐ端で震える髪は、ヒイロにしてみれば発作的としか言いようがないデュオの愉悦の長引くことを教えていた。しかし、未だ気が立っているヒイロは掴んだままの左手を睨んだ。そこに鎮座する王冠は美しい外観が崩れかけていた。彼は、おもむろにその指を口元へと寄せた。
 突如与えられた感触に、デュオは驚いた。愉快な気分もすっ飛んでしまい、彼は伏せていた顔を上げる。ヒイロの舌が指の付け根、つまりはチョコレートの冠を舐め上げているその様に、意識よりも早く逃げかけた腰が同じく捕らわれていることで、デュオは憤った。
「お前っ、何やってんだ! 離せ馬鹿!!」
 デュオは取り返そうと左手に力を込め、しかしままならない体勢に舌を打った。同じくヒイロの右腕がデュオの脇腹から胸へと不埒を働き始め、咄嗟に彼は右手でその腕を押さえる。一時でもこの男を可愛く感じた自身を叱咤し、デュオは綺麗な顔で未だ指を舐め上げているヒイロを睨んだ。
「盛るなって! っうわ。」
 ヒイロの舌が、皮膚の薄い指の股の部分を舐めた。
 デュオは顔を背けると、驚きや怒り以外の意味合いで、心臓が鳴り始めていることを理解した。そして、デュオの阻止に任せているヒイロの右手を恨みがましく見遣ると、軽く目を閉じた。十数分前の男の殊勝さを思い出してしまったデュオはヒイロの腕を放し、そして右手で口元を隠した。
 諦めたデュオは、ふと浮かんだ感想に少し機嫌を良くした。自由になった右手をそろりと動かしたヒイロに向け、デュオは俯いたまま報告する。あまりにも当たり前すぎるが理由に続けられた伝統もあるだろうと、彼は満足した。
「ヒイロ。やっぱさ、薬指って心臓と繋がってるって。」
 赤く染まったデュオの耳殻に気分を上昇させたヒイロは、どうやら行為を許すらしい恋人のセリフに耳を傾けた。デュオはどくどくと血を送り出し、また迎え入れる心臓のスピードに小さく笑った。
「何か、心臓食われてるみてぇだもん。」
 コンロにかけたままのポトフーは、もう十分煮えている頃合いだ。しかし、弱火に設定した炎ではそれが焦げ付くこともない。
 恋人達の祭典という体の良い謳い文句を、ヒイロは胸中冗談交じりの逃げ口上にした。自身の説の正解を見て喜んでいるデュオの手に、茶色の汚れがないか彼は確認した。
 ヒイロは、冠の消えたデュオの薬指にキスをした。
 もたらされた思いがけない軽いキスに、心臓にキスしたつもりだろうかと、デュオはやはり、一つ笑った。


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