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「露出癖を何とかしろと、ついさっき言ったばかりだったな。」
「あぁそうだな! その後のことが衝撃的すぎてすっかりきっぱり忘れてたぜ!!」
「親切に、発情していることも仄めかしてやった。」
「でもあれは疑問系だった! ついでにオレはそういう男だって居ると思う!!」
「残念ながら俺は違う。」
 デュオは、彼女自身を遠慮なく組み伏せている男に向かって吠えた。
 本日二度目の拘束にデュオは怒鳴り散らしつつ必至に藻掻くが、一方切れてしまったヒイロはその抵抗をあっさりと無視している。
 寝転ぶにはスペースの足りないソファーへと情け容赦なく仰向けに縫い止められ、デュオは密かに泣きそうになった。彼女自身、あのようなふしだらを働いたことは後悔しているのだ。
 ヒイロの両手にデュオの手首は捕らわれていた。膝裏を縁へと乗せてしまっている彼女の脚は、蹴ることが叶わぬようやはり膝で固定されている。背もたれに押さえ込まれている左足でどうにか蹴り倒せないかとデュオが思案していると、ヒイロは察したかのように囁いた。
「あまり脚を振り上げると見えるぞ。」
「見えても見えなくてもやるこた同じだろうがこの色魔!!」
 耳元に落とされたセリフにデュオが頭突きを見舞わせようと首を振る。しかしそれはヒイロに避けられた。湿気を含むデュオの髪はソファーの角からフローリングへと零れ落ち、「それもそうか。」という感情を読みとれないヒイロの返事は、デュオの状況に対する危機感を募らせた。
 しかし、その反面動かすことの出来ぬ手足と、無許可に開かれようとしている身体は彼女の中で確固たる現実味を帯びず停滞し続けていた。それは逃避に他ならなかったのだが、ヒイロとしてはそれを気にする必要もなく感じられた。
 うるさい腕を束縛し、彼はデュオの右肩に唇を這わせた。デュオはどうにか危害を加えられないかと首を振ったが、僅かに届かず歯ぎしりする。舌打ちをし、力を込めることを止めない攻撃的な身体を、それでもヒイロはまだ愛しいと思えた。だからこそ、彼はデュオの行う無意識な蛮行をずっと許してきたのだ。
「オレの上からどけ、ヒイロ。」
「断る。」
 にべもない男の答えに、デュオは殺意を覚えた。バスタオルを口で解こうとするヒイロを睨み付け、デュオはそろりと左足を動かした。彼女はヒイロのこめかみを、横合いから蹴り付ける算段を立てた。
 ヒイロが僅かに引くだけで、バスタオルははだけた。被さる布地をデュオの上から落とし、ヒイロは膨らんだ乳房を露わにした。呼吸の度に上下する隆起は白く、乳頭は怒りという感情の高ぶりから立ち上がりつつあった。
「くそっ。」
 デュオは罵声を飛ばそうとした。しかしヒイロが彼女の突起を舐め上げ、それをデュオは唇を噛むことで耐える。相手を悦ばせる嬌声を殺し、デュオは好機を逃さぬようそのことだけを念頭に置いた。
 ヒイロは色付いたものを甘噛みし、こねまわし、押し潰した。反抗の色を崩さないデュオの腕が、しかし、少なからずもその愛撫にビクつく。ヒイロは背けられた表情に赤みが差していることを認め、彼女の左胸の下にある古傷へ口付けた。
 デュオの胸部に近い鳩尾の左にある銃創は、昔確かに彼女が命を強奪されかけた残り香だ。作られて何年も経たない円形の皮膚は周りの皮より幾分柔らかく、ヒイロはそのまろい傷跡をなぞった。
「デュオ。」
「何だよっ。」
 ヒイロの舌が不慣れな場所から外されたことで、デュオは少なからずほっとした。悪びれた様子もなく名を呼ぶヒイロが憎らしくなり、睦言のつもりかと彼女は乱暴に返事する。
 ヒイロは、敵愾心と憎悪を溢れさす双眸が雄弁に語りかける彼女の殺意を、久しぶりに見た気がした。大して流れていない年月の向こうに、その殺戮の意思は常にあったものだった。過去を思い起こさせる視線に、彼はやはり、身勝手なデュオの特別扱いを非難せずにはいられなかった。
「お前は、俺に対してならば、何をしても良いと思っているだろう。」
 否定の言葉を紡ごうと開きかけたデュオの口が、無理矢理に塞がれる。ヒイロは逃げようと横向けられた唇を追い、無茶な角度から深く舌を絡ませようとした。しかし片頬をクッションに押し付け、デュオはヒイロの進入を許さぬようきつくくいしばった。
 デュオの髪に濡らされたソファーが軋み、ヒイロは口内の蹂躙を諦め、代わりに現れた彼女の首筋を辿った。
 頸動脈を曝したことと、そこをヒイロの舌が濡らしたことにデュオは身体を震わせた。だがそれは性的な快楽ではなく、急所を見せた恐怖からだ。それを感じ取り、彼は細い首をすぐに解放した。
 彼女は、思いがけないヒイロの気遣いに驚いた。そして、デュオに対し吐かれたなじりが、彼女の意識を唐突に捕らえた。デュオは、自身が長いことヒイロを傷付けてきたことに、ようやく思い至った。
 弱音を吐露しない強いプルシアンブルーが、ほんの一瞬だったとしても歪み、デュオの乱暴を責めた。彼女は、再び施され始めた愛撫に耐えつつ「辛かったなら口で言えよな。」と胸中反論した。だが、ヒイロが戦中、もしくは戦後間もない頃そのような事を言い出せばさっさと逃げ出しただろう自身を想像し、デュオはその口上を引っ込めざるをおえなかった。
 デュオは、今まで彼女がヒイロに架した様々な責め苦を省みた。そしてふと、なぜ彼が不当極まりないそれらを許していたのか、分からなくなった。
「あぁ。お前、オレのこと好きなのか。」
「聞いてなかったのか?」
「いや、そうじゃなく。」
 ヒイロは、どこか呆けた彼女のセリフを聞き流すことにした。デュオの谷間にこの行為の象徴である鬱血を施し、彼の下で息を呑む身体をそれ自体が蜜であるかのように舐め上げる。大人しくなりはじめたデュオの肢体を、しかしヒイロは力を込めたまま押さえた。彼は不穏な白い隻脚に意識を向けつつ、デュオのへその窪みをほじくる。
 浮かびかかった腰を彼女は無理矢理に落ち着けた。しかし、か細い溜息のような喘ぎは、確かにヒイロの耳に届いた。
「......っふ、......ぅ。」
 鼻に抜ける吐息に艶めいた色が乗り始め、その事に気付いたデュオは焦った。そして、仕方なく彼女は当初の予定通り位置を下げた男の頭部に膝蹴りを繰り出そうとタイミングを見計らう。しかし、ヒイロはデュオの右腕を突然引っ張り上げると片手に細い両手首を収めてしまった。また、空いた彼の右手がデュオの太股を押さえ込んだ。
「オイ。オイオイちょっと待てコラッ! 何だ今の!! 汚ぇぞヒイロ!!」
「何がだ。大体婦女暴行に汚いも何もあると思ってるのか。」
 デュオは、未だ怒りを収めていない男を罵った。しかしもう既に聞き耳を持たないヒイロは何処吹く風と更に徹底的な箇所へと舌を進める。デュオは足の付け根に感じた呼吸に目を瞑った。
「ニアー。」
 ぎしりと鳴ったソファーの足下、デュオの落ちた髪の上。ルーシーだ。




 ヒイロは高い獣の声に驚いた。同時に、彼が見せた隙に振り上げられるかと思われた片足がないことに違和感を覚える。しかし、デュオもまた愛猫の姿に一度は閉じた目を丸くしており、更に彼女は、瞬間抗うことを失念してさえいたのだった。
「ルーシー?」
 主人の問い掛けに、黒猫は金眼の中の瞳孔を不満げに細めている。ヒイロは再び組み敷いたデュオへと意識を向け、そして思いがけず紅潮した。
 デュオの青い瞳は、猫の声によって無防備な色を取り戻していた。薄く紅を乗せた頬と、上部に両腕を押さえ込まれたため浮かび上がった鎖骨にうっすらと汗が滲んでいる。性的な交わりを主張する赤い痣が彼女の胸の狭間にくっきりと残されており、ヒイロの辿った唾液の軌跡が部屋の灯りに曝されていた。彼の右手に押さえられている脚は柔らかく、それは先程まで弄られていた腹部も同じだった。
 ヒイロは彼女が殺し切れなかった弱々しい喘ぎ声を思い出してしまった。また彼はデュオのそのような女々しい姿を、今まで一度として見たことがなかった。その事が反対に、彼の理性を呼び起こした。
 ふと、ヒイロの視線に状況を把握し直したデュオが気付く。2人の目が合い、そしてヒイロはそれが合図かのようにデュオの上から飛びすさった。デュオは突然自由になった身体と、バスルームへと消えたヒイロにどのような感情を持てばいいのか分からず呆然とする。
「た、助かった?」
 答えのない、また答えを期待していない問い掛けを零し、デュオは瞬いた。
 纏まらない思考の元、ひとまず彼女は肩の力を抜き、深く息を吐いた。何がヒイロを冷静にさせたのかデュオはわからなかったが、彼女にとっての危機は確かに去っていた。
 見上げた先にある天井に、デュオは自身がまだ寝転んだままであることを認識した。デュオは腹筋でソファーの上に起きあがり、バスタオルを巻き直す。そして、立ちこめ始めた彼女1人では手に負えない何とも言えない部屋の空気に、戸惑ってしまった。奇妙な自室の様相に、デュオは無意味ながらもそこをぐるりと展望する。
「......どーしよ。」
 胡座をかき、デュオは場の雰囲気を壊すためにセリフを吐いた。しかし、それは大した成果を上げず霧散し、最終的に取り残されるのは彼女の困惑だけとなる。
 ふと甦ったヒイロの詰問に、デュオは決まり悪げに頬をかいた。
「何しても良いなんて、思ってたわけじゃねぇんだけど。」
 口を突いた弁明は、彼女自身にも随分と空々しい響きを与える。
 何よりも、意外と短気なヒイロという男が2、3年近く沈黙を守っていたことにデュオは驚いた。破天荒極まりない無表情の下で、デュオのために掲げても居ない無抵抗主義を押し通し続けていたというのだからあっぱれだ。
 デュオは、彼が飛び退く瞬間に垣間見せた赤面を思い、吹き出してしまった。
「ヒイロがねぇ。あぁ、笑っちゃ悪いよな。」
 訪れた愉悦にデュオは口元を隠したが、しかし震える腹部はどうしようもなかった。彼女自身、なぜそんなにも愉快なのか分からなかったが、少なくともデュオが暴漢に抱いた殺意は消えており、反対に大した感慨を浮かべなかったはずの「愛している」という言葉が彼女の脳裏にリフレインする。
「オレ、あんな男捕まえるほど出来た女だったかぁ?」
 くっくっと鳥のような笑い声を零し、デュオは浮かんだ生理的な涙を拭った。彼女は微熱のような身体を落ち着かせようと深呼吸する。しかし、笑みはどうしても止まってはくれなかった。
「ニアー。」
 聞き慣れている呼び声にデュオは懸命に笑いを引っ込め、救世主である愛猫を見遣った。リアルな肉付きを伴いデュオに奇天烈な歓喜を呼び起こしたヒイロの告白はともかく、彼女はその金色に微笑み、手を伸ばす。
「あぁ、助かったよ。お前のおかげだ。」
 空腹のため不機嫌であったのか、ルーシーは主の腕をかわした。空を切った右手を特に気にせず、デュオは平常心を取り戻しかけている頭で今後のことを考える。未だ重みを持つ彼女の髪はしっとりと湿っており、デュオはそれを後方へとよけた。
「にしてもやっぱすごいわオレ。あのヒイロ・ユイを出会った頃から落としてたなんてありえねぇ。」
 調子を取り戻し始めた弁舌に、デュオは僅かに胸を撫で下ろした。興味ない風体で主が立ち上がることを待っている黒猫は、後ろ姿のまま顔だけデュオを振り返る。その餌を要求しているのだろう瞳に、デュオは苦笑し頷いてみせた。
「はいはい、あんま睨むなよルーシー。折角の美人なんだからさ。」
 重い腰を上げ、楽観的なデュオはとりあえず服装を整えることにした。彼女は機嫌が上昇していることに気が付き、不可思議な昂揚をどう判断すべきか思案する。呑気に嘯き、しかし彼女はそこで初めて違和感に気が付いた。
「え?」
 デュオはそれを確認し、すっかり湿気を含んでいるソファーにも目を遣る。
「......え?」




 ヒイロは蓋をしたトイレに座り込むと、思考を巡らせた。
 事の早期であったためにねじ伏せることが出来た欲望と、思いの外あっけなくメーターを振り切った獣欲を情けなく思いつつ、しかし彼はデュオの上から退いたことを存外後悔している自分自身に、何よりも溜息を吐きたくなった。
 ヒイロの立て籠もり先に脱ぎ捨てられていたワイシャツは洗剤に浸され、また同じように放置されていたジーンズはバスタブの縁に引っ掛けられている。目に毒である洗濯籠の下着類は流石に片付けるわけにもいかず、ヒイロはそれらを意識から除外することに決めた。
 さてどうしようかと、彼は目を閉じた。
 ヒイロにとって、リビングに戻りデュオの鉄拳を頂くことはさして問題ではない。デュオにしてみれば腹立たしいことこの上ないが、ヒイロは繰り出される拳に応えればいいだけなのだ。乱闘になり数カ所傷めるとしても、それだけで済むことだった。
 では何が問題かといえば、今回のことで彼女が完璧な逃げの体制に入ることである。
 カトルに荷担されL4宙域に雲隠れされれば、それはそれで厄介事になることは事実だった。また、デュオが触れ回るとも思えなかったが、最悪リリーナ外務次官のお膝元に彼女が飛び込んだ場合、ヒイロにとって非常にやりづらい状況になる。
「ヒルデ・シュバイカーでも使うか。」
 彼は、強かなデュオの相棒を思い出した。さばさばとしている件の少女は、振ったネタの分ちゃんと労働する人物であり、その点に関して彼はヒルデを信用している。
 しかし、そのようにしてヒイロが打算的な根回しの予定を半分ほど組み立てた頃、それまでの静けさが嘘のように突如扉の外が慌ただしくなった。
 ヒイロは叩き割らんばかりに殴られている騒がしいドアを見遣り、今更ながらに怒りでも湧いたかと独りごつ。随分とリズム感のない激しいビートを刻むデュオに、ヒイロはどのようなものであれ、ノックをする彼女が気遣いを思い出したのだろうかと詮無い感想をもらした。
 仕方がないと、ヒイロは立ち上がる。ドアを開けた瞬間の踵落とし、もしくはアイアンクローを予想しつつも彼はノブを捻った。
「......一応、おめでとうと言うべきなのか。」
「呆けてねぇでさっさとどけ!!」
 耳まで赤くなった表情を隠そうともせず叫んだデュオに、ヒイロは道を空けた。そして彼の鼻先で再び閉じられた扉の前、彼はしばし柄にもなく呆然としてしまった。
 デュオの両脚の内側、そこには二筋の赤い道が拓かれていた。それが意図するところを解し、ヒイロは自身がとんでもない場面に立ち会ってしまったことに遅まきながら気が付く。
 彼は個室の扉から少しばかり離れると、しかしそこで壁を背に座り込んだ。
 ヒイロはとにかく疲れたことを自覚した。つい先程までそれなりの速度を保っていた彼の思考回路も悲鳴を上げている。溜息を吐く度に幸せが逃げると以前デュオはヒイロをからかった。そんなことを唐突に思い出し、知ったことかと彼はこれ見よがしに嘆息する。狭い廊下に血痕がないことを確かめ、ヒイロは使ったこともない「厄日」という単語に振り回されて居る気分に陥った。
 ふと、彼は間もなく扉の向こうからなされるだろう要求に思い至った。空恐ろしいことに、デュオはバスタオル姿を改めていなかったのである。ヒイロは、彼女がちゃんとショーツの類を持って入ったかと考えた。そして、彼はその確率が生物が宇宙空間を裸で遊泳できる可能性よりも低いことを身を以て知っていた。
 ヒイロは項垂れると、今からエアポートに行けば最終便に乗れるだろうかと時刻表を思い出そうとした。
「ヒイロ? あの、ヒイロさん?」
 機嫌を窺うような声で、デュオがヒイロを呼んだ。
 自爆を促されたときの方がずっと速かっただろう過去の応答スピードを懐かしみつつ、ヒイロは重い沈黙の後返事をする。
「何だ。」
 お互いに言いにくいこと、また聞きたくないことであるため、自然黙り込む時間が長くなった。
 ヒイロは面倒そうに腰を上げ、そして普段に比べ数段小さいデュオの声が聞き取りやすいよう、扉の前の壁に背を預ける。彼は予想している彼女のセリフに苛々としたが、腕を組みデュオの言葉を待った。
「あのさ。すげー、悪いんだけどさ。」
「だから何だと言ってる。」
 歯切れの悪い彼女に、ヒイロは若干乱暴な音を返した。デュオはその声音にヒイロが「言いにくいこと」の内容を理解していることに気付き、ならば引き延ばす方が酷かと視線を上方へ遣る。
 デュオ自身、ヒイロに対して非常に申し訳ないとは思っている。自身の迂闊さを改めなければならないと真摯に受け止める程度には、罪を認めている。だからといってないものは仕方がないのだ。デュオはそう自身に言い聞かせ、頷いてみせた。
「ゴメン、生理用品買ってきて。」
 ヒイロはドア越しに投げられた予想を遙かに超える言葉に、微弱ながら残っていた気力を根こそぎ奪われた気がした。ずるずるとフローリングへ座り込み痛む頭を抱えると、彼はここ数年の間で最大級だろう海溝よりも深く重い溜息を吐く。彼は自身の恋心を自覚して以来、永遠問い続けてきた疑問を再度抱き、呟いた。
「なんで俺はこんな女に惚れたんだ?」
 リビングには、餌を諦めたルーシーがソファーで身を丸くしている。床に置かれていたウイスキーの瓶は、いつ倒れたのか横になっていた。時計の短針は6の数字を過ぎ、平和な人々は夕餉の支度を始める時刻であることを主張している。
 デュオが手にしたオルゴールは、未だ壊れたわけではなかったのだ。彼女は素晴らしい才能を持った奏者であり、またその演奏は何よりも気紛れに始まってしまう。
 ヒイロは聞き飽きたその音色に、奏でる死神の鎌を見た。



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