#1 1year.April
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 お隣さんが越してきた。
 珍しいこともあるもんだ。ただ、そういえばもう春なので、そういう季節なのかもしれない。
 立地条件がいい訳でもないし、新入居者は珍しい。出入りの少ないマンションで、俺のお隣さんはずっと空き部屋だった。といっても、俺の部屋は角部屋だから、お隣さんは一人しかいないけど。
 見た目が綺麗なのと、セキュリティに引かれたんかな? なんて、引越し作業を眺めながら考える。ていうかですね、コンビニに行って帰ってきたら、俺の部屋へ行く廊下に荷物が溢れてたわけですよ。通れないわけですよ。
 まあ、すぐに終わるだろうと、壁に寄りかかってたんだが、エレベーターのある方角から女の子が一人現れた。きょろきょろとキョドって、落ち着かない。何してんだと思ったが、見慣れない顔だし、この子がお隣さんの娘さんなんだろうな。じいっと見てたせいで、向こうも気付いた。どうもーって手を振ったら、一瞬固まって、深々と礼を返された。え、何、お嬢?
 近づいてくる女の子は、有名女学校の制服を着ていた。お嬢だ。
 頭がいいのと箱入り娘が出荷されんので有名な、幼稚舎から短大までエスカレーターの女学校の制服。高校か中学かはわからん。ちっちゃいから、中学か? ただ、俺にしたら大体の女の子はちっちぇからなぁ。
「……御機嫌よう」
 吹いた。
 まさか、本当にこんな風に話しかけてくる女の子がいるとは思わなかった。
「ご、ごきげんよう??」
 とりあえず同じ言葉を返すと、その子は少しほっとしたみたいで、俺の隣に立つ。なんだろうか、この空気。
「あの」
 その子の身長は、俺の肘のあたりまでしかない。本当にちっちゃい。ついでに薄い。壊れやしないか見ていて怖いな。で、そんな子が上目に見てきたら、とりあえず優しくしようって気になるのが男だと思う。
「ん?」
「あの、隣に、越してきました。毛利元就です。どうぞ、これから、よろしくお願いいたします」
 途切れ途切れの理由はわかる。綺麗な顔してんだからもったいねーよ、と思うが、口には出さない。でかい図体の上に隻眼だし、髪は白っぽい銀色なのだ。女の子からビビられるのは慣れてる。
「おう、こっちこそよろしく。俺は長曾我部元親な」
「ちょうそかべ…」
 まあわかんねぇよな。
 そうだろうそうだろう、と思うが、俺んとこの表札は引越し荷物の向こう側だ。
「あー、長いに曾って書いて、我に部なんだが……曾子って思想家わかるか、それと同じ字で曾」
 反対にわかりにくい説明をした気がする。しかたねーだろ、どうやって言えってんだ。八書いてその下に口書いて、口ん中に小を書いて、さらに日とかいうのかよ。それだってわからんわ。
「まあ、あとで表札でも見て確認しろや。俺、そこの角部屋」
「いや、知ってる。わかった、長曾我部さん、だな」
 渋いな。
 ていうか知ってんのかよ、言っといてなんだがどんな趣味だ。
「お父様かお母様と一緒に、多分、またご挨拶に伺う。よい日にちや時間があれば、その頃に伺うが」
 おとーさまかおかーさま。なんか、まず文化水準がチゲェ。確かにちったぁお高いマンションだが、この子はむしろ日本家屋に住んでるほうが似合うんじゃないか。
「平日は仕事だが、土日ならいつでもいーよ。朝でも起きてる」
 廊下にずっといたもんで、春先だからちょっと寒い。制服しか着てないし、この子も寒いんじゃなかろうか。
「つーか寒くないのか? コーヒーでも飲む?」
 ぬるくなってるだろうが、コンビニ袋には缶コーヒーが入ってる。
「いや、そんな……ご迷惑はかけられない」
 コーヒーは手元にあるんだが、違う意味に取られたかな? さすがに知り合ったばっかの女の子を部屋に入れるような男じゃねーぞ俺は。まあいいや、深追いしないでおこう。
 その後は、二人でぼーっと廊下に立っていた。もう歩けるスペースは出来てたんだが、何となく自室に入りづらかったというか、そんな感じ。
 引き上げ始めた業者の人間を見て、女の子がもう一度俺を見上げた。
「ん?」
「その、優しそうな人で、安心した」
 あん? 何の話だ?
「御機嫌よう」
 「元就さん」なんて、母親だろう女に呼ばれ、その子は部屋へと入って行った。お嬢って、わからん。
「あー……ゴキゲンヨー?」
 部屋に戻って、コーヒー飲もう。



「よろしくお願いいたします」
 和装で片手に菓子折り、なんていうルックのおかーさまが、まだ現存しているとは知らなかった。これは本当に頑固で厳格なおとーさまがいても不思議じゃない。
 そんなことを考えながら、「いいえ、こちらこそ」と大人としてマナーを守る。土曜の昼過ぎにやってきたお隣さんの親子は、おとーさまの帰りを三つ指突いてお出迎えしそうな二人だった。
「元就さん、あなたも」
「はい」
 前回会ったときは制服だったが、今日は着物だった。それは私服なのか? それとも正装なのか?
「どうぞ、よしなに」
 そういって、深々と頭を下げてくる。「よろしくなー」なんて返せない空気なので、やっぱり「こちらこそ」と言っておいた。
 つーかさ。びっくりしたのはそのお隣さんが、家族引越しじゃなくって初めての一人暮らしだったってことだよ。
 何でも、件の女学校っていうのが、最近中等部の立地を変えたらしい。構内に教会を建てるために、広いキャンパスに移ったんだと。ので、この小さなお隣さんは、幼稚舎の頃から通ってたはいいが、中等部になって通学がつらくなってしまった。でもおとーさまとおにーさま(が一人いるらしい)は女学校に行けの一点張り。
 家族会議を開いた結果、可愛い子には旅をさせろの精神で(おにーさまは車で送迎すると言い張ってたらしいが(すげぇな))一人暮らしと相成った。ただ中学生ってこともあるから、セキュリティだけはしっかりしてる場所がいいって話になり、このマンションへ。ああ、納得。
 このマンションのオーナーは知り合いだが、とにかく色々試したがるのだ。おかげで無意味に指紋照合のシステムがある。どんな国賓を招くんだ。
「お母様、長居をするのも、失礼です」
 元就と名乗った女の子が、母親の肩にそっと手を置く。品がいいというより、俺にしてみれば吹けば飛びそうな危うさを感じる。大丈夫なのか。
 母親の方も、「そうねぇ」なんていいながら、娘の髪を直してんだから、どの時代からタイムスリップして俺んちの玄関先に来たんだと聞きたい。世界って広い。
「それでは、御機嫌よう」
「ご機嫌よー」
 元就の言う「御機嫌よう」には慣れた。というか、この土曜日までの間に、朝やら夕方やら会うたんび「御機嫌よう」と挨拶されれば嫌でも慣れる。
 「よろしくする」といっても、こっちもいっぱしの社会人なわけで。しかも、これでもそれなりに働かないといけないポストにいるわけで。というわけで、初めの一年間は本当に、ただのお隣さんだった。挨拶をして、天気やなんかの話はするが、エレベーターから降りればそこでさよならっていう。よくある関係だ。元就はギターをかき鳴らす趣味もなく、反対にお琴を鳴らすようなこともなく、とても静かで礼儀正しいお隣さんだったので、俺はまあ、確かに、それなりの好感も抱いていた。でもそれだけだった。断じて。話の急展開は、二年目に入ってすぐだった。
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