#2 2year.April
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 その日、いつものように自宅についたのは夜の8時過ぎだった。玄関にカードキーを通して、入って、閉めて、スーツの上着をソファに放って、面倒なネクタイを外していたら、ピンポーンとチャイムが鳴らされた。
 思い当たる節もないので、ちょっと不思議になりインターフォンを見ると、中学二年に上がったばっかのお隣さんがちょこんと立っていた。
「どーした?」
 とりあえず、緩めてたボタンだけはちゃんとして、あとはそのまま玄関に出ると、元就はかっと顔を赤らめて謝ってきた。
「あ、なんで?」
「いや、着替えの最中だったようだから、ご、ごめんなさい」
 ……そーですか、お嬢にとって、ネクタイはずして上着を着てない男は恥ずかしいのですか。すみません。まあ今更着ないけど。
「気にすんな。で、どうした?」
 直視できないらしく、元就は視線を下方に向ける。耳まで赤くされるとこっちもはずいんだが……。言い難いことなのか、玄関先がどんどん冷えていく。仕方ないから、一回中に入れて、扉を閉めた。大丈夫かと思ったけど、それなりに信用されてるらしい。元就は少し口ごもって、「ありがとうございます」と言って来た。
「んー。でもまぁ、一応いやぁ、男の部屋にほいほい上がるなよ。女の子なんだから」
 上げた本人が言うなって話なんですがね。玄関ならセーフだろ。
「あ、あの……それで」
 口下手再来か? 最近は、朝話したりするとき、結構スムーズだったんだが。まあ、とりあえず言い出すのを待つ。口をぱくぱくさせてはいるが、声が出ていない。人魚姫じゃねんだから。小さくて白い手を何度も握ったりこすったりしてるので、中学生よりももっと下に見える。気は長い方だ、まかせろ。とか思った瞬間に、元就の方の決心がついたらしい。
「あ、の……今晩、一緒にいて、もらえないだろうか」
 お嬢ってわかんねぇ。
 顔を赤らめて、男の部屋の玄関先で、言っちゃいけない言葉ってのがいくつかある。今のはあきらかにそれだ。元就にその気がないのが手に取るようにわかるから、さらにだめだ。中学生とはいえ美人なんだから、そろそろそういう危機感を持っていい頃だろう。教わらなかったのか。おい、女学校。
 思わず溜め息をついてしまう。後ろ髪をがしがしと引っかくと、乱暴な仕草に驚いたのか、元就の肩が震えた。おにーさまは正しい。こういう子は車で送迎すべきだ。
「あのな、何があったかは知らねェけど、そういうのは友達か家族に頼め。お隣さんっていうだけで知らない男に言うな。あんたのためだ」
 腕を組んで、玄関の壁に寄りかかる。説教臭いが仕方ない。
「家族は、ダメだ。お兄様が、半狂乱になってしまうし、心配をかけてしまう。友達は、皆、学校の寮に入っているから、この時間では、電話もできない」
 学校の寮あんのかよ、最初からそこに行け。
「そもそもな、なんだって"今晩"なんだよ。言い方気をつけねぇと、誤解されるぞ」
 何があったんだ、とついでに促すと、俺の台詞を吟味したのか、さらに顔を赤くした。首まで真っ赤だ。気付いてなかったのかお前。お嬢って(以下略)
「ご、ごめんなさ……そぅぃぅ意味では、なくて、ごめんなさ、ぃ」
 泣きそうな声でいうなよ、苛めてる気分だ。というか、ここまで来ると玄関先がセーフかアウトかって問題でもないな。
「いーよ、もうそれは。今度から気ィ付けろ。で、どした?」
「そ、れが」
 で、かくかくしかじか。つっかえつっかえの元就の話はくだらなかった。とてつもなく、くっだらなかった。
 つまりだ。元就は今日学校で、仲の良いご学友である「光秀さん」から彼女の好きなDVDを借りた。で、それを夜の7時から見ていたわけだが、それがとんでもないスプラッタだった。二時間ものだったが途中で放棄し、でもグロ画像が頭にこびりついて眠れなくなった。どうしようかと怯えてたところ、お隣さんの俺が帰ってきたことを物音で察して、さっきの台詞になったわけだ。
「……くっっだらねぇええええええ」
 てか友達選べよ元就。
 俺が玄関に座り込むと、元就も合わせてしゃがんできた。「くだらない」と言い切った俺の反応が不満らしい。
「くだらなくない! あんな、あんなおぞましいもの…! 我は見たことがない!!」
 それを友達から勧められたってだけで1時間見たお前は馬鹿だ。
 俺はもう一回深い深い溜め息をついた。これみよがしなそれに、元就の表情が曇る。1年間1人で暮らしてたとはいえ、まだ中学生で、親も側にいなくて、友達にも縋れない(勧めてきた当人にもだ)
 ここで、仕方ねぇなァと思っちまうのが、仕事場で「兄貴」と呼ばれる由縁なんだろうか。
「ココアとホットミルクとどっちがいいんだ」
「え」
「眠っちまえば怖くもねぇよ。付き合ってやるから、どっちがいいんだ?」
 ぱぁっと、元就の顔が輝いた。あぁ、そうそう、美人はそういう顔してる方がいいよな。
「ミルクがいい」
 ちなみに、脱ぎ散らかしてたスーツを見て、やっぱり元就は顔を赤くした。……ただの上着なんだが、脱ぐこと自体がダメなのか?



 食卓の椅子を引いてやる。元就は少し戸惑ったが、浅く腰掛けた。そのまま、少し待ってろといい置くと、こくこくと頷く。さすがに緊張してるのか?
「ホットミルクでいいのか?」
「ああ、ありがとう、ございます」
 男の一人暮らしに、カップと名のつくものはマグカップしかない。俺はコーヒーは飲むんだが、味やみてくれに頓着もないから、コーヒーカップすら持ってなかった。機能性重視な見た目をしてるのは仕方ない。お嬢には勘弁してもらおう。
 電子レンジであっためるだけなので、五分もせずに元就と向き合った。椅子は対面する形で二脚だ(一人暮らしで二脚あることを褒めて欲しい、むしろ)
 目の前に置かれたカップを見て、元就は「……大きいな」と感想をもらした。やはり元就の想像していたカップと違うんだろう。黙って飲め。それも社会勉強だ。
 元々、元就は口数の多いタイプではないみたいだが、もしかしたらあまり他人と会話をしようという意思も少ない性格なのかもしれない。今も、黙々とホットミルクの湯気を吹いている。見た目や育ちのイメージ通り、猫舌なんだな。いや、俺も猫舌だから、熱い物に対する警戒心はよくわかるけど。
「女の子ってのは、甘いもんが好きなんだと思ってた」
「え」
 なみなみと注がれたホットミルクへ、半分以上意識が飛んでいたんだろう。元就は驚いたように視線を上げると、俺を見た。そして、必死に冷ましていた姿を観察されていたのだと気付いたようで、一度カップを置く。そうそう、冷ますんだったら会話で時間を潰すほうが、ずっと効率がいい。
「我とて、甘いものは好きだ」
「ん? 遠慮なんかすんなよ? ココアもミルクも似たようなもんだぞ」
 電子レンジでチンした牛乳に、ココアの素を入れるか入れないかの差だ。俺がココアを入れるっていうのは、そういう入れ方なんだから。
「いや、違う。……その、最近」
 元就がうつむく。元就は、こうやって顔を伏せてしまうことがよくある。そのたんび、俺はもったいないなぁと思うのだ。元就の顔は繊細な作りをしているのだから、他人に見せてやるくらいの意気込みで丁度いい。睫毛なんか、長いのがびっしり生えていて、一重の目元が涼やかだ。彫りが深いというより、筆でさらさらと描かれたように、目鼻立ちがすっきりしてる。美人と言われていいはずだし、そのくせ言動が可愛いから、共学ならさぞ憧れの的になっただろう。
 ただ、告白されんのは少ないだろうな。男ってのは、綺麗すぎる高嶺の花に対して、反対に萎縮するから。  元就の手前、ビールをあおるわけにもいかず、仕方ないからミネラルウォーターを飲む。俺の仕事の後の一杯…、明日までおあずけか。まあ、今更言っても意味ないので、のんびりと元就の返事を待つ。したら、呼気と一緒に元就が何か言った。聞こえない。ワンモア。
「え、何?」
「だ、だから、その……、…で」
「うん?」
 いや、ワンモア?
「最近、その、体重が、……増えて」
 言い難いのはそういうことか。
 どうも、元就ほどに細い人間でも、やっぱり女は痩せたがるらしい。女は不思議だ。甘いものが好きなくせに痩せたがる。そして、筋肉のせいで腕に張りがある男を羨ましがる。お前ら、女のやらかい身体がこんなごつごつした作りになってみろ。少子化はさらに進むぞ。いや、言いませんけど。この明らかにネタについてこれなさそうなお嬢には言いませんけど。
「いや、俺にしてみりゃ、もう少し太ったほうがいいんじゃね?」
 素直で無難な返事をする。身長に見合った体重ってのもあるんだろうが、元就は明らかに痩せすぎの部類だろ。手首とか俺掴んだら折っちまいそうだもん、HBの鉛筆みたいに。
「一応、毎晩少しだが運動しているのだ。しかし、全然落ちなくて……」
 それは、二次性徴に合わせて出るとこが出てきただけなんじゃないんですかね? 元就に悟られないように、俺はさっと相手の身体を見る。てか、身長も伸びるだろうし、健康な証拠じゃねぇか。
「身体全体が成長してるんだよ、身長だって伸びてるだろ?」
「だが、去年は40キロもなかったのだぞ? それが、今は40キロ前後をうろうろしておる。いささか、急すぎる」
 ……40キロ???
 ちょ、お前、それ俺片手で持てるぞ多分。てかそれは痩せすぎだ! 明らかに!
「お前、それ俺の姉貴の前で絶対言うなよ?」
「お姉様がおられるのか」
「おう、絶対言うなよ? 首絞められるぞ」
「……なぜ?」
「40キロは太ってねぇんだよ、むしろ痩せすぎだ! ちゃんと食え!」
 元就が不満そうな顔をする。まあ、確かに、今までの自分の体重より増えたら太ったと感じるもんなんだろうが、絶対に学年の平均体重より少ないぞ、それは。
「じゃあ、その『光秀さん』に聞いてみな。40キロが太ってるかどうか」
「失礼ではないか」
「体重聞くわけじゃねぇんだからいいだろ」
 元就は、いまだ悩み顔で口を閉じている。拗ねてるような風情だ。こういうのを見ると、まだ子供なんだなぁと思う。
「ホットミルク、そろそろ平気なんじゃねぇの?」
「あ」
 真っ白くて小さい両手で、元就はもう一度マグカップを支えた。一口飲むと、寄せられていた眉根が戻り、眉山がふんわりとした弧を描く。案外わかりやすい。子供だなー。子供は好きでも嫌いでもないが、素直な子供なら好きかもしれない。なんとなく父性本能を刺激されるのは、こういう仕草を元就がするからなんだろうな。
「落ち着いてきたか?」
「うむ」
 元就が頷く。その声音も、幸せそうな音を踏んでいて、俺は肩の荷が下りた。結構すぐにおとなしくなってくれてよかった。俺だって明日も仕事だ。ずっと付き合えるわけじゃない。
「じゃあ、それ飲んだら部屋戻るんだぞ」
「え」
 俺としては、何もおかしくない台詞を言ったぞ。『え』って、え? なんでそこで疑問符なんだよ。
 いや、戻れよ? 子供じゃねんだから。いや、今「子供だなー」とか思っちまったばっかだけど。訂正するから。
「眠ってしまえが、怖くないと…」
「いや、だから、落ち着いたんなら眠れるだろ?」
 まずい、なにやら意図が噛み合ってない。元就が、食卓の下の膝頭をきゅっとくっつけて、身体全体を緊張させたのがわかった。そして、困惑したように一言。
「一人では、怖いではないか」
 ……つまり? お前は何か? 本気でこの部屋に泊まるつもりなのか? マジで?
 縋るような眼差しが俺を見る。そのような目で我を見るな。今はまってるゲームで、そんなことを言ってるキャラクターがいた。その通りだ。そんな目で俺を見るな。
 てかさっきの俺の説教聞いてたか?! 危機感を持て!
「いい加減にしろ」
 また説教モードだ、疲れることさせるなおい。
 マグカップを持つ元就の手が、ひくりとふるえる。ついでに、カップを胸元へと抱え込んで、口調の厳しくなった俺に上目遣いだ。ぜひとも、今の状況をこいつのおにーさまに連絡したい。元就のいう半狂乱の状態になって、妹を家に連れ帰ってくれるだろう。
「付き合ってくれると、言った」
「泊めるとは言ってねぇ」
 一刀両断されたのがきつかったのか、元就はまた顔を俯けた。女の子に厳しいこというのは、好きじゃねぇんだけどなぁ。溜め息が出る。その溜め息にも大きく反応して、元就は小さくなってしまった声で言葉を続けた。
「迷惑は、わかっているが……」
「そーじゃねーだろ」
 ホントに、玄関先での俺の台詞聞いてたか? 違うだろ? お前、その底辺レベルの危機管理能力でよく一人暮らしさせてもらえたな。
「……あのなぁ。年頃の女の子が、男の部屋に夜上がりこんで、泊めてくれなんて言い出して。大事なもんなくなっちまっても、文句言えるような状況じゃないんだぞ」
 何でこんな教育活動してんだ俺。教職なんて取ってなかったし、取るつもりもなかったのに。
 元就は、俺にしてはとてつもなくオブラートに包んだ言葉を考え、次の台詞に困ったらしい。俺からは見えないその顔は、まあ、赤くなってんだろうけど。
 理解したんだったら、そろそろ部屋に戻るべきだ。時間も9時を過ぎる頃だし、俺もシャワー浴びたい。喋ったせいで乾いた口の中を、水で潤しながら、この後の予定を立てる。ふと、元就が顔を上げた。まだほっぺたに赤味が残ってる。
「では、我を襲うのか?」
 ミネラルウォーターを吹いた。
「襲うわけねぇだろ!!!」
 なにがどうなってそうなったんだ!
 一瞬にして、不審人物のレッテルを貼りに掛かるお嬢に叫び返す。げっそりと疲れた気分になった。俺がそういう非人道な人間だったらお前はすでにベッドの上だ!
 こんな善良な人間に何言うんだお前。そんな憐れな俺にさらなる追い討ち。
「では、問題ないではないか」
「は?」
「我とて、男の部屋に、すぐに上がるわけではない。優しい人だと思ったから、その、態のいい話ではあるが、助けを求めた」
 いや、俺、なんの話かさっぱり読めねぇんだけど?
 元就はマグカップを食卓に置くと、半ば呆然としてる俺に顔を近づける。そして、きょとりと首を傾げると、心底不思議そうに続けた。
「心配をしてくれるのは嬉しいが、今、襲わないと豪語したではないか。ならば、問題ないであろ?」
 お嬢って、わかんねぇ。
 なんだかもう、言い返すのも面倒だったが、ここで負けると本当に強行突破をされそうだったので口を開く。しかし、俺より先に、元就が続けた。
「もし、今晩追い出されたら、それこそ我は、駅まで行って、知らないが優しそうな人に、一緒に居てくれと頼むやもしれぬ」
 俺が、「じゃあそうしろ」といったら、どうするつもりなんだ?
 馬鹿馬鹿しい。つまりはだ、元就は子供なんだ。もう、根っから子供なのだ。大事に大事にされてたんだろうが、そのせいで身体だけおっきくなっちまった子供だ。「襲わない」と言ったら、本当に襲わないんだと信じやがる。いや、襲わねぇけど!!
 元就が、基本的に異性の行動に羞恥を表現すんのは、「恥ずかしいことだ」って教わったからなんだろうな。あとは、一応の情操教育。でも根本がなってねーよ! おとーさまもおかーさまもおにーさまも何やってんだ! むしろじいやか!!(本当に居そうで嫌だ)
「……俺、シャワー浴びてくる」
「あの」
「寝間着もなんもねーからな。一端戻って、歯磨きと着替えをして来い」
 俺が敗北宣言をした瞬間、そりゃあもう、綺麗な笑顔を浮かべて元就は頷いた。負けた……、すさまじい疲労感だ。なんでこんなことに。シャワーじゃ今日の疲れは取れねぇよ。風呂だ風呂。
「その、こっちに道具を持ってきてもいいか? 明日、ちゃんと持って帰る。部屋で一人で支度をするのは、背後が怖い」
「好きにしろ!」
 もう、どうにでもなれ。てか、もしこの状況が警察にばれたら、やっぱり捕まるのは俺なんだろうか。



 甘えるなと、元就に視線でいう。しかし、今回は元就も、俺を見返してきた。こいつなりに、なにやら譲歩できない一線らしい。だからって、こっちも引く気はないのだが。
 ソファーの前で睨み合う。いい加減、素直で純情な女の子だったのに、元就は、妙なところで意固地な面があるようだ。確かに、先ほど受けた怒涛の脅迫はすさまじいものがあったが、それも俺が断ったらどうしようという不安がない交ぜの言葉だった。だが今は違う。てこでも動かない空気が伝わってくる。とても言いたい。そんなに言うこと聞かねぇなら出て行け!
「お前な…俺が譲歩してやってんのがわかんねぇとは言わせねぇぞ」
「それとこれとは話が別であろう。家主をソファーで寝かせることなどできぬ」
 そんなこといったら、十歳近く年下の女の子をソファーに追いやって、自分はベッドで寝る男もどうかと思うぞ。そもそも、春とはいえまだ夜は冷えるのだ。掛け布団の予備なんて持っていないから、自然タオルケットを被って寝ることになる。見た目にも細っこい元就に、そんなことを強いるのはいただけない。というか大人しく俺の言うこと聞けよ。ホントに。
「だから言っただろ。そんなに気になるならベッドで俺が寝る。ただし、布団はこっちに持ってくるぞ」
「それではそちらが風邪を引くではないか」
 もう春とはいえ、夜は冷えるのだぞ。元就がそう続ける。知ってるよ、だから布団を使えっていってんだろうが。
 こちらがどんなに譲歩をしても、元就が譲らない。こんなとこばっかわがままだ。わがままというより固い。こちらに迷惑をかけている自覚があるから、これ以上世話になることはできないとでも思ってんだろう。この状況がすでに迷惑だ、早く寝させてくれ。
 かれこれ、すでに23時を回ろうとしている。元就はどうか知らないが、俺は5時には起きる習慣があるので、そろそろ本当に眠りたい。腕を組んだまま、一度うなだれる。それに対して、なぜか腰に手をあてふんぞり返ったままの元就が、怪訝な顔をした。
「なぜ、素直にこちらの申し出を受けぬのだ? 無理を頼んでいるのは我なのだから、我は床でもいいくらいだ」
 それは絶対に許さねぇぞ。女の子が床で寝るな! お前一応お嬢だろうが!!
「あのなァ、俺は男だし身体のつくりも丈夫だ。でもお前は女の子の上にまだ13か14だろう」
 押し切られる形で元就を泊める羽目になったが、承知した手前俺にも責任がある。細っこい元就は、どんなに丁寧に扱っても、ちょっとしたことで壊れそうだ。グリム童話だったかなんだったか、重ねた布団に豆が一個挟まってただけで、昨晩は固い寝床だったとほざいたお姫様を思い出す。元就は確実にそういうタイプだ。しかも自覚がない。というより、俺としてはかなり素直な心情で、この年下の女の子を大事にしたいだけなのだが、なぜか伝わらない。
「我とて、身体は丈夫だぞ。この問答も何度繰り返したか」
 お前のせいでな!! カウント5回は行ってるぞ確実に!
 まあ、元就は元就で俺が譲らないせいだと思ってんだろう。仕方ないとばかりに息を吐いている。
「どうしても、我を布団つきのベッドで寝させたいのか」
「つーか、それが良識だ」
「このような春先に、家主をタオルケット一枚でソファーに追いやるのは、それはそれで良識に反するであろう」
「だーかーらー…」
 まずい、無間地獄に陥っている。
 同じことを思ったのか、元就も一度口をつぐんだ。薄緑色の寝間着の裾をゆるく握って、考え込むように目を伏せる。ゆったりとした作りの寝間着だと、元就の肩の薄さや手足の細さが、殊更強調される。それを見るにつけ、やはりソファーはないだろうと思ってしまう。三人がけならまだしも、うちのは二人がけだ。元就がちっちゃいとはいえ、足もろくに伸ばせない。
 ふと、元就が顔を上げた。そして、「ならば」と口を開く。
「共にベッドで眠ればいいのではないか?」
 お前はそれが良案だとでも思ってんのか。
「却下」
「だがそれではいつまで経っても眠れ…」
「とにかく却下」
 もう説明するのも面倒くさい。思いつきをすぐさま退けられて、元就は膨れたように唇を突き出す。こいつが中学生というのはなにか間違ってる気がする。
「そなたのいいたいことはわかる。また我の…貞操、を慮っておるのであろ? しかし、そなたは襲わないといったではないか。あれが嘘だとでも申すつもりか」
 「貞操」という単語のところで、元就が少し顔を赤らめる。だが、同じベッドで眠ることには、こいつの羞恥心は働かないらしい。というか、襲う襲わないの問題じゃない。それこそ良識の問題だ。
「わかってんならそれ以上アホなこと言うな。つーか、同じ文句で二度俺が折れると思うなよ」
 今度は引かない。犯罪者になる一歩手前だ、引けるか!!
 むむ、と元就が眉根を寄せた。先と同じ方法で陥落できると思ったら大間違いだ。もう強制的にベッドルームに入れてしまおう、そうしよう、それが一番早いと結論し、元就に向かい手を伸ばす。だが、俺が元就の肩を捕まえるよりも早く、元就がこちらを覗き込んできた。
「だが、考えてもみよ?」
 首を傾げ、手を口元に置く。可愛らしい仕草だが嫌な予感がする。
「例えばだ、そなたが無理矢理ソファーで寝たとする。そうなれば、我はそちらが眠った頃を見計らって、布団を交換する。我がソファーで寝ても同じことだ」
 確かに、寝室は内側からしか鍵をかけられないから、元就のこの頑なさをみるに十分それはありえる。というか、俺も同じことをするつもりだったので、そうなると朝までお互い起きている羽目になる。本末転倒だ。そんなら、俺がタオルケットでベッドで寝ればいいんじゃねぇか? 鍵をかければこっちのもんだし。
 しかし、そう思って元就を見ると、こいつは俺の考えたことがわかったのかきっと睨み返してきた。
「無理矢理布団を渡したら、我は何も被らずに寝るぞ」
 だから、そういう自分の身体を盾にした脅しをするんじゃない!!
 俺が詰まると、元就は口元に置いていた手を下ろし、そりゃもう憎たらしい笑みを浮かべた。
「不毛であろ?」
 俺をやりこめる自信があるのか、元就は目をきらきらさせている。時計を見れば23時30分。今、俺らが過ごした30分こそ不毛だぞ。
 溜め息を吐いた。仕方ない、一度は元就の言に頷こう。そして、こいつが油断して眠ったら、俺がソファーに移ればいい。というか、そうしないとこのエンドレスリピートの会話から抜けられない。
「お前、朝はいつも何時に起きるんだ?」
「季節によるが、今は大体5時頃だ」
「早いな」
 人のこと言えねぇけど。
「日の出を見てから、また6時半まで二度寝をするのだ」
 どんな趣味だ?
 というか、それだと夏に近づくごとにさらに早起きするのかお前は。
「それがどうかしたか」
「俺は5時に起きて、そこらをランニングすんのが日課なんだよ。その拍子に起こしたら悪いだろうが」
 まあ、本当はソファーに移動したのを誤魔化すために、元就の起床時間を聞いただけなのだが。
「では」
「わかった。もう、いいからさっさと寝るぞ」
 勝利したのが嬉しいのか、元就は両頬を緩めている。こちらの言い分をそのまま信じるのは、可愛いんだが心配だ。変な壷とか買わされそうで。
「手前の部屋が寝室、奥の部屋は危ないから入るな」
 指差して説明する。2LDKなので、あまった一室は俺の趣味部屋になっている。書斎といえば響きはいいが、機材がごろごろ転がっているので、こけようものならその先にスパナが落ちててもおかしくない。図面を引くための作業台の周りは、紙の束が積み重なっているし、室内は惨状と言っていい有様だ。反対に、寝室は寝るためだけの部屋だから、汚れようがない。
 元就は、俺の言い方に一瞬不思議そうにしたが、詳しく聞いてくることはなかった。小さくあくびをもらしていたので、元就の方も眠かったらしい。
 さっさと寝かしつけよう。というか、こんなに萎えた気分で女の子を寝室に入れるのは初めてだ。



 甘かった。どうしようもない状況に溜め息すら出ない。反対に、元就は至極安らかな寝息を立てていて、それでいいのかと問い正してやりたい気分になる。時間はすでに深夜の1時を過ぎている。本当なら、さっさとベッドを抜け出している頃だ。
 老婆心がうずいて、寝入りばなに、やはり元就を叱ったのが不味かったのだろうか。いや、俺は正しいことをいったぞ。「その歳になって男と一緒に寝るなんて、恥ずかしくないのか」と、そういったのだ。したら、元就はうとうととした顔で、兄上を思い出すと返してきた。厳密に言えば、それは答えになってない。でも、やっぱり家族と離れてんのが寂しいのだなとわかってしまったので、元就の片手がこちらの腕を取ったのを我慢した。殆んど眠っている状態だったし、無意識に家族を求めてる姿は、やはり庇護の対象にしかならない。それはいい。それはいいが、問題はその後だ。
 左腕をしっかり抱え込まれた。元就の両腕が、こちらの手首から肩までを、起きてるんじゃないかと思う強さで捕まえている。というか胸が。いや、全然ないんだけど、でも予想よりもあった胸が。寝る前なんだからブラだって付けてねぇわな、そりゃな。
 危機感を持てよお嬢。
 何度思ったかわからないことを、再度思いながら思考をめぐらす。腕を揺らして、何回か抜き取ろうと努力したんだが、その度に元就は眠りが浅いのか、うっすらと目を開けた。そして、半分以上眠った意識のまま、さらに深く腕を抱え込む。俺の手のひらが丁度、元就の腹部にあるので、下手に動かすことも出来なくなってしまった。
 どうすんだ俺。
 なんかもう、諦めて眠ったほうがいいんだろうかとも思う。元就に、結局負けた気がするが、むこうが気にしないというなら気にしなくてもいいんじゃないだろうか。いい加減、思考を丸投げしてんのが自分でわかるけど。
 二の腕のあたりに、元就の呼気が当っている。実家で飼ってる猫とか思い出す。あれも相当我儘な猫だった。膝の上で丸まるのはいいんだが、用事ができて立ち上がろうとすると、気持ちよく寝てたのになんで動くんだ布団、とでもいいたげに逆ギレするのだ。
 溜め息を吐いて、脳内で時計の部品を一つ一つ思い出してみる。何かを解体するのは小さい頃から好きだったので、苦もなく脳内にばらばらの時計が出来上がる。それをもう一度一から組み直して、それが終わったら今度は自転車をばらばらにする。次はバイク。その次は車だ。
 メカゴジラってどうすりゃできんのかなーと思い始めた頃、ようやっと俺の意識も落ちた。



 ふと、脇にある温かなものが身じろいだのがわかった。眠気が完全に途切れる前に、ああそういえば元就が泊まったんだったと思い出す。
 目を閉じたまま、今何時だろうと考えていると、半身を持ち上げていた元就が、ばっと飛び退く。そして、抱き込んでいた俺の腕をやっと解放すると、小さく声を上げる。
「……え、…ぅ?」
 それから数秒経って、今度はこちらを覗きこむ気配。顔のあたりに影が出来たのが、目蓋越しでもわかった。大丈夫、まだ寝ててやるから。心配すんな。
 ベッドを揺らしたことで、俺が起きたんじゃないかと思ったんだろう。今起きるのは、それこそ面倒なので、狸寝入りをしてやった。ほうっと、安堵の溜め息。さすがに、俺の腕を取っていたのは恥ずかしかったらしい。
 そろそろと、今度は静かに俺から離れていく。そして、小さく寝室の扉が開く音がした。日課だと言っていた朝日見物にいったんだろうな。そこでようやく、俺も目を開ける。
 枕元の目覚ましは、朝の5時を指している。結局3時間くらいしか眠れていない。しかも寝たのに異様に疲れた。というか目覚めた瞬間から疲れた。寂しいなら、今からでも実家に帰るってのは手だと思うんだがな。聞いた感じじゃ、おにーさまは諸手を上げて大喜びしてくれんじゃねぇの? 送迎だって、元就が頼めば一発っぽいし。
 中学生で親元から離れるなんて、可愛がられてたっぽい分、尚更つらいだろう。だから、俺みたいなお隣さんに懐いてくるんだ。過ぎたことだからどうしようもないが、やっぱり、昨日の元就は軽率だったと思う。人なんて、表面はいくらでも取り繕うのだから、「優しそうだから」ってのはダメだ。
 あ、なんか、スゲー心配になってきた。
 というか、友達運もないよなあいつ。そもそも、そういう精神状態になったのは、友達から借りたスプラッタのせいだろ? どんなレベルの代物かは知らんが、あからさまにそういうのに免疫なさそうな元就に貸すのは、一歩間違えればいじめじゃねぇのか?
 寝起きのぐるぐるとした頭のまま、俺もリビングに向かう。ちょうど、ベランダから戻ってきた元就と目が合った。
「おはよ」
「ぉ、はよう、ございます」
 顔が赤くなってる。ここは見て見ぬ振りしてやんのが優しさだろうなァ。
「俺、これから準備して走ってくるけど、二度寝は自分の部屋でしろよ」
「あ、あ。それ、なのだが」
 あん? 二度寝までここでするとか言う気じゃねぇだろうな。
「その、迷惑でなければ、朝食を作って持ってくる。我が、作れるものになってしまうが」
 一宿の恩返しが一飯ということらしい。
 確かに、それなりに迷惑したが、まだまだちっちゃい元就を見ていると、仕方ないなぁと思えてくる。だから、別に気にしなくてもいいんだが。
「あー、別に」
「ダメか」
 「いらねぇよ」と続けようとしたら、必死な眼差しで見上げられた。変に口で言い負かされるより、この視線が俺には一番きつい。そういや、部屋に上げたのもこれのせいだった気がする。庇護欲をそそる顔つきをするなよ…。
「だめ、か」
 あー……。
「わかった、頼むわ」
 まあいいか。歳の離れた妹が出来たと思えば、可愛いもんだ。俺は姉貴と、あとは男の兄弟しかいないから、こういう感覚は新鮮だし。
「何作るんだ、目玉焼きとか?」
 それなら、俺は半熟よりしっかり焼かれてるほうが好きだ。
 しかし、そういうと元就は一瞬詰まった。うん? 朝は和食派かな? 生活環境的にそれっぽいよな。俺も味噌汁とご飯が好きな人間だから、そっちのが嬉しい。
「卵料理は…」
「うん」
「スクランブル・エッグなら…」
 目玉焼きを焼けない人間って、俺、初めて見た。
「……慣れてねぇなら、和食でいいぞ? てか、俺和食のが好きだし」
「インスタントの味噌汁になる。あと、生焼けと焦げてる鮭では、どちらが食べやすい?」
 食べやすいって問題じゃねぇよ。
 てか何を作るつもりだったんだお前。まず朝食を作れるのか。いや、それ以前に何を食って生活してたんだこの1年!!
「いい、何もいうな。そんで少し待ってろ」
「え」
「何も言わずに俺の作る飯を食ってけ。ついでだ、朝飯くらい作ってやる。二度寝してろ」
「だが、それでは」
「口答えすんな。てか、お前毎日何食べてるんだよ?」
 さっき以上に心配だ。こいつの栄養状態が、すさまじく心配だ。
「ご飯に、納豆とか。明太子とか。卵、とか」
 副菜が出て来ねぇ。
「あとは、レタスとか」
 サラダじゃないのか。
「チーズも食べるぞ」
 ……小動物みたいな食生活してんのな。だからそんな細っこいんじゃねぇの?
「二度寝してろ」

 ランニングから帰ってきて朝飯を作ってやると、顔をきらきらさせて味噌汁をすすっていた。猫舌のくせに、息も吹きかけなかったから、案の定舌を火傷している。でもまぁ、それだけ飢えてたんだろう。色々なものに。
「うまいか」
「うむ」
 顔をほころばせて、元就は頷く。
 …やばい、仕方ねェなぁっと思い始めている自分がいる。とりあえず、今度から土日とかはおかずを差し入れしてやろう。
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