#6 2year.August Copyright 2007- (C) Uoko All rights reserved. 災厄というのは、基本的に自分から避けられないものだからこそ災厄なのだと思う。それこそ、まず最初に降り注ぐ天災のような何かがあって、まったく問題のなかったはずの物事が、二転三転のドミノ倒しになっていく。 ただ、そこまで考えて、もともと問題はある物事だったのだと胸中で訂正する。盆に満ちるまで、まだ残り時間のあったそれが、急の豪雨で一気に水かさを増し、溢れただけのことでもあるのだ。どちらにせよ、覆水盆に返らず。というよりも、客観的に見れば、これは願ったり叶ったりと言うか、渡りに船と言うか。 まずいことになったと、そう感じること自体がまずいのだろう。自覚していて、なおまずいと思っているのだから、我ながら世話がない。 一週間前の日曜日から、小さなお隣さんは登校日だとかで、実家からマンションの部屋へと戻っていた。実家を出てくるのを「戻る」というのは、何とも妙な言い方だと思うが、こちらとしては「おかえり」としか言いようがない。それこそ、「ようこそ」も変だろうから。 秋の文化祭の決め事や準備期間に、夏休みの間の一週間が当てられるらしい。面倒なことだと内心で思うが、最近の学生はカリキュラムが昔と変わっているせいで、雑多な事をする時間が取りにくいのだそうだ。月曜の朝、久々に一緒に乗り込んだエレベーターの中で、そんなことをぽつぽつと話していた。ちなみに、例のご学友の「光秀さん」とは、まだ親しい仲でいるらしい。同じクラスなら無理にとは言わないが、離れるべきだと俺は思う。そこまではさすがに言わないけど。 ほんの数週間前と同じなのだが、久々に食事の件でああだこうだと世話を焼くのは楽しかった。多分、ちっちゃい女の子の心配をする生活が、普通になりかけていたせいだろう。 天災は、土曜の早朝にやってきた。元就は、土曜の午後に実家へ帰ると言っていたから、なぜあと6時間を待つことができなかったのかとその天災に聞きたい。ただ、金曜の晩に飲みに飲んでべろべろになり、始発で弟の部屋に突撃かましてきた姉にはそんな質問は意味がないだろう。金曜の晩に飲みに飲んでべろべろになり、始発で弟の部屋に突撃したからこそ土曜の早朝だったのだ。 日課のランニングから戻って早々、「何やってんだ」というのが正直なところだった。未だに酒の残っていそうな上機嫌で、人の家の玄関を素手で殴っている女。実姉でなければ警察呼んでる。というか、よくあのお嬢様の元就が「110」をプッシュしなかったもんだと言いたい。こんな大人になっちゃいけないという社会勉強みたいなものだろうか。 土曜の朝に騒動を起こしてくれるなと、「何やってんだよ」と話しかければ羽が生えてそうな「元親!」という呼びかけが返った。そうかそうか、ご機嫌か、よかったなと相槌を打ちつつ、相手の肩を押しのけて鍵を開ける。すると、全体重ごとこちらの背中に懐いてきた。ぶっちゃけ重い。 汗臭いだろうから引き剥がしたいのだが、女にしては強い腕の力でしがみついてきて離れない。酔っぱらいめ。 姉の相手を諦めて、カードキーを通す。カチリと小さな音がして、しかし、自身が扉を開く前に、背後から留め具の外れる音がした。そろそろと隣の部屋から顔を覗かせたのは、多分、向こうも向こうで、日課の日光浴を終わらせたのだろう小さいお隣さんだ。姉の様子からして、景気良く玄関を殴っていたようだから、恐々と様子は窺っていたということだろうか。警戒心の乗る双眸が、すとんと、落ちるように違う色を纏う。 相手がしただろう誤解は、簡単に読み取れた。可哀そうなほどに、色恋に慣れてない女の子の思考は、顔と目に乗った。 「おはよ」 「あ、お……、おはよう、ございます」 挨拶をすれば、混乱したままの声音が返ってくる。中途半端に開いた玄関から、やっぱり身体の三分の一くらいを覗かせて、少しばかり呆然としているようだった。妙な話だが、その見た目が、巣穴から顔を出す小動物みたいで可愛い。夏の生地の薄い部屋着の裾が覗いて、サンダルを履いた足元は素足だ。 姉が振り返り、元就を見る。そのまま「可愛い!」と悲鳴みたいな声で言い、酔っぱらいの姉は楽しそうに笑う。 「元親、元親。誰? 可愛い!」 背中から回されている相手の両手が、無理やりにこちらの顔の向きを変えた。痛いだろうがと文句を言っても、昔から話を聞かない人なので、「誰?」と返されるばかりだ。 「お隣さんだよ、今中2」 「小さいのね! ああ、元親は、妹欲しいって言ってたもんね」 この災厄を、ちょうどいいとも思ったのだ。少なくとも、元就が自覚をしていないだろう俺に向けるものは、あまり彼女にとって有用なものにはなりえなかったし、こちらとしても、今後の如何によっては、多少の面倒を被るものだった。 元就が気が付くのが、果たしていつになったのかはわからなかったが、それでも、「妹」とは言えない眼差しで、女に懐かれるこちらを見たので、何だかなと、少し悲しくなる。そして、誤解を誤解のままにするデメリットが頭を擡げるのだ。「まずい、誤解された」と、何がまずいものかと、胸の内の半分では冷静に判断しながら。 姉は、ぱっと見た姿かたちが、自身とはあまり似ていない。色素の違いが第一だろうが、パーツの一つ一つを取っても、男と女なので微妙に異なる。多分、両親や先祖からもらったものが、互いに少しずつ入れ違っているのだ。 「今日帰るんだよな」 尋ねれば、元就は頷く。そうして、何かを問うような目をする。もしくは、こちらの示す何らかの「理由」を求めている。そして、それには答えないと「まずい」のだ。しかし、答えたとしても、同様に「まずい」。 「そっか。ごきげんよう?」 「なぁに、それ」と背中から聞いてくる姉に、「挨拶だよ、挨拶」と返す。 お隣さん。世話の焼けるちっちゃい女の子。妹みたいなもの。すべてがすべて、やんわりとだが「他人」を示す。そして、他人でいるべきなのだ。 文化祭には、家族以外にも外部の人間を呼べるのだと、元就は話していた。「楽しそうだな」と言えば、「興味があるならば、チケットを渡すが」と返されて、それもどうよと苦笑をしつつ、「そりゃ、どうも」と笑った。木曜だか、水曜だかの晩のことだ。 部屋に入る間際、背中に懐いた姉のおかげで、元就の様子は見えなかった。 |
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