in the Secret.
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 初夏のような暑さの、春の日である。
 八重桜はその花弁を風に散らし、春雷も三度通り過ぎた頃合で、程近い雨期までの僅かな日数を、さつきの花や三色すみれが美しい姿で咲き乱れている。
 そんな匂い立つ季節にある大型連休の一日を、望美はとある室内で過ごしている。無趣味といって差し支えない室内に掛かる紗のカーテンは、昼の陽光を和らげ、そして室内に招き入れる。フローリングは暖められている。これが彼女と懇意な幼馴染の部屋ならば、望美はうとうととその目蓋を下ろしていただろう。
 ソファーに深く座り、知盛は足を組んでいる。望美は彼の膝を跨ぎ、男と向かい合っている。膝立ちをしている彼女の春色をしたスカートは、不埒な手のひらの侵入を受けている。彼の片手が望美の太ももを撫で、もう片手は細い右手首を掴んでいる。彼女にしてみれば、それは不本意な体勢だった。しかし、知盛にしてみれば気持ちのいい位置関係だった。
 酷く機嫌良さそうな猫のように、男は笑っている。望美にしてみれば、憎たらしいほかないその顔を睨め付け、彼女はもう一度手の中のものを確かめるように見つめた。知盛の機嫌がいい理由は、一つはそれだった。ピストルのように引き金が付いている。ピアッサーだ。
 望美の逡巡の時間が終わるのを、知盛はゆっくりと待っているのだ。恋人の足を楽しんでいた男の指が、望美の髪をすくい、絡め、接触の標的を変えた。武人の指には不似合いな艶やかさで、望美の髪はするりと逃れ落ちる。その仕草は酷くみだりがわしい。だから、望美はいつも、知盛のことをいやらしい男だと思う。
 進級の慌ただしさも一役買って、この面倒くさがりで、また本人自身の人となりも面倒な恋人と睦みあうのは、彼女の感覚からしても久方ぶりだった。だからこそ、この日の望美は男の下心にある程度寛容だったし、その過度な接触も、沸きあがる気恥ずかしさを押し込めて咎めはしなかった。だが、今彼女が知盛の好きに許しているのは、先の男の所望に対して、どう対処するか悩んでいるからである。望美は、左手にある小さな凶器を握りなおす。そしてまた、知盛を見た。
 彼女の視線を受け、知盛はあっさりと髪遊びを中断する。そして、眦に愉悦を乗せて、喉を震わせる。くつりと、まるで鳥の鳴き声のような笑い方をして、男の左手が望美の右手首から肘までの肌を這い上がった。
「そろそろ、その気になったか」
 望美の返事が否であっても、また是であっても、別段困りはしない口調だった。彼は肯定しか受け入れない心持であったし、また返事が色よいものでなくとも、やはり男は望美の身体を捕らえたままで遊んでいればいいのだ。それを望美も知っているから、ますます彼女の眼差しは鋭くなった。



 知盛の生活リズムからして、午前中に男の部屋を訪ねたとしても、まず望美はリビングでの待ちぼうけを余儀なくされるのが常だった。それにも関わらず、午前11時を回らない時間に彼女が部屋の玄関をくぐったのには、それなりの理由がある。
 合鍵を使い室内へと足を踏み入れ、望美はまず冷蔵庫の中身を確かめる。中身と呼べるほどのものもないキッチンの惨状に、彼女は眉根を寄せ、嘆息する。そして彼女の幼馴染が持たせてくれた数品のおかずを押し込み、一合だけ米を研ぐ。台所に料理の息吹を起こすのは、望美にとって得意なことではなかったが、キッチンがキッチンとしての存在意義を失うよりは、不得手者の介入だったとしてもその方がマシだったろう。
 部屋の様相はきれいなものだ。というよりも、男の生活範囲が狭いからこそ、部屋を汚さずにすんでいるだけである。結局、別段こまめに掃除をしているわけでもないから、隅には埃が少なからず溜まっている。それを除去すべく、彼女が掃除機を駆り出す頃には日も中天にかかり、文明機器の騒々しさでようやっと寝室の扉は開かれる。
 知盛は掃除機の音を嫌っている。望美に操られているその忌むべき存在を一瞥し、彼は寝覚めの悪さを瞳に乗せる。だからこそ、望美は殊更にっこりと微笑む。
「おはよう、知盛」
「……神子殿は本当に、働き者だな」
 互いのいやみをさらりと交わし合い、知盛はソファーへ腰を下ろす。
 僅かに身を屈めていた望美は、机の下にもぐっていた吸い込み口を引くと、スイッチを切った。合わせて、耳障りな吸引音がぴたりとやむ。そうすると、寝起きの気だるさをまとっていた男が、のそりと顔を上げ望美を見た。知盛は、猫が不機嫌に目をすがめるような仕草で、じっと彼女の動向を窺っている。
 傲岸不遜という言葉が衣食住の権利を得たような人間も、やはり苦手なものはあるのだと望美は思う。そう思えばこそ、彼女は恋情に付随したいくらかの愛情を注げたのだし、男を可愛いと表現することもできた。
 寝癖もそのままに望美を見つめる真摯な眼差しを見たものだから、ゆらりと彼女の焔が揺れた。だから、望美はコードを巻き掃除機を片付けると、知盛の傍によって男の髪を梳いた。
「洗濯は、あとにしてあげるね」
 だらしなくソファーに身をあずける知盛のつむじすらも、何故だか愛しく感じられて、彼女は笑った。
 やかましさが後回しにされたことは、知盛にとっても歓迎すべきことだ。彼にしてみれば、望美の心情の変化はあまり理解できる事柄ではなかったが、その不理解を深刻に受け止めるような男でもなかったから、彼は彼自身のすぐ傍らへとようやっと訪れた女の腰に手をかけ引き寄せた。
 気候にあわせ生地の薄くなった彼女のトップスは、ほんのりと色づく程度のクリーム色をしている。望美は少女らしい線の細さを持っていて、その腰のくびれを強調するように真珠で飾られたチェーンベルトが巻かれている。三連のベルトは、決して華美というわけではない。しかし、知盛は真珠の玉を一粒摘むと、それをしげしげと見つめた。人差し指にチェーンを引っ掛け、一際大きな粒を知盛は親指で撫でるようにする。
「どうしたの?」
 引き寄せられるまま、望美は男の肩に手を置く。
「これも、この世界の装飾品の一つか」
「そうだよ。ここがかぎ状になっててね、ひっかけるの」
 望美は右腰に手をやり止め具を外すと、そのままベルトを知盛に持たせた。彼女が知盛に関して知っていることなど数少ないが、それでも男が装身具に興味を持つとはいささか意外なことだった。
 知盛の世界への知識は、確実に蓄えられている。その点は、望美を始め将臣や譲たちの努力が報われている点である。異なる言葉のニュアンスや一般常識に関して、彼は特に何の問題もなく覚えたし、望美たちが逐一見ていなくとも、簡単な交通手段ならば、もう一人で利用できるだろう。しかし、彼女は、世界に段々と慣れていく知盛が、何を好み、何を嫌悪し、何を行って日々を送っているのか未だ掴みきれずにいる。それは知盛も同じことで、彼が望美に関してわかっていることなど両手の指の数よりも少ないかもしれなかった。
 だから、望美はこの場での知盛の興味が、一過性の好奇心なのか、それとも永続的な嗜好によるのかさっぱりわからずにいる。しかし、彼の指が金具の連なりをいじり、感情の色の薄い瞳へやはり大きな変化も乗せないままベルトを映している姿は、未知の玩具に戸惑っているようにも見えた。それを起因として、望美の中には、性懲りもなく知盛への愛情が芽吹くのだから、彼女は知盛の頭を二度三度撫でるに止める。
「なんだ」
「知盛って、ときどきかわいいよねぇ」
 望美の小さな手のひらは、彼女が梳いたばかりの知盛の髪を乱し、頭皮を擦る。
 男の視線の先、ほのあかい唇が笑みの形をして、首が傾げられた。長い髪の毛先が揺れ、ふるふると震えているようだ。望美の行動は、知盛のような人間に対して行うには不似合いだ。むしろ、彼女が男のことを手懐けている仕草に見える。
 望美の言葉に、知盛は両眼をすがめた。しかし、彼女の手首を取り皮膚を甘噛みしただけで、小さな悲鳴を聞くとそのまま引き下がった。知盛が望美の台詞を許したのは、何のことはない。やはり、彼も女の行為を、かわいいと思っただけだ。
 噛まれた手首を胸に抱き、望美は多少警戒するような仕草をする。それには素知らぬふりで、知盛はチェーンベルトを彼女に返した。ベルトを巻き直してしまえば、望美にはもう立っている理由もなく、結局知盛の隣へ腰を下ろす。
「ねえ、知盛って、こういうアクセサリーに興味あるの? あ、アクセサリーっていうのは」
「大丈夫だ、わかる。装身具の総称だろう?」
「そうそう。知ってたんだ?」
「お前達が、この世界のことを躍起になって教えるからな」
 ため息こそつかなかったが、僅かなりにも辟易しているような口振りだった。
 まだ近い過去、彼が電子レンジを使って洗濯されてしまった腕時計を乾かそうとした時には、譲の怒りが爆発したものだ。しかし、烈火のごとく怒鳴りながら、台詞の大半は知盛を現代人へとしつけるもので、その一件以来、知盛の方は譲の扱い方を覚えたらしい。
 知盛のしでかしたいくつかのことを思い出し、望美はまた、くすくすと笑う。そのように知盛が頓珍漢なことをしでかすたび、望美たちははらはらしたものだが、しかしながら、彼も意図して奇行に走っているわけではなかったのだ。
「あんまり興味ないみたいな口振りだね。何か面白いって思うもの、ないの?」
 例えば、バイクとか。カクテル作りとか。お酒好きでしょう。望美は歌うように続ける。彼女の挙げたものは、どちらも二人の幼馴染からアイディアを受けたものだったが、やはり知盛の反応は芳しくない。本当に面倒くさがりな男だと彼女が視線をやったとき、知盛と目が合った。それは明らかに男の側の故意だった。望美の丸い膝に、ふと、知盛の手が置かれた。とても無造作な動きだった。
「……何?」
「言わせるのか?」
 望美の問いに答えることなく、知盛が嫣然と笑った。不信も露な気の強い眼差しを受け流し、彼は望美の膝頭を中指でくすぐる。望美は、軽く男の手をはたいた。艶事を髣髴とさせる仕草は収まったが、しかし知盛の手のひらは変わらず小さな膝を覆い隠している。
「俺は、お前が欲しくて、この世界に来たんだが……」
 篭絡を意図した囁きを耳の穴に吹き込み、知盛は望美の震えた足を押さえつけた。知盛の行為に、横目で流される彼女の視線は変わらず鋭い。そして、男に対する威嚇に満ちている。しかし、望美のその居丈高な脅しは、あまりに状況下の甘いものを含みすぎていたから、反対に知盛が舐め取ってしまう。
「わかっているだろう? それとも、そう思っていたのは、俺の勘違い、か?」
 するすると、男の手が膝から太ももへ移動する。彼女の耳元へ寄せられた知盛の唇が、耳朶を含もうとする。
「その手には乗らないからね」
 望美はそう口にすると、知盛の侵略を両手で食い止めた。
 スカートの上から男の手を押さえつけ、もう片手でやはり知盛の唇を覆う。視線だけは酷く近いところで絡み、望美の手のひらに男の呼気があたった。それだけで十分気恥ずかしかったが、僅かに頬を染めただけで過度な反応を抑えたのは、彼女にとって上出来の部類だった。
「ねえ、久しぶりなんだよ? 少しはお喋りに付き合ってよ」
 一連の所作で、些かあからさまであった含意を断られた知盛は眼を眇める。彼女は男の不満げな色に気付き、望美自身の手の甲にキスをした。女の片手一枚を隔てた口付けに、知盛は一度瞬きをする。そして、一度閉じられ開いた両眼には、ひとひらの興が乗っていた。
「それに、知盛のことが欲しくてこっちに連れてきたのは、私なんだから」
 彼女は、美しい緑の瞳で知盛を覗き込む。同時に、足を這っていた知盛の手のひらを、ゆっくりと膝まで押し戻す。望美と知盛は、いわく「一夜」をすでに何夜も過ごした仲だったが、しかし、そういったことの手管は男の側に一日以上の長があったので、望美の行為は酷く慎重に行われた。とにかく、男を刺激しないようにという配慮が、彼女の初々しさに繋がっている。
「知盛に、自分のものっていう目印をつけたいのだって、私の方だよ」
 男に沈黙を強いた片手が下ろされ、望美は触れるだけの口付けを贈った。
 言い終え、講じた策の結果を窺う彼女の視線に、知盛がさらに沈黙を返す。男の前で女であろうと努める少女は、行為を断る際の飴と鞭のあんばいが、まだわからないのだ。彼女の判断基準は曖昧で、知盛も決して正直とは言いがたい性格であったから、望美はいつも手探りでことを進めるほかない。
 彼女が尖らせていた神経の先、男から発せられた特有の色気は鳴りをひそめている。そのことは、物慣れない彼女の気の緩みを誘った。息を吐くようなへまを、望美はしていない。しかし、望美の男を押さえ込んでいた覇気が弱まったのは確かで、知盛はそのいとけなさにひっそりと笑った。
「なら、つければいい」
 男の気配はもはや、戯れを受け入れるものだ。しかし、彼は言葉だけならば、随分と艶めかしい台詞を返す。そのバランスの悪さが、望美の次の判断を鈍らせる。望美が戸惑ったことは、もちろん知盛にも知れたが、別段言葉を重ねる必要性は感じないらしい。その代わり、望美が知盛にしたような口づけを、男もまた二度三度落とした。そして、体重を背もたれに預けてしまうと、知盛は軽く足を組む。
 知盛は、望美の不慣れな拒否の意思を尊重する心積もりでいる。まったく珍しいことだ。何が知盛の興を買ったのか望美にはわからなかったが、遊びの延長線上にある台詞は、含まれなかった補語によっていくらでも受け取り方があった。
「もうちょっとわかりやすく言ってちょうだい」
「性急な女だ」
「知盛がのろまなだけでしょ」
 憎まれ口を叩く愛しい唇を眺め、拗ねている望美の仕草に、男はくっくっと独特の笑みを零す。喉の奥で愉悦をかみ殺すような笑い声だ。
「何をさせたいの」
 再度の問に、今度こそ知盛は、柄の悪い笑みを沿え答えた。



 男の耳朶にピアッサーを押し当てると、なんともいえない感覚が彼女を襲った。望美がそれを受けているわけでもないのに、なぜか彼女の背筋をおぞましさと似たようなものが這い上がっていった。
 背中にすら無骨な筋肉をつけている癖に、消毒のおり彼女に預けられた耳たぶは意外なほど柔らかかった。そこに穴を開けるのだと思うと、望美は奇妙な気分になる。多分、知盛ならば、そういった感覚を欲情だとでも言ったのだろうが、望美はそれを悦楽と感じるほど破綻した人格ではなかったし、そもそも愛戯でもたらされるものを日の高いうちから連想するほど、ふしだらな身体にもなっていなかった。
 どこで手に入れたのかという彼女の疑問には、しかし大方の予想通りのいらえが返された。つまりは将臣である。元々は将臣自身が使うためのものだったのだが、知盛が面白がったので、そのまま男のものになった。
 望美が、ほんの少しの勢いをつけて機器を押し付ければ、知盛の耳には穴が開く。彼女の空けた穴を埋めるのは、やはり彼女の押し込んだ装身具である。知盛は印だといった。
 望美は、知盛のことを理解し切れていない。知盛が何を好むのか、何を厭うのか、それもあまりわかってはいない。ただ、男がこんな真似を許すとは思っていなかったものだから、彼女はその意図を懸命に手繰ろうとする。知盛の不埒な悪戯を放りなげ逡巡し、あるいは、もっと単純に、預けられたピアッサーの針を埋め込むかどうか悩んでいる。
「口ばかりか、お嬢さん。印をつけたいのだろう?」
「真意はどこにあるのかと思って。疑ってるの、日頃の行いのせいよ」
「それは失礼」
 まったく、ただの言葉遊びだ。望美のそれに知盛が合いの手を入れるのは、ただ偏にそこに愛があるからなのだろう。
 望美は認めざるを得ないのだ。彼女は確かに、知盛へと自分の印を押し付けようとしており、それを酷く原始的なところで渇望している。身勝手な上に独りよがりの男が、望美にはそれを許すのだ。
「本当は、こういうの嫌いなんでしょう?」
「そう思うなら、やめるがいいさ」
 望美は知盛のことなどまったく知らないが、それは知盛も同じことだった。今、彼女らは情を通わせている。互いの好悪や趣味嗜好に、手を伸ばし形を確かめて、戯れている。
「いやよ。印をつけていいっていったのは、知盛でしょ」
 ばちん。
 続け様、知盛の右耳にも穴が開く。僅かに眉を寄せ、そして彼は、やはり笑みを零す。喉を鳴らして、楽しんでいる。
 そこには出血もない。ただ、あっけない貫通がある。
 望美はまるで奇妙に張り詰めていた緊張感を解くと、満足げにする男を見下ろして、やはり悪趣味だと一人ごつ。所有欲一つ宥める術を望美は知らずにいて、そのくせ知盛はいくらでも知っているに違いなかった。そして、さらにそれを許されているのは彼女ばかりで、まるで代わりだというように男が望美を自分のものにしている。
 憎憎しい気持ちになってしまって、望美は穿たれたばかりの男の耳を舐めた。知盛はやはり、面白げに笑った。


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