お題ログ 「面影」
Copyright 2008- (C) Uoko All rights reserved.


 黄泉が彼のことを思い出すのは、例えば冷えきった夜気を肌に受けたとき。芳しい花の香りを嗅いだとき。そして、背後に存在するはずもない気配を感じた瞬間など、ほんの些末な出来事を起因とする。
 思えば、それはどこかしら黄泉自身が、彼を想起するきっかけを、ないしは理由を、必死に探しているようであり、滑稽さすらも感じずにはおれない頻度なのだが、それに加えても、視力をなくした彼の網膜にゆっくりと浮かび上がる銀狐の姿は、とても大きな感情を呼んだ。
 彼に関する黄泉の記憶は、酷く乱暴的なものばかりだ。記憶に仕舞われた美しさにつけ、その技巧の緻密さにつけ、もしかしたら、指示を出す彼の指先にすら、黄泉は逐一、壮絶さと優美さという感覚の暴力を受けていた。それは、劣悪な他と一線を画すあらがい難い暴力だった。
 瞼の君の冷ややかな空気は、皮膚を裂き溢れ出ろと血を拐かす。鼻孔を擽る蜜の匂いは、優しく諍いを促している。そして、戯れにも黄泉の背後に佇むはずがない真白の影は、口角だけを上げ一瞬の笑み。
 それは夢想とも言うべき、しかし真実黄泉の脳髄で息づく過去だ。憎悪も敬愛も募るには少なく、しかし面影を探す懸命さは、黄泉が彼に焦がれていることを何よりも強く指し示す。ましてその乞う方法は、黄泉自身が驚くほど優しい。
 多分、彼は友として、彼を切実に欲している。
 しかし、彼が有する面影すらも、黄泉の望みを笑うだけだ。


|||| AD ||||