そろそろさよなら
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一輝はとても強い少年だった。それは精神性にもいえたし、肉体的な面でもいえた。対する相手を打ちのめす強さだったが、それは確かに彼や彼の周囲を幾度となく守った強さだった。
彼には二つ歳の離れた弟が居る。大事小事のすえ、彼らは孤児になり、カトリックの教会で幼年時代を送るが、結局十にもならぬ内に実父の計らいで紆余曲折の少年時代へ突入した。一輝はそれらのことについて詳しく口を動かさない。彼なりに考えるところがあるのかもしれないし、もしかしたら、その考えが表に出れば、彼の弟の何らかの涙を誘うからかもしれなかった。
しかし、勿論一輝にも、幼い頃は存在した。同い年の子供が「100万回生きた猫」や「チョコレート工場の秘密」を母親に読んでくれとねだっているとき、平然と「関羽と劉邦」を広げていそうな彼にだって、やはり幼い頃は存在した。
一輝が、まだ細い両腕に、一輝以上に年端のない弟を抱えて教会へ身を置いたのは、彼が三回目の誕生日を迎えてすぐのことだった。彼はそこで平仮名を覚え、簡単な計算を習い、天におわす父の存在を説かれた。彼は、宗教的な話にはあまり興味を示さなかったけれど、老神父の語る児童書は好んだ。彼は本を嫌うわけではない。ただ選り好みが偏っているのだ。
教会内で、神父やシスターから与えられた役割を、彼は忠実にこなしたとはいいがたい。けれど、彼はたった一人の弟に愛情を傾けたし、頭の悪い子供でもなかった。
「そろそろ、さよならをしないとね」
シスターが一輝にそう告げたのは、彼らが教会に訪れて二年ほど経ったときだった。ようやっと瞬は自分の足で歩けるようになり、一輝に手を引かれて遊ぶことを喜んだ頃だ。
床で本を開いていた一輝は、シスターの言葉に彼女の顔を見上げた。にこりと笑んだ女性は、「今度は、一輝が瞬に、その本を読んであげないとね」ともう一度いった。
絵本は、一輝の手を離れて、瞬のものになろうとしていた。一輝は一つ卒業をして、違うものに触れないといけなかった。一輝は、母親の顔も知らない弟を、何より愛さなければいけないと思っていたし、事実とても愛していた。彼の守らないといけないものは、そのまま瞬という弟だった。だから、彼はシスターの言葉を特に疑問には思わなかった。
一輝は、瞬が知ることの叶わなかった母親の声と、言葉を思い出した。『一輝は、いいお兄さんになるわね』、瞬を身ごもり、病院のベッドの上で、一輝の美しい母親は、優しく笑ってそういったのだ。
彼は、彼の脇で、柔らかな髪を散らし眠る弟の顔をじっと見つめた。そして、胸のうちで一人ごちた。
もう、さよならしないと。
一輝はお兄ちゃんなんだよ、って話が書きたかった。
彼が何かを卒業するたんびに、多分一輝は瞬に対する愛情を深めていったんじゃないかしら、と。
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