320000's nightmare
「チッ。長閑なもんだな。」 軍事境界線の緩衝地帯を1人歩きながら日吉は舌打ちをした。 「どうせ戦闘なんかありはしないんだ。 手柄も挙げられない。出世もできない。 除隊まで何の楽しみもありはしないのサ。」 父祖の時代なら下克上も可能であったものを・・・そう思ったときだった。 日吉は異常に気づいた。 そして一歩も身動きならなくなった。 |
『長閑な森で』 |
日吉は地雷を踏んでいた。 それは一旦かかった加重が移動したとき炸裂する。 敵兵もいるこの森では大声で友軍に助けを求めることもできない。 硬直した身体に汗が流れる。 口が乾く。 ・・・俺は配属早々足を吹き飛ばされるのか・・・? ・・・とんだ間抜けだぜ・・・。 |
鳥の囀りを聞きながらそんなことを考えていた時に足音が近づいてきた。 敵か味方か? 敵なら万事休すだ・・・。 どちらの国でもここで遭遇した相手は捕虜として自国領へ連行することになっている。 ・・・不具になって捕虜になってもう俺の将来はめちゃめちゃだ・・・。 果たして木々の向こうから現れたのは敵の将兵の2人づれだった。 それでも日吉は動くことができない。 逃げられない。 |
先に日吉に気づいた小柄な兵がさっと小銃をこちらに向ける。 「いい。会わなかったことにすれば良いんだ。」 上官らしいもう1人がそう言って元来た方へ戻ろうとする。 小銃を向けた男はそのままの姿勢でこちらを窺っている。 上官が先に行ってから自分も後を追うつもりらしい。 「ま、待って・・・助けてください・・・」 彼等が行ってしまったらもう自分が無事に助かる術はない、そう日吉は直感した。 「地雷を踏んでいるんです。助けてください!」 ごくりと生唾を飲んで叫んだ。 背を向けた上官が振り返る。 じっと日吉の足下を見る。 |
「・・・そうらしいな。」 上官はポケットから携帯用の工具キットを出しながら日吉に近づく。 「中尉殿!」 銃を構えた部下が制止するように声を発する。 「お前はそこにいろ。危ないからな。」 中尉殿は既に日吉の足下に屈んでいた。 「君は俺が良いと言うまで動くなよ。」 地雷を覆っている土を手で取り除いていく。 「俺も手伝うっス。」 部下が小銃を肩に直して駆け寄ってくる。 「なら手元を照らしてくれ。そろそろ日が暮れてきた。」 地中から姿を現した地雷の解体にかかる。 日吉の姿勢は初めから少しも変わっていない。 硬くした身体を恐怖と安堵の入り混じった感情が駆け巡っていた。 |
「よし、もう良いぞ。」 初めから少しも変わらない落ち着いた声が安堵の息を吐いてそう告げたときには森はもうすっかり暗く なっていた。 緊張が切れた日吉は崩れるようにその場に尻を突いた。 「自軍の地雷の敷設箇所くらいはちゃんと教えてもらっておくことだな。」 日吉の膝に地雷の信管を置いて中尉は苦笑ったようだった。 部下の持つ懐中電灯の明かりで工具をしまうと立ち上がり、「じゃあな」と何事もなかったように背を向 ける。 「礼ぐらい言ったら?・・・って今言っても無理か。」 小銃を肩に担ぎ、懐中電灯を手に持った部下が口角を上げて上官の後を追う。 日吉はまだ腹で息をしていた。足には当分力が入りそうにない。 |
「中尉殿!」 木の上から日吉は声をかけた。 「先日はありがとうございました。」 するすると木から降りる。 「ああ、あのときの新兵か。」 「はい。日吉といいます。」 日吉は自分の上官と向き合うときのように姿勢を正した。 「あんた、あの木の上で俺達が来るのをずっと見張ってたわけ?」 あの日と同じ部下がやはり一緒だった。 「はい。まだお礼を申し上げておりませんでした。」 日吉の眼は彼にはかまわず、ずっと中尉を見ている。 眼鏡をかけた目元が涼やかだ・・・日吉の頬が紅潮する。 「敵に対して律儀なことだ。」 中尉はやはり苦笑したようだった。 「俺は手塚だ。こっちは越前。 ここにいる間だけだが仲良くしよう。 無論他の者には内緒だぞ。」 「はい。ありがとうございます!」 そして日吉は背負い袋から菓子の袋を取り出した。 「失礼かとは存じますが故郷からの差し入れです。 良かったら召し上がってください。美味いです。」 「あんたねぇ・・・」 越前が何か言いかけるのを制して手塚が言う。 「越前、ひとっ走りして茶を持って来い。 折角だからここで一緒にいただこう。」 木漏れ日が手塚の輝くような微笑を照らす。 |
「そうか、長閑だと退屈か。」 越前が水筒を持って戻ったとき、手塚と日吉は1本の木の幹を挟んで背中合わせに座っていた。 「はい。刺激がなくてここは故郷よりも平和な気がします。もっともこの間みたいな目に遭うのはもう ごめんですが。」 ふっと手塚が息で笑う。 「では君にも釣りを教えてやろう。この先に格好の池がある。 釣りは魚との闘いだ。駆け引きがスリリングだぞ。」 立ち上がってさっさと歩き出す。 「越前、御苦労。移動する。」 |
池の辺に3人、手塚を真ん中に座って釣り糸を垂らす。 道具はここに隠してある手塚の手作りだ。「道具の性能に頼れない分、腕が問われる」と手塚は笑う。 魚信を待ちながら日吉が持参した菓子を摘む。 「砂糖がふんだんに使ってあるな。貴国との経済格差を知らされる。」 「装備の足りない分は腕で補うッス。」 空かさず越前が手塚の言葉を引用して異を挟む。いざ開戦となったら決して負けないと。 「そうだな、負けるわけにはいかんな。」 手塚の口調は変わらない。 「だが戦端は開かないに越したことはない。いずれにとってもそれが最良だ。」 遠くで魚が跳ねた音がする。 日吉も越前も黙っていた。 |
何度もそうやって3人で菓子を摘みながら釣りをする日を送っているうちに季節が変わった。 いつものように木の上で待っていた日吉が2人の姿を認めて木を降りたときだった。 突然越前が小銃を日吉に向けた。「動くな!」と叫んで。 次の瞬間こちらにやってくる人影が見えた。 「お前達、そこで何をやっている?」 手塚の上官、武居少佐だった。 日吉は両手を肩に挙げ、手塚はゆっくりと日吉に近づいた。 「武器はこちらに預からせてもらう。」 日吉の腰のホルスターから拳銃を抜く。 そして手塚は振り向きざま武居に向けて引き金を引いた。 弾丸は目を見開いた武居の眉間を貫いた。 「俺を撃て!」 手塚は日吉に銃を握らせようとする。 しかし日吉は首を振るばかりだ。 「俺がやるッス!」 越前が小銃を降ろす。 手塚は再び振り向き、越前に日吉の銃を投げる。 受け取った越前がその場で放った銃弾は手塚の左肩を貫いた。 「しっかりあんたの指紋をつけとけよ!」 呆然としている日吉に駆け寄り、両手に銃を握らせて越前はその背を押した。 そしてその足下へ向けて小銃を構え、発砲する。 それで日吉は漸く走り出した。 自国領へ向けて。 銃身の熱い銃を握り締めて。 もう数発、越前の小銃の発砲音が聞こえる。 日吉は振り返らずに走った。 目の上が熱かった。 |
「ったく・・・もうちょっとでてめえのせいで戦争になるところだったんだゼ。」 日吉の上官・跡部が苦々しげに言う。 「政府もUNも蜂の巣を突付いた大騒ぎだったんだ。何とか事なきを得たけどよ。」 「すいませんでした・・・自分が不注意でした。」 開戦の発端などほんの些細なことで充分なのだ。 軍事境界線の緩衝地帯で発砲があり、将校1人が死亡、1人が負傷した。 発砲したのは日吉。 哨戒中に遭遇した敵から逃げようとした行為だった。 そう調書に記されてこの騒動は終った。 ・・・あの人とは敵同士なんだ・・・。 ・・・俺はあの人の敵なんだ・・・助けてくれた人なのに・・・。 日吉は泣いた。 ・・・もう会うこともない・・・。 |
Fini(下敷きにした『JSA』はもっと凄まじくてサスペンスフルな感動大作です) |