拷問の類は一通り受けた。
爪を剥がされ、背中を鞭打たれ、それでも口を割らないアレルヤに彼らは方法を変えることにした。鹵獲された先は人革連であったが、この人革連というのはまだ超兵に未練があるらしく、拷問といっても致命傷になるものや精神が破壊されることは一切なかった。表向きは一つにまとまった世界であろうとも、畏怖すべき力は保持しておこうという考えなのだろう。結局歪みは正されなかったのだ。

とりあえずといった処置を施された後、拘束服の上からベルトで全身を捕縛され真っ白な部屋へ連れて行かれる。簡素な椅子に座ったアレルヤの周囲には十を超える軍人がぐるりと囲み、一歩も動くことを許さなかった。動けないというのに視線は止まず、ただ興味本位だったのだろうと思う。超兵という実験体がどんなものであるのか。ただそれだけ。
お決まりな詰問をいくら受けようとも、傷付いた右目に比べれば塵に等しかった。いくら呼んでも応えてくれない胸の空虚さがこれほど不安になるなんて知らなかった。ハレルヤはあれから一度も出てきてくれない。
一言も発しないアレルヤに食事は一切与えられなかった。かろうじて脱水症状を起こさないだけの水分は取れたが、空腹はアレルヤの体力を奪った。
怒鳴る人間は一時間ごとに変わっていた。丸一日同じ事を何度も聞かれる。大半は受け流していた。うつらうつらまどろむ度に四方から蹴りが加えられ、頬を叩かれ、髪を掴み上げて揺さぶられた。右目が痛かった。

ある日マリーがきた。左目に大きな古傷のある男性軍人の隣にそっと寄り添っていた。見張りの兵士と話す声に聞き覚えがある、幾度か戦場でやりあった人革連のやつだろう。ところどころに包帯を巻いてぎこちない動きの男をマリーが甲斐甲斐しく支えていた。
マリーのアレルヤを見る目は憎しみで溢れていた。施設を破壊したのをずっと恨んでるらしかった。頭痛はもうしない。マリーがソーマ・ピーリスという女になったことを初めて知った。それで終わりだった。

そのうち水桶が用意されるようになった。跪かされ、そのまま床に置かれた桶の中に顔を無理矢理突っ込まれる。ある程度覚悟して息を止めていたものの限界はある。口と鼻から入ってくる水に本能的に抗い体を捩るが、屈強な体をした兵士に押さえ込まれて敵わなかった。鷲掴みにされた髪を引き上げられると漸く息が出来た。急に入り込んできた空気に咽て間も無くまた水の中へと戻される。鼻の奥が痛んだ。










地上の重力は体に心地よい。
任務ではなく、マイスター四人で休息を取るのが好きだった。王留美が用意した別荘は文句なしの一等地なのにティエリアはずっと仏頂面なのが面白かった。
ジャンケンで負けたロックオンが食事を担当することになった。ティエリアは日当たりの良い場所を陣取って持参した本を早速開いている。
刹那は初めての浴場に興味津々なようで風呂場へ直行していった。トレミー内はシャワールームしかないから新鮮なのだろう。その背中が心なしか踊っていたのでアレルヤは胸がほっこりした。
若いよな、なんて笑う彼が作る昼食は今日もジャガイモだらけになりそうだ。だけど良い匂いが漂ってくる。
やがて浴槽を満喫したであろう刹那が裸足のままリビングに入ってきた。さぞかし楽しかっただろうと予想に反して刹那の顔が顰められていて、無表情を貫くこの子にしては珍しかった。拭ききれてない水分がはねた髪の毛の先から滴る様をティエリアが冷たい視線で見ていたのをよく覚えている。無言で投げつけられたタオルが(わざわざ用意する辺りティエリアは優しい)頭に被ってしまっていても刹那は鼻を仕切りに気にしていた。

「どうしたの刹那?」

一番近くにいたアレルヤがそう尋ねると、刹那は逡巡した後ぽつりと呟いた。

「鼻が・・・・・・」
「鼻?」

こくりと頷く刹那の手を引いてソファーの隣に座らせる。頬を両手で包むように上を向かせると、痛むのか顔を左右に振ってアレルヤの手から逃れた。

「あ、ごめん! 痛かった?」
「お前、鼻に水入ったんだろー」

慌てて手を離すとキッチンからロックオンが顔を出した。からかうようなその響きに刹那は一瞬だけむっとしたが、痛みの方が気になるようで手の甲を鼻に擦り付けていた。

「そのままにしておくと中耳炎になるな」
「えっ、それ本当ティエリア!」

しれっと手元の雑誌に目を落としながら言い放たれた言葉に刹那の肩が微かに震える。なんとかして治そうとひたすら鼻を擦るものだからあっという間に赤くなってしまった。

「刹那、駄目だよ。痛くなっちゃう」

手首を捕らえると手がだいぶ余った。アレルヤの手が大きいだけではない、この子供が細かった。なのにその目は大きく、真っ直ぐアレルヤを見つめてくる。

「こういう時はね、耳抜きをするといいんだよ。鼻を摘んで、口を閉じて・・・・・・そう」

言われるがまま従う刹那にアレルヤは目を細める。随分と穏やかになったものだ、誰も彼も。頭の奥でハレルヤが冷やかした。

「そのまま息を吐いて・・・・・・どうかな?」

刹那は驚きにパチリと目を瞬く。どうやら水は取れたようだ。胸を撫で下ろすアレルヤを見つめる瞳が尊敬の色を帯びているのがくすぐったい。

「すまない、助かった」
「どういたしまして。それより髪が濡れたままじゃあ風邪引いちゃうよ」

アレルヤは刹那の体をくるりと回転させて後ろ向かせると、頭に乗ったままだったタオルで優しく黒髪を拭き始める。ティエリアが甘やかしすぎだと眉を吊り上げたがそんなのは関係ない。だって放っておけないのだ。

「放せアレルヤ、このくらい自分で出来る」
「出来てもやらないでしょ!」

ぐっと詰まったのを見てアレルヤは気分良く続行する。こうでもしないとこの子は髪を触らせてくれないのだ。あちこち跳ね放題の毛先からは想像できないほど刹那の髪はふわふわ柔らかい。しっとり濡れた黒が空気を孕んで膨らむ様がアレルヤは好きだった。
だいぶ乾いた髪に顔を埋めると、瑞々しい匂いが鼻腔をくすぐる。

「刹那の髪は綺麗だね。いい匂いがする」
「あっテメ、一人でそういう事してんじゃねーよアレルヤ!」
「ジャンケンで負けた貴方が悪い」

アレルヤが何か言う前にティエリアはロックオンをずばっと切り捨てた。鍋を持ったままロックオンは悔しそうに口元を引きつらせる。ティエリアは読みかけの本を栞も挟まずに閉じて、桃色のカーディガンを脱ぎながら刹那の方に歩いてきた。

「いくらこの地の気候が温暖とはいえ風呂上りにいつまでもそんな薄着でいるな。風邪を引いてこちらに迷惑がかかったらどうしてくれる」

ぱさっと刹那の肩にカーディガンをかけてやったティエリアは乱雑に頭を撫で回す。普段こういったことをしないため肩に余計な力が入ってるのが丸分かりだった。痛いだろうに刹那は何も言わず享受している。

「もうメシ出来たからちゃんと服着て来いよ、刹那」

こくりと頷いた刹那はソファーから立ち上がって廊下の奥へ向かった。しかし途中でふ、とアレルヤの方を振り返る。

「ありがとう」

駆けていく刹那の足音。ロックオンとティエリアの他愛もないやりとり。
なんて、なんて愛しい。
微かに和らいだ口元が、人と認めてくれるこの目が、温かなこの時間が。何よりも大切で、何よりも好きだったのに。










「っが、はっ・・・・・・! げほっ、は、あっ・・・・・・!」

もう何度とも知れぬ水攻めが止んだ。無造作に投げ出された体を二つに折ってアレルヤは喘ぐ。生きるための空気さえ苦痛だった。己の荒い息に混じって聴こえる周囲の嘲笑が現実を突きつける。人を人とも思わぬ視線に晒され、胸の内に絶望が広がっていった。

「これ以上は無駄だな、隔離しておけ」

無機質な声を合図にアレルヤの体は物のように持ち上げられる。頑丈な椅子に括り付けられ、口元には舌を噛まぬよう改良されたマスクを当てられた。ゴムの嫌な味が広がってアレルヤは静かに目を閉じる。
淡い夢だった。戦いを生み出す自分達には有り得ない幸せな時間だったのだ。
破壊されたキュリオスの中から引きずり出された瞬間、もう自分は死んだものと思ったはずだったのに、あの幸せがいつまでもアレルヤを生にしがみつかせる。沢山の人を殺してそれでも尚自分があの暖かさに恋焦がれるなんてそんなの許されるはずもないのに。それでも。

水に混じって溢れた涙が顎から滴り落ちて、もうどこにあるのかも分からない。