目が覚めたら夕食は終わっていた。
ロボットに食事は必要ないのであまり気にしないが、食後の独特の空気が鼻についた。寝起きの頭はぼーっとしてうまく思考がまとまらず、ベッド代わりに使っていたソファの背もたれに体を預ける。少しの間そうしていると少しずつ頭が冴えてきた。
パルスがやっと正常に回路を作動させたところで、初めて体に毛布がかかっていたことに気付く。それはいつも信乃が使っている昼寝用の毛布で、長身のパルスでは足首まで届かない。
プリントされてる黄色のアヒルをじっと見つめた後、パルスは水音のする台所へ向かった。信之介とクリスが寛いでいるということは、今日の後片付け当番は信乃なのだろう。足元にまとわりついてくるちびを軽くいなしながら歩くと、踏み台に乗りながら皿洗いをしている信乃の背中が目に入った。

「信乃」

声をかけると、両手を泡だらけにしながら信乃が振り返る。笑った顔は遠い異国の地にいるみのるにのっくりだった。

「あ、パルス! 丁度いいところに」
「いいところ?」

首を傾げるパルスに信乃は近くに来るよう呼びかけた。大人しく従うパルスの前に白い腕がずいっと迫る。

「袖まくって欲しかったんだー」

持ち上げられた腕は、なるほど、袖が手首まで降りてきてしまっている。確かにこれで水仕事はやりにくかろう。一つ頷いてしっかり捲くってやると、信乃は嬉しそうにして反対側もと強請る。乞われるままに手を伸ばし、気付いた。
子供らしい細い腕はパルスが掴むと二周りしてしまいそうだった。その脆さは何においても守らなければいけないものだ。
それに牙を向けたことがある。何年も前の話ではない。つい二週間前だ。
パルスはこの腕を切り裂くところだったのだ。

「パルス?」

動きの止まったパルスを澄んだ瞳が見上げていた。心配そうな色が揺れている。なんでもないと首を振り、同じようにしてやった。

「もう一つお願い! ついでに髪も結ってくれる?」
「構わんが・・・・・・クリスを呼んでくるか?」
「ううん、パルスがいい。そこにゴムあるから」

信乃の髪は長くもないが短くもない。俯いて作業すると顔の横に髪が垂れてきて邪魔なのだろう。
信乃が前を向いた拍子に見えた白いうなじに惹かれて、パルスはそっと触れてみた。癖のない細さが手に気持ちいい。ブレードで傷つけないよう細心の注意を払いながら一つにまとめてやると、ようやくすっきりしたのか信乃の顔は晴れやかになった。

「ありがと。やっぱりパルスは優しいね」

思いがけない言葉に目を丸くする。
優しいはずはない。歩く凶器の名の通り戦うことしか知らぬ身だ。
その恐怖はお前も知っているだろう。

「優しい、とは違うと思うが」
「そうかなあ」
「そんなことを言うのは信乃くらいなものだろうな」
「あ、馬鹿にした?」
「褒めたんだ」

頬を膨らませて抗議する信乃の仕草が余りにも幼くて自然と笑みが零れる。すっと腕が伸びて自然と信乃の頭を撫でていた。シグナルとよく触れ合っているのをみてスキンシップが嫌いでないことは知っていたから、こうすれば喜ぶだろうと思っていた。
しかし予想に反して信乃は喜ぶどころか反応もせず、ただ目をぱちくりとしていた。もしかして己の思い違いだったろうかとパルスは冷や汗をかく。

「すまない、嫌だったか?」
「えっ、あっ、違うよ! そうじゃなくて!」

慌てて手を離せば信乃は思い切りしがみついてきてパルスはぎょっとする。シグナルと違い、人と余り触れないパルスにとって至近距離に飛び込んでこられるのは慣れていなかった。狼狽するパルスはふと気付く。さして不快感がない。

「嫌いとかじゃなくて、珍しいなって思って。パルスってあんまり頭撫でたりとかしないから」

思えばさっきも無意識のうちに自分から信乃を撫でていた。自分の腕を見下ろしていると、信乃は恥ずかしそうに少し笑って体を離した。それから小さな両手でパルスの手を握り直す。包まれた掌はひんやりしていて、けれど微かな鼓動が伝わってきた。

「嬉しかったんだよ」

はにかむ信乃こそが真に優しいのだろう。
ロボットにとって人に受け入れてもらえることが何よりの優しさである。信乃はあれだけ怖い思いをさせたパルスのことも無条件で受け入れてくれた。だからだろうか、パルスも信乃に触れたいと思う。
恐る恐る握り返した手で喜んでくれるのなら、全てを捧げても良かった。