あれでいて信乃は結構気の強い所がある。クリスや荒谷のように勝気な女性や、シグナルとパルスといった喧嘩っ早い男衆の中で育ったせいかもしれない。母親の、あのみのるでさえ怒った時は中々に激しいものがある。
ちょっとやそっとのことでは泣かないし挫けない。むしろ正面切って立ち向かっていくのは、流石正信の子といったところか。
考え方もまた、子供らしさはあるものの芯の強さは大人でも目を見張る。
だから目の前の光景は簡単に想像できるものだし、実際そうなるだろうとも思っていた。

「ねえ、いい加減返してくれないかな」

声に気付いて、咄嗟に体をブロック塀の影に隠した。東の空はうっすら闇が降りてきている時分なのでばれなかったはずだ。そっと顔だけ出すと人影が二つ見える。一つはさっき聞こえた声から信乃だと分かるが、もう一つはどうやら男のようだった。
可愛い末っ子の危機かとよくよく目を凝らしてみれば、自分より大きい男子を前にしているというのに、信乃は怯みもせず、むしろ呆れたような声を出した。
信乃は制服ではなく私服だった。スカートにパーカーという簡単な姿だったが、それが逆に中学生らしい可愛らしさを引き出している。
対する男子は部活帰りなのだろう、着崩した制服にスポーティーバックを肩にかけていた。その手には信乃から奪ったとみえる買い物袋があった。透けて見える中身は野菜やら牛乳やらで重そうだ。

「別に返さないとは言ってないだろ」
「だってずっと動かないんだもん」
「だから! これは・・・・・・」
「ほら、また黙る」

突っ込まれて男子は口を噤んだ。
顔が赤いのは夕日に照らされているばかりではないだろう。

「川崎も部活で疲れてるんだし。帰ろうよ、暗くなっちゃう」

気安い口調なのはクラスメイトだからか。痺れを切らした信乃は川崎少年から袋を取り戻そうと手を伸ばした。白い指先が彼の手に触れた瞬間、彼は耳まで真っ赤にして袋を上へ持ち上げる。

「おっ、俺が持つ!」

ぽかんとする信乃に彼はきっぱり言った。そこで漸く信乃も、ただ彼が意地悪をしたくて袋を取り上げたのではないと気付いた。
そろそろ頃合だった。

「よっ、信乃」

様子を伺うために隠れていた曲がり角からオラトリオが姿を現す。急に出てきたニメートル越えの男に川崎少年は目を丸くした。

「オラトリオ、久しぶりー。こっち来てたんだ」
「おうよ、ついさっきな。少しは大きくなったか?」
「それこないだラヴェンダーにも訊かれた」

取り残された川崎少年は、それでも目線が合うとオラトリオに向かって小さく会釈する。
躾はしっかりしてそうだ。

「悪いなあ少年。こっからはお兄さんの役目なの」
「あっ」

少年がいくら高いといっても、所詮中学生レベル。オラトリオは上から摘み上げるように袋を取り上げた。反射的に彼の手が袋を追いかけたが、その動きも途中で止まる。信乃が見ていたからだ。

「すまんねえ」

にっこり微笑んでやると川崎少年は唇を噛み締めた。頭も悪くない。
彼は乱暴な仕草で頭を下げた。踵を返すと大股で歩き出す。

「よーっし、帰るぞー信乃」
「あ、ちょっと待って―――川崎!」

信乃が遠ざかる背に呼びかける。振り向きはしないが動きが止まったのを見て、更に声を張り上げた。

「荷物持ってくれてありがとー! また明日ね!」

結局彼は最後まで信乃を見なかった。戸惑うように肩が震え、そのまま走り去ってしまったのだ。川崎少年が見えなくなるまで振っていた手を下ろすと、信乃はそのままオラトリオの手を握った。先導するように歩き出したので大人しくついていく。途中、さり気無く信乃を歩道の内側へ誘導するのも忘れない。

「あいつ、クラスメイトか?」
「そうだよー。いつも何かと突っかかってくるんだよね」

困ったように眉を寄せて唇を尖らせる様子からは嫌ってる風には見えない。

「あんたなんか嫌いよっ近づかないでっ、って言ってやりゃあいいじゃん」
「いやー、なんかああいうのって可愛いくて」
「かわっ?!」
「ほら、いつもシグナル達といるから学校の男子って子供っぽく見えちゃう」
「・・・・・・おーい、信乃も同い年だぞ」
「ちゃーんと分かってますよ」

思えば信乃の周囲は奇しくもロボットばかりだ。それもA−ナンバーズという世界屈指の優秀なロボット。いずれも設定年齢は信乃よりも年上で、その言動を幼少の頃より見てきて育ったのだから中学生など幼く見えてしまうのだろう。

(これじゃあ眼中にないはずだぜ)

少しばかり先ほどの川崎少年に同情する。

「学校の友達といるときも楽しいけど、やっぱりオラトリオ達のがいいな」
「そりゃ光栄。ではお嬢様をご自宅までお送り致しましょう」

大袈裟に一礼してみせると信乃は楽しそうに頷いた。

「私が贅沢になったのって、絶対皆の影響だよね」
「どうしてそう思う?」
「だって、こういう風に守ってくれるんだもの。当たり前だと思っちゃう」
「それを知ってりゃ充分さ」

車道から遠ざけたのはきちんと気付いていたようだ。ああ、本当に賢い子供。
そっと力を込められる手は昔より繋ぎ易くなった。初めて見たのは赤ん坊の頃だったから、随分と大きくなったものだ。人間との触れ合いだけが時間の流れを感じることが出来る。

「荷物もありがとうね、オラトリオ」

繋いだ手とは反対側がずっしり重い。こんなものを一人で買いに行かせるとは、帰宅したら弟達をお仕置きしてやろう。

「なんのなんの。お兄さんに任せなさーい」

悪いな、川崎少年。
まだまだ可愛い妹はお前を必要としないようだ。