雨の日はスカートが重い気がする。湿気を含んでいるのだからそう感じるのも仕方がないのだろうが、それでもペタリとまとわりつくのは正直言って余り好きではない。
少し前から降り出した雨は一向に止む気配を見せないまま、その日の授業が終わってしまった。クラスの大半が折り畳み傘を持ってきているあたり、天気予報を見てこなかったのが悔やまれる。いつもはカルマが教えてくれるものだから失念していた。彼は今、正信と一緒にリュケイオンにいる。
特に変わり映えのしない終礼を終えて信乃は昇降口に向かった。濡れるのは覚悟の上で、一刻も早く家に帰りたかった。

「音井!」

ざわつく下駄箱の前で信乃を呼ぶ声が届いた。片手に傘を、もう片手には開いたままの鞄を抱えた川崎がいる。終礼が終わり、さっさと帰り支度を済ませた信乃を急いで追ってきたのだろう。

「川崎も帰るの?」
「雨で部活中止になったから」
「大会前なのに大変だねー」

時折通り過ぎる他クラスの子がちらちらと二人の様子を伺っているのが分かった。中学生といえば多感な時期だ。見も知らない相手でも、同じ年頃の男女が二人いれば勘ぐってしまう生き物らしい。クリスが言っていた。
信乃も気にならない訳ではないがそれが自分に結びつくなんて微塵も思っていないし、今はシグナル達と一緒にいるのが何より大切だった。

「じゃあ私帰るね」
「・・・・・・傘は?」
「忘れちゃった。でも遠くないし走るよ」
「お、俺が家まで・・・・・・!」

川崎がバッと顔を上げたのと同時に、女子の黄色い悲鳴が昇降口に響く。会話を中断して騒ぎの元を探してみれば、信乃にとって見慣れた兄の姿があった。
帽子を目深に被って髪と目の色を隠してはいるが、制服ばかりの中学校の中で私服は酷く目立った。それでなくともシグナルの容姿は整っている。恋に恋する女子にとっては王子様同様に見えるのだろう。遠慮を知らない彼女らの視線に圧倒されてシグナルの腰が引けている。

「シグナル!」
「し、信乃! 助かった・・・・・・」

若干涙目になっているシグナルの方へ駆け寄ると、明らかにほっとしたように破顔する。

「もしかして迎えに来てくれたの?」
「うん。傘持っていかなかっただろう。すれ違いにならなくてよかったよ」
「わー、助かる! 走って帰るつもりだったんだー」
「本当、間に合ってよかった・・・・・・」

もし信乃がずぶ濡れで帰ってきていたらどんな恐ろしい目にあうことか。想像しただけで背筋が凍る。

「あ、しかもこの傘ってこないだ買ったやつだね」
「一緒に使う機会なんてなかったから持ってきたんだけど・・・・・・」

最後まで言わずにシグナルは口を噤んだ。こっそり視線を周囲に巡らせてみなくても分かる。今や昇降口中の視線は二人に集まっていた。ここで揃いの傘なんて差して帰ったら信乃が何を言われるか分かったもんじゃない。いくら鈍感なシグナルでもそれくらいは簡単に予想がついた。

「ありがとー! シグナル大好き!」

しかし当の本人は気にした風もなくにこにこしている。そして何よりたった一言でどうでも良くなってしまった。自分でも分かるくらいに目尻が下がる。役得というものだ。
妙に盛り上がってる周囲の喧騒も遠いものに思えたが、ぽつりと一人立ち尽くしてこちらを見ている生徒だけが目に入った。
シグナルの視線を辿って、信乃も川崎と話していたことを思い出す。あっと声を上げて彼の方へ走り出した。

「ごめん川崎、また話途中になっちゃったね」
「いや・・・・・・なんかもう慣れた」

彼が手に持ったままだった傘と乾いた笑いが合わさって、罪悪感が込み上げてくる。流石にシグナルも可哀想に思えてきた。

「それより迎えきたんだろ。靴、履き替えたら?」
「うん、本当にごめんね。また今度ちゃんと聞くから」

信乃が下駄箱に向かうのを見計らって、シグナルは川崎に話しかけてみることにした。オラトリオから聞いてはいたが、そんなに悪い子じゃないような気もする。

「えーと、川崎君? ありがとね、信乃のこと気に掛けてくれて」
「いえ。風邪引くと大変ですし」

確かに意外と礼儀正しい。シグナルの中で川崎の株がぐっと上がりかけた。
オラトリオの心配しすぎだったんだろう。これなら単なるクラスメイトじゃないか。
これからもよろしく、などとまるで親のような台詞を言おうとした瞬間だった。

「俺、まだ諦めませんから」

きっと睨みつけられてシグナルは目を丸くする。敵対心剥き出しにしたまま、川崎は踵を返して廊下の奥へと消えていった。なるほど、これは確かに要注意人物だ。
恐らくは年齢の近いシグナルのことを勘違いしたのだろう。オラトリオでは見た目からして余りにもかけ離れている。

「どうしたのさシグナル。帰ろうよ」
「今行くよ」

スカートを翻して外に出て行く信乃の後を追う。湿気のせいで細い首筋に髪がいくらか張り付いていた。それを払ってやると、くすぐったさに信乃が身を捩り笑う。

「なに、くすぐったい」

こういうことがそう見えるのならば、いくらでもしてやろうじゃないか。
宣戦布告は受け取った!