きゃっきゃと信乃はオラトリオの膝の上で喜んでいた。ここ数ヶ月ろくに顔を出さなかった彼が手土産片手に帰ってきたのがよほど嬉しかったのか、信乃はべったりくっついて離れない。オラトリオも信乃へと買ってきた熊のぬいぐるみが予想以上に好評で満更でもなさそうだ。
面白くないのはただ一人。

「ううっ、なんでだ・・・・・・!」

がじ、がじ、と目の前でお気に入りの枕が痛んでいくのをパルスは忍びない思いで見つめていた。そんなに物への執着心はないし、兄弟喧嘩で散々家具を破壊尽くしている身でいうのも何なのだが、それでもあの枕は頭を乗せた時の弾力と大きさとが中々気に入っていた。実はブレードを振り回すときもこっそりクッションを避けていたりもする。

「なんであんな奴なんか!」

小一時間前からシグナルは地べたに座り込んでずっと唸っていた。その腕の中にはパルス愛用のクッションを抱え込み、時折癇癪を起こしたように齧りついたり殴ったりしている。常ならば五月蝿いと頭の一つでも小突いてやるのだが、如何せん面倒くさいし情けなさ過ぎる背中に毒気を抜かれる。

「認めない、僕は認めないぞ・・・・・・!」
「・・・・・・ならば本人に直接言ったらよかろう」
「それが出来たらとっくにやってる!」

見かねて口を開ければこの調子だ。シグナルは涙すら目に浮かべてパルスをきっと睨み付けた。完全なる八つ当たりだ。
パルスは壁に背を預けてどうしたものかと思案する。わざとではないといえ、不機嫌の原因の一端にパルスも絡んでいた。このまま放っておくのも目覚めが悪い。

「深く考えすぎだと思うのだが」
「パルスには分かるもんか! 大体・・・・・・」

シグナルは言葉を区切って、陰鬱さを目に宿らせた。

「涼しい顔しやがって・・・・・・。パルスだってオラトリオと同じ癖に」
「それは・・・・・・」

続きは言えなかった。少なからず自覚はあった。

「信乃の兄は僕なのに・・・・・・!」
「私がなんだって?」

予想だにしていなかったソプラノにシグナルはぎゃあと叫んだ。いつの間に移動したのか、後ろからにゅっと顔を出した信乃の髪がシグナルの頬を撫でて、その柔らかさにまた驚いた。ついさっきまでこの髪にオラトリオが触れていたかと思うと胸がむかむかする。
思わずそっぽを向いてしまった。

「なんでもないっ。信乃はオラトリオと遊んでればいいだろ」
「シグナル!」

すかさずパルスから叱責が飛んできてシグナルはハッとした。しかし放たれてしまった言葉はもう戻らない。恐る恐る信乃の様子を伺うと、当の本人はキョトンと目を丸くしていた。

「えっ、なんで?」
「なんでって・・・・・・信乃はオラトリオのことが、す、き、なんだろ」

僕より、という言葉は飲み込んだ。
ちらりと見上げれば何の事はなしに信乃は頷く。

「うん、好きだよ」

自分で言っておいてダメージを受けるシグナルにパルスは溜め息を吐いた。どうしてこうも末弟は不器用なのか。

「シグナルの兄だし、パルスもオラトリオも私にとっては兄さんみたいな感じかな」

シグナルのようにプログラムされてないとはいえ、音井ブランズはいずれも製作者の孫を可愛がっていた。一人っ子の上両親が仕事で家を空けがちな信乃にとって、彼らはロボットというよりも大切な家族だった。
向けられた微笑みにパルスの表情が和らぐ。こういう所がきっとシグナルの勘に触るのだろう。目聡く見つけたシグナルが涙をだーっと流しながら睨み付けてきた。
鬱陶しいので顔を掴んで強制的に信乃と向き合わせる。ごきりと嫌な音がしたが気にしない。情けない顔を見られて、シグナルがせめて視線だけでもと必死で逸らす様子を信乃はくすっと笑った。

「でも、兄として一番に思い出すのはやっぱりシグナルだから」

服の袖で頬を拭ってやると今度はシグナルの方が目を丸くする。ね、と可愛い妹ににっこり笑われて嬉しくない兄がどこにいようか。さっきまでの荒れ具合からあっという間に目尻を下げるシグナルだった。

「そんなに拗ねないで一緒に遊ぼうよ。オラトリオ明日すぐ行っちゃうんだって」
「そうだぞー、たまにはお兄様とコミュニケーションをだな」
「ぐえっ!」

いつの間に後ろへ回ったのか、それまで気配を感じさせなかったオラトリオがシグナルの首に腕を回してそのまま持ち上げる。必然的に絞まる苦しさから逃れようともがくシグナルの反対側ではすでにパルスが捕まっていた。抵抗する気も起きないのか大人しくしている。

「俺が信乃ばっか構うからって拗ねるなよ」
「逆だ逆! 信乃が! お前に!」
「おんや、拗ねてるのは認めるんだ」
「ち、ちがっ! 違うからな、信乃!」

オラトリオの腕を振り払い、慌てて弁解しようと振り返ったシグナルの目に信乃は映らなかった。部屋のどこにもいない。

「信乃ならゲーム持ってくると出てったぞ」

ぽつりと呟いたパルスの言葉に、シグナルは崩れ落ちた。安心したのと惜しい気持ちがない交ぜになって変な気分だ。そんな弟の肩をオラトリオは軽く叩いてやる。

「ま、諦めるこったな。兄妹同士じゃ結婚はできねーよ」
「けっ?!」
「・・・・・・それ以前に私達はロボットだから不可能だろう」

何を考えているのか青くなったり赤くなったり世話しなく顔色を変えるシグナルにパルスの声は届かなかった。

「いんや、分かんねーぜ。近い将来俺らにも人権発生するかもよ」
「僕達ってロボットだから・・・・・・ロボット権?」
「語呂が悪いな」

真面目に考え始めた二人を解放して、オラトリオは手近にあった椅子に座り込む。

「ま、それを担うのは信乃の世代だろうなあ」
「でも僕はそういうのなくてもいいかも。あれば便利だろうけどね」
「へえ・・・・・・どうしてだ?」
「だって信乃が僕らをヒトと同じに考えてくれるだけで幸せじゃん」

にこにこと得意気に言うシグナルは信乃の帰還を待ち侘びてドアが開くのを今か今かと待っている。尻尾があればはちきれんばかりに振っているだろう。

「なんっつーか」
「単純」
「だな」

交互に末弟を貶すも、それは確かに真実だった。

「あー、明日行きたくねーなー」
「サボるなよオラトリオ」

パルスに釘をさされたオラトリオは天井を仰ぐ。次回からはなるべく間隔をあけないように来ようとこっそり誓った。バレたらきっと末弟がまた五月蝿い。