その日、聖職者は何時もの様にファーマシーに勤しんでいた。 自宅の庭で製薬材料を栽培してる知り合いの同業者が相場よりも遥かに安く大量に譲ってくれたため、これ幸いとばかりに聖職者は狩りにも行かずに部屋に閉じこもっていたのだ。それなりの物を作るにはそれなりの材料が必要な訳で、更に技術を磨こうとすれば量も比例して増えていく。経費が掛かりすぎるために一時は断念していたが、幸か不幸かその知り合いが旅に出るというので、処分すると言う名目でそのほとんどを引き取った。 「あら、もう夕方」 作業が一段落してふと意識を外にやれば暗闇が迫っていた。今日は新しい薬品に挑戦したせいか思いの他熱中してしまったようだ。 薬品をフラスコに移し替え、晩御飯の準備をしなきゃと聖職者が大きく伸びをしたその時。 「こんの馬鹿師匠ー!!」 玄関の扉が怒号と共に大音量で開かれた。立っていたのは少年と言える年齢の修道士。聖職者はわざとらしく目を丸めて傷だらけの修道士を迎え入れる。 「わあ、可哀相に・・・こんな酷い怪我、痛かったでしょう」 カポエラシュトを身にまとっているとは言えその防御力は見た目通り低く、剥き出しとなった上半身は痣と擦り傷だらけでズボンの裾は所々破けている。まだあどけなさの残る顔は心なしか色が悪い。 悲痛そうに顔を歪め、聖職者は先程出来たばかりの薬品を弟子に飲ませ様と机に向き直る。だが修道士はその細い肩を掴んで動きを封じた。 「何いれたんですか」 ぐいっと力任せに引っ張れば聖職者はされるがまま修道士に引き寄せられる。面と向かい合えば、僅かに修道士が見上げる形となった。 「お弁当の隠し味なら、ムスクが腐ってたから搾り取った汁をかけてみたんだけど・・・美味しかった?」 「道理で悪臭が漂ってた訳ですよ・・・じゃなくて!」 その時の味と臭いを思い出したのか、こみ上げる物を堪えて修道士は聖職者を睨んだ。 「持たせてくれた回復剤に混ざったものを聞いてるんです!」 「失礼ね。 混ざったんじゃなくて混ぜたのよ」 「尚更悪いわーッ!!」 きゃんきゃん喚く修道士の声が響くのか、はたまた聞こえない振りをしているのか、恐らく両方当てはまるだろう聖職者は耳を手で塞いで目を逸らす。勿論それが修道士の怒りに火をつける事を知っていて。 「大っ体師匠は本当に聖職者なんですか?! 弟子にあんなもん渡すなんて何考えてんです!」 体力がなくなったとヘルリクを口に含めばタバスコ入りだったり。技を繰り出そうとステリクを一気に飲めばウォッカ入りだったり。 タバスコの時はまだ耐えられた。だがしかし修道士はまだ未成年の身。酒なんて舐める程度しか経験がないというのに、よりによってウォッカ。タバスコで痛められた喉が一気に燃え上がり、その場でのたうち回ったのは一生の恥だ。 それだけでは終わらずに丁度狙われていたナイトモスに散々刺されるわ、強制送還で戻った町から家までの距離をいつもの倍かけて吐き気と戦いながら歩いたわ、何から何まで最悪だった。 吐き気の原因は酒のせいだけじゃないと、彼のプライドのために明記しておこう。何がとは言わないが、強いて言うならムスクの汁をかけられた物だ。 「だって普通じゃつまんないでしょ」 「つまんなくていいんです! 普通の日々を送らせて下さい!」 さらりと返された言葉に、修道士は心の底からの叫びで応戦する。 思えば苦節数ヶ月。弟子となったその時から人生の歯車が狂った気がしてならない。そんな考えを一蹴するかの様に聖職者はすっと目を細めて修道士を見下ろす。 「貴方は本当に普通でいいの?」 「ど、どういう事ですか・・・ッ」 急に低い声と真面目な顔になった聖職者に、修道士はどきりとする。さっきまでの軽い雰囲気が嘘のように師匠がまともになった。 「普通でいいのなら、もう冒険者となるのは諦めなさい」 「・・・・・・仰っている意味が分かりません」 「いい? 冒険は遊びじゃないの。狩り場に出る事は常に命を危険に晒しているという事。変わり続けてるマイソシアは何が起きるか分からないから、臨機応変に対応しなきゃいけない」 「それは・・・分かってますけど」 「分かってないから普通がいいって言うんでしょ。日常の些細な出来事でうろたえて泣き言を言ってたら、狩りに行ってまともに戦える訳ないじゃない」 未だ肩に置かれている手を振り払うと、聖職者は机の上の薬品を持ち上げた。作った自分で言うのも何だがこれは良い出来だと思う。窓から射し込む夕陽に透かせば緋と橙が合わさり、薬品の完成度を物語っていた。これならば市販の物にも負けないだろう。 横目でちらりと修道士を盗み見れば、自分を恥じ入ってるのか大人しくなって俯いている。 「私はね、例え修行中でもある程度の心構えを持っていてほしいの。 予想外の事故で帰って来なかった人も知ってるからこそ、貴方にはそんな風になってほしくない」 「師匠・・・」 純粋な修道士は目頭が熱くなるのを感じた。常日頃憎たらしい事ばかりやらかす師匠に真意があったなんて思いもしなかったのだ。 扉の上にタライを設置していたのも、牛乳パックの中身を白い絵の具にすり替えていたのも、アミュレットを勝手にエンチャントして最低付与にしてくれたのも、全部は師匠の思いやりだと思えば納得がいく。 「師匠、すみません・・・・・・俺、酷い事言って・・・」 「いいのよ、私にも反省すべき点はあったから」 「そんな事ありません! むしろこれからも宜しくお願いします!」 「貴方は優しいのね・・・」 聖職者は目元を拭い、修道士の手に薬品を握らせる。 「さあ、分かったならそれを飲んでシャワー浴びてきて。 そのうちに晩御飯の支度をするから」 「はいッ」 なんだかんだ言っても、結局師匠は師匠なのだ。こうして弟子の事を気遣ってくれる優しい師匠に出会えた自分は幸せ者だと思う。色々あったけどやっぱりこの人の弟子で良かった。 修道士はフラスコのコルクを抜き取り、一気に中身を呷る。 僅かに聖職者が自分から離れた事に気付かないで。 「―――――――ッぶは!!」 飲み込もうとしたが体が違和感に反応して含んだ全てを吐き出す。気管に入ったせいで激しく咳き込む上、舌の上に強烈に残ったのはヘルリクシャとは全く違う味。 身体を折り曲げて呼吸を整えようと必死になる修道士をにこやかに見下ろす聖職者は、いっそ怖い程優しい声音で言った。 「あらあら困った子ね? 言った傍から油断するなんて情けない」 聖職者はこれ見よがしに大きく溜め息をついた。 「・・・・・・ちょ、ッ師匠! コレな、に・・・!!」 「私が作った染色薬(?)。 メンドゴラピンクよ〜」 「なん・・・っで、ヘルリク、シャって・・・・・・!」 「私、一言でもそれがヘルリクシャだって言ったかしら」 やられた。 心底不思議そうに小首を傾げる聖職者は可愛い。弟子の目から見ても確かに可愛いのだが。本当に可愛いのだが、こんな状況だからこそ、その可愛さが信じられない。 咳き込むのも忘れて呆然となる修道士が大層可笑しかったのか、聖職者はころころと鈴が鳴る様に笑う。 「床をちゃんと拭いておいてね」 聖職者は鼻歌を歌いながら修道士が持ち帰った荷物を整理しようとバックパックの中を漁る。乱雑してるのかと思えば、きちんと要らない物は売って帰宅する辺り生真面目さが現れていた。余ったクイックポーションやら財布やらの下に四角い箱があった。 それは出掛けに聖職者が持たせた弁当箱で。 「あら、全部食べたんだ」 その一言ではっと我に返った修道士は、聖職者が覗きこんでいた弁当箱を物凄い勢いで引っ手繰る。恥ずかしそうにもじもじと背を向ける姿は実年齢よりも幼く、聖職者は自然と口元に笑みを浮かべていた。 「リカバリ」 聖職者が魔力を込めて呟けば修道士は光に包まれる。あれだけ痛々しかった傷は一つも残らず、驚いて修道士は振り返った。 「貴方は優しいものね」 ムスクは元々微かな苦味があり、それが腐ったとなると臭い以上に味もきつくなる。聖職者のファーマシーを見ながら生活している修道士にとって、食べるとどんな味がするか容易く想像できた。 分かっていて尚、食べたのだ。例え製作者にどんな意図があろうと、自分のために作ってくれた事に変わりはない。 だからこそ食べたのだ。 「ありがとう」 柔らかく微笑む聖職者を直視して修道士は顔を真っ赤に染め上げた。何か言おうと何度も口を開けるが、気の聴いた言葉一つ思い浮かばずに結局は俯く。胸に抱きこまれてる弁当箱を取り上げて、聖職者は修道士の頭を優しく撫でた。 「晩御飯は美味しいの作るから、ね?」 「・・・・・・・・・・・・ムスクはいれないで下さいよ」 「畏まりました、お坊ちゃま」 くすくす笑いながら恭しく礼をする聖職者の姿に、漸く修道士は機嫌を直したのだった。 |