酒場には似つかわしくない穏やかなメロディーが流れる。余りにも綺麗すぎて、人々は声を出すのも憚られた。普段はざわめいてる酒場のなんと静かな事。それは一種の異様な光景だった。 高音が伸びて曲が終わると、一瞬の静寂の後にパラパラと疎らな拍手が響き渡る。吟遊詩人は一礼して舞台を降り、カウンターへと移動する。バーテンダーは座った吟遊詩人にカクテルを差し出した。 「良い曲でした」 社交辞令としてではなく、心からの賛美に吟遊詩人は薄く微笑む。ちらりと舞台を見やるとすでに別な弾き手が立っていて、客から喝采を浴びていた。 「でも客は気に食わなかった様だよ」 吟遊詩人の淡々とした言葉にバーテンダーは苦笑する。それは確かに事実で、先程とは打って変わった様に舞台へと釘付けになる客を見れば明らかだった。だが、今の方が上手いという訳ではない。 吟遊詩人の方が段違いにレベルが高い。楽器に携わっている年季も、才能も、吟遊詩人が上だ。なのに何故不評だったのか。 「俺の歌は望まれなかったって事さ」 にやりと悪戯が成功した子供の様に吟遊詩人は笑う。それからカクテルを一気に呷る。 「ワザとですね?」 「さあ、どうだろうね」 困った人だとバーテンダーは肩を竦める。 つまり、吟遊詩人の歌は酒場では上品すぎたのだ。酒場では荒くれ者達が集う事が多いため、反応が思わしくなかった。けれど吟遊詩人は分かっていて、あえてそういう曲を選んだ。客受けする曲を持っているにも関わらずに。 「でも、貴方のお蔭であの歌手は売れる様になりました。 貴方が引き立て役になってくれたから」 「俺は何もしてないよ」 「いいえ、それは違います」 「結構頑固だね」 「お互い様という事で」 バーテンダーは飲み干されたグラスを片付け、新しいカクテルを作った。それは琥珀色で吟遊詩人の目を惹く。グラスの縁にはブルーベリーとラズベリーが添えられていた。 すっとテーブルの上を滑らせて吟遊詩人の前に出される。 「お礼に私のオリジナルをどうぞ」 「・・・・・・貰える物は貰っておくよ。 ありがとう、綺麗だね」 「先程の歌をイメージしてみたんです」 吟遊詩人が唄った歌。それはある冒険者達が出会ったドロイカンナイトとドロイカンマジシャンの話。 優しくて悲しくて、残酷な。 「美味しい」 仄かに口内へ広がる甘味は飲みやすく、カクテルというよりはフルーツジュースの様な感覚だ。それでもやはり酒は酒で、体がじんわりと温まる。舌の上に残るスッキリとした感覚が好ましい。 吟遊詩人は時間をかけてゆっくりと味わった。 舞台では新しい曲が始まっていた。 ラストナンバーが流れ出した頃、酒場の扉が控え目に開かれる。扉に設置してある大きな鈴がカランと鳴る音を聞いて吟遊詩人は立ち上がった。 扉の前ではエルモアを連れた戦士が周囲を見渡していた。 「そろそろお暇させてもらうよ。 ご馳走様」 「・・・・・・何故、あの唄を歌おうと思ったんです?」 唐突な質問に吟遊詩人はきょとんとして、お代を渡そうとした手を宙に漂わせる。 それから恥ずかしそうに笑った。 「俺の相方ってね、凄い無愛想だったの。 怒ったり喜んだりしても、悲しむ事はなかった」 こんな表情ばっかりなんだ、と吟遊詩人は顔を変な風に歪める。余りのしかめっ面にバーテンダーは思わず噴き出した。 「でもさ、彼らのお陰で変われたんだ。 ちょっとずつだけど感情が豊かになってきてる。 失って、怒って、悲しんで、涙を流して、そして変われた。 あいつの過去に何があったかなんて分からなかったけど、でも新しい自分を見つけられたんだと思う」 人としてどこか欠けていた相方の、とても大切な変化。 自分じゃ出来なかったそれを成し遂げた彼らへの感謝とささやかな嫉妬を込めて。 「今日がその記念日だから」 吟遊詩人は紙幣をテーブルの上に置くと、戦士に向かって手を振った。それに気が付いたのか戦士は壁に寄りかかる。 「話聞いてくれてありがとう。 それじゃあ」 「ご武運を」 一礼するバーテンダーに背を向け、戦士の元へ駆け寄った。戦士は軽く吟遊詩人を小突いて笑う。 丁度ステージでは曲が終わった所だった。 「あ、あの・・・・・・!」 二人が振り返れば、そこには小柄な少年が息を切らしていた。 服装からして同業者だと吟遊詩人は思った。ディサイフルシュートと呼ばれる服に合わせてか、髪の色も澄んだ水色だった。 「君は・・・・・・俺の後に舞台に立ってた人かな?」 「はい、そうです。 覚えててくれたんですね」 はにかむ様に笑う少年は、より一層幼く見えた。 舞台が終わってすぐに跡を追ってきたのだろうか。心持ち顔を紅潮させている。 「これは貴方のですよね」 少年がすっと上げた手の中には細身のネックレスがあった。銀の鎖に装飾されているのは紅い鱗が一枚。 「え、あ・・・・・・ッ!」 吟遊詩人はそれを見て、慌てて首に手をやる。だが目当ての物がないと分かると恥ずかしそうに隣の戦士に救いを求めた。 「わざわざ済まなかった。 それは確かにこの馬鹿の物だ」 「ステージに落ちてました」 くすくすと少年は吟遊詩人にネックレスを渡す。戦士の酷い物言いに反論したかったらしく、吟遊詩人は頬を膨らませていた。 「お揃いなんですね」 戦士の胸元にも同じものが見えて少年は指差した。吟遊詩人のと確かに形は一緒だが、戦士の方は蒼い鱗だった。 装備の中で攻撃力を上げるためにメダルをつけるものは多いが、ネックレスは戦いの邪魔になるので冒険者にしては珍しかったのだ。 「ありがとう、大切な物だったんだ」 「お役に立てて良かったです。 またあの酒場に顔を出して下さいね。 貴方の唄、好きですから」 屈託なく褒められて吟遊詩人はくすぐったそうに、でも嬉しそうにありがとうと言った。 吟遊詩人を乗せたエルモアは心なしか嬉しそうだった。足取りがいつもより軽い。 「やけに機嫌がいいな」 「そりゃあね」 「お前酔ってるだろう」 「そんな事ないもーん」 けたけた笑い出す吟遊詩人の目元は赤い。飲酒を咎める年齢でもなかったが、それでも戦士は眉を寄せた。 そんなに酒の匂いがする訳ではない。度の強いのを一杯引っ掛けたのだろう。 「折角良い地酒を手に入れたんだが、その調子じゃ・・・・・・」 「飲む!!」 エルモアの背中にべったり引っ付いていた吟遊詩人はがばっと起き上がった。その反応の速さに戦士は唖然とし、それから笑い出した。 「さっきは良く猫被ってられたものだ」 「俺にだってそれくらいの常識は持ち合わせてるよッ」 吟遊詩人を宥めながら、戦士は今日会った二人を思っていた。 一人は先程の礼儀正しい少年。そしてもう一人は、酒場で吟遊詩人を待っている間ずっとこちらを睨み付ける様に見ていた一人の騎士。 今日が特別な日だからか。 全く知らない二人なのに、運命を信じたくなるくらい懐かしさが込み上げて来る。 「何か良い事でもあった?」 「・・・・・・何でもない。 それより今日は何を歌ったんだ?」 「今日はねぇ・・・・・・」 吟遊詩人は深く息を吸い込むと、物語を紡ぎ始めた。 「渡せたの?」 「うん。 やっぱりあの人のだったよ」 少年の傍らには騎士がいた。一人前と言うには若すぎて、だけど態度は中々のものだった。ファイアクロースを身に付けた騎士は少年とは対照的に、燃える様な深紅の髪色をしている。 「じゃあもう行くよ」 騎士は少年の返事を待たずに踵を返した。 酒場から出て行ったきり中々戻ってこない少年を迎えにきたのだ。いくらルケシオンが暖かいとはいえ夜は冷える。風邪を引かない内に、と騎士は少年の腕を引っ張った。しかし思わぬ抵抗に眉を顰める。 「なに」 少年はずっと吟遊詩人と戦士が立ち去った方角を見ていた。名残惜しそうに、想いを馳せる様に。 「懐かしいなって思って」 「・・・・・・・・・・・・気のせいでしょ」 自分も感じたそれを否定して、騎士は少年を急かす。今度はすんなりと動いた少年の手に騎士は己の指を絡めた。少年は目を丸くして、それから喉の奥で笑った。 「素直じゃないよね、昔から」 「あんたがはぐれない様にしてあげてるの」 「もう大丈夫だよ」 「駄目。 今度こそ私が守るんだから」 頑として聞かないその態度に少年は肩を竦め、もう一度だけ後ろを振り返った。 もう彼らの姿は見えない。 でも、また会いたいと思う。 少年は小さく口ずさむ。 それは吟遊詩人が歌っていた唄。 優しくて悲しくて残酷で、でもあたたかな。 それは巡幸の唄。 別れる事で巡り逢えた、幸せになるための。 |