「ドロナイ・・・・・・?」 呆然と吟遊詩人は目の前の光景を見ていた。いつの間にか咆哮は止んでいる。風すらも吹かない静寂が耳に痛い。 ドロイカンナイトは吟遊詩人の声に応え様と振り向いて、力尽きた。スローモーションの様に倒れていくドロイカンナイトの向こうにいたのは盗賊。魔術師に抱きこまれたままの体勢で苦しそうに顔を歪めてはいるが、何かを投げた後の様に片腕が肩と水平に持ち上がっていた。 「さっき、の、礼だ・・・・・・クソッタレ!」 じわりと砂が赤く染め上げられていく。ドロイカンナイトの固い装甲の隙間を縫うようにして突き刺さったダガー。 どろりと流れるのは、紛れもなく赤い。 血。 「う、わああああああアアアア、ぁぁぁあああああッ!!」 半狂乱になってドロイカンナイトに駆け寄る吟遊詩人よりも。 もう一本のダガーを吟遊詩人に狙いを定める盗賊よりも。 何よりも速く動いたのは戦士だった。 「なっ・・・・・・?!」 放たれたダガーを左腕で受け止め、勢いを殺さずに戦士は盗賊の顔面に正拳を打ち込む。驚愕した盗賊は鼻の骨が折れる鈍い音と共に吹っ飛ばされた。 「失せろ」 見るのも嫌だという風に戦士は言い放つ。短いだけにその言葉は重く圧し掛かり、パーティーから戦意を根こそぎ奪い取った。 「い、言われなくても行くわよ!!」 魔術師が聖職者と盗賊を引き摺ってその場から立ち去ろうとするが、急に周囲が暗くなったのを訝しげに思い頭上を見た。 そして口をあんぐりと開く。 三人を押し潰すかの如く、ルケシオンダンジョンの住民が取り囲んでいたのだ。ドロイカン達を見る時とは違って敵意を剥き出しにしている。 「あ、あ・・・・・・嫌ッ、来ないで・・・・・・ッ」 経験した事のない恐怖に魔術師は腰を抜かす。もう自分すら支える事が出来ずにただ子供の様に縮こまった。 「来ないでッ、来ないでよ・・・!」 魔術師は錯乱して手当たり次第に物を投げ始めた。そんな程度でこの数をどうにか出来る筈もないのだが、正常な判断力などとうに消え失せている。投げられた一つがラティメリアにぶつかった瞬間。モンスター達は一斉に襲い掛かった。 悲鳴は咆哮にかき消されて聞こえる事はなかった。 「しっかりしろ、おい!」 戦士は荷物の中から包帯を取り出して、傷口をきつく縛る。 あの盗賊は武器の手入れを余程念入りにやっていたのか、ダガーを見ればそれだけで殺傷力の高さが窺える。そういえばと自分の腕にも同じものが刺さっていたのを思い出し乱暴に抜き取って捨てた。 血は一瞬だけ吹き出て、すぐに勢いを弱めた。 「ど、しよ・・・・・・! 血が、血・・・止まんない!!」 膝の上にドロイカンナイトの頭を乗せて、吟遊詩人はしゃくりあげる。ダガーは動脈に届いていて押さえても後から溢れ出してきてどうしようもなかった。すでに吟遊詩人の手や服は血まみれだ。ドロイカンナイトからは段々温かさが失われていく。 「やだ、・・・ッ起きて! 目ぇ開けてよ・・・!」 吟遊詩人の目から大粒の涙が零れ出し、それがドロイカンナイトの顔に降り注ぐ。 祈りが通じたのかは分からない。 ドロイカンナイトがぴくりと動き、うっすらと瞳を開けた。 「動くなッ。 傷が開くぞ・・・!」 無理に置きあがろうとするドロイカンナイトを押し留め様と戦士は手を伸ばすが、結局何もせずに空を彷徨い所在なさげに降ろされる。 傷は予想以上に深かった。 それが何を意味しているか、戦士は正確に理解していた。 「痛い・・・ッ? 痛いよね、ごめ、ん・・・!」 顔をくしゃくしゃにして泣く吟遊詩人にドロイカンナイトは困ったように声をあげ、鼻先を彼の肩口に埋める。それから目元を舐めて、今度は戦士の方によろよろと近付いた。 思わず支えたその腕をドロイカンナイトはじっと見つめたあと、口を傷口に寄せて舌で舐め上げた。固まり始めていた血が綺麗になくなる。 「・・・・・・この馬鹿! 自分の方が重症なのに私の傷を治してる場合かッ!」 ドロイカンナイトが最後に向かったのは冷え切った蒼の申し子の所だった。己の血でドロイカンマジシャンを汚さぬ様気を付けているのか、動きが酷く慎重に見える。 真横に落ち着くとドロイカンナイトは鳴いた。産声よりもか細く弱々しく、けれど誇らしげに鳴いて、その身を横たえた。 それきり動く事はなかった。 「俺がこれから言う事を聞いて、自分のせいだなんて思わないでね」 登り始めた朝日は残酷に現実を照らし始めた。寄り添う二匹のドロイカンの姿は、まるで鏡合わせの様に向かい合っている。 吟遊詩人はそれを見ながら呟き、ぼんやりと座りこんでいた戦士は反射的に頷く。 「ドロナイは気付いてたんだよ。 盗賊がダガーを投げ様とした事」 「なん、だと・・・」 「気付いてて、気付かない振りをしたんだ。 君を守るために」 「・・・・・・どういう意味だ」 「そのままだよ。 あの位置でドロナイが避ければダガーは君に当たるはずだった」 知っていて尚、ドロイカンナイトはそうさせないための道を選んだ。 戦士を守るために。 自分の命を盾にして。 「なんで、私を? 嫌っていたはずじゃ・・・・・・」 産まれた時から何かと戦士につっかかっていたドロイカンナイト。一見それは友好関係など何処にもなさそうに思える。 現に戦士はそう思っていた。 けれど真実は違った。 「散々私に喧嘩売ってきたのに、か?」 「ドロナイもね、君に構って欲しかったんだよ? でもどうしていいか分からなかったから、ああいう形しか取れなかったんだと思う」 不器用だよね、と吟遊詩人は苦笑する。 「俺、それに気付いてたけど言わなかった・・・・・・悔しかったんだ。 ドロナイもドロマジも君にばっかり懐いて、卵は俺が拾ってきたのに」 子供みたいな独占欲。 本の少し見方を変えてみれば分かるはずだったのに。 目先の嫉妬に捕らわれて見失うなんて。 「何で俺、こんななんだろう・・・」 吟遊詩人はそこまで言って鼻をすする。袖で乱暴に目元を拭うが、それが逆に刺激となって涙が溢れて来た。 最初は右手だけだったのが次第に左手も添えられて、顔が擦れて赤くなるのも構わず吟遊詩人は拭い続けた。両手で目を押さえつけてぎりりと力を込める。 「・・・・・・・・・やめろ、跡が残る」 戦士は立ち上がって吟遊詩人の手首を掴み、無理矢理引き剥がす。 目は真っ赤、涙で頬はがびがび、鼻水も少し垂れて口元はへの字に曲がっていて。お世辞にも褒められない顔だったのだが、戦士はそれでも羨ましく思った。 哀しい事を哀しいと素直に表現した記憶なんて遥か昔だ。涙を流したのだって、いつが最後だっただろう。 「・・・・・・っく、・・・ぅ・・・・・・!」 「我慢するな」 吟遊詩人の手をそのまま引き寄せると、胸に額を押し付けてくる。 もう大丈夫かと手を離せば逆に掴まれた。戦士のと比べれば大分小さいのに、握り締められた力は正直痛いくらいで。 空いた手を頭にぽんと乗せる。 「俺、こんな未来を、望んでた訳じゃない・・・!」 「ああ」 「俺が守りたかったのは、こんな・・・こんな・・・・・・ッ!!」 「分かってるよ」 堰を切った様に流れる涙は戦士の服を濡らし、握られた手が暖かい。 吟遊詩人は震える体を少しの間戦士に預けていた。 吟遊詩人の涙が乾く頃、まるで見計らったかの様に遠くから近付いてくる音が聞こえる。ざっざっざと地面を擦るその音は二人が聞き慣れたものだった。 「ドロ・・・・・・」 穏やかに表れたのはドロイカンナイトとドロイカンマジシャン。これが普通サイズだというのに、やけに大きく感じられて吟遊詩人はまた鼻の奥がじんとした。 二匹は横たわっている小さい同胞に近付き、猛々しく声をあげた。決して長かった訳ではないが大音量だったためエコーが響く。 咆哮が波の音に消された頃ドロイカンナイトが背を向けて低く屈み、ドロイカンマジシャンが一つずつ亡骸を咥えて乗せていった。それが完了すると振り向きもせずドロイカンナイトは去って行く。 残されたドロイカンマジシャンは吟遊詩人の前に立った。上体を折り曲げて顔を手に何度もぶつけるその動作は、まるで広げろと言っている様で吟遊詩人は大人しく両手を顔の前に出す。ドロイカンマジシャンはその上に恭しく口付けると戦士の方に向かって僅かに頭を下げ、静かにドロイカンナイトの後を追った。 「彼らなりのお礼、だったのか・・・?」 「・・・・・・・・・ねえ、これ見て!」 興奮して声を張り上げる吟遊詩人の手の中を見れば、朝陽に輝く鱗が二枚あった。 深紅と、蒼海の。 「もしかして・・・」 「きっとちび達のだよ」 恐らくは先程身体を咥えた時に剥がしたのだろう。以外に器用なんだなと関心した戦士は、深紅の鱗を指先で摘み上げる。 日の光に翳して見れば僅かに透けて綺麗だった。 「もしかしたら、ちび達はここの守り神だったのかな。 神様がいなくなったから慌ててモンスター達が総出で探し始めたのかも」 「その割には威厳のない守り神だったな」 「・・・・・・大切にしようね」 吟遊詩人が同意を求めて戦士を見上げた。見上げて、目を丸くする。それから驚かせない様に戦士の頬へ手を伸ばした。 「どうしたの・・・?」 「何の事だ」 分からないといった風に戦士は首を傾げる。 きっと、本気で分かっていないのだ。 吟遊詩人は彼の目元を拭って、見せてやった。繊細な指の上で光っているそれは、涙。 「え・・・・・・」 信じられないのか戦士は自分でも恐る恐る頬に触れてみる。冷たい一筋の流れが顎まで続いていた。 「な、んで・・・・・・?」 自覚した途端にぽろぽろと零れて止まらない。吟遊詩人みたいにしゃくり上げるのではなく、ただただ水が流れる様に涙が止まらなかった。 「・・・・・・違ッ、私は、私は・・・」 戦士は拳を作ってぎゅっと握り締めた。 泣き方なんて分からない。 どうしたらいいのか知らないのに。 目の前で死んでいった時だって、怒りしか覚えなかった。 哀しいとは思えなかった。 なのに、かつて彼らであった鱗が手の中にあると思ったら、急に。 心の中が大きく空いてしまった。 虚を埋める術など持っていないというのに。 「君も、哀しいんだね」 哀しい。 吟遊詩人は両手で戦士の頬を優しく挟んで、唄う様に呟く。 「泣かないで」 |