パシャリと川魚が飛び上がる。跳ねた水飛沫が岩場に座ったヒノエまで届いて足元がひやりとした。少し遠くでは那智の滝が流れ落ちていて、久し振りに見るのか敦盛は嬉しそうに目元を綻ばせていた。

「お前本気なのか」

ゆらゆらと足を振りながらヒノエは言う。決して顔を合わせることはなかったし敦盛も動かなかった。二人並んで岩場に座り、熊野の景色をそれぞれ眺めていた。
平家の君達でありながら源氏の軍に属する事は、親族一同のみならず詰まる所敦盛が兄の経正と対立する事になる。

「そんな事、ヒノエはとうに分かっているのだろう」
「さてね」
「分かっているさ。昔からヒノエは私の事を一番に理解してくれた」
「昔、だろ。どれだけ離れてたと思ってんだよ」
「どれくらいだろうな。本当に久し振りだ」

噛みしめるような声にヒノエはちらりと敦盛に視線を向ける。記憶の中の彼はまだ童で、大人しそうな風貌と相俟ってよく少女に間違われていた。確か自分より一つ上だから今は十八かとぼんやり思う。この年頃にしてはまだ全体的に幼さが抜け切れていないものの、遠くを眺める横顔には精悍さが現れている。

「俺はただお前が泣き出すんじゃないかと思っただけだ」
「それはヒノエだろう。肌が弱い癖に一日中外で遊んで、日焼けした所が痛いと言って弁慶殿に泣きついていたのを覚えているか?」
「・・・・・・そんな昔の話を持ち出すんじゃねえよ」

思わず頭を抱えたヒノエに敦盛はくすりと笑いをもらした。ヒノエ自身覚えているだけに否定はできない。そんなヒノエをじっと見ていた敦盛は不意に笑みを深くした。

「ヒノエは相変わらず弁慶殿を好いているのだな」
「――――その言い方はやめろ、語弊がある。あと野郎に興味はねえ」
「でも、好きだろう?」
「・・・・・・・・・お前って時々人の話聞かねえよな」

ヒノエは溜め息をついて岩場に倒れ込む。仰向けになったその視界の端に見慣れた黒い外套の裾が目に入ってヒノエは慌てて起きあがった。

「知らなかったな、ヒノエが僕の事が好きだったなんて」
「・・・・・・盗み聞きとは随分野暮なんじゃないかい?」

にこやかに近付いてきた弁慶にヒノエは苦虫を噛み潰したように眉をしかめる。その様子が気に入ったのか弁慶はくつくつと喉の奥で笑いながら、わざわざヒノエの左側に――――右には敦盛が、腰を落ち着けた。

「声くらいかけなよ」
「これでも気配は消さなかったんですけどね、余程夢中になって話してたようで――――ああ、敦盛君。怪我の具合はどうです?」
「はい、弁慶殿の薬はよく効くので」
「それはよかった」

敦盛は包帯が巻かれていた肩をそっとさする。
三草山での邂逅は少なからずヒノエに衝撃を与えた。すでに死人となったものが戦場にいる事が意味するのは一つしかない。傷ついた敦盛を一晩中介抱していた望美はそれを知っているのだろうか。
そもそも争い事を好まない敦盛が平家との決別を決意したのはその望美の存在があったからこそだ。怨霊を封印できる唯一の存在である白龍の神子。平家の怨霊を封印し、この戦が終わったあとに彼が望む事を考えるのは容易すぎる。
黙り込んだヒノエの横で弁慶はわざとらしく溜め息をついた。

「君はまたそんな薄手をして・・・・・・」
「夏なんだから当たり前だろ。むしろお前らどんだけ厚着してんだ」
「僕らはいいんですよ、ちゃんと体調管理ができてるんですから」

夏の熊野は暑い。それなのに狩衣をしっかり着込んだ敦盛や頭から真っ黒な外套を被った弁慶の方が奇異の目で見られるべきなのになんで俺が子供みたいに窘められなきゃならないんだ。ヒノエの心境を恐らく誰より正確に理解できるだろうこの叔父は、凡字の入った外套をヒノエの頭からそっと被せた。

「ほら、これでも被ってなさい」
「いらねえよ、暑いし薬臭い」
「失礼な子ですね。また日焼けして泣いても手当てしてあげませんよ」

外套を振り払おうとしたヒノエの腕を弁慶は逆に掴み取ると眼前まで持ち上げる。海の男とは思えない白く細身の腕は、微かに赤みがかっている。

「で、いるんですかいらないんですか」
「・・・・・・・・・っ」

ヒノエは舌打ちを一つして弁慶の手を乱暴に引き剥がすと外套を目蓋に被った。流石に子供の頃のような失態を冒すほど軟ではなくなったが、正直辛かったのも事実だ。そんなヒノエを見て弁慶と敦盛は静かに笑った。