私が王である理由

「坊!!坊!!」
 母親とおぼしき女性が、土まみれになって何度も絶叫を繰り返していた。
 廃材の隙間からは細い、白い腕がだらりと垂れている。女のほかに、足が変な角度に折れ曲がっている男が譫言を呟きながらそれに縋っていた。
「ひどい……」
――ひどすぎる。
 あまりの惨状に、陽子は暫くその場に立ち尽くした。


***


「柳で蝕が発生したそうだ」
 雁国玄英宮を訪れて早々、延王尚隆が開口一番に放った言葉がそれだった。
「蝕…ですか」
「あぁ。俺もつい先刻耳に入れたばかりなんだが、どうやら未曾有の規模の災害が起こったらしい。特に南部が壊滅的な被害だとか」
 柳で仙台の匠王が斃れて十七年になる。元々王朝の末期から官吏の腐敗が進んでいたのが、近年では最早完全に役所自体が機能していないと言われていた。そんな国で大災害が起こったら、一体どうなってしまうのだろう。
 考え込む様子の陽子を見て、尚隆はにやりと笑みを浮かべた。
「気になるだろう。そこで、だ」

――一緒に柳を見に行かないか?


***

「……ありがとうございます」
 若い女はやつれた顔にひきつれた笑みを浮かべた。腕には傷だらけになった子供の遺骸を抱えている。
 陽子は曖昧に笑み返した。
「いえ……私は、何も」
 咄嗟に使令に命じて地下から瓦礫を崩した。それだけのことだ。
(命を助けることも出来なかった…)
「いいんです。この子にお墓をつくってやれるだけでも、……私たちは……っ」
「……行くぞ」
 骨折して別の男に身を支えられている男が女を促した。
「……はい」
「どうか、あなたもご無事で」
 どうもありがとうございます。
 口が動いたが、嗚咽になって声にはならなかった。  そのまま彼女は陽子に向かって深く頭を下げると、瓦礫の山の向こうへと消えてしまった。




 夫婦を見送った後、陽子は瓦礫と化した家屋の壁の欠片を拾い上げた。
(これが、民の暮らしていた家……)
 無念さに掌を強く握り締める。すると、思いもよらず瓦礫は陽子の手の中でいとも簡単に砕け散った。
「なっ……」
「手抜き工事だね」
 突然声がして振り向くと、いつの間にか若い男がこちらを覗き込んでいた。
「建てたのは夏官か……あるいはそれに癒着した左官たちだろう。元より、建築基準そのものが奏の四半分にも満たない。余剰の税金は建てた人たちに回るんだ。皆、自分の腹を肥やすのに夢中だからね」
「……利広殿」
「お久しぶり、陽子」
 利広はえらく場違いに見える微笑を浮かべている。
「こんなところに君がいるということは、あの風来坊も近くにいるんだろう。違うかい?」
「御名答だ」
 風漢――もとい尚隆が戻ってきた。
「……どこへいらっしゃっていたんですか?」
「瓦礫の山から生存者を二、三人引っ張り出してきた。――利広、またお前か」
「やあ風漢、久しいね。……と言っても、今回はそんなには経っていないけど」
「そうだな、十年ぶりだからな。――お前もここに暫く留まるのか?」
「折角会えたところで残念だけど、私は早々に引き上げるつもりだよ。やらなくてはならないことが出来たからね」
 風漢とは違って、と付け足した後、利広は突然おもむろに陽子の目を覗き込んで言う。
「今回の蝕について、柳の仮朝は他国からの援助を一切受け付けないことに決めたそうだ。援助物資も、人的支援も、ね」
「何っ……」
「さっきも言ったろう?お上は私服を肥やすのに忙しいんだ」
 利広はやおら自分のスウ虞に跨ると、にっこりと笑って手綱を取った。
「君がこの件で一体どんなことをやらかすのか――楽しみに待っているよ、陽子」



「陽子、言っておくが、例え援助であっても相手の許諾無しに他国へ派兵することは……」
「天綱に触れると言いたいのだろう?そんなことは百も承知だ」
 激しく吐き捨てて、陽子はふいと目を逸らした。
「すみません…どうも今、気が立っているみたいで」
「気持ちは分かるが、陽子、本末転倒になってはいけない。お前が逸って援軍を送り込んでも慶は斃れ、柳は支援を受けず仕舞いだ。誰も益するものなどおらんのだぞ」
 尚隆は諦め顔で息を吐く。
「この蝕で更に多くの荒民が雁や慶に流れ込むだろう。俺たちの出来るのはそ奴らを受け入れて保護することだけだ。それだけでも十分だと思わないか、陽子」
「……分かっています」
 陽子はぎりりと歯をかみ締めた。
「でも悔しいんです。天綱なんか…こんな条理さえなければ、今すぐにでも軍を出して援助に行かせるのに…!」
「……その条理があったからこそ、今まで戦火が国境を越えることもなかったのだ」
「そう、ですが……っ!!」
 下を向いて掌を開くと、おからのようになった家屋の残骸がぼろぼろと零れ落ちる。
――坊、坊!!
 生き埋めになった子供の手に縋りつく母親の泣き叫ぶ光景が、生々しく思い出された。
(この屑の下に、あと何万の命が埋まっているのだろう……)
 そう思うといてもたってもいられなくなって、陽子は弾かれたように郊外の荒地へと足を向ける。
「!おい、陽子!どこへ行く……」
「たま、先に玄英宮にお返ししておきますね」
 そして、一刻も早く金波宮に戻らねば。
(何が出来るかわからない。でも、)
――何かしなくてはいけない。
 たとえ限られた条理の中でも、前例のないことだとしても。
「必ず助けてみせる」
 陽子は心の中で強く誓った。



――私は、その為の王なのだから。




***

 先代の匠王オリジ設定です。後付ですみません。
 後陽子が利広に会ったことがあるというのもか…
 後、この設定妄想十二まで引っ張ります。((



2008年5月18日