2005年度講演会 |
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早稲田大学現代文学会企画 2005年度講演会 「戦争」が遺したもの
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ポツダム宣言を受諾し、日本が「終戦」を迎えてから実に六十年の歳月が流れた。その中で世代の移行が進むにつれ、戦争に対する関心は稀薄なものとなりつつある。 だが、ここで一つの疑問が浮かぶ。 「我々は本当に《戦争》を通過し終えたのか」という、至って素朴な問いかけである。 今、日本人の多くは直接に戦争を体験してはいない。だが、自らに直接の経験がないことを理由に戦争を意識の外に追いやってしまうことは、戦争で様々な傷を負った人々の存在までも忘却しようとする、極めて他者への視線を欠いた暴力的な態度に過ぎない。 直接の経験を持たぬ地点から、我々は戦争というものについて何を思考し、何を発話していくべきなのか。史実としての戦争のみならず、人々のイメージの中に存在する戦争、メディアや文化の中に立ち現れてくる戦争、それらを全て含む括弧付きの《戦争》に対して、聴講者全員が新しいパースペクティヴを獲得することを本講演会のねらいとしたい。 |
■講演者紹介
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■開催日時・会場 2005年12月10日(土) 開場15:00 開演15:30 早稲田大学 西早稲田キャンパス7号館319教室 ※入場料無料 |
■講演会対策勉強会 戦争経験の変容(梅田) 行為・補償・意識――戦争責任に対する日本とドイツのスタンスの相違――(家守) 戦争と意識――現代における戦争と如何に向き合うべきか――(家守) アジアの不在――対アジアの戦中・戦後――(後藤) 『昭和天皇』(ハーバート・ビックス)を読む(田口) 福田恒存の「文学と戦争責任」を読む(加藤) 「戦後」が抱えるひずみ〜林淑美『昭和イデオロギー』を介して(山口) 中野重治と植民地人〜朝鮮へと向けられたまなざし〜(梅田【有】) 戦後世代に有る戦争責任と、責任論的な幸運(山田) アメリカの戦争観を考える―二つの大戦とアメリカ文学―(三浦) |
■アクセス JR山手線高田馬場駅より徒歩15分 東京メトロ東西線早稲田駅より徒歩5分 |