ハローサマー
4限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った瞬間に弁当と飲み物を掴んでさんの教室へ向かった。
ほんまはいつでも一緒におりたいけど学年も違うしさんにやって友達がおって友達との日常があるんやから、さんがそれを放棄すると言わん限りそっち側の生活を考えることも大切や。休み時間、毎回会いに行くのやって控えとる。俺大人やからな。
さんのことを考えて昼も一緒に食べたり食べへんかったり、その日によって変わる。ほんまは毎日一緒に食べたいけどそれはさんには秘密や。一緒に食べる日は弁当作ってくれはることもあるし、俺はそれだけでも嬉しい。
教室に着くとそこはむせかえるような石鹸の匂いで溢れとった。今からここで弁当食べるのにどないやねん。
男子が率先して窓を開けて空気を入れ換える、その様子を申し訳なさそうに見る白石部長。なるほど、こうなった原因は全部あの変態絶頂野郎やな。
「さん……!」
「あ、光くんいらっしゃい」
俺は先輩二人に軽く会釈してまっすぐにさんのところへ向かった。勝手に教室入っても誰も何も言わん。席に向かってからさんに声をかけると髪の毛を束ねるのに苦戦中らしく、首だけを俺の方に向けてから笑った。
「さん髪の毛……」
「今日暑すぎてもう限界」
苦笑しながらさんは手首に通していたゴムで一つに髪の毛を結う。いつもと印象がガラッと変わって、俺はそれだけでも騒ぎ出したい気持ちでいっぱいになった。
「あ~めっちゃ涼しい」
「さんの首筋がエロい」
「またそんなこと言うて……」
「やって」
確かに今年の最高気温なだけあって今日は暑い。急ぎ足で近付いてきた夏の気配に学校が対応できるわけがなく、学生は制服や下敷きを駆使してなんとか厚さを凌ぐしかなかった。それからさんみたいに髪の毛を束ねる女子も多い。
まぁ俺はさん以外の女子はどうでもええ。これは事実として受け取ってもらいたい。クラスの女子が同じようにしとっても興味すらわかんのに、さんがそうするだけでこんなにも気持ちが高ぶる。汗ばんだ首筋も普段見えんうなじも暑さで若干赤い頬も、これはあかん。……夏最高や!
「今年は今までで一番の夏になりそうっスわ」
「なんで?今年は冷夏なん?」
「さぁ」
俺の返事に不満げな顔をしながらさんが制服の胸元を掴んでパタパタと上下させた。椅子に座っている先輩を上から見下ろすようにして立っている俺の角度からやと見えてはいけない物がちらちら見える。あれが。それに気付いてしまった俺の目線はそこにしか行かん。冬やったら更衣室に覗きにでも行かん限りぜったいお目にかかることのない奇跡が視界に入ってくる。
「さん、俺の前以外で制服パタパタしたらあかんで」
「え、なにそれ」
「あかんもんはあかん」
「何でなん?」
理由を言うべきか迷うまでもなくこの教室にいる変態の顔が浮かんで、俺の心の天秤は「言うべき」へと一気に傾いた。
「この角度からやとさんのブラが見えるんで」
「!?」
俺が言うとさんはめちゃくちゃ焦ってからすぐにパタパタすんのをやめた。なんか勿体無いなぁて思うけど、これもさんを守るためやしな。俺は大人やからこんなことくらいでへこんだりせんのや。
「お昼ご飯食べよ!ね、ご飯!」
さんは顔を赤くしながら話を逸らすようにして弁当を出してきたので素早くさんの後ろから抱きついた。同時に小さい悲鳴が聞こえてさんが驚いた顔をしながら振り向く。
「ちょ、びっくりするやん!」
「すんません」
「なになに、どないしたん?」
「さんのことぎゅうしたくなっただけっすわ」
さんからは多分制汗剤とは違う石鹸の香りがした。
「はよお弁当食べよ?私めっちゃお腹空いてるんやけど」
「この暑さで弁当放置したらどないなるんですかね?」
「腐るんちゃうん?」
「ほんまに?」
「今はまだ大丈夫かもしれんけど真夏とか危ないと思うよ。ちゃんと保冷剤入れなあかんね」
うんうんと一人で納得しながらもさんの手は弁当を包む風呂敷に伸びていた。ほんまにお腹空いてるんはわかるけど俺と弁当天秤にかけられて弁当選ばれた気分や。
俺はさんの行動を無視して未だにさんの背中に張り付いとった。離れたくないんもあるんやけど、さんの首筋とか見とるといろんな感情が……こう、ふつふつと湧き上がってくる。こういうんって毎日見てたら何とも思わんくなってくるんやろか。たまにこうして目にするから新鮮な気持ちになったり、ドキドキしたりするんやろか。
きっとこの気持ちはずっとかわらんと思った。さんは今年で卒業やし、同じクラスになることなんてありえへんから四六時中一緒におるなんてことも叶わへん。新鮮じゃなくてもドキドキせんてもええからさんとずっと一緒におりたいなあ。謙也さんと白石部長が羨ましい……いつも思うことやけどやっぱりずるいもんはずるい。
「さん」
「なぁに?」
「噛みついてもええですか?」
「噛む!?無理無理無理、あかん!」
さんがいきなり叫んだから一瞬だけクラスの人がこっちを見た。でもああ、また財前がなんかちょっかいかけたんやなという結論に至ったらしく全員が俺らをスルーする。
既に俺らは「また教室でイチャついとるわ」という部類の人間になってしまったらしく、最初は積極的に騒いでた人たちも最近は大人しくなった。この扱いは軽蔑だとかシカトされているだとかそういう類のものちゃうくて、単純に周りが日常の光景として受け入れてしまっただけなんや。もちろんこんなことしたらあかんやろっちゅうことも俺はたまにするけど、クラスの人らは何をしようとああまたやっとるな、ほどほどにしときや、くらいにしか思ってない。それがいいのか悪いのかは別として、周りの視線を気にしていたさんにすればとてもええ環境なんちゃうかと思う。
「光くん、は、はよご飯食べよ!」
「俺、案外本気やったんですけど」
「噛みつくんやったらお弁当の中身をどうぞ!」
必死で話を逸らそうとしているさんは可愛かったけど、二人きりでもない教室の中で俺の衝動とかナントカ欲はピークに達した。全部吹っ切れて弁当を食べれんくなろうともしゃあないと思ったし、先輩は怒るかもしれんけどいつか許してくれるやろうと変な自信があった。
「っ!?」
「……しょっぱい?」
「ひ、ひか……」
我慢できなくなって後ろから抱きついたままべろりと首筋を舐める。痛くもないし痕も残らんしこれやったら許されるやろなんていうんは単なる適当な言い訳でしかなくて、ほんまはさんの首が弁当よりも美味しそうやった。適度にやわらかくて少しだけ汗ばんでて、単純にどんな味なんか気になっただけなんやけど。
「今度は噛みたい」
「え、あ、ちょ……!」
「少し歯立てるだけなんで」
さんの身体がじわじわ熱くなってきたように感じる。頬を背中につけると微かに聞こえてきた心音が速いような気がした。
一瞬顔を上げるとめっちゃ呆れたっちゅう顔してはる謙也さんと目があって、これは部活ん時になんか言われるかもしれんなと溜め息が出る。
「さん弁当食べへんのですか?」
「だって、さっきまで光くんが!」
「俺が何ですか?」
「……(光くんのせいやのに!)」
あとがき
デレデレというか積極的な財前。
2012/05/27
2022/02/13 加筆修正