シークレット サンセット
珍しい時間帯にオレとは制服のまま電車に揺られている。
本来ならまだまだ部活をしている時間帯だったが、学内の事情で全校生徒は授業が終わり次第帰宅するようにと指示があったのは数日前だった。自主練習をしようにも学校が施錠されることとなり、体育館に残ることは許されない。
仕方がないので普段より数時間早い時間ではあるもののオレと高尾、の3人は駐輪所に集合し即帰宅することになった。
いつもなら帰宅はチャリアカー、ジャンケンで負けた者がチャリアカーを運転し勝った者は横を歩く。は確定で荷台だ。
だが今日の高尾は一言「今日真ちゃんとちゃんは放課後デートだから電車に乗っちゃって」などと急に帰路の途中で言い出し、オレが止めるのも聞かず学校の最寄駅へとチャリアカーを走らせた。
と高尾が最初からこうなるように仕組んだのは明白だ。に荷台を促されるまま、何の違和感もなくそこに納まった時点でこうなる運命だったのだ。
「高尾と計画していたのか」
「真ちゃんを駅まで拉致する計画のこと?」
「拉致と言うか……その、放課後デートについてなのだよ」
「うん。いつも部活忙しいから授業終わってすぐ帰るなんて珍しいでしょ?部活がなくても真ちゃん自主練習してるし」
「それは、そうだが」
「前に高尾くんに放課後デートしてみたいって話したことがあったんだけど、その話を憶えてくれてたみたいで」
嬉しそうに話していたのに急に無理やり振り回してごめんなさいとの声のトーンが低くなって返答に困る。
確かに急ではあったし了承も何もなかったが何もそんな顔をしなくてもいいだろう。まるで最初からオレが嫌がると決まりきっているかのようなの態度に、困惑と焦りの入り混じった感情が湧く。
「……こんな時間に帰宅しても時間を持て余すだけなのだよ」
「……!ありがとう真ちゃん。今日は楽しもうね」
気の利いた台詞など咄嗟に思いつくはずもなく、やや言い訳じみたような形にはなったものの今のオレにはこれが精いっぱいだった。しかし言葉の裏にあるはずの真意を理解したであろう彼女は今日一番の笑顔を見せる。思っていることを隠すのが下手だからわかりやすい。が愛想笑いをしているかどうかくらいのことは流石のオレでもわかる。
そんなことはわかるのにが何をして欲しがっているかだとか何が好きだとか、そういうことに関してはオレは無知だった。今日のことだってそうだ、高尾はの願望を知っていたのにオレは知らない。そんなに恐らくオレは甘えている。
これが例えば……高尾や黄瀬だったらもっと上手くストレートに相手が喜ぶ言葉を選び、雰囲気よく伝えることができるのだろう。それができないことを申し訳なく思う反面、性分なのだから仕方ないと思う自分もいた。
「この後は具体的にどこで何をする予定だ?」
「それねー、実はあんまり考えてないの」
「何かしたいことはないのか?」
「特別な何かって言うよりも制服で真ちゃんとデートしたい、かな」
デートとは言ってもオレたちが普段よく行くのは書店、スポーツ用品店、図書館くらいだ。後はお互いの家を行き来して過ごしたり、ごくごくたまに美術館や水族館に行くこともあった。他に特別なことをして過ごすことはまずないし、他の行先も思いつかない。
いつも通りでいいと言われたものの、今から図書館へ行って制服のまま勉強するのをが求めているのかと言われるとそれは違うような気がした。だとしたらオレ達は今からどうすればいい?
から借りた今日のラッキーアイテムの黄色のしゅしゅを握りしめてみても答えは浮かんでこなかった。それよりも黄色が目について、先程不意に頭に浮かんだこんな状況を上手くすり抜けていくであろうあいつを思い出して少し腹立たしさを感じてしまう。
「ねぇねぇ真ちゃん!」
「……」
「真ちゃんってば!ねぇ!」
「……!?な、なんなのだよ」
「もう、目開けたまま寝てたの?ぼーっとしてたよ」
「……少し考え事をしていた」
「考え事?」
「大したことではない。気にするな」
「それならいいんだけど……ところで真ちゃん!ちょっとあそこ、見て」
一連のやりとりをした後でが声を落として遠慮がちに離れた席を指差した。そこには今一番会いたくない、顔も見たくない、こんな状況を余裕で交わしていくだろうあいつが、携帯片手に優雅に座っていた。
……よりによってどうしてこんな時間にここにいる、黄瀬。
黄瀬はこちらに気付いていないらしく、足を組みなおしながらも視線は携帯を常に見ていた。電車は驚くほどに空いていてオレと、黄瀬以外には4,5人ほどしか乗っていない。黄瀬をちらちら見ているのは一人だった。
「なんだ、黄瀬がどうした」
「真ちゃん黄瀬くんのこと知ってるの!?てっきり知らないと思ってた」
「知らないはずがないだろう」
「意外だなぁ」
オレの試合を観戦しには来ても詳しいルールを理解していないくらいにははバスケットに疎かった。そんなから黄瀬の名前が飛び出してくるのは想定外だ。
オレから話した覚えはないが恐らくはオレと黄瀬が同じ中学だったということを知っているのだろう。にも関わらず黄瀬のことを知らないと思われているとは……そんなにオレは人付き合いができない人間だと思われているのか。
「すごいなぁ、本物の黄瀬くんだよ真ちゃん!」
「ああ、あれはどう見ても正真正銘黄瀬涼太なのだよ」
「話しかけたりしたら迷惑だよね。そっと見守るだけにしておこう……」
「何故だ?話しかければいいだろう」
「んーほら、やっぱりそういうのは黄瀬くんを困らせると思うし……え、ちょっと真ちゃん!ダメだってば!」
チームメイトだった人間に何をそこまで遠慮する必要がある?
オレはの制止を振り切って黄瀬の座る席へと向かった。周りは全く関心を示しておらず、ハラハラした様子でが付いて来る。
「黄瀬」
「わー!ダメだってば真ちゃん……!」
「……?あー!緑間っちじゃないっスか!久しぶりっスね!」
最終的にがオレの腕を引っ張り元の席へと戻ろうと言い出したが、焦る彼女を余所に黄瀬に声をかけた。
黄瀬は一瞬気の抜けた様子でオレを見上げた後、相手が見知らぬ誰かではなくオレだとわかって表情を和らげる。明るい声色で挨拶を返したあいつは、携帯をしまってからまた足を組みなおした。
「みどりま、っち……?」
「あれ?緑間っちそちらの女の子は……?」
「……」
は説明を求めるような目でオレを見ながら突っ立っている。確かに黄瀬のこの呼び方は少々恥ずかしく、あまり聞かれたいものではなかったと今更ながら後悔した。
黄瀬は黄瀬で目をぱちぱちとさせながら愛想のいい笑顔をに向けている。
「……まさか、え?緑間っち?何で顔逸らすんスか?顔が赤いのは夕焼けのせいっスよね?あれ?」
「こいつは……まぁ、そういうことなのだよ」
「さっきはごめんなさい!いきなり話しかけるなんて失礼でしたよね!」
「ええええええ!!緑間っちに彼女ぉ!?マジっスか、え、ちょ、黒子っちにメールを……」
「余計なことはするな黄瀬!黒子にメールなどしなくていいのだよ!」
正直話が噛みあっていなかった。もはや黄瀬はの謝罪など聞いてなどいない。
ここが公共の場だということを忘れ騒ぐ黄瀬を落ち着かせ、黒子にメールを送らないことを約束させた後席に着いた。いろいろ話がしたいからと言った黄瀬とオレでを挟むようにして座ることになったのが悔やまれる。
「えっと、それでなんだっけ?」
「あの、いきなり話しかけてすみませんでした……!」
「気にしなくてもいいっスよ。こういうのよくあることだし」
「でも、呼び捨てでいきなり話しかけるなんて……」
「緑間っちいっつもこんな感じだし、全然大丈夫っスよ」
「いつも……?」
「あれ、もしかして彼女さんオレと緑間っちが同中だったって知らない?」
「真ちゃんと黄瀬くんが、同じ中学校出身……?」
「し、真ちゃん……真ちゃん……緑間っちが彼女から真ちゃん呼び……」
「笑いすぎなのだよ黄瀬!」
黄瀬はそれでもなお笑い続けていた。確かにと高尾が呼ぶこの呼び方も恥ずかしいが……!
「っていうか緑間っちは気付いてなかったんスか?」
「途中で話が噛みあわないとは思っていたが……」
「ごめんなさい、私バスケ事情あんまり知らなくて」
「じゃああっち方面でオレのこと知ってたんスね?それでオレに話しかけたら失礼って思ったんスか?」
「そうです……真ちゃんが黄瀬くんのこと知ってるっていうのも、まさかお友達だとは思わなくて」
「あっち方面?何のことなのだよ」
「えー緑間っち冗談っスか?」
オレ一人取り残されているような状態のまま黄瀬に尋ねると溜め息をつかれた。馬鹿にされたようで腹立たしい。
オレとしては黄瀬と話す用件は特になく、元の席へ戻ろうとに提案しようとしたものの彼女の様子がいつもと違うことに気付いたのはこの時だった。
「あの、えっと、私、黄瀬くんのファンなんです……!」
握手してもらえませんか?と小動物のような表情でが黄瀬を見上げる。黄瀬が快く握手に応じ「緑間っちはこんな彼女がいていいっスね」と言いながらの頭を撫でた。
の頬がみるみる赤く染まって「真ちゃんどうしよう、黄瀬くんに頭ぽんぽんされちゃったよ」とそれはもう可愛らしい顔でオレを見上げて言うのだから、嬉しいのか悔しいのかオレ自身わからなくなる。
「忘れたんスか?オレ、モデルしてるって」
「……」
「真ちゃんがモデルさんを知ってるってちょっと意外だなって思ったんだけど」
まさかチームメイトだったなんて、とが微笑んだ。
今の今まで本気で黄瀬がモデルをしているだなんてことを忘れていたオレは、雷に打たれたような気持ちで笑いあう二人を眺める。ショックだったのはが黄瀬のファンだったことだ。いや、ファンだったことよりも黄瀬のファンだということを知らなかったということのほうがショックは大きかった。
「緑間っちに彼女ができたことが一番びっくりっスけど、その可愛い彼女がオレのファンってどういう偶然なんスかね?」
「うあ、あ、ど、どどどどうしよう真ちゃん!」
「可愛いって!黄瀬くんに可愛いって言われちゃった!お世辞でも嬉しい!」と相変わらずは今言われたことを横に座っているオレに報告してくる。
報告しなくても3人横並びで座っているのだから会話は丸聞こえだ。黄瀬が言った余計な言葉も全てオレは横で聞いている。
今度は記念に写真を撮ろうという話になったらしく、その会話ももちろん真横で聞いていたがが再び興奮気味に報告してくるので黙って頷くに止めた。正直ここまで興奮しているを見るのは初めてだ。
オレはに頼まれ断れるはずもなく彼女の携帯で彼女と黄瀬のツーショットを撮るはめになった。何が面白くてと他の男のツーショットを撮らなければならないのだ。オレだってまだと一緒にツーショットなんて撮ったことがないというのに。
そんなオレをよそに黄瀬は頬がくっつくのではないかと言うくらいに接近して、崩しすぎない綺麗な笑みを浮かべた。絶対にオレにはできない綺麗な笑顔。シャッターを押す手が震えるのがわかる。
「撮れたのだよ」
「ありがとーっス緑間っち」
「真ちゃんありがとう!」
撮った写真を待ち受けにすると言ってが携帯をいじり始めた。今まで特に気にしたことはなかったが待ち受けには部活中のオレの横顔が設定されているのを初めて知る。
いつ撮ったんだ?そんな疑問が浮かんだが意外にも怒りより喜びのほうが大きかった。
「待ち受けの緑間っち、めちゃくちゃ格好いいっスね」
「そうなんです!真ちゃんと同じバスケ部の友達にお願いして撮ってもらったんです」
「……(犯人は高尾か)」
「でーもーしばらく待ち受けはちゃんとオレっスね!」
よくもそんなことが言える。
しかし今日一番腹立たしい黄瀬の一言も「少ししたら真ちゃんに戻すから、それまでちょっとの間だけいい?」とに言われれば怒りのやり場をなくしてしまった。
そのまましばらく電車は走り続ける。
オレは基本的に会話には参加せず横でと黄瀬が楽しそうに会話していた。会話を横で聞きながらこの二人のほうが恋人同士のようだと思い、複雑な気持ちになる。
「あ、オレ次で降りるっス」
「これからお仕事ですか?」
「そうなんスよー、撮影あるらしくって」
「そうなんですね。移動中に話しかけちゃってすみませんでした」
「ぜーんぜん。オレもちゃんと話せて楽しかったっスよ。何かあったら緑間っちの携帯からオレの連絡先探して連絡してきてくださいっス」
黄瀬にそんなことを言われては感激のあまり言葉も出ないようだった。
オレはそんなを見つめるだけしかできない。
「あ、緑間っちちょっと」
「何なのだよ」
電車を降りる間際黄瀬に手招きされ渋々腰を上げると、黄瀬が呆れた顔で眉尻を下げながらこちらを見た。
「安心してよ、オレは緑間っちには勝てないっスから」
「何の話だ」
「ちゃんのことっスよ。ちゃん、なんやかんやで緑間っちが一番なんスよ。オレと会話してても『どうしよう真ちゃん』ってずっと言ってたし」
「……」
「だから自信もって。偉そうじゃない緑間っちとか気持ち悪いっス」
「最後が余計なのだよ。あとを名前で呼ぶのはやめろ」
黄瀬はに手を振って、それからオレには手を挙げてからエスカレーターを降りて行った。
席に戻ったオレは何も言えず先ほど黄瀬から言われた言葉を脳内で繰り返してばかりいる。
「黄瀬くん、格好よかったね」
「オレはそう思わないのだよ」
「あはは」
「……が黄瀬のファンだったなんて知らなかったのだよ」
「私も、まさか真ちゃんが黄瀬くんとお友達だなんて知らなかったよ」
がオレのほうを見て微笑んだ。今オレはどんな表情をしているんだろう。
「私たち、お互い知らないことがたくさんだね」
「……」
「もっとお互いのことたくさん知れたらいいね」
「そうだな」
「絶対思ってないでしょ!」
口ではそう言うだったが本心だということは恐らくわかってくれている。
はくすくすと笑ってからオレの手を握った。
「やっぱり真ちゃんの手が一番落ち着く」
「フン」
「頭ぽんぽんしてもいいよ?」
「誰が……」
が迷いも疑いもないまっすぐな瞳でこっちを見つめている。彼女がオレのことを導いてくれているのだとすれば、不器用なやり方だろうとできる限り応えてやりたいと思った。
「……がしてほしそうにしているから、仕方ないのだよ」
「わぁ嬉しい!ありがとう真ちゃん」
黄瀬に同じことをされていたときの緊張した表情とは違う、柔らかいの表情。
黄瀬の言っていた言葉の意味がわかったような気がした。
あとがき
今回は黄瀬くんにいい人になってもらいました。
私には恋愛経験豊富な器用な緑間なんて書けないと思います。
2012.12.07
2022/01/23 大幅加筆修正