「私、国際結婚がしたいんです!」
「あー、……うん?」
今なら言える
練習を一段落させて選手たちと昼食を食べていると同じく仕事を一段落させたであろうが食堂にやってきた。彼女は何かを探している様子で辺りをきょろきょろと見回しながら、すれ違う選手たちと挨拶を交わす。
少し遠くで聞こえた「達海さん知りませんか?」の声でが探しているのは俺だということを知った。
誰かが俺の座っている場所を教えたんだろう、がすぐにやってきて俺の目の前に座る。どしたのと取りあえず俺を探していた経緯を訪ねてみると、返ってきた返事は予想もしない一言だった。
彼女は時々とんでもないことを言い出すことがある。言葉のキャッチボールが上手くいかなかったり同じ話題で会話をしていたとしても驚くような返事をしてきたり、無意識で毒舌にもなるのだから怖いんだけどそれが選手たちにはなかなかウケていて、さんは面白い人だなんて話題になっているのも知っている。でも、だとしても、今回のこの話題は少し特殊すぎやしないか。
「国際結婚、ねぇ」
「憧れますよね、国際結婚!」
「言っとくけど俺は紹介してあげられるような奴いないよ」
目当てはこれだろうと思って予め釘を刺しておくことにした。ところが俺の言葉には怯む様子もめげる様子も諦める様子もなく、不敵な笑みを浮かべる。
「達海さんならそう言うと思ってました!」
「違うの?」
「甘いですよ」
俺の予想が外れたことには気分をよくしたらしく先程の不適な笑みとは別の笑みを向けた。
本当に紹介してあげられるような奴なんて知らないからそれならそれで助かる。っていうか国際結婚とか言う前にお前の周りにごろごろいるじゃん、独身男性ってヤツがさ。どうしてもってお願いされたとしたら、俺は今すぐここに後藤を連れてきて紹介してあげたいくらいだ。
「某サッカーチームのGMをしてる後藤くんです!とってもいい奴!」って俺は笑顔で後藤を送り出してやるよ。
正直、俺が海外にいたときに知り合ったイケメンでも紹介してくれって言われると思ってたからの言葉には安心したけど、でもこれはこれでマズイ。いつもみたいにのペースに巻き込まれるパターンだ。
予想が外れた今、が次にどんなことを言い出すのか全く見当がつかないから困る。一度線路から外れたらは二度とそのレールには戻らないし、が進む行先は予測不可能だ。
「えー、じゃあ何で俺のこと探してたの?」
「達海さんにしか頼めないお願いがあるんです」
「何それ、俺にしか頼めないことって何?」
「実はですね……達海さんに英語を教えていただきたいなーと」
えへへと少し恥ずかしそうにが呟いた。この反応からして冗談ではないらしい。更に言うならば、割と本気ってことだ。
俺自身バリバリ英語を話せる人と言うより現地でなんとか話せるようになった人のほうだから、教えるとかそういう発想になったことが今までなかった。日本の学校で習うような文法をがっつり覚える英語とはまた違うように思う。
「俺の英語、通じるけどどこまで正しいのかわかんないよ?」
「いいんです、ちゃんと現地の人に通じればそれで!」
「間違ってても?」
「実際に海外で暮らしていた人の話す英語ってそれだけで説得力あると思うんです!」
向こうで暮らしてきて俺の言葉ってどこまで理解してもらえてるんだろうとかちゃんと通じてるのかとかそんなことは考えていなかった。最初は考えてたかもしれないけれどあとは感覚。でも、こうして改めて言われてしまうと急に自信がなくなるんだからおかしい。
「じゃあ俺、今日からには英語しか使わないから」
「え!?」
「俺がぐだぐだ教えるよりもリスニングで耳肥やしてそっから覚えてったほうがいいんだと思うんだよねー」
最も俺の英語力なんかじゃ耳は肥えないかもしれないけれど耳で音として聞いたほうがいいと俺は思った。
まあ後は単純に教えるってことが面倒くさい。フットボールと違ってどうやって教えたらいいのかとかよくわかんないし、が飽きる前に俺がお手上げ状態になりそうだ。
そうなると俺が一方的に英語を話すのが一番手っ取り早い。時間もかからないし手間もかからない。今こういう教材流行ってるじゃん、聞き流すだけで英語が話せるようになります!ってやつ。それと同じだと思ってもらえばいい。
「それは困りますよ達海さん!私本当に中高生レベルの英語しかわからないんですよ?」
『えー、何?よく聞こえなーい』
「うわ、もう英語!」
『当たり前じゃん、俺もう英語しか話さないって言ったし』
「どうしよう今のイングリッシュしか聞き取れなかった……」
普段は割とテキパキと仕事をこなしているだけどそんな彼女がここまでの反応をするからこそ余計に面白いっていうのはあると思う。ギャップってやつ。
そんなギャップを楽しむのもいいなと思いつつこのままじゃ言葉のキャッチボールが全くできないまま今日は終わりそうだ。
「もう1回!もう1回言ってください!」
『英語で言ってよ』
「え、と……。『もう1回言ってください』」
『なんだ、喋れるんじゃん。よくできましたー』
よくできましたと頭をぽんぽんするとは嬉しそうに微笑んだ。こういうちょっとしたことが他の国の言葉を覚えていく喜びであり楽しみであると感じさせられる。
本来同じ言葉を話さない人に自分の言いたいことが伝わるってこと、逆に相手の伝えたいことが少しでも理解できるっていうのは生活していくためだとか仕事のためだとか、そういうこととはまた別の意味で人間にとって不可欠だと改めて感じさせられた。
「それでは、今日からよろしくお願いします!私、頑張ります!」
『英語でどうぞ』
「あー……わからないです!勉強しときます!」
それでは!とは手を上げて食堂を去って行った。これから先どうなるのか思いやられる。
* * *
『昨日は夕飯何食べたの?』
「えっと……。『カレーとサラダを食べました』」
『へー、料理できるんだ?』
『少しだけですよ』
『じゃあ今度俺にも作ってよ』
『期待しないでくださいね?』
俺がサンドイッチを食べる横でふふ、とが笑った。
あんな約束をしてから何日経ったかもう忘れたけど未だにと俺は英語でやりとりをしていた。話せる内容、覚えた単語は日に日に増えていっているように感じる。聞いてみると本当に家で勉強していると言うから驚いた。本当に本気みたいだ。
『っていうかさー』
『なんですか?』
『何で国際結婚なの?の周りに独身男性なんていっぱいいるじゃん』
後藤とかさ、と付け足すとがぷっと吹き出した。おい、今の反応後藤が知ったら泣くぞ。
『国内で貰い手がないならもう海外に行くしかないじゃないですか?』
『そんなに結婚したかったの?』
『今すぐにってわけじゃないんですけど、何かしないとこのまま独身で終わりそうだなと思って』
『外国人じゃなくてもいいんじゃん』
『でも外国人の男性って格好いいですよね!憧れます』
は誰かを思い浮かべているのか少し遠くを見つめながらぽや~んと幸せそうに笑う。誰を想ってそんな顔をしたのか見当もつかないけど今の脳内に浮かんだ奴は幸せだな。
俺はドクターペッパーを口に流し込んでから屋上に寝そべった。今日は雲一つない青空。このまま昼寝でもしてしまいたい。
ひんやりしている床の感触を背中に感じながらごろごろしていると今更になって俺はここで重要なことを一つ思い出した。そういえば俺も独身なんだった。
『外国人がいいならジーノとかは?まあハーフだけど』
『ジーノさん格好いいですよね!女の人にモテすぎるのはちょっと心配ですけど』
『あーなるほど』
あ!とが何か思いついたように声を上げる。
が俺を覗き込んでいるけど日差しが眩しくてまともに目を開けられない。今どんな顔してんだろう。
『そういえば達海さんも独身ですよね!彼女いないんですか?』
『あーそれね、俺もさっき気付いた。彼女な~』
『いるんですか!?』
『いないよ』
そっか、とが日本語を発する。なんだかもう英語で話さなくてもいいんじゃないかと思えてきたけれどが英語で話しかけてくるし英語で返さないとなんか悪い気がする。もうお前国際結婚じゃなくてもいいんだったら英語覚える必要なくない?って本当は言ってやりたいけど。
『達海さんはどんな女性が好きですか?』
『どんな、ねぇ』
『タイプとかないんですか?』
『タイプ、ねぇ』
『もう!はぐらかさないでくださいよ!』
言ってることは怒ってるけど声は怒ってなかった。
本当にこれって思い浮かばないんだから仕方ないだろ。俺のこと責めないでよ。
『そーだな、おっぱいがデカくてー』
『うわ、達海さんスケベオヤジだなぁ……』
『ちょ、嘘だって嘘、冗談!あとオヤジはやめろ』
こんなしょうもないやり取りなのに声を出して二人して笑いあった。話し始めてどれだけ時間が経ったんだろう。
と英語で話すようになってほぼ毎朝こうしてここで話している。話してないのは雨の日くらいだ。
最初は単語で返すのがやっとでたどたどしかったけれど、たくさん単語を憶えて俺の発音を真似するようになってからはかなり上達した。の英語力が成長していくのを実感できるのは楽しかったし、教えているこっち側にしても嬉しい。
でもそれ以上にこれだけ長い時間話すようになって単純に今まで以上にのことを知れたのは間違いなかった。きっとETUの他の奴らが知らないことも俺はたくさん知っている。なんかもう、それだけでちょっと優越感。
こんなことに優越感を感じるのがどうしてか、これだけ生きてればわかんないなんてことはない。俺にだって理由の一つや二つは思い浮かぶってもんだ。
はまだ英語の勉強をするつもりなんだろうか。もう終わりにするってが言ったらこうして話すこともなくなるだろう。
なんか俺女々しい?んー、よくわかんないけど、これは本人に言うべき?
『さ、かなり英語しゃべれるようになったよな』
『本当ですか?嬉しい!』
『いつまでレッスン続けるつもりしてる?』
言ってから後悔した。これじゃ俺がもう終わりにしたいって言っているように聞こえる。
『私もいつまでにしようかなって思ってて。達海さんもお忙しいと思いますし……』
『……』
『国内でもまだ望みがあるかもしれないし!長期休みに海外で英語試すのもいいかもしれませんね!』
『そっか。寂しくなるなぁ』
『そうですね。私、こうして達海さんと話すの結構楽しみにしてたんです』
『俺もだよ。が英語話せるようになるのも嬉しかったし、のこといろいろ知れたし』
俺にとっても充実した時間だったと言うとは笑ってくれた。
『のこといろいろ知れてさ、俺のこと好きになったかも』
『え?今のところ日本語でお願いします!間違ってたら嫌なので!』
『絶対に言わないよ。ニヒヒ~』
『ちょっと!達海さん!』
が寝そべってる俺を掴んでゆさゆさと揺らしてくる。こうなったらもう寝たふりだ。自分でも恥ずかしいこと言った自覚はある。だからこそ寝たふりだ。今から俺寝たふりしまーす!
俺は目を閉じてバレバレの寝たふりをする。すると揺れが止まっての手が俺の肩に触れた。何がどうなっているかわからなくて思わず薄目を開けたくなる。寝たふり下手くそかよ。
『達海さん?達海さん起きてます?』
「……」
『寝ちゃいました?』
「……」
『私あんまり男性とお付き合いしたことなくて経験値乏しいんで……いろいろ教えてくださいね?』
「……」
『聞いてるんですよね達海さん?英語よりも上達遅いかもしれませんよ?』
「……」
ごめんな、後藤。そしてETUの独身の奴ら。たった今、君たちの癒しと希望を俺が奪っちゃいました。
「(くっそー!監督とさん探してきてって頼まれたけどなんかイチャついてるし!話しかけれる雰囲気じゃねーし!しかも英語で何言ってるかわかんねー!)」
「世良さん全部顔に出てるんスけど。っていうか危ないんでハシゴ揺らすのやめてもらえません?」
「チクショー!(小声)」
達海さんに告白させるの難しい。
13.05.30
22.02.02 加筆修正