今吉と出掛ける。休日に彼と学校以外の場所で会う。
 想定外の申し出にの頭の中はパンク寸前だった。日曜日の絶望に怖気づき、言葉も発せられなかったところから一転、浮かれながら帰宅した彼女は、クローゼットの中を引っ掻き回す勢いで服を漁る。

エキセントリック 4


*日曜日*

 が駅に到着した時には、既に今吉は待ち合わせ場所に立っていた。待ち合わせには余裕を持って15分前に着く予定で家を出たのに、遠目から彼の姿を確認した彼女は急がなければと足早になる。
 心臓がうるさいほどに脈打っているのは、運動不足のくせにほとんど小走りのような形で彼の元へ向かっているからではない。制服から部活の練習着ときて、今日初めて見る私服姿にこの距離で既にやられているからだ。黒いスキニーパンツに淡い色のTシャツ、その上に灰色のジャケットを羽織る今吉は、いつにも増して大人びて見える。今日が勝負だと言わんばかりに気合いを入れてきたは、どれだけ自分が背伸びしても、彼の隣に並べば周りからは妹くらいにしか思われないのではないかと落ち込んだ。

 「今吉先輩!」
 「おぅ、おはようさん」
 「おはよう、ございます……はぁっ……すみません、遅れちゃって」
 「遅れたってまだ時間ちゃうやん。気ぃ遣って走ってきたんか?」
 「だって、先輩待たせちゃうんで……」

 肩で息をするの背中を擦り、困ったように笑う今吉は異性というよりも完全に保護者の顔をしている。やってしまったと、早速彼女は自分の行いを反省した。これでは本当に妹じゃないかと思い始めると悔しくて、周りの目は無理でもせめて彼だけには意識して欲しいと、荒い呼吸を整え胸を張った。

 「今吉先輩」
 「んー?」
 「……今日ってデートと思ってもいいんですか?」
 「さんはデートの意味知っとるん?」
 「たぶん……」
 「やったらわかるやろ?」

 意識して欲しいの半分、確信欲しさ半分で聞いてみたの面倒な質問は、綺麗にかわされる。今吉は小さく笑ってから、優しく彼女の背中を押した。


 繁華街から少し外れた駅で待ち合わせをした今吉とは、ショッピングビルの中にある映画館に向かって歩く。ゆっくりとした歩調で今吉の携帯を二人して覗き込みながら、今日何の映画を見るか話し合っていた。

 「何にする?」
 「先輩はこれが観たいとか、どんなのが好きとかありますか?」
 「何でもええし拘りもないな」
 「何でもって、じゃあこれでもいいんですか?」

 が『魔法少女シリーズ』を指差す。ピンクと水色と黄色の特徴的な髪型をした女子3人が描かれている国民的幼児向けアニメのタイトルは明らかに選択からは除外されているだろうけれど、今吉は何と突っ込むのか気になって冗談で聞いてみた。

 「ええよ、じゃあそれするか?」
 「じょ、冗談です、すみません!」

 驚くこともなく魔法少女シリーズの予約をしようとする今吉を、が慌てて止める。今吉の反応が冗談なのか本気なのか見当もつかず、好奇心で彼をからかったことを後悔した。
 慌てて謝りながらも気を取り直して、上映一覧のページに視線を戻す。

 「じゃあ……このシリーズ、今吉先輩は観たことありますか?」
 「一応全部観とる。さんはこういうん好きなん?」
 「父が好きで、小さい頃からよく一緒に観てました」
 「やったらこれするか?シリーズのスピンオフみたいやし」
 「はい!」

 魔法少女シリーズ以外の上映予定は、ドロドロした不倫モノからアニメが映画化されたものまで様々だ。今吉の好みが全くわからないは、一番男性でも知っていそうなタイトルを指差した。正義と悪が戦うアクション映画で、数十年続いている超大作。不倫や恋愛映画を観るのは終わった後が気まずくなりそうだし、かといって彼がアニメを見ている所も想像できなかったので、消去法で誰もが知っているシリーズのアクション映画が一番無難だった。
 早速空席状況を確認した今吉が丁度30分後に上映されるチケットを確保し、二人は映画館に向けて再び歩みを進める。映画館に行くのはどれくらいぶりだとか、フレーバー付きのポップコーンを買うんだと意気込むを見下ろす今吉の表情は、保護者のそれとは少し違っていた。

 上映時間の10分前に席に着いた今吉とは上着を脱ぎ、所定の位置にポップコーンをセットし、準備万端でその時を迎えた。
 右側に座る今吉が左側の肘掛に頬杖をついてゆったりと座ると、自然と顔がに近付く。彼の右隣の席も埋まっているので、と隣り合う側の肘掛を利用したに過ぎなかったが、彼女の心臓には悪かった。映画は上映中会話しなくていいので初心者のデートには丁度いいと思っていた彼女にとって、思わぬ落とし穴だ。何か話した方がいいのではとそわそわしながら、穴が開きそうなくらい今吉を見つめていると、徐々に場内の照明が落ち予告編の上映が始まった。



* * *



 緊張で映画を楽しむどころではないと思っていたも、暗闇とお馴染みのテーマソングで落ち着きを取り戻した。最終的に上映が終わり場内が明るくなった頃には、涙を拭うためにハンカチを目に押し付けることになった。
 感動はしても泣くまではいかない今吉は、思っていた以上に映画に没頭していたのか、が泣いていたことに気付いていなかった。上映後、動かないまま下を向く彼女を見て事態を把握し、眉尻を下げる。とはいえいつまでも席に座っているわけにもいかないので、彼女に鞄だけ持たせて上着を預かり、ゆっくりと出口へと促した。



 「わはは、そないに泣かんてもええやろー」
 「だって……いつもみたいなアクションで終わると思ってたんです。まさかあんなに悲しい終わり方するなんて」
 「まあ確かに思ってたよりも重い内容やったな」
 「みんなのために主人公たちが犠牲に……」
 「あぁこらこら、思い出してまた泣きなや」

 少々長めの2時間13分の映画を鑑賞し終えた二人は、少し遅めの昼食と休憩を兼ねて、同じショッピングビルの中に併設されているカフェへ移動した。
 注文を取りに来たウエイトレスがちらちらとを見ていたのに気付いた今吉は、苦笑しながら店内を見回す。映画のパンフレットでも傍らにあれば察しがつくだろうが、生憎今の二人にそのような痕跡のわかる荷物はなかった。年頃の男女、しかも女性が泣いているだなんて修羅場に見えても仕方がないものの、事情が事情なので彼は困り顔で笑うことしかできない。

 「さんは涙脆いんやなぁ」
 「いつもはこんなに泣いたりしないんですけど……今吉先輩の前で恥ずかしいのに涙が……」
 「涙脆いんは全然構わへんけど、現状ワシが泣かせとると思われてんで」
 「すみません、でも私だって先輩の前でこんな顔したくないんですぅ……ううう……」
 「別の意味でも泣きなや」

 フィクションにここまで心揺さぶられ涙を流すが、今吉は愛しく思えた。いつも予想外の行動をするから目が離せない。
 頬杖をついているのとは反対の手を伸ばして肩を優しく叩くと、赤い目をしたが鼻声で「すみません」と顔を上げた。謝罪を求めていたわけではなかったが、自分の慰めで少しでも彼女が落ち着くのなら、こうしているのも悪くない。ウエイターの誤解も解ければとも思う。
 今吉の行動に破顔したは直後に料理を運んで来たウエイトレスに、人柄なのか照れ隠しなのか何度も頭を下げて対応する。そんなところがまた彼女らしいと感じた。

 「さんはワシにないもんめっちゃ持っとるな」
 「え?」
 「ああ、気にせんといて。そや、映画の話に戻るけど、さん中盤で敵が乱入してきたときに……」

 今吉が話を逸らしたのには気付くことなく、熱心に彼の言葉に耳を傾けていた。口走ってしまったのは紛れもなく本音だったものの、突っ込まれると説明に困る。これでよかったのだと彼は内心安堵する。
 落ち着きを取り戻したは昼食とデザートを楽しみ、今吉と映画の感想を語り合った。同シリーズの他の作品の話まで堪能した後、会計を済ませて二人はカフェを後にする。


 映画を観に行く予定しかなかった二人の足は、自然と駅へと向かった。
 1日が終わってしまうのに寂しさは感じるものの、それ以上に時間を共有できたことや、たくさん話せたことで得た充実感のほうがにとっては大きい。そう言えばまだ今日は今吉に思いを告げていないなとぼんやり考えながら、半歩彼の近くへと歩み寄った。
 駅に着き同じホームで電車を待つ間、電光掲示板を眺める今吉の横顔をが見つめた。電車の到着時間を確認し終えた今吉が彼女の方を向く。ずっと横顔を見つめていたのに気付かれた気まずさよりも、視線に気付いてもらえた嬉しさが勝って、彼女から自然と笑みがこぼれる。

 「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
 「いえいえ。ワシもさんの泣き顔が見られて楽しかったわ」
 「それは忘れてください!」
 「残念やなぁ」

 いつもの調子で笑いながら意地悪を言われたりする、この時間がずっと続けばいいとは思った。昨日までは1日の中で数分会うだけで満足していたのに、それ以上を知ってしまうとこんなにも欲が出てきてしまう。

 「明日で一週間やな」

 不意に呟いた今吉の一言にの胸がざわついた。明日で約束の一週間が終わる。明日今吉に会うことが叶えば、当初の約束だと彼と付き合うことができる。
 しかしの目に、今吉は嬉しそうにも寂しそうにも映らなかった。彼は自分が会いに来るのを望んでいるのか、それとも……。押し付けるようにして毎日唱え続けた告白の台詞は、一方通行で当たり前だと思っていた。そんな告白でも彼の気持ちを動かすことはできたのか、自分の気持ちばかり優先して、彼のことを全く考えていなかったのではないかと弱気になる。
 今吉は同情の気持ちなんかでと付き合うような優しさは見せないだろう。明日、偶然彼女に見つかってしまったから付き合うことになったなんてシナリオは、彼の中に存在しない。「今吉に会うことができたのなら、それは偶然ではなく彼の仕組んだ必然」と桃井が言ったように、嫌ならのことを避けることもできるはずだ。
 明日会えるかどうかではなく、既にカウントダウンはほとんど終わっていることには初めて気付いた。ここに来て自分にできることは、もう彼の答えを待つのみだ。それでも今日の告白を最後にはしたくない。

 「私、明日絶対今吉先輩に会いに行きますから」
 「……」
 「待っててくださいなんて言えないけど、何が何でも絶対行きますから」
 「……待っとるわ」

 電車が二人の横を走り抜けて行く。その所為で今吉の言葉が聞き取れずに、何故だかは泣きそうになった。直後に彼女の待つ電車が、ゆっくりとホームに滑り込む。
 一歩踏み出したは、控えめに今吉の指先に手を伸ばした。自分から触れるのは初めてで怖かったものの、明日に会うつもりでも会わないつもりでも、今吉が今自分を拒否することはないという希望が少しばかりあった。そんな彼の優しさにまた泣きそうになる。
 慣れない手つきで、遠慮がちに指先にだけ触れるの手を振りほどくことはせず、今吉は手に力を込めるべきかどうか迷っていた。少し触れているだけなのに彼女の指先は熱く、表情や視線から緊張しているのが嫌でも伝わってくる。

 「やっぱり今吉先輩のことが好きです」
 「……おおきに」
 「こんなこと言うの重いかもしれないですけど、今日のこと一生の思い出にします」

 電車の扉が開いて数秒後、出発を告げる笛が鳴る直前に、は名残惜しそうに今吉の手を離した。小走りで電車に乗り込んで席には着かず、扉のすぐ後ろに立って真っ直ぐに彼を見つめる。
 お互いに手も振らず、声すら発さない。ただ黙って見つめ返すだけの時間が過ぎた後、電車の扉が静かに二人を隔てた。












2022/02/17