ファンサービス
ペットボトルを手に教室に戻ってきた友達が、私の顔を見るなり苦笑する。
「の彼氏、相変わらずだね」
「え?」
「丁度自販機の前で女子に囲まれてたからさ、まじまじ見ちゃった」
友達の言葉に苦笑で返した。と言うか、苦笑で返すしかなかった。
尽八がそういう人なのは私だけでなく、箱学の人間なら誰もが知っている。そして話しかける女子も、話しかけられる尽八も、何も悪いことはしていない。私が嫉妬するようなことでもない。箱根学園において、彼はお話のできるアイドルなのだ。アイドルとファン、お互いの権利は守られるべきだと思っている。
「尽八が元気そうで何より」
「やっぱ彼女の言うことは違うねー」
「そ、そういう意味じゃなくて…!最近尽八が囲まれてるとこ見ないから、ちょっと懐かしいっていうか」
「そりゃみんなの目の前で話しかけるのは気が引けるでしょ」
また苦笑するしかなかった。アイドルとファンの権利が守られるべきだと思うのは本音だけど、その均衡を少し……相手によっては大きく崩してしまった自覚がないわけではない。だから、今でも尽八に話しかける子がいることに少しだけほっとした。彼は目立つことも女子も大好きだから、遠慮してみんなが話しかけなくなってしまえば悲しむだろう。
「それでも東堂くんはマメっていうかさ。ちゃんとファンにファンサービスは続けてるもんね」
「ファンサービスかぁ」
尽八と付き合う前、彼と女子が話しているところに出くわしたことは何度もあった。廊下で歓声が上がれば自然と目が行くし、慣れないうちは女子に囲まれている男子、という構図が珍しくてまじまじと見てしまった。だからと言って、どんなやりとりをしていたかまでは知らない。彼に聞いたこともない。
友達や、他の子の言うファンサービスがどんなものかも目にしたことはなかった。自転車のレース序盤、まだ勝負が始まっていない段階で手を振って声援に応える、くらいのことは想像できる。でも、多くの子が言う「指さすやつ」とか、その他のファンサービスの内容は想像できなかった。
「大丈夫だって!ただのファンサービスなんだからさ、安心しなよ」
「心配してないよ。むしろファンサービスってどんなのか見てみたいし」
「見てみたいって……変わってるね」
「何だったらファンサービスされてみたい。お願いしたらやってくれるかな?」
溜め息と一緒に「それ、ファンの子の目の前では言わない方がいいよ」と釘を刺された。言いたいことはよくわかる。捉え方によっては嫌味だったり、所謂マウントっぽく感じられるのも理解している。
でも純粋に、尽八のファンサービスの内容が気になるのだ。テレビに出ているようなアイドルや俳優だってファンサービスするけど、一般人である彼のファンサービスとは?サインをする?名前を呼んであげる?握手をしてあげる?
この先何があっても、仮に尽八とさようならをする日が来ても、私がファンサービスを受けることはないだろう。だったら、一度でいいから体験してみたい。東堂尽八の彼女ではない、一人のファンとしての時間を。
* * *
友達との昼食を終えて一人で食堂に向かう。尽八は自転車部の人達とここにいることが多い。たまに約束して、二人で昼休みを過ごす時以外は大抵食堂だ。
広い食堂でも探せば彼らはすぐに見つかった。福富くん、新開くん、荒北くん、そして尽八の4人。後輩くんはいないようだ。
ただでさえも目立つメンバーなので、普段なら用もなく話しかけたり近付くことはしない。それでもしばらく部活は休みなしだと聞いていたし、思い立った疑問をぶつけるのは今しかないと思った。正直ここでの接触は気乗りしないけれど、話しかけても嫌な顔はされないはずだ。
丁度尽八は私に背中を向けて座っている。尽八の隣には新開くん、尽八の前に荒北くん、荒北くんの隣が福富くん。
彼らに近付くと、私に気付いた荒北くんが珍しいものでも見るような顔をした。前に座る尽八に顎で何やら合図する。振り向いた尽八が目が合うなりぱぁっと笑顔になるものだから、可愛い反応に面食らった。
「珍しいこともあるものだな?座るか?」
空いていた隣の椅子を引こうとした彼に首を振る。パチパチと数回真顔で瞬きをしてから何かを察したのか、尽八は食事を終えた後のトレーを持って立ち上がった。席から離れて時間を作ってくれようとしているようだ。
「どうしたんだ?まさかオレの顔を見に来たなんて、そんな可愛いことをわざわざ言いに来た訳じゃないな?」
トレーを返却口に運びながら、涼しい顔で一撃を食らわせにきた尽八に、いつもの調子で言い返しそうになった。でもここで言い返してしまっては計画通りにはならない。顔が緩みそうになるのを必死に我慢しながら、考えてきた台詞を絞り出す。
「と、東堂くんにお願いがあって!」
「東堂くん!?東堂くんだと!?どうした!?」
「あの、そこは突っ込んで欲しいところじゃ……」
「何だ!?何があったのだ!?」
尽八が大声で騒ぐので周囲がざわついた。しかも彼の手には食器の乗ったトレーが握られている。これ以上目立つのも、トレーがひっくり返るのもどちらも困るので落ち着くよう説得すると、彼は速足でトレーを返却口に戻しに行き、またすぐに私の目の前に戻ってきた。
「何事なのだ一体!さっき話していた『お願い』と何か関係があるのか?」
「そうなの!東堂くんにお願いがあって……!」
「なるほど、その『東堂くん』スタンスは変えんのだな?……がそう出るのなら仕方がない。とりあえずその『お願い』とやらの内容を聞こう」
「えっと、その……」
東堂くん呼びに拗ねているのか、尽八の表情は少し真剣だった。あまり真剣に聞かれるような話でもないので、お願いを言い出しにくい空気だ。
でもこの距離感が重要で、尽八ではなく東堂くんと接することに意味がある。これは彼女という立場ではなく、東堂尽八のファンという設定の私からのお願いだから。
「東堂くん!私にファンサービスしてください!」
「……ム?なに?ファンサービス?」
「そうファンサービス!具体的に何をするのかわからないけど、東堂くんがいつもやってるファンサービスを体験したい!」
「……ファンサービスか」
何を言い出すんだと笑われるかと思えば、意外にも尽八はさっきよりも真剣な表情で考え込み始めた。
「アイツらに声を掛けてくる。すぐに追いかけるよ」
「わかった、じゃあゆっくり行ってるね」
期待して待っていたのにここで「指さすやつ」はしてくれないらしい。あれをするのに必要なシチュエーションや道具でもあるんだろうか。まさか自転車に乗って登場する、とか?……尽八ならやりかねない。
「オレは先に戻るよ」
「ちゃんおめさんに用事だったんだろ?気ぃ遣わせちまったかな?」
「気にするな。よくわからんが、オレにファンサービスされたいらしい」
「?」
「ハァ?意味わかんねェヨ!」
* * *
食堂を出たところで待っていると、尽八はすぐに現れた。そして横に並ぶなり、私の右手を取って指を絡ませる。これには私も周囲の女子も「え」とか「きゃ!」という言葉が飛び出たし、空気が沸いた。校内で手を繋いで歩く、なんてしたのはこれが初めてだ。
「東堂くん、これはファンサービスですか……?」
「『女子と手を繋いで歩くオレ』を見たいファンへのファンサービスだよ」
「じゃあ私へのファンサービスではない……?」
「厳密に言えばそうなるな」
私がファンサービスを体験したいのに、周りにファンサービスしてどうする。手を繋ぎたくないとかそういう事ではなく、兎に角今は一人のファンとして接してもらいたい。いつもファンの子にするようにファンサービスして欲しい。
こうなれば強行手段だ。繋がれていた手をゆっくり離してから、いつか見たファンの子がしていたように、胸の前で両手を組んでみた。
「あの、初めましてです!東堂くんとお話できて嬉しいです!」
「相変わらずそういう設定か……まぁ自分から自己紹介してくれる女子もいるにはいるが」
心なしかジト目の尽八を見上げて頑張って笑顔を作る。彼の表情以外は完璧に東堂尽八とそのファン、という空気になっているはずだ。
「さん、確かこの前のレースも来てくれていたな。他の子達と一緒に応援していたのが見えていたよ」
「……え?私はいつも通り、一人で山の中腹辺りに陣取っていたのですが」
「おい!そこはファンの子になりきらんのか!以外は大抵固まってスタート地点で応援してくれるのだよ!」
「あっ、そういう……」
今のはファンの名前を呼ぶというファンサービスと、ファンを覚えていることを伝えるというファンサービスだったらしい。自己紹介をした後だったので名前を呼ぶのは難しくなさそうだけれど、顔を覚えているとは。友達が尽八のことをマメだと言った理由がよくわかった。顔を覚えてもらって、応援が届いているだなんて言われれば嬉しいに決まっている。
苗字で呼ばれて、咄嗟に自分のことと混同してしまったのだけは致命的なミスだった。今は尽八の中では「さん」はファンで「」は私、という区別らしい。尽八は普段のファンサービスを心掛けてくれているようなので、私もしっかりとファンになりきらなくては。
「それではさん、またレースの応援に来てくれるのならよろしく頼むぞ」
「あ、はい!活躍期待してます」
「そろそろ彼女が戻ってくる頃合いだからな、失礼するよ」
「ありがとうございました……?」
お礼を述べても「失礼する」と言ったはずの尽八が動く気配はない。私がこの場を立ち去れと言う事だろうか。
「……おい」
「え?」
「もうは戻って来たのか。ファンサービスは以上だ」
「おしまい?もう?」
側にあった無人のベンチに足を組んで座った尽八が、もう一度「以上だ」と言った。彼にしては珍しく、気の抜けた表情で青空を見つめている。疲れさせてしまったのかもしれない。
私と手を繋いで歩いたのは、ファンサービスにカウントするか微妙なところだとして、その他は普通の高校生のするファンサービスとしては十分だった。こんなことを日々繰り返しているだなんて、最早普通の高校生ではない気もするけれど、内容としては常識の範囲内だ。
「ファンサービスを体験したいと言ったな?」
「うん」
「何を期待していたのかはわからんが、ファンサービスは応援してくれる女子に感謝を述べたり、話しかけられれば返したり、そんなものだぞ」
「指さすやつは?」
「あれはレース前に、沿道で応援してくれている女子ファンにするものだよ」
「じゃあ普段はやってもらえないの?」
「頼まれればやらんこともない」
「やるんだ」
「言うなればコンサートでアイドルがファンに『見てるぞ!』と意思表示でするのと同じだからな。今オレの目の前には一人しかいないのに、そんな意思表示など必要ないな?」
「……そういう言い方はずるいよ」
静かに笑ってから尽八がベンチを優しく叩く。立ちっぱなしだったので言われた通りに隣に座って彼の横顔を見上げると、白いカチューシャが太陽に反射して光った。
ごくごく自然な形で尽八の手が私の肩に伸びる。相変わらず空を見つめたままの彼に肩を抱かれながら、これはファンサービスじゃないな、これがファンサービスじゃなくてよかったなと安堵した。
* * *
5限目の授業は体育で、女子は外でハンドボールだ。本気でもサボるわけでもなく、適度に身体を動かして楽しみながらボールを追いかける。
グラウンドはほとんど全ての教室に面していた。その教室の中には尽八のクラスも含まれていて、こうして体育なんかで教室が見えると、彼がこっちを見ていないか期待してしまう。距離だって遠いし、はっきりと顔が見えるわけでもない。それでももし、尽八がこっちに気付いたらロマンチックだな、なんて。
「あれ、東堂くんじゃない?」
ボールをパスした後に聞こえた「東堂くん」の名前にすぐに反応して、ずらりと並ぶ教室の窓の一つに目をやる。尽八のクラスの数人が立ち上がって、教室内を移動しているのが見えた。その中に、窓際の手すりに身体を預けながら、こっちを見つめる人物が一人。きらりと反射する何かが彼のトレードマークだとすぐに気付いた。
手すりに身体を預けるのをやめた尽八の身長が少し高くなったかと思えば、彼は右手でこちらを……恐らく私を指さした。彼も授業中だというに堂々としたその姿から、ドヤ顔をしているのが想像できる。「のこと、ちゃんと見ているぞ」と尽八の声が聞こえた気がした。重症だ……だとしてもこれは嬉しい、かもしれない。
ああ、これがあの噂の「指さすやつ」かと、ファンサービスをコンプリートしてにやにやしていた私の後頭部にボールが飛んできたのは直後のことだった。自分がよそ見していたのが原因だとしても、痛いものは痛い。あまりの痛さに頭を抱えながらしゃがみこむ中、聞こえてくるのは女子の黄色い声だった。
「きゃー!東堂さまー!」
「東堂くんがこっち指さしてる!」
一部の女子が騒ぐのも無理なかった。あの距離からでは誰を指さしているか、本人に聞かなければわからない。
たんこぶになっていないかと、ぶつけた部分を擦りながらもう一度尽八の方を見た。彼は指をさすのをやめて、両手で手すりを握り、落ちるのではと心配になりそうな勢いで、窓から身を乗り出していた。私の頭にボールが直撃するところを見られたに違いない。恥ずかしくなりながら片手を挙げると、彼は身を乗り出すのをやめて窓際から姿を消した。尽八が先生に怒られていないか心配だ。
箱学メンバーのわちゃわちゃを書きたくて、ヒロイン視点なのに4人のやり取りを無謀にも出しました。
2022/05/02