※巻島夢なのに東堂の出番が尋常じゃないです。やらかし東堂。
3コールで諦めて
タマゴサンドから小さな卵の欠片が落ちた。表情を変えることなく、巻島さんは落ちた欠片を目で追う。部室の床に着地した欠片を長い指で摘まんで、タマゴサンドとセットで買ったであろう、牛乳が入っていた袋へと落とした。
前におにぎりを食べていた時も似たようなことがあったのを思い出す。その時落ちたのは卵の欠片ではなく海苔で、同じようにして摘まんで、袋に回収していた。
私もあの指で摘ままれてみたい。卵と海苔が羨ましくて出た溜め息、先輩に聞かれていないだろうか。
「……ちゃんと回収したっショ」
視線に気付いた巻島さんがこっちを見て呟いた。どうやら私の目は「落ちた卵、ちゃんと拾ってくださいね」と言いたげだったらしい。
実際には卵拾ってくださいね、とは思っていない。先輩の指が長くて綺麗だとか、欲を言えば私のことも回収して欲しい、なんてもっと不純なことは考えていたけれども。
そんなことはとても言えないので「見てました!さすが先輩です!」と、笑いながら返すしかできないのが今の私である。
ここまで来るのには正直、それなりに時間がかかった。
学年が違う私と先輩は部活でしか接点がない。その上部活の内容としては、長時間自転車で山や道路へと走りに行くのがメイン。校外にいる時間も長くて、顔を合わせる時間が少ない。
それでも本音を言えばもっと巻島さんと話したかったし、同じ空間にいたかった。だから付き合っているわけでもなく、完全に私の片思い状態のまま、毎日のように昼休みはお弁当を持って先輩の教室へ通った。それくらいしか、学年の違う私が先輩と過ごす時間を増やす方法を思いつかなかったのだ。
周りの目には「懐いている後輩」ではなく「片思いしている後輩」として映っていたと思う。何なら先輩だって薄らと、後輩の気持ちに気付いているかもしれない。
それでも巻島さんは私に何も言わなかった。毎日毎日、異性の先輩のクラスにやってくる後輩なんて不自然極まりないのに、変わらずに接してくれる優しい先輩だった。
そんな巻島さんにも小さな変化はあった。いつからか先輩に促されて、昼休みは部室で過ごすようになったのだ。私のいないところで、クラスメイトに茶化されたのかもしれない。
ただ部室で2人と言ってもドアは常に開いていて、いつでも誰でもウェルカムな状態だ。先輩なりの配慮で、密室にすることを避けているんだろう。そんなこと気にしなくていいし、何なら密室にして欲しいくらいなのに。これが私に対する巻島さんの優しさだとも答えだとも取れるけれど、このことについて話題にすることは一切なかった。
「今日はタマゴサンドの気分だったんですか?」
「……いや。偶然購買で田所っちと一緒になって」
「田所さんですか」
「時間かけて選んでたら食べる物がなくなるっショ」
小さく笑ってから巻島さんは牛乳を飲んだ。先輩が飲んでいると、牛乳がとても美味しそうな飲み物に見えてくるのが不思議で仕方ない。
「タマゴサンドだけで午後乗り切れます?今日って確か、小野田くんと一緒に山」
巻島さんの後ろにあるホワイトボードを見ながら続きを言おうとした時、机の上に置いてあった先輩の携帯が震えだした。私が言葉を飲み込んだので、部室の中は携帯のバイブの音だけになる。
先輩は頭を掻きながら携帯を見つめた。私は携帯ではなく先輩を見つめてから、最終的には携帯に視線をやった。見つめるというよりは、睨む形になっていると思う。
どうしていつもいつもいつもこの時間帯に、それもよりによって巻島さんと2人の時に!山なんて単語を発したからいけなかったんだ。きっと、私が呼んでしまった。
「……気にすんな」
「出ないんですか?」
「昨日出たの、も見てただろ」
確かに昨日巻島さんは電話に出た。一緒の空間にいるだけで、こちらにも声が若干漏れていたから、電話の相手はもちろん把握している。今日も同じ人だろう。と言うか、いつも同じ人だ。
はじめは電話する巻島さんを微笑ましく見ていた。他校にライバルがいるなんて素敵だと思う。直接話したことはないけれど、相手のことも一応知っているし、見たこともある。
それでも!私には部活の時間と昼休みしかないのに、いつもいつもこの時間にかけてこなくてもいいじゃないですか。朝でも夜でも、先輩がお家にいる時じゃダメなんですか。巻島先輩は私のものじゃないけれど、決してあなたの「巻ちゃん」でもないんですが……!
「あの、先輩」
「何ショ」
「電話、私が出ちゃダメですか?」
「ハァ?」
「私話したことないんですよ、東堂さんと」
驚くことに、このやり取りをしている間もバイブは鳴りつづけている。出るまで待つつもりなんだろうか。
「東堂と何の話するつもりショ」
「……巻島さんについて?」
「……気持ち悪ィからやめろ」
「それは冗談ですけど!」
本当は冗談ではない。そもそも、私と東堂さんの共通点は先輩と自転車くらいしかないことを、先輩も知っているはずだ。
携帯に手を伸ばすと、案の定ディスプレイには東堂尽八と表示されていた。巻島さんの友人であり、ライバルである彼に失礼なことをする気はない。ただ、少し協力して欲しいだけなのだ。
その提案に東堂さんがもし難色を示すのなら、彼は私のライバルになるだろう。そんな展開にはならないと思いたいけれど、こうも頻繁に同じ相手から電話があっては、明後日の方向へ心配してしまう。
「あ、オイ!待つっショ!」
「変なこと吹き込んだりしないんで!」
「そういう問題じゃ」
携帯を持ったまま、部室の外に出て勢いよく扉を閉めた。ドアノブがガチャガチャと動くのを横目に、先輩が簡単に出てこられないよう、扉に背中を預ける。
若干震える指で通話ボタンを押してから耳にあてると、悲痛な第一声が脳にクリーンヒットした。
『巻ちゃぁぁん!何故すぐに出ないんだよ!』
「……」
『巻ちゃん?どうした?』
「……」
『無視か?無視なのか?巻ちゃんが心配でこうして毎日電話していると言うのに!』
東堂さんの勢いに押されてこちらが黙り込んでるのにも関わらず、彼は一人で話し続けている。話すのをやめる気配もない。
こちらとしては彼を騙す意図は一切ないものの、電話に出ている私が「巻ちゃん」だという体で話は進んでいく。
『さて本題だが巻ちゃん、例の後輩とはどうなった?』
一通り自分の身の回りの報告を終えると、東堂さんは急に話題を変えた。後輩とは小野田くんのことだろうか。巻島さんも東堂さんも小野田くんもクライマーだし、巻島さんは小野田くんのことをとても可愛がっている。理由あって、小野田くんのことを相談していたのかもしれない。
『どうした、今日はやけに無口だな。まさか……!フラれたのか巻ちゃん!あれだけいい感じだったのにフラれたか!それは予想外すぎるぞ!』
背後では、巻島さんが取れてしまわないか心配になりそうなくらい、ものすごい勢いでドアノブを回している。
でも、そんなことよりもだ。例の後輩って誰ですか巻島さん。小野田くんのことじゃないんですか?フラれたって?もしかして私、地雷を踏んでしまった?
興奮気味に畳み掛けてくる東堂さんは更に続ける。
『辛い気持ちはわからんでもない。いや、本音を言えばわからんが。ほとんど毎日、会って話していたんだろう?そこまでしていて、まさかと思わずにいられんのはわかるよ』
「え?」
『……もしもし?巻ちゃんではないのか?』
黙って電話を切ることも考えた。電話を切る寸前に東堂さんが気がかりなことを言いだすから、ずっと黙って聞いていたのに思わず声が漏れてしまったのだ。
もちろん東堂さんがそれを流してくれることはなく、的確に突っ込みを入れられる。
「すみません、あの、名乗るタイミングがなくて、ずっと言い出せなくて……すみませんでした」
『何!?まさか本当に巻ちゃんじゃないのか!?それはすまなかったな!』
「私、巻島先輩の後輩の……自転車部のマネージャーしてます、2年のと申します」
『な…』
先程のテンションが嘘のように東堂さんが黙り込んだ。
東堂さんが何のことを話していたのかはよくわからない。誰のことを指していたのかもよくわからない。
はっきりわかったのは、巻島さんが小野田くんのことではなく、自分と誰かのことを相談していたということだけだった。それを心配して、東堂さんは毎日のように電話をかけてきていた。友情だ。友情でしかない。
「巻島先輩に許可取って電話にでました。申し遅れてすみません」
『い、いや、オレも先走ってしまったからな、構わんよ』
引き続き同一人物なのかと疑いたくなるくらい、東堂さんは静かだ。それとは反対に、私の後ろでドアノブをガチャガチャするのを諦めた先輩が、扉を叩きながら「開けろ!」と叫んでいる。
普段滅多に騒いだりすることのない巻島さんが、何をそんなに焦っているのか。この反応からして、もう私が東堂さんからの電話に出ることは叶わないだろうなと悟った。だとすれば、言うならチャンスは今しかない。
「あの、言いにくいことなんですけど!昼休みに巻島さんに電話するの、控えてもらえないでしょうか!」
『……ム?』
「さっきいい感じだったとかフラれたとか言ってましたけど、巻島さんからは何も聞いてないし、私まだ諦めていないので!だから、東堂さんが先輩と電話する時間、私にください!」
『ま、まさか』
背後で「もう手加減しねェからな!」と叫ぶ声が聞こえたと同時に、背中が勢いよく押された。
部室から出てきたのは肩で息をする巻島さんだ。もう先程食べたタマゴサンドのカロリーは使い切ってしまったのではと思うくらい、疲れ切っている。
二歩で距離を詰めてきた巻島さんに大人しく携帯を渡すと、先輩は携帯を耳にしてから、少しだけ私との距離を取った。
「東堂ォ!おまえまさか余計な話……」
ごにょごにょ話しているせいで会話は聞き取れないけれど、巻島さんは頭を抱えたり、ものすごく目を細めたり、口を開いたまま停止したりしている。
私が電話に出たのが、そもそもの間違いだったと言われれば否定できない。それによって先輩がおかしくなってしまうくらい、何か大変なことが起こってしまったのは確かだ。
東堂さんに「昼休み電話してこないでください宣言」をするきっかけが与えられたのは有難かった。でも、そんな宣言がまるで水の泡になるような、東堂さんとは別のライバルの存在が明るみになって平常心でいられるほど、私は図太くはない。
「東堂さんを若干ライバル視してたのは謝ります!」
「ライバル!?何のことショ!?」
「でも先輩、いい感じの人って誰ですかぁ!」
「ハァ!?」
「しかもフラれたって何ですか!告白?彼女?私何も知らなかったですよぉ!」
「どんな誤報掴まされてんだ!オレが相談してたのはのことショ!」
「こんなときまで優しくしないでくださいぃい!」
「お、オイ泣くな!東堂も叫ぶんじゃねェ!おまえら面倒くせェーーーーーんだよォ!!!!!!!」
やっちまった系東堂。
最後『ど、どどどどどうする巻ちゃん!?!?!?』と向こうで叫んでいる設定。
名前変換よりも「巻ちゃん」と「東堂」の回数のほうが多くてすみません!
2022/05/08