悪あがきに反する現象 02


 まるで寝坊した時のように、目覚めて一瞬で意識が覚醒した。今何時?今日は何曜日?ここはどこ?を、頭の中で整理しながら起き上がる。最初に目に飛び込んできたのは大量のCDとDVDで、夜の出来事を一気に思い出した。
 この部屋には私以外誰もいない。竜胆くんの姿もなかった。そっと扉を開いて顔を出してみても、リビングはしんと静まり返っている。みんな寝ているのか、それとも帰ってしまったのか。確かめるためにそろそろと部屋から出て玄関を覗き込む。私の靴の他には2、3足の靴しかない。

 案の定リビングには誰もいなかった。残された食べ物と飲み物のゴミ、それによくわからない何かのゴミと、カウンターの上に私の携帯がひっそり置いてあるだけだ。どのタイミングでかはわからないけれど、竜胆くんの仲間はもう帰ってしまったらしい。私の友人も例外ではないようで、彼も彼の妹に買ったプレゼントの紙袋もなくなっていた。携帯を確認すると時刻は10時過ぎ。どれだけ眠っていたんだろう。

 私も帰ろうとしたものの、困ったことに家主の竜胆くんの姿が見当たらない。お手洗いにも洗面所にも人の気配はなかった。黙って帰るのはどうかと思うし、鍵もかけずに家を無人にするのは怖い。お兄さんが部屋にいる可能性はあるとしても、彼の部屋に突入するのは正直気が進まなかった。
 とりあえず竜胆くんが帰ってくるのを待とう。それまで、この荒れたリビングを少しでもマシな状態にした方がいい。気合いを入れて、部屋の隅に置かれていた口の開いたゴミ袋を手に取った。
 
 暫くして玄関の方から扉の開いた音がした。手を止めてそちらを覗き込むと、昨日とは違う服を来た竜胆くんが靴を脱いでいるところだった。

 「おかえりなさい」
 「!びびった……」
 
 私が起きていたのが予想外だったようだ。眼鏡を上げながら竜胆くんが顔を上げる。コンビニ袋を片手に、リビングを見渡した。

 「もしかして片付けてくれた?」
 「勝手に帰るのもあれだし、竜胆くんを待ってる間にゴミ集めただけだよ」

 コンビニ袋をローテーブルに置いた竜胆くんは、そのままソファに座った。家主も帰ってきたことだし帰り支度をしている私に、竜胆くんはきょとんとした顔をしている。

 「食わねぇの?」
 「ん?」
 「メシ」

 コンビニで朝ご飯か昼ご飯かその両方なのか、とにかくご飯を買ってきてくれたらしい。袋からおにぎりやサンドイッチが出てくるのを見て、お菓子以外のものも食べるんだな、なんて考えてしまう。

 「いいの?」
 「オレ一人でこんな食わねぇよ」
 「お兄さんは?」
 「……兄貴は起こさないほうがいい」
 「そっか」

 正直とてもお腹が空いていたので有難い。手にしていた鞄を再び置いて、竜胆くんと一人分くらいの間隔を空けてソファに座った。好きなのを食べていいと言ってから彼がおにぎりを手に取ったので、私はサンドイッチを頂くことにした。

 「みんな何時くらいに帰ったの?」
 「多分始発出るくらい」
 「……私の友達何か言ってた?」
 「置いて帰ってもいいかって聞かれたから、いいって言ったけど」

 いいって答えたんだ。
 口では「そっか」としか言えなかったけれど、竜胆くんはやっぱり優しいなと思った。そもそもベッドを貸してくれたこともだし、叩き起こして帰れとも言わずに寝かしておいてくれて、ご飯まで買ってきてくれるなんて至れり尽くせりだ。それも昨日初めて知り合った女相手に。

 席を外した竜胆くんは、昨日私がお兄さんに渡したのと同じミネラルウォーターを2本手にして戻ってきた。「ん」と短い声と共に1本が私の目の前に置かれる。お礼を言っても聞いているのか聞いていないのか、反応は返ってこない。それでもこの自然な距離感みたいなのが心地よくて、まだ顔を合わせて24時間経っていないのが不思議なくらいだ。ただこれは私個人の感想でしかない。一方の竜胆くんはめちゃくちゃ気を遣ってくれていて、内心疲れ切っているかもしれない。


 2人で食事をしていると、おもむろに竜胆くんがテレビを点けた。日曜日のこの時間にどんな番組をしているかは知らないので、サンドイッチ片手にころころ変えられていくチャンネルをただ見送る。見覚えのあるチャンネルに戻って一周しただろう時に、彼はテレビを消した。

 「つまんねぇな」
 「この時間だもんね」
 「何か映画でも観るか」

 「行こうぜ」と急に立ち上がった竜胆くんの後を追うべく、サンドイッチをローテーブルに置いた。呼ばれるがまま付いて行く。
 竜胆くんは自室のDVDの棚の前で何やら悩んでいるようだった。暫くしてから、昨日と同じように3枚のDVDを棚から抜き取って私に差し出す。

 「どれする?」

 悩みながらDVDのパッケージの裏を読み比べているように見せかけて、私は内心別のことばかり考えていた。DVDの内容よりも、私も映画鑑賞のメンバーに入っているのかが気になって仕方がない。わざわざ私に選ばせてくれるということはそういうことなのだとは思うけれど、今から二人で映画を観るのか。それとも昨日みたいに、またわんさか人が集まるのだろうか。ご飯を食べ終えたら、ごみを出してから帰宅するつもりでいた。私には何の予定もない日曜日でも、竜胆くんの今日の予定は知らない。早く帰りたいわけではなくて、彼のことを知らなさすぎて、どうすればいいのかわからなかった。

 別のことを考えながら、なんとなく選んだのは有名な感動系フランス映画だった。観たことはなくてもタイトルは知っている。こんな映画が竜胆くんの所有するDVDに含まれていたことも、3枚の中に選ばれたのも意外だ。「これ選ぶと思った」と嬉しそうな竜胆くんと一緒にリビングに戻る。昨日と同じように彼がDVDをセットし始めた。私はそれを見守りながら、食べかけのサンドイッチを頬張った。

 昨日の恐竜映画とは全く方向性の違う映画を、二人で静かに鑑賞した。恐らく昨日竜胆くんはほとんど映画を観ていなかったと思う。でも、今は人1人は座れないくらいの隙間、僅かにお互いの姿が視界の端に入り込むくらいの距離に腰を下ろして、同じ画面を見つめている。あまりに静かなので、眠っているのではないかと竜胆くんの方を見る。眼鏡の奥の瞳が真剣だった。気になって少ししてからもう一度彼に視線を向ける。今度は視線がぶつかった。

 「何?」
 「すごく静かだから起きてるのかなって」
 「起きてるし」
 「だよね」

 それだけ言って、もう一度私は画面に視線を戻した。映画鑑賞中話したのはこの時だけだった。

 結局映画を見終った頃には13時を回っていた。その後は朝に竜胆くんが買ってきてくれたおにぎりとサンドイッチの残りと、実は一緒に買われていたサラダチキンを二人で食べながら、お互いのことを少し話した。何歳なの?とか平日は何してるの?とか、そんなありふれた質問にただ答える、そんな感じのやりとりだった。本当はもっと聞きたいことがあるのに、すぐに竜胆くんが私に質問し返してくるので、話を広げる隙はほとんどなかった。



* * *


 沈黙を挟んだり、途中テレビも見ながら、とうとう私が昨日ここに到着したであろう時間になってしまった。24時間竜胆くんの家にいたことになる。一向に起きてくる気配のないお兄さん(もしかしたら部屋にいない可能性もある)も含め、流石にこれはマズイと思い始めた。竜胆くんは人に帰れと言えないタイプなのだと、気付くのが遅すぎた。

 「私がここに来て24時間経っちゃったよ」
 「マジで?もうそんな時間か」
 「明日学校だしそろそろ帰るね」
 「オレもジムでも行くかぁ」

 私が立ち上がると同時に竜胆くんも腰を上げた。ジムに行く予定があったなんて初耳だ。

 「今からジム行くの?」
 「そうだけど?」
 「知らなかったから……ごめん」
 「何で?今決めたことだし」

 首を傾げてから竜胆くんが自室に入って行った。ジムに行く準備をしているようだ。今決めたことだということは、今日元々ジムに行く予定はなかったという認識でいいんだろうか。だとしたら今抱えているもやもやや、罪悪感が多少は晴れる。どちらにせよ長居したことには変わりないので、適当にはぐらかさずにここは竜胆くん本人にはっきり謝るべきだと思った。鞄を握りしめ、玄関でそわそわしながら彼が出てくるのを待つ。

 「会員証見つかんねぇ!」
 「大丈夫?」
 「……もうちょい探す。引き留めて悪ぃな」
 「ううんこっちこそ、こんな長い時間居座ってごめん」
 「ん?別に」

 言い返す言葉が見つからなかったので、黙って靴を履いた。背後に竜胆くんの視線を感じる。
 1日早かったしとても楽しかった。内容のある、なし、ではなくただ雰囲気にのまれていただけだけど、全てが貴重な体験だった。友人と竜胆くんに感謝だ。でも目の前の扉を出れば、きっと私がこの家に来ることはもうない。本来ここは私みたいな人間には刺激の強すぎる場所。現実離れしすぎていた。多少の寂しさを感じながら振り返ると、竜胆くんと目が合った。

 「昨日も今日も楽しかった。本当にありがとう」
 「真面目かよ」
 「……長時間お邪魔しました。会員証、見つかるといいね」
 「見つからねぇと困る」

 玄関の扉の閉まる音で、本来あるべき現実に引き戻されたような気がした。廊下はひたすらに静かで、人の気配を感じさせない。記憶を頼りに、昨日歩いた道を逆走して駅に向かった。

 電車に乗り、歩いて家まで帰り、親に適当な言い訳をして自室に入ってから一番最初に考えたことは、また竜胆くんに会いたいな、だった。漠然と、もう会うことはないとわかっている。街で偶然出会ったとしても声を掛けるべきではない。それくらいの仲だし、もし顔を合わせることがあっても竜胆くんは私の名前を忘れているだろう。でも自分の中の思い出として大事にしまっておくことだけなら、許されるだろうか。
 今お風呂に入ったら、昨日と今日のことばかり思い出してしまうんだろうな。竜胆くん、あの後ジム行けたのかな。竜胆くんのことを考えながらお風呂に入るためにネックレスを外して、それから右耳に手を伸ばした。……何もない。左耳に触れる。こっちにはちゃんとピアスが付いている。鏡をのぞきながら髪の毛を掻き分けると、何も刺さっていない右耳が露わになった。






























夢なので風呂も入らず一泊しても大丈夫…!
2022/08/20 マイキーの誕生日なのに竜胆夢