身勝手にぶらさがるララバイ


 同僚数人を引き連れてアパートの階段を上がる。全員お酒が入っているので若干テンションは高いものの、共用部分で大声を上げるような人がいなかったのは救いだった。
 一番家が近いからという理由で、私の家で飲みなおすことになったのは誤算だった。同僚の一人が以前私の家に来たことがあって、それによって最寄駅も知られていたので「さんの家ここから数駅だよね!」と言われてしまえば断ることができなかった。家が汚いとか洗濯物がみたいな理由は「気にしないから大丈夫」という一言で片付けられてしまう。足の踏み場がない程ゴミを溜めているような汚さではないからそこはギリギリクリアしているとしても、洗濯物は気にする。一応面子に男性も含まれているのだから、気にするなという方が難しい。

 家に到着して鍵穴に鍵を差し込んだ。鍵を回そうとするものの、いつもの方向に回らない。もしかしたら今朝鍵をかけ忘れたのかもしれない。お酒を飲んでいたはずなのに、頭の中が瞬時に冷静になって動きが止まった。何もわかっていない同僚たちは、談笑しながら部屋が開放されるのを待っている。
 二つ目の鍵も確かめようとしたところで、部屋の中から音が聞こえた。家の中に何かが、誰かがいる。部屋の番号を確認してみても、間違いなく私の家の部屋番号だ。間違えて違う人の家の鍵を開けようとしたわけではない。ものすごい勢いで心臓が動き出した。

 「おかえり。遅かったな」
 「……蘭?」

 まるで家主であるかのように、堂々と顔を覗かせたのは幼馴染の蘭だった。泥棒や赤の他人ではなかったことに安堵するも、今日家に来るとは聞いていないし、連絡ももらっていないはずだ。そして合鍵を渡した記憶もない。
 私が固まっている後ろで同じく同僚たちもぴたりと談笑をやめ、蘭を凝視しているのが雰囲気でわかった。先客がいるだなんて私ですら知らないのに、彼らが予知できるはずもない。

 「玄関で何やってんの?」
 「竜胆もいるの……?」

 蘭がいるということは高確率でこうなることはわかっていた。蘭より背の低い竜胆が、若干蘭を押しのけるようにして左側から顔を覗かせる。何故か竜胆は上半身裸だ。そんな格好で何をしているのかも謎だし、上半身裸の所為で厳つい刺青も見えているからか、同僚たちに動揺が走る。
 どちらかと言えば「何やってるの」は私が言いたい台詞だった。ここは私の自宅なのに、いつから貴方たち二人に占拠されている?

 「お、俺達帰るよ!」
 「また月曜日にね!」
 「お疲れー!」
 「う、うん……お疲れ」

 何も聞かず逃げるようにして、同僚たちが足早に元来た道を引き返していく。こうなっては彼らを引き留めるわけにもいかず、背中を見送ることしかできなかった。同僚の家に来て両親や兄弟が出てきたのならまだしも、親族には見えない厳つい男が二人も出て来たら私でも同じことをするだろう。関係や理由を聞く勇気もない。すっかり酔いも覚めてしまっただろう彼らには申し訳ないことをしてしまった。

 「逃げてったな」
 「二人のせいだからね」
 「オレら何もしてねぇのに?」
 「現在進行形でしてるから!」
 「とりあえず中入れよ」

 本当に家主のような振る舞いをする蘭を睨みつつ、家の中に入って扉を閉めた。しっかり鍵が閉まっていることも確認する。パンプスを脱ぐと解放感と、よくわからない疲れがどっと押し寄せてきた。
 2人は自宅にいるかのようにくつろいでいる。ピザまで注文したらしく、食べかけのが食卓に広げてあった。やりたい放題してくれている。

 「ちゃんと片付けて帰らないと出禁にするからね」
 「鍵あるから関係ねぇし」
 「っていうかそれなんだけど!何で鍵持ってるの!」
 「この前合鍵作っていい?って聞いたらいいよって言っただろオマエ」
 「そんなやり取り覚えてない」
 「寝ぼけてたんじゃねぇの?」

 ピザを齧りながらしれっと蘭が返してくる。竜胆が黙り込んでいるのを見るに、寝ぼけてるところを狙って聞いたの間違いじゃないんだろうか。
 竜胆はたまに嘘を吐けない時の反応に可愛げがある。蘭はそのあたりぬかりない。可愛げがないとも言う。

 「鍵のことは置いとくとして……何しに来たの?っていうか何で竜胆上何も着てないの?」
 「それそれ。オレが前に置いてった服どこに片付けた?」
 「服?そんなの置いてたっけ?」
 「非常用に置いてある」
 「それも覚えがないんだけど?」
 「見つかんねぇんだよな」

 蘭の横を通り抜け、寝室に移動した竜胆の後を追った。寝室にクローゼットがあるので、自分の衣類はその部屋にある。まさかとは思たもののクローゼットの扉は既に開いていて、服を片付けている引き出しが漁られた形跡があった。信じられないものを見る目で竜胆を睨む。頭を掻きながら私を見下ろす竜胆は、反省しているという様子には見えなかった。

 「マジでどこ?」
 「どこ?じゃない!何勝手に人のクローゼット引っ掻き回してるの!」
 「オレの服探してただけなんだからそんなに怒んなよ。下心とかねぇし」

 溜め息とともに吐き出した竜胆は服を諦めたのか、肩を竦めてからリビングへと戻って行った。私が勝手に怒っているように言われて心外だ。竜胆は可愛げがあると言ったけれど、こっちもこっちで兄に負けず劣らずマイペースと言うか、やはり兄弟なんだとこんな時に身に染みて感じる。

 「また服は探しとくけど、本当に服のこと聞いてないと思うよ?」
 「マジで言ってんのかよ」
 「マジで言ってるの。っていうかもしかして、目的はその非常用の服?」
 「そ。ん家の方が近かったから」

 耳を澄ますと洗濯機の動く音が聞こえた。こんな時間に洗濯機を回すなんて、近所迷惑だとクレームが入ったらどうしてくれるんだ。もう手遅れだし、2人にそういう常識は通用しないと考えて口にするのはやめた。
 非常用に服を置いておくのは構わないし着替えに来るのも問題ないとしても、どちらも私の知らないところでするのはやめて欲しいものだ。本人たちは先程から私が覚えていないだけだと主張するけれど、誓って鍵のことも服の事も聞かされていない。

 竜胆が着られるようなサイズの服を私が持っているわけがないので、彼は蘭の向かいに腰を下ろして上半身裸でピザを食べていた。着替えがないのなら彼等がこの家に来た目的は達成されない。最早、ただデリバリーピザを食べるだけの場所になっている。
 何がどうなって着替えが必要になったかは2人に聞かなかった。仕事で疲れているので、血生臭い話もぶっ飛んだ話も聞く気分ではない。酒や食べ物をこぼした、くらい平和な理由であることを願うばかりだ。
 仕方がないので私も食事に参加しようとしたものの、食卓に椅子は2脚しかない。当然彼等が占領しているので、私の座る場所は存在していなかった。仕事で疲れた後飲みに行って、帰宅してからまた別の理由で疲れているのに、家主の私は椅子に座ることすら許されないまま、ピザを頬張る幼馴染2人を眺めている。

 「ここ座るぅ?」
 「座らない!」

 そんな私に気付いた蘭が、ニヤつきながら自らの太ももの上を指差した。私が断るとわかっていて言っているのだからやはりタチが悪い。
 言い返すと手に付いた粉を払ってから蘭が席を空けた。大人しくソファに移動した蘭と入れ替わりで椅子に座って、2人の了承も得ないまま一枚のピザに手を伸ばす。こんな時間にピザなんて、後々のことを考えると恐ろしい。空腹は感じていなかったのに、何となく手に取ってしまったのだから仕方ない。

 「今晩帰る?」
 「えー、面倒くせぇ」
 「竜胆もう風呂入ったしな」
 「お風呂まで入ったの!?」
 「おぅ、気持ち悪かったし」
 「そうですか……」

 勝手に家に侵入するだけでなく、宅配ピザは頼むわお風呂に入るわ、問い詰めれば余罪がまだまだ出てきそうだ。言い返す気にもなれないので、とりあえずピザを咀嚼してその場は乗り切った。

 2人はリビングにあるL字型の大きなソファに移動してくつろいでいた。この私の家のリビングの広さに不釣り合いな大きさのソファは彼等が自分たち用に購入した物で、もちろん2人の自腹である。この家で一人暮らしを始めた際、オレたちの寝る場所がないとブーイングを食らい、だからと言ってベッドを明け渡す気もさらさらなかった私は冗談で「2人が寝られるくらいの大きさのソファでも買えば」と言い返した。その数日後、まさか本当にソファが届くなんて思いもしなかった。
 2人は私の家の広さなんか考えもせず、自分たち2人が寝そべることしか頭にない。事実、搬入業者の人が私の家のリビングを見て「本当にここに置いてもよろしいんですか……?」と確認してくるくらいには大きかった。他の家具やテレビの大きさともマッチしていないし、ソファが部屋を占領しているような違和感しかない。
 今思えばこれを受け入れたのが間違いだった。家もそこまで離れていないので、寝る場所がなければ2人は深夜でも自宅に帰っていただろう。安易に寝る場所を提供してしまった所為で、あれこれ理由をつけて彼等が翌朝まで家に居座るようになってしまったのだ。
 幸い私は一人暮らしで、他に家に出入りするような存在も今のところはいない。でも、その誰かができた時のことを考えると今から頭を抱えたくなった。恐らく、私が主張したところで2人の耳には右から左だろう。

 「私お風呂入るから、脱衣場来ないでね」
 「大丈夫、興味ねぇから」
 「余計な心配すんな」

 どうして「わかった」と一言だけ返すことができないんだろう。鼻で笑った蘭と、疑いをかけられるのは心外だと言わんばかりの竜胆に見送られ、複雑な気分でリビングを後にする。女として見られたいとか意識して欲しいとかそういったのとは違う、別の悔しさが込み上げてきた。私のことを一体何だと思っているんだろう。

 湯船にお湯を溜める元気も、お風呂に時間をかける元気もなかった私は、シャワーで済ましてからリビングに戻った。ソファの上には竜胆一人が寝そべっていて、私の存在に気付くと携帯から顔を上げる。

 「蘭は?」
 「多分寝てるよ」
 「……どこで?」
 「のベッド。あっちの方が寝心地いいからって」

 リビングを通り過ぎて寝室を覗く。電気が消された暗い部屋の中、ベッドの上に薄らとふくらみを感じる。私が扉を開けて寝室に光が差し込んでもそのふくらみは身動き一つせず、寝たふりでなければ既に夢の中に旅立っていた。
 たった数時間の間に目の当たりにした彼等の暴走の締めくくりがこれだ。ベッドのほうが寝心地がいいのは理解できるけれど、何のために私があの馬鹿みたいな大きさのソファと生活を共にしていると思っているのか。何か2人を怒らせるようなことでもしたのだろうかと問いたくなるような、斬新なフィナーレだった。

 「蘭多分もう寝てる」
 「だろうな」
 「私今晩こっちで寝るから、ソファ半分貸してね」
 「添い寝してやろうか?」
 「結構です!」

 溜め息を吐きながら寝室から戻ると竜胆が起き上がっていた。冗談を交わしつつ隣に座ったところで反対を向くように言われる。言われるがまま身体の向きを変えた。両肩に手が伸びてきて、親指で筋肉が刺激される。所謂肩揉みをしてくれているようだ。

 「ガチガチだな」
 「頑張って働いてる証拠だから……っあー!痛い!」
 「強すぎた?」
 「もっと優しくして」
 「……」

 適度な指圧がデスクワークで凝り固まった私の肩に効く。先程とは違った意味で溜め息がこぼれた。身体を包む温かさと疲れが眠気を誘う。この数時間でのあれこれも、こんな終わり方をするのなら許してしまいそうだ。
 眠っている蘭は、竜胆がこうして私を労ってくれていることなど知りもしない。せめて蘭も大人しくソファの上で睡眠をとってくれていれば「終わりよければ全てよし」の精神で、今回のことは水に流せたかもしれない。

 「何してんだよ」
 「!?びっくりした。寝たんじゃなかったの?」
 「目ぇ覚めた。それより楽しそうなことやってんなぁ?」
 「蘭、悪いこと企んでるでしょ?今竜胆が真面目に肩揉んでくれてるんだから邪魔しないで!」
 「へー。真面目にねぇ」
 「どこからどう見ても真面目だろ。なぁ?」
 「ぎゃー痛い痛い!竜胆悪ノリしないでいいから!」

 寝室から出てきた蘭と竜胆に挟まれる。2人とも悪い顔をしていて、また変なスイッチが入ってしまったようだ。先程あれだけいい子だった竜胆も、今や完全に蘭側に堕ちてしまった。
 こうなった2人には、例え寝室に逃げようともすぐには寝かせてもらえないだろう。どちらか片方が(主に蘭が)寝ると言い出さない限り終わりそうにない夜。長期戦を覚悟した私は、クッションを掴んで防御態勢に入った。



























2022/10/08