星屑が降る予感


 「佐野」と書かれた表札の家は、想像していたよりも立派で和風な佇まいだった。特別珍しい苗字ではないので、本当にここが佐野さんの家で合っているのか不安になる。近所にまだ他の佐野さんが住んでいてもおかしくはない。
 先生から渡されたメモには、走り書きされた住所だけが載っている。地図はないので番地だけが頼りだけれど、目の前の佐野さんのお宅は表札しかなく、番地はどこにも見当たらなかった。メモと表札を交互に何度も見比べるものの、状況は何も変わらない。

 「何してんの?」
 「!?」

 焦りながら声が飛んできた方を見ると、金髪の男の子が怪しむように目を細めながらこちらに近付いてきていた。サンダルを履いているので、歩くたびにぺたぺたと独特の音を響かせている。着ているのは同じ中学の制服に見えるけれど、変わった形の学ランでもないので確実にそうだとは言い切れない。
 通行人はまばらとは言え、住宅街の中の特定のお宅の前で立ち尽くしていては不審者と思われてもおかしくない。制服姿だとしても、怪しく見える人には見えるだろう。不審者は挨拶されるのを嫌がると聞いたことがあるし、同じ原理で彼も私に声をかけてきたのだろうか。挨拶と言うよりも職務質問をされる気持ちを想像しながら、男の子に弁解を試みる。

 「あの、私クラスメイトの佐野さんのお宅を探していまして……」
 「何で?」
 「……ノートを借りたんですけど、返すのを忘れてしまって」
 
 転校して数日、席が近くになったのが佐野さんだった。彼女は一見派手で話しかけにくい雰囲気があるけれど、実際は私が困ってフリーズしていると声を掛けてくれた優しい女の子だった。授業も途中からの私に、佐野さんはノートを貸してくれた。
 宿題がある教科にも関わらず、ノートを借りっぱなしなのに気付いたのは佐野さんが帰った後だった。佐野さんの連絡先もクラスメイトの連絡先も知らないので、彼女にノートを返すことを一度は諦めた。でも、帰宅して佐野さんが困ることになっては親切にしてくれた彼女に申し訳ない。
 先生に事情を話して住所を教えてもらい、直接ノートを返しに来たのまでは良かった。ノートを返しに来ただけなのに何故か今、私は知らない男の子に絡まれている。

 謎の圧を放つ男の子に怖気づきながら、これでは本当に職務質問みたいだと変な汗が出る。通りすがりの男の子に詳細な事情まで説明する必要はないけれど、そんなことを言い返せる雰囲気でもなかった。
 黙り込んでしまった彼は何を考えているのか全くわからない。彼に納得してもらうべく、鞄からノートを取り出して表紙を見せた。そこには「佐野エマ」と佐野さんのフルネームが書かれてある。手の込んだ悪戯でもない限り、こんなものは準備できないはずだ。

 「なーんだ、エマのダチか」
 「いや、えっと」

 友達と表現されて言葉に詰まる。佐野さんとはクラスで一番話すけれど、連絡先も知らないし友達と言えるほど仲が良いとは言えなかった。
 そんなことを彼にいちいち説明する理由はないにせよ、どうやら彼は佐野さんの知り合いらしいので、ノートを返すという意味では一筋の希望が見えてきたかもしれない。

 「エマ帰ってんのかな」
 「ここ、佐野エマさんのお宅で合ってるんですか?」
 「うん。こんな時間だしまだ帰ってねぇと思うけど、とりあえず入れば?」
 「いえ、あの」

 ノートが返せればいいので、家にお邪魔することは想定していなかった。最悪佐野さんの家がここで間違っていないのなら、本人がいなくてもノートをご家族の方に託すことができればそれでいい。
 佐野さんが留守だとして、先程も言ったように彼女と友達と呼べるほどの間柄ではないし、私が家で待ち構えていては驚かれるだろう。直接佐野さんにノートを手渡せるのが一番だけれど、家にお邪魔してまでそれをするのは彼女的に困るのではないかと悩む。

 「何?」
 「どなたか、佐野さんのご家族の方っていらっしゃらないですか?」
 「目の前にいるよ」
 「え?」
 「ココ、オレん家」

 男の子は堂々と門をくぐる。広い敷地内に点在している中の、母家と思われる建物の方に歩いて行ってしまった。「エマー!」と大声で叫んでいるものの、返事は返ってこない。
 彼はもしかして佐野さんのお兄さん?だとすれば同じ制服を着ているのにも納得がいく。見た目が派手なところも似ているし、兄妹と言われればそんな気もしてきた。
 お兄さんが一人でどんどん進んでしまうので、私も仕方なく後を追うために敷地内に足を踏み入れた。彼がノートを預かってくれる気配は今のところ全くない。だからと言って、佐野さんとは友達ではないと彼に説明するのも何となく気が引ける。
 玄関に到着したお兄さんが振り向いた。どうやら私のことを待ってくれているようだ。申し訳ないので小走りで向かいながら、佐野さんが早く帰ってきてくれることを祈るしかなかった。



* * *



 佐野さんは帰宅しておらず、母家に人の気配はなかった。お兄さんは私をリビングに案内すると何も言わず姿を消してしまい、気が付くと私は佐野家のリビングに一人で突っ立っていた。
 勝手に座るのはどうかと思うし、何も言わずに帰るのは論外だ。控えめな声量でお兄さんを呼んでみるものの反応はなく、とにかくじっと待つしかなかった。彼が私の相手をする理由はないにしても、初めて家に来た人間を一人で放置することに抵抗はないんだろうか。
 部屋を見回すのは不躾だとわかっているけれど、一人で話し相手もいないとなるとどうしていいかわからず、半径1メートルの範囲を動いてみたり少しだけ辺りを見回してみる。普通の食卓とリビングで、変わったところは何もなかった。
 あとどれだけの間この時間が続くんだろう。佐野さんは仕方ないとして、お兄さんはどこに行ってしまったのか。思わず溜め息が漏れたところでリビングの扉が開いて、お兄さんが顔を覗かせた。彼は制服から私服に着替えていて、リビングから消えた意図を理解した。一声かけてくれればと思うものの、クラスメイトのお兄さんにそんな指摘をできるはずがない。

 「適当に座りなよ」
 「ありがとうございます……」
 
 お兄さんは冷蔵庫を開けてお茶を準備し始めた。お構いなくと声を掛けてみるものの、彼の返事は「んー」という曖昧なものだった。
 お兄さんが立ってあれこれしているのに座るのも気が引けて、数メートル後ろから黙って彼を観察する。男子にしては長めの髪、それに加えてあまり身長が高くないこともあって、後ろ姿だけ見ていると女子みたいだ。ただ、半袖と半ズボンから覗く手足は程よく筋肉質で、やはり男子なんだなと思わされる。
 お兄さんが準備してくれたお茶を食卓テーブルに置いたので、自然とそこに座ることになった。私の目の前にもう一つ湯呑が置かれて、彼と向かい合う形になる。

 「これ、仕方ねぇからオレのわけてやるよ。エマのダチだから特別な」
 「ありがとうございます」

 どこから取り出したのか、お兄さんはどら焼きを二つテーブルの上に置くと、一つを私の目の前に差し出した。美味しそうなどら焼きだ。もう一つのどら焼きに噛り付く彼は、大きな黒い瞳でこちらを見つめてくる。嘘を全て見透かされそうな独特の雰囲気を纏った彼の瞳は、出会った時同様何を考えているのかわからない。

 「どら焼き嫌い?」
 「いえ、好きです!いただきます」
 「ん」

 口の中をどら焼きでいっぱいにしているお兄さんはそれだけでも可愛いのに、首を傾げて尋ねてくるものだから可愛さが増していた。改めて見ると綺麗な顔をしているのに気付いたけれど、相変わらず彼が私を見つめているので、とりあえずどら焼きの包みを解く。どら焼きは好きだし、お腹が空いていたのも本音だ。
 あまりお兄さんの方を見ないようにしようと思ってはいたものの、視線を感じながら口を開けるのはとても気まずかった。相手に悪気がないとしても、食べるところを見られているというのはこんなにも緊張感のある行為だったのか。こんなことを意識したのは初めてだった。数分前に知り合った相手と一対一なことも関係しているとは言え、お互いに言葉を交わさない中で咀嚼音とどら焼きの包み紙だけが音を立てる空間は、居心地がいいとは言えなかった。

 「エマ、真面目に授業受けてる?」
 「……はい。多分」
 「多分って」
 「佐野さん私より後ろの席なんです。でも貸してくれたノートも綺麗だし、きっと真面目に授業受けてるんだと思います」
 「ふーん、そっか」

 早々にどら焼きを食べ終えたお兄さんが包みを潰す。こうなると私が一人口を動かすことになってしまい、彼の視線を更に感じるような気がした。小さく笑みを浮かべている彼は、質問を続ける。

 「エマと仲良いの?」
 「あの、えっと……実は」
 「何?」
 「私転校してまだ3日で、あんまりクラスにも馴染めてなくて」 
 「うん」
 「そんな中、声掛けてくれたのが佐野さんで……。だから仲良しかって言われると」

 本当は友達だなんて言うのもおこがましいと思っている。私は仲良くしたいと思っているけれど、佐野さんがどう思っているかはわからない。
 嘘を吐けなくて、話の流れでお兄さんに本当のことを言ってしまった。どんな反応をされるのか心配になって彼の顔を見たら、彼は変わらない表情でこちらを見ていた。

 「エマと仲良くしてやってよ」
 「?」
 「エマがダチ連れてきたの初めてだからさ。まぁ連れてきたってのとはちょっと違ぇけど」

 てっきり佐野さんは友達が多いのだと思っていた。可愛いし優しくて、女子も男子も放っておかなさそうな印象だった。でも思い返してみれば、あまり他の子と話しているところを見かけることはなかったかもしれない。
 まだ3日しか顔を合わせていないので、お兄さんの言っていることの真意はわからなかった。だとしても、彼にそのことについて尋ねるのは違う気がした。

 「佐野さんの気持ちはわからないですけど、私は佐野さんと友達になりたいって思ってます」
 「うん」
 「佐野さんが私にノートを貸してくれたみたいに、今度は私が佐野さんを助けてあげられたらって」
 「……ありがとな」

 お兄さんが優しい表情で笑う。何があったのかはわからないけれど、こういう雰囲気になるとやっぱり兄妹なんだなと思わずにはいられない。こんな優しいお兄さんのいる佐野さんが羨ましくなってしまった。
 こんな話を人にするのは初めてで、言った後で途端に恥ずかしさが込み上げてくる。手元に残ったどら焼きの包み紙を畳むフリをするために、お兄さんから視線を外した。必要以上に折り目を付けながら、丁寧に丁寧に包み紙を小さくしていく。

 「っていうか、さっきから佐野さん佐野さんって、オレも佐野さんなんだけど」
 「そ、そうですね」
 「エマのことはエマって呼べばいいじゃん」
 「いきなり名前呼びですか?」
 「だってエマだし。オレのことはマイキーでいいよ」
 「まいきー?」
 「そう言えばオマエ、名前は?」

 先程とは違う表情でお兄さんが笑う。お兄さんの名前がマイキー?妹がエマだからあまり違和感はないけれど、それでも日本人離れした名前に驚いた。
 その後も佐野さんが帰宅したらお兄さんのことはマイキー、佐野さんのことはエマと呼べと念を押される。お兄さんは本人からの申し出なので構わないとして、佐野さんに関してはいきなりすぎると反論したものの、お兄さんは折れなかった。何を言っても「ダメ!」「ムリ!」「ヤダ!」と返されるので、最終的に私が彼の主張を受け入れるしかなかった。


 
 「マイキーもう帰ってるのー?」
 「あ、帰ってきた」

 そうこうしているうちに玄関からエマちゃんの声がして、マイキー先輩が席を立つ。急に緊張し始めた私もその場で立ち上がって、あたふたしながらエマちゃんのノートの存在を確認し、彼女を出迎えるためにスタンバイした。

 「おかえりー」
 「ただいま……ってさん?」
 「エマちゃんおかえりなさい……!」
 「何処行ってたんだよ?、エマが帰ってくんの待ってたのに」
 「え?何?どういうこと?」

 勇気を振り絞って、第一声でエマちゃんの名前を呼んでみる。案の定エマちゃんは困惑した様子でリビングに入ってきた。帰宅して特に仲の良いわけでもないクラスメイトが自宅にいるだけでも驚きなのに、そのクラスメイトが兄と普通に会話していたり、急に自分を名前で呼んだりすれば混乱もするだろう。
 エマちゃんはマイキー先輩と私を何度も交互に見つめた。どこから説明するべきか悩んだ挙句、まずはきっかけからだとノートを差し出す。

 「ごめんね、いきなり家にいたらびっくりするよね」
 「確かにびっくりしたけど……」
 「エマちゃんから借りてたノートを返したくて、先生に住所聞いたの」
 「わざわざ?明日でもよかったのに、ごめん」
 「エマー、そこはありがとうでいいじゃん」
 
 ちらちらとこちらに視線を向けてはくれるものの、どことなく恥ずかしそうにしているエマちゃんがノートを受け取ってくれた。最初困惑していた彼女はマイキー先輩の口添えのおかげもあってか、話が進むにつれて緊張が解れてきたようだった。
 
 「それよりも何でマイキーさんと馴染んでるの!?」
 「家の前で不審者がうろついてるなーと思って声掛けたらエマのダチだって言うし、エマが帰ってくるまで相手してただけ」
 「どうせ無理矢理連れてきたんでしょ」
 「お茶とお菓子でちゃんとオモテナシしたし」
 「そういう問題じゃないの!っていうか何で連絡くれなかったの?連絡くれたらもっと早く帰ってきたのに」
 「……」
 「さんとのお喋りに夢中で忘れてた?」
 「……オマエが帰ってくんの遅ぇのが悪い」

 連絡がなかったことに腹を立てているエマちゃんと帰りが遅かった彼女に腹を立てているマイキー先輩で、軽い兄妹喧嘩が始まる。そもそもの原因が私なので慌てて仲裁に入って謝罪すると、2人は私の存在を思い出したようで落ち着きを取り戻してくれた。申し訳ないと思った反面、言い争う姿が微笑ましく、少し羨ましかったのは今は言わないほうがよさそうだ。




 「マイキー、もう暗くなってきたし家まで送ってあげてよ」
 「いいよー」
 「大丈夫だよ!一人で帰れると思うから……!」
 「思うって言ってる時点で心配じゃん。土地勘ないんでしょ?」
 「それはそうだけど……」
 「ウチ夕飯の準備しなきゃだし、ウチが送ってくにしてもどうせ帰りにマイキーに来てもらうだろうし。だったら始めからマイキーに頼んだ方がいいでしょ?」

 エマちゃんはエプロンを着用して、既に夕飯の準備モードに入っていた。マイキー先輩に私を送らせるための演技にも見えないし、佐野家のお母さんは帰宅が遅いのだろうか。

 「マイキーと一緒なら絶対に絡まれることないし、道教えてもらいながら帰ったらいいよ」
 「……うん」
 「えー、バイクは?」
 「バイクはダメ!びっくりするから今度にして!」

 エマちゃんの一言にマイキー先輩が不貞腐れる。バイクと言われて思い浮かんだのは一般的に原付と呼ばれているものや、ワイルドなおじさんが乗っていそうな大きいものだけど、中学生はバイクの免許を取れないはずだ。家は純和風の外観でもインターナショナルな雰囲気が漂うご家庭なので、佐野家では自転車のことをバイクと呼んでいるのかもしれない。

 「送れなくてごめんね。また今度ゆっくり遊びに来て」
 「ありがとう……!」
 「それじゃあ明日学校でね」

 玄関まで見送りに来てくれたエマちゃんに手を振って、佐野家を後にした。隣には私を送る羽目になってしまったマイキー先輩が歩いている。

 「こんなことになってしまってすみません」
 「いーよ、気にすんなって」

 佐野家と家の正確な位置関係がわからないので家までどれだけかかるかもわからず、とりあえず住所を伝えてマイキー先輩と一緒に歩く。道が暗いせいで彼の表情はよく見えない。

 「次送るときはバイク乗せてやるよ」
 「ありがとうございます。自転車の二人乗りなんていつぶりだろう」

 私が道を覚えて一人で帰れるようになっても、マイキー先輩やエマちゃんは心配して送ってくれるような気がした。二人の優しさもだけれど、「次」の約束をしてくれることが嬉しい。彼につられてなのか、エマちゃんが私のことを名前で呼んでくれるようになったことも、学校で会った時よりもずっと打ち解けた雰囲気になれたことも、今日は嬉しいことがたくさんあった。これも全部、あの時私に声をかけてくれたマイキー先輩のおかげだ。
 最初は強引なやり方に思えたものの、マイキー先輩のすることは何故か許してしまいたくなる雰囲気を持っている。私もそうであったように、最終的には受け入れる形に納まってしまうのだ。彼にはそういう能力と言うか、才能があるのではないかと思う。
 私がマイキー先輩の隣で恐らくにやにやしていると、彼は不思議そうに首を傾げた。おかしな奴だと引かれているのかもしれない。

 「は?チャリ?何の話?」
 「え?次はバイク乗せてくれるって……」
 「バイクはバイクじゃん」
 「自転車ではなく?」
 「オレのバブをチャリと一緒にすんな!」

 マイキー先輩はポケットに手を突っ込んで、悔しそうに小石を蹴った。バイクって本当に世間一般の人が言うバイクなんだろうか?彼は中学生のはずで?バイクにも乗れないはずで?
 私の横でふわふわとなびくマイキー先輩の綺麗な金髪が何を指すのか。転校前の学校にも数人、こんな感じの生徒は存在していた。彼らは学校では所謂問題児扱いで、いろいろな意味で目立っていたのを思い出す。
 マイキー先輩が不良。髪の毛を染めて無免許でバイクに乗って、恐らく派手な不良だ。もしかしたら妹のエマちゃんも?クラスメイトがあまり彼女に話しかけない理由が、これで繋がったような気がする。
 隣で口を尖らせているマイキー先輩は、まだ不貞腐れているようだった。今度お邪魔する時はどら焼きを買っていくと提案すると少し機嫌が直ったようで、次は自慢のバイクに乗せてくれると改めて約束してくれた。そんなマイキー先輩のことを、とてもとても……可愛いと思ってしまった。



























可愛いマイキーしか知らない夢主。
不良の世界では年上に「くん」付けでいいのかもしれないけど、普通の中学生は「くん」や「さん」付けしないような気がしたので「マイキー先輩」にしました。ものすごい違和感。
2022/10/29