※「星屑が降る予感」と同じ夢主設定ですが、前作を読まなくても問題ありません
※お下品な話なので苦手な方はご注意ください

混沌白濁氷菓


 もうすぐ夏休みも中盤に差し掛かろうという頃、エマは訪問者のために朝から準備を進めていた。学校に行く必要はなくても、変わらずに料理、洗濯、掃除、その他の家事は基本的にエマの仕事だ。兄のマイキーが自主的に手伝うことはあまりない。仮に手伝いを頼んだとしても、エマの望んだ結果になることは少なかった。ならば自分でしてしまったほうが早いと結論が出るのは当然で、家事に関することはマイキーに期待していなかった。

 エマは朝食を作り、洗濯をして、リビングを綺麗に片付けた。今日は友人のと一緒に宿題をする予定になっている。友人とは言え、散らかった我が家を見せるのは避けたい。
 当初、エマは自室にを招待しようと考えた。しかし自室のローテーブルは十分な大きさとは言えず、リビングの方が二人で広々と勉強のできる食卓があって快適だ。祖父は自室か道場にいることが多いし、マイキーもごろごろするなら大抵自室なので、邪魔者らしい邪魔者もいない。以上の理由から、場所はリビングでいいだろうと判断した。
 ある程度宿題を片付けてしまえば残りの時間はお喋りの時間になるため、以前話題にした雑誌も勉強道具と一緒にリビングに持ち込んだ。片付け以外の準備も終えて、慌ただしい午前中になった。

 予想外だったのは自室から戻ったエマがリビングの扉を開けた瞬間、知った顔三人がリビングのソファを占領するように座っていたことだった。
 一人はエマの兄マイキー、この人は家族なのでリビングにいようともおかしくない。勉強の邪魔になるようなことをするなら出て行ってもらうだけだ。問題は残りの二人で、一人は頻繁に佐野家に来るドラケン、もう一人は二人の共通の友人である三ツ谷だった。日頃何をしているかまでは知らなくても、マイキーもその友人たちも基本的に家の外にいることが多いので、この様な光景はエマにとって珍しかった。項垂れるようにしてソファに腰を下ろす三人に冷たい麦茶でも飲むかと尋ねながら、エマが冷蔵庫の扉を開ける。

 「珍しいじゃん、どうしたの?」
 「外が暑すぎて死んだ」
 「まだ死んでねぇよ」
 「それな」
 「……で、ウチに涼みに来たってこと?」

 炎天下の中バイクを乗り回すような彼らでも、今年の最高気温には敵わなかったらしい。麦茶を一気に飲み干しながら、それぞれがいつもよりもテンション低く、真夏の太陽に悪態をついた。

 「マイキーの部屋行かないの?」
 「あそこサウナみてぇになってんじゃん」
 「そりゃそうだろうけど」
 「マイキー前オレに格ゲーで負けたから、そのリベンジするって聞かなくてさ」
 「マジ?負けたのかよ?」
 「は?負けてねーし」
 「ハイハイ」
 「え」

 リビングに居座るような発言をするそれぞれに、エマが言葉を濁す。朝から準備していたのに、最高気温のせいで計画は実りそうになかった。勉強会場は変更するしかなさそうだ。本当はゲームをするドラケンの姿を観察していたいけれど、宿題が進まないのも困るし悩ましい。
 とにかく、リビングを2グループで共有するのは難しそうだった。勉強場所はエマの部屋に移せばいいとして、ヒートアップした三人の騒がしさを想像すると勉強どころではないかもしれない。
 だとしても彼女にとってはある意味嬉しい誤算でもあった。自分がドラケンに会うことができたのはもちろんとして、顔を合わす機会があまりない二人が、今日久しぶりに会うことになる。それはそれで、お互いの反応を見るのが楽しみだ。
 エマが時計を確認する。時間的に恐らくはまだ家を出ていないだろう。彼女のことだからスウェットやジャージ姿で家に来ることはなくても、何か準備が必要かもしれない。
 携帯を取り出してエマはにこっそりとメールを送った。「今日マイキー家にいるみたい」文章は簡潔だけれど、最後に可愛らしい絵文字を添える。このメールを見た彼女はどんな顔をしているんだろう。
 の来訪についてマイキーには直前に知らせることにして、わざわざ部屋から持ち込んだ雑誌やその他勉強道具を腕に抱えた。会場設営準備のため、自室に戻るのだ。彼女の足取りは軽かった。



* * *



 マイキーが廊下に出てきたのを見計らって、エマは彼に声を掛けた。既に大盛り上がりを見せる彼らの声は十分に騒音レベルだったので、半分無駄だとはわかりつつも一応注意しておく。しかし、一番伝えたいことはそれではない。

 「勉強するから静かにして!」
 「えー」
 「集中できないでしょ!それに、言っとくけど今日来るから」
 「は?」
 「と一緒に宿題するの」
 「聞いてねーし」
 「マイキーが急に二人連れてくるんだもん。リビング使っていいけど、その代わりインターホン鳴ったら出てね。部屋で準備してるから!」

 早口で伝えたいことだけ言って、エマは自室に引っ込んだ。廊下に残されたマイキーは一人立ち尽くしたまま頭を掻く。

 しばらくしてからマイキーがリビングに戻ると、ドラケンと三ツ谷が白熱した様子でゲームコントローラーを握りしめていた。二人を横目にソファの端にマイキーがポツンと座る。丁度三ツ谷のキャラクターがドラケンのキャラクターを空中に吹っ飛ばしたところで、二人のテンションは最高潮に達していた。くそぉ!と叫びながら立ち上がったドラケンはそのままのポーズで、やけに大人しいマイキーを見下ろす。

 「どうした?」
 「……別に」
 「いや、絶対何かあっただろ」

 リビングを出て行った時と明らかにテンションが違うマイキーに気付いた三ツ谷も、ゲームをポーズ画面にしてマイキーの方を覗き込む。

 「もしかしてエマちゃんにうるせぇって怒られた?」
 「……うん」
 「マジか。気をつけよ」
 「でもそうじゃねぇんだ」

 エマに怒れたのは事実だけれどもそうじゃないと言い出すマイキーを見て、二人は静かに顔を見合わせた。怒っているのとも不機嫌なのとも違う、普段あまり見せないマイキーの様子に不安を募らせる。

 「じゃあ何だよ?」
 「が今日、家に来るらしい」
 「誰?」
 「へー。来んの」
 「ドラケン知ってんの?」
 「エマのダチ」
 「ふーん」

 エマは自分たちと行動を共にしている事も多い。中学が違う三ツ谷は、エマが女子と話したり遊んでいるところを見たことがなく、内心女友達がいることが意外だった。しかし同時に、それの何が問題なのかよくわからない。妹の友人が訪ねてくると困ることでもあるのだろうか。それを聞くべきかどうか迷ったところで、インターホンが鳴った。

 「来たかも。出てくる」
 「おう」

 ふらふらと立ち上がったマイキーの背中を押すようにドラケンが声を掛けたものの、それすらも届いているのかわからない。
 部屋には三ツ谷とドラケンだけが残された。三ツ谷が訝しげな表情なのに対して、ドラケンはニヤリと笑いながら彼を振り返る。

 「おもしれぇもん見れっかもしれねーぞ」
 「さっきのマイキー面白いとかそういうレベルじゃなかったけど?」
 「まぁ見てればわかる」

 再び首を傾げた三ツ谷が質問を返そうとすると、リビングの扉が開いてマイキーが入ってきた。その後ろに隠れるようにして、見たことのない女子がくっついている。

 「おー、久しぶり」
 「ドラケン先輩!お久しぶりです」
 「ドラケン、先輩……」

 聞きなれないフレーズに三ツ谷が目を丸くする。直後に、初めて三ツ谷の存在を認識したも同じような表情になった。

 「会ったことねぇよな?コイツ、エマのダチの。こっちは違う中学の三ツ谷。オレらのダチ」
 「はじめまして」
 「はじめまして……」

 が三ツ谷に頭を下げると、彼女が手に持っていたビニール袋が音を立てた。思い出したようにが袋を持ち上げて、マイキーに差し出す。

 「これ、差し入れのアイスです。みなさんでどうぞ」 
 「ありがと」
 「今日みたいな日のアイスとか最高じゃん」
 
 ドラケンと三ツ谷がアイスの入った袋を覗き込もうと立ち上がったと同時に、エマがリビングに入ってきた。部屋に入った瞬間、見慣れない人口密度に驚きながらもと挨拶を交わす。

 「ごめんねー、こっち騒がしいから宿題はウチの部屋でやろ」
 「私こそいつもお邪魔しちゃってごめんね」
 「いいのいいの。あ、アイス!もしかしてから?」
 「みんなで食べようと思って」
 「じゃあアイス食べたら宿題開始だね」

 先にどうぞと言われてマイキー、ドラケン、三ツ谷の三人がアイスの入った袋の中を覗き込んだ。

 「これ迷うやつじゃん」
 「めっちゃ種類あんな」
 「余ると思うので、先輩たちがたくさん食べても大丈夫です」
 「どれにすっかなー」
 「……?」

 袋の中から何個かアイスを取り出して、真面目な顔でマイキーが品定めをする。その姿と袋の中を交互に見ながら、三ツ谷はおかしなことに気が付いた。
 アイスのラインアップが和に寄りすぎてないか……?
 口には出さないものの、一つ一つ確認していく。たい焼きの形をしたもの、小豆が固められた定番のもの、宇治抹茶金時味、いちご風味に練乳、芋の餡が入ったもの、大福のようなもの、白玉がトッピングされているもの……その他も和風で、パッケージが渋いものがほとんどだ。バニラ風味やチョコレート味といったものは一つ、二つしか入っていない。
 三ツ谷はゆっくりと覗き込んでいた顔を上げてドラケンを見た。彼と目が合う。無言のまま三ツ谷を見下ろす彼は再びニヤリと笑った。余程鈍くなければこのラインアップの怪しさに気付きはするだろうけれど、ここまでマイキーを意識したチョイスはわざとなのか、それとも無意識なのか。口元が緩みそうになるのを抑えつつ、三ツ谷はゆっくりと息を吐いた。

 「……なるほどね」
 「そーいうこと」
 「?」
 「?」

 エマの友人のはマイキーのことを意識している。恐らく、好意と呼べるようなそういう類の意識だ。そして先程リビングに戻ってきたときのマイキーの様子を見る限り、彼もまた彼女のことを何かしら意識している。
 ドラケンが言っていた通り、確かに面白いことになりそうだ。頭上にはてなマークを浮かべている当事者二人を横目に、三ツ谷は静かに袋の中からアイスを取り出した。



* * *



 それぞれがアイスを選び、さっそく袋を開封した。ドラケンがたい焼きの形をしたアイスに噛り付いた時、何かを思い出したエマが「、先に食べてて!」と言い残し、選んだ大福のようなアイスをテーブルに置いて部屋を出て行った。はまだアイスを選んでおらず、彼女を見送ってから袋の中を覗き込む。

 「うまっ」
 「、サンキューな」
 「どういたしまして」
 「はどれすんの?」
 「うーん…」
 「そのいちごと練乳のやつ、食ったことあるけど甘くて美味かったよ」
 「じゃあそれにします!」

 宇治抹茶金時味のアイスを齧りながらやり取りを聞いていた三ツ谷が、単純だなと苦笑した。
 マイキーは定番の小豆アイスの袋を破った後、オススメだというアイスをに手渡す。アイスを受け取ったもさっそく袋を開封してアイスを頬張る。

 「溶けてなくてよかった」

 独り言をこぼしながらちびちびとアイスの先端を舐めるを、三人の男が無言のまま凝視した。こんなことは考えてはいけないのはわかっているし口に出すつもりはもちろんなかったけれど、マイキーが選んだアイスの形状は直径2、3センチ程の円柱型で、太さと言い長さと言い、アレに見えなくもない。一度そう見えてしまうと、が小さな口と舌でアイスを舐めたり咥えたりする姿を見てあれこれ連想してしまう。思春期の男子にかかれば、アイス一つだって卑猥な代物へと変貌を遂げるのだ。
 ドラケンと三ツ谷はよりによってとんでもないアイスを選んでくれたなと思ったし、マイキーはマイキーで悪気はなかったので、自分のアイスと交換するか迷った。しかし、まさかそんな風に見られているとは知らないが「どうして交換するんですか」だなんて純粋な表情で尋ねてきたら、何と返せばいいかわからない。味に飽きたと言うのも、彼女が買ってきてくれたアイスなので気が引ける。

 「……お茶入れるから、オレのアイス持ってて」
 「マイキー先輩、今じゃなくても」
 「いいから」

 以外の三人は、それぞれが部屋の中の気まずい空気に気付き始めていた。自分だけが酷い妄想をしていたのではないと安堵する反面、彼女への申し訳なさは募る。
 そんな空気を察してか声を上げたマイキーは彼女にアイスを託し、冷蔵庫から麦茶を取り出した。彼女にまだお茶を出していなかったので、喉が渇いただろうなんて適当なことを言いながらグラスにお茶を注ぐ。急に麦茶の準備を始めたマイキーに対しても、は疑うことなく全て優しさだと思っている。

 「……んぅ」
 「?」
 「すみません、あの、誰かティッシュを……」
 「っちょ、マイキーティッシュどこ!」
 「……マジか」

 できるだけのことを見ないようにしていた三人だったものの、おかしな声をあげられて反射的に彼女に視線をやった。そこにはアイスの先端から流れた練乳を口からこぼしたの姿があって、ある意味目を覆いたくなるような光景だった。
 が思っていたよりも練乳は液状で、気付いた時にはもう遅かった。慌てて何かで拭おうとしたけれど右手には自分のアイス、左手にはマイキーのアイスを持っている。両方とも棒に刺さっているタイプのアイスなので食卓に置くことも叶わず、一人ではどうすることもできない彼女は焦りと混乱と羞恥心で両手を小さく震わせた。
 マイキーはの姿を見て僅かに目を見開いた後固まり、三ツ谷はティッシュがどこにあるか辺りを見回す。ドラケンだけは、ここまでくるといっそ笑ってやったほうが彼女のためなのではないかと思い始めていた。

 「せ、先輩……!アイスかティッシュを……!」

 練乳が流れてくるので出来るだけ口を動かさないように、が懇願する。マイキーはティッシュの定位置を知っているので、三ツ谷よりも素早くティッシュを抜き取ってから彼女の前に立った。
 相変わらずは両手にアイスを持ったまま、マイキーの出方を待っている。口から練乳がこぼれている姿をはしたないと思ってはいても、他の三名が別の妄想をしているとは夢にも思っていない。それでも彼女にも羞恥心があるので、顔は徐々に熱を帯び始めていた。
 マイキーには目の前で口元を汚しながら顔を染めて震えているが、口で全てを受け止め損ねたようにしか見えなかった。真っ白ではなく若干濁った練乳の色が、その妄想を更に掻き立てる。
 しかしそれは練乳であって精液ではない。自分のよく知る、甘ったるい味をした液体だ。液体を練乳だと再認識したとき、口から流れ出るそれを舐めたら甘いんだろうな、と彼は当たり前のことを冷静に考えた。精液ならば舐めたいだなんて死んでも思わないけれど、あれはただの練乳だ。

 「マイキー、先輩……?」
 「マイキー?」
 「お、おい」

 の目の前で動く気配のないマイキーを心配して、それぞれが声を掛けた。右手にティッシュを握ったままのマイキーは、ティッシュではなく自らの顔を徐々に彼女に近付ける。
 マイキーを呼ぶ声以外、誰も声を発さないし動かなかった。近付いてくる彼の顔に緊張してが瞳を閉じた時、口元にしっかりとした摩擦が加わる。
 ゆっくりと目を開けたの眼前に既に至近距離のマイキーの顔はなく、左手からアイスが優しく奪われた。

 「気をつけろよ」 
 「……ごめんなさい」
 「ティッシュあそこにあるから」
 「ありがとう、ございます」
 
 自分のアイスを何事もなかったかのように食べ始めたマイキーを横目に、とドラケンと三ツ谷が視線を合わせる。それぞれほとんど同じことを考えていたものの、マイキーのいるところでその答え合わせはできそうになかった。
 が細心の注意を払いながらアイスを再び食べ始めた時、何も知らないエマがようやく姿を現した。

 「ごめんね!洗濯物渇いてたから取り入れちゃった!」
 「ううん。アイス、先に食べちゃってごめんね」
 「それはいいんだけど……どうしたの?何かあった?」

 部屋の空気の異変を敏感に察知したエマが含む全員に尋ねたものの、返事をする者は誰もいない。心配そうな表情のエマが続きを口にしようとしたのを、ドラケンが遮る。

 「エマ、アイス部屋で食えよ。宿題すんだろ?」
 「えー!」
 「オレら勉強の邪魔しねぇように静かにしてっからさ。な?」
 「……うん」

 さり気無く部屋の移動を切り出したドラケンにエマも状況を察して、を連れてリビングを後にした。何の理由もなしにドラケンが自分たちを除け者にするのは考えられないし、隣で俯きがちなを見るに何か起こったのは明白だ。
 これは宿題なんかしている場合ではないと意気込みつつ、エマは静かに自室の扉を閉めた。



 「……マイキー」
 「マジでヤバかった」
 「言われなくてもわかってるっつーの」
 「見てるこっちもハラハラしたわ」

 既にアイスを食べ終えたマイキーはアイスの棒を咥えながら食卓の椅子に座った。ドラケンと三ツ谷も側に腰を下ろしつつ、彼の話に耳を傾ける。

 「あの練乳、めちゃくちゃ美味そうに見えた」
 「そりゃオマエ、相手がだからだろ」
 「……そうなの?」
 「はぁ?」
 「舐めようか迷ったんだけど、何かアイツ泣きそうだったからさ」
 「あそこで舐めたらオマエのことぶん殴ってたよ」
 「マイキーにも理性があって安心したわ」

 相変わらず煮え切らない表情でマイキーはアイスの棒を噛んだ。口元についた練乳が精液みたいだなんて思ったのに、あれを美味しそうだと感じた自分はどうかしてしまったのか。それに加え、見てはいけないの姿を目撃してしまった罪悪感と同時に、穢したのが自分であるかのような満足感まであって、頭の中が混乱している。そのことを考え始めると心臓がおかしな音を立てた。先程の彼女の顔が頭の中でこびりついて離れてくれない。
 椅子の背もたれ部分に顎を乗せ、小さく息を吐きだすマイキーを見たドラケンと三ツ谷は、二人同時に肩を竦めた。



























2022/11/06