ホワイトアウト 02


 買い物に出かけるために家を出た。小さなポーチとスマホと鍵だけ持って、歩き慣れた道を進む。比較的小さな規模の会社やビルの多いこの地域は休日の人通りは少なかった。それでも普段都会で人にまみれて生きている私は、この取り残されたような景色が好きだった。少しだけ肌寒さを感じる気温にも関わらず天気は良くて、背伸びしたくなる。

 「あの、すみません」
 「はい?」

 目的地のスーパーまで歩いていると、曲がり角から男性が姿を現した。人通りが少ないとは言え、急に声を掛けられた珍しさで返事をした自分の声が少しだけ上擦っていた。
 普段着には見えないきっちりとしたスーツを着込んだ男性は、長髪で派手な髪の色をしていて、おまけに耳にはたくさんピアスがついている。プライベートなのか仕事中なのか不明だとしても、こんな格好で街をうろつきながら笑顔で人に話し掛けるような人種は、ホストとかそういう類の心当たりしかなかった。休日にこんな人通りの少ない場所で声を掛けられて、尚且つ返事までしてしまったので、上手くかわせるか心配になる。

 「このビルを探してるんですけど、知ってます?」
 「ビルですか?」

 内心身構えていたところで男性がスマホを見せてきた。そこにはビルの入り口らしき写真が写っている。ここが何のビルなのかは知らなかったものの、もう少し先の交差点の辺りにこんな変わったデザインのビルがあったような気がした。

 「ゴーゴルマップだとこの辺りにあるらしいんですけど、見つからなくて」

 事情を話す男性は眉尻を下げて困ったように微笑んだ。ビルを探していただけの彼を疑ったことに申し訳なさを感じつつ、交差点のある方を指差す。

 「多分、このビルならあっちのほうにあると思いますよ」
 「あっちですか?」
 「そうです、あの交差点を左に曲がって……」

 記憶はここで途切れた。何が起こったのかわからないまま、目が覚めたら暗くて柔らかい場所に転がされていた。
 何時間意識をなくしていたのか、見当もつかない。周りの薄暗さの所為で時間の感覚も狂っていた。頭がぼうっとするし視界もかすむ。狭さと雰囲気、そして匂いから何となく車の中にいることを察しつつ、手探りで起き上がる。
 前方から音がしたと思うと急に運転席から拳銃を突きつけられ、私は固まることしかできなかった。拳銃を握っているのは先程ビルの場所を聞いてきた男性で、更に混乱する。拳銃なんて初めて目にしたけれど、私の勘がそれが本物であると告げていた。そして彼に今すぐ私を殺す意思がないことも、同時に理解した。

 逃げるなとか騒ぐなとか、とにかく彼を困らせるようなことは一切しないように言われた。逆らえば今すぐ殺すとも。彼の言っていることは嘘ではなくて、指示さえ守ればとりあえずのところは命が保障されるのだろう。彼がただ私を殺したいだけならわざわざ車で移動する必要もなく、出会い頭にでも殺せばいいのだ。
 状況は全く理解できなかったけれど、とにかく目的を知るまでは彼に従うしかなかった。頭ではわかっていても、身体は震えるし何かされる度に声を上げそうになる。一度だけ「わかりました」と返した時の声は驚くほど掠れていた。
 いつものように出掛けるまでは変わらない日常を送るはずだった。それなのに、平凡なOLが拳銃を突きつけられて、どこかに連れていかれようとしている。まるで刑事ドラマのワンシーンのようだ。どこで恨みを買ったのか、それとも誰でも良かったのかもしれない。一人で考えたところでわかるはずもないけれど、私のすぐ後ろを付いて歩く彼に尋ねる気力もなかった。


* * *


 彼の指示に黙って従い、エレベーターを降りて廊下を歩く。彼は私の後ろを歩いているので、首さえ動かさなければ歩きながら周囲を観察することができた。地下駐車場にいたときは自分がどこにいるのか全く見当もつかなかったけれど、会社と言うよりもマンションのような建物にいるようだ。ここまで誰ともすれ違わなかったものの、たまに遠くを歩く住人らしき人物を見かけた。

 目的の部屋の前に辿り着くと、中に入るように言われて素直に従った。部屋の内装を見るにやはりここはマンションのようだ。入ってすぐのスペースが玄関になっていて、左側に下駄箱があった。シンプルな玄関には靴やサンダル等はもちろん、物がほとんど置かれておらず、生活感はない。その所為もあってか、唯一下駄箱の上に置かれてあるウェットティッシュだけが浮いて見える。
 私に続いて入室した彼は、ウェットティッシュで手を拭きながら部屋の中へと消えて行った。てっきり人目がなくなれば突き飛ばされたり、暴力を振るわれてもおかしくないと思っていたので、私を無視するような態度は意外だった。勇気があれば、今ならすばやく鍵を開けて部屋の外に飛び出せるかもしれない。そんなことが頭を過り呼吸が乱れ始めたところで、彼が玄関へと戻ってきた。苛立っている様子の彼は、目が合うと舌打ちをしてから大股で近づいて来る。

 「来い」

 言われるがまま急いで靴を脱いで一歩踏み出すと、腕を掴まれて部屋の中に引きずり込まれた。外と違って、この部屋には監視カメラもなければ人の目もない。これからのことを考えると涙が出そうになる。

 連れてこられたのは洗面所だった。彼は隣接する風呂場の扉を開けて、私を突き飛ばすようにして中に入れる。体勢を崩し、風呂場の床に倒れ込んだ私を見下ろしているのが、顔も見ていないのに伝わってきた。風呂場と言えば家の中で人を殺すのに一番都合のいい場所だ。血液も何もかも簡単に洗い流すことができる。洗剤だって使い放題だ。今ここで彼が私を撃ち殺したり、その後死体を小さくするにしても、これ以上いい条件の揃う場所はそうない。死を覚悟した私は、冷たい床の上で蹲ることしかできなかった。身体の震えが止まらない。

 「服を脱げ」
 「……?」
 「聞こえてんだろ、さっさとしろ!」

 凶器が振りかざされるのだと思えば、要求されたのは服を脱ぐことだった。やはり彼には私を今すぐ殺す意思はないらしい。でもその代りに、ただ殺されるよりももっと惨いことを想像してしまった。言う通りにしなければならないのに手が言う事をきかず、カーディガンの大き目のボタンすら上手く外せない。

 「いいか、5分だ。5分やるから全身洗って出てこい。不審な行動をとったら……わかってんだろうな?」
 
 焦っているところに更に言葉が浴びせられ、何度も頷くことしかできなかった。この風呂場には窓もなく、逃げられるような手段など思いつくはずもない。恐怖でがちがちの指を使い、半ば引きちぎるようにしてカーディガンを脱ぎ捨てたのを皮切りに、身に着けていたものを全て風呂場の外に放り投げた。急いでドアを閉めて、勢いよくシャワーを浴びる。お湯が出るのを待つなんて、そんな悠長なことは考えていられなかった。その場にあった物を適当に使い、とにかく泡の立つもので全身を洗う。シャンプーだとかボディソープだとか、そんなことはどうでもいい。

 出来るだけ短時間で全身を洗い終えて、勢いそのままに風呂場から出ようとドアノブを掴む。目の前のことで頭がいっぱいだった脳は身体を洗うという命令をクリアした今、その先のことを考えてしまった。無抵抗のまま彼にひたすら従うか、最悪殺されることを覚悟して抵抗するか。今、風呂場にいるこの瞬間だけは一人だ。カミソリがあれば手首でもどこでも切って全てを回避する道もあるのかもしれないけれど、実際はそんな覚悟も勇気もカミソリもない。彼に従ったところで無事でいられる保障はなくても、私には選択肢すらなかった。
 
 洗面所の様子を窺うようにゆっくりと扉を開けると、彼の姿はなかった。その代わりに先程はなかったバスタオルと衣類が置かれているのが見えて、使えと言われているような気がした。身体を拭き、下着とその上に黒い上下のスウェットを身に着ける。下着は女性用だったけれど、スウェットはサイズが大きいので恐らく男性用だろう。
 どうしようもないので髪の毛は濡れたまま、恐る恐る洗面所から顔を出した。すると先程と変わらず苛立ちを隠そうともしない様子の彼が歩いてきて、私の髪の毛を掴む。思わず「痛い!放して!」と叫びながらも数メートル引きずられ、最終的には床に叩きつけられるような形で解放された。痛みと恐怖で起き上がることも、彼の顔を見ることもできない。床に転がったままの私に馬乗りになりながら、彼が胸倉を掴んで無理矢理顔を上げさせた。

 「よく聞け。テメエにはしばらくここにいてもらう」
 「……?」

 ここにいるとは?この部屋のこと?何のために?目的は?聞きたいことだらけの私に、彼は更に続ける。

 「外部と接触しようとしたり、ここから逃げ出そうとした瞬間殺す。仮に外に出られても、すぐに見つけ出して殺す」
 「……目的は何ですか。お金なら口座に」
 「テメエのはした金なんざ興味はねぇ」
 「……数千万くらいは、残ってるはずです」

 デタラメではなく真実だ。母が生きていた頃には全く聞かされていなかったけれど、母が亡くなった後に見つかった私名義の通帳には決して少なくはない、むしろこれまでの生活ぶりを考えると不自然なくらい多すぎる額が残されていた。お金が目的ならこれで手を引いてもらえないかと、言う事を聞かない口で必死に説明する。

 「たった数千万程度で許してもらえると思ってんのか?」
 「……」
 「コッチはもっとデケェ仕事してんだよ」
 「……私そんな大金持ってないし、あてもないです。誰かと勘違いして」
 「勘違いだったらよかったのになぁ?
 「……!」
 
 彼の口ぶりから察するに、単に趣味や欲を満たすために私がここに連れてこられたわけではないようだ。「大きな仕事」が何を指すのかは全くわからない。それでも話を聞けば聞くほど、私とは無縁にしか思えなかった。
 何かの間違いであって欲しい。彼の言葉を聞きながら、心の何処かでそう思っていた。彼は私と誰かを勘違いしているだけで、私自身に大金を作れるような価値はない。何かの間違いに決まっている。そんな淡い期待は、彼が私の耳元で囁いた名前を聞いて、全て泡となって消えた。彼は私の名前を知っている。恐らく、名前以外の事も。それがわかって今この場で受けている恐怖が全て、不運や偶然から来るものではないのだと悟った。言い返す言葉を失った私を見て、彼は目を輝かせる。

 「これでわかったか?オマエがここにいるのは、人違いでも何でもねぇ」
 「……目的は何ですか。私本当に、何も持ってないです。……それに何も残ってない」
 
 私に遺されているのは銀行口座にある数千万円と、母が亡くなるまで賃貸契約だと思い込んで住んでいたマンションだけだった。だとしても、数千万円をはした金と呼ぶ人が、マンションなんかを目当てにこんなことをするとは思えない。

 「オマエ、自分のこと何も知らねぇんだなぁ?」

 意味深な台詞を口走って、冷たい表情で彼は笑った。言われている意味が理解できないまま睨み返すと、楽しそうに口元を歪める。

 「いいか?その気になりゃオマエなんていつでも殺せるし、何なら売り飛ばすことだって簡単にできる」

 言いながら、彼は私の左胸に人差し指を突き立てた。抉るような動きをする人差し指の先端が胸に埋まる。面白半分で知らない男性に胸を触られる辱めを受けているとはわかっていても、涙は出なかった。ここで泣けば彼の思うツボのような気がしてならない。
 人間違いではなく、本当に私を狙ってこんなことをしているのなら理由があるはずだ。その気になればいつでも殺せるのに、わざわざ私を生かしている理由が知りたい。

 「……自分のこと何も知らないって、どういう意味ですか。今私が置かれている状況と、何か関係があるんですか」
 「知りてぇか?そりゃあ知りてぇよなぁ?」

 最初苛立っていたのが嘘のように、彼は上機嫌に見えた。何が彼をそうさせているのかわからないけれど、胸倉を掴んでいた手を放された私は床に寝転ぶ形になった。膝立ちになって彼は私を見下ろす。相変わらずニヤニヤと笑う口の両端には、古傷なのか怪我の痕のようなものがあった。

 「クソみたいな親から生まれたのを恨むんだな」
 「……母はもういません。半年前に亡くなりました」

 生活のために仕事をいくつも掛け持ちし、昼夜問わず寝る間を惜しんで働いていた、そんな母のことを罵られ頭にきた。母のことを恥ずかしいとか酷い親だと思ったことは一度もない。裕福とは言えない経済状態の中私を大学まで通わせてくれて、感謝はしても恨む気持ちなんてこれっぽっちもなかった。
 でもそこに噛みついたところで、状況は好転しないだろう。言い返したいのを堪えて母が亡くなった事実を話すと、彼はいっそう目を細める。

 「母親一人でガキは作れねぇだろ?」
 「……父は顔も知りません。離婚したとしか聞いていないので」

 これも事実だった。私には父親の記憶がない。私が幼い頃に離婚したのだと聞かされて育ったので、何の疑いを持つこともなくそう信じていた。父親に会いたいと思ったことも一度もない。確実に私の身体に父親の遺伝子は受け継がれているだろうけど、父親がいるという実感がなかった。
 それなのに、こんな場面で見知らぬ男から急に父親の存在を突きつけられて、どうしていいかわからなくなる。まさか生きている父が母の遺産でも足りないくらいの多額の借金でも作っていて、それを返済しろとでも言うのだろうか。そんなことを考え始めると、目の前の彼が借金取りにしか見えなくなってきた。全てが憶測の域を出ないものの、面識すらない父親の借金の肩代わりで自分の人生を棒に振るのだけは嫌だ。

 「父が何ですか。借金でも作ってあなたにご迷惑をかけてるんですか」
 「ハッ!借金!」

 大真面目に返した私の言葉を聞いた彼は、仰け反る勢いで大笑いした後急に笑うのをやめて顔を近付けてきた。数秒前と打って変わって部屋の中が静まり返る。真顔で私を見つめる彼と目が合って再び身体が震えはじめた。この人の考えていることが何一つとして理解できない恐怖、そして感情の起伏の激しさに付いて行けない。

 「逃げるより大人しくここに残るほうが得策だってわかりやすいように、あえて教えてやるよ」
 「……」
 「オマエの父親は借金作るどころか、何不自由なく生きてる金持ちのオッサンだ」

 予想外の展開に言葉を失った。父が元々裕福だったのか、離婚してから裕福になったのかなんて知りたくもないけれど、私の育ってきた家庭環境からは想像もできない。

 「元々別件で突いてやるつもりだったが、面白ぇ話を小耳に挟んでよぉ」
 「……面白い話?」

 話す前から楽しそうな表情を浮かべる彼から察するに、面白い話であるはずがなかった。それでも私は今の状況を作り出した原因を知る必要がある。やっとの思いで一言だけ言い返すと、間髪入れずに彼は話を進めた。

 「後継者問題だよ。オマエの父親の会社は規模はそれなりにデケェが、今時家族経営に拘ってる、キモくて古臭ぇ会社だ。それなのに今オマエの父親の会社は後継者がいねぇ。オマエの母親と離婚してから再婚したみてぇだが、経営が順調でもガキができねぇんじゃあ話にならねぇよなぁ?」
 「……」
 「それでうちの調査部がちょっと調べてみたら、オマエの情報がでてきたってわけだ」

 会社を経営しているという裕福な父。後継者問題。全てが初めて知ることばかりで、とても私と繋がりのある世界の話だとは思えなかった。恐怖も相まって混乱する私をよそに、彼はまるで世間話でもしているかのように淡々としている。

 「まさか離婚した女の腹ん中にガキがいたなんてなぁ」
 「それが……私だって言うんですか?」
 「テメエ以外に誰がいんだよ!」

 全てにおいて彼に圧倒されながらなんとか振り絞った声は震えていた。信じたくない気持ちが勝って発した台詞だったにせよ、答えは聞く前からわかっていたも同然だ。改めて突きつけられた現実に傷つけられただけだった。

 「最初は作り話でも聞かされてんじゃねぇかと思ってたが、ほぼほぼ裏は取れてる。今頃うちの人間がオッサンのとこに交渉に行ってるはずだ」
 「交渉……」
 「元々予定してた小銭稼ぎ程度の交渉よりも内容は大幅に、よりハードにグレードアップした。はいわかりましたで簡単に成立するような内容じゃねぇ。オマエのガキを預かってるとくれば向こうも裏取りはするだろうし、時間はかかるだろうな」
 「そんな……」
 「だからオマエを拉致した。交渉が成立するまではここにいてもらう。わかったか?逃げようとして無駄死にするより、ここで待ってりゃ生きて帰れるっつー話だ」

 彼の言いたいことは恐らく理解できた。彼の目的は私を殺すことではなくその先にある何等かの報酬だ。拳銃を突きつけられ脅されてはいたものの、その場で撃ち殺す意思がないように見えたのはそのためだろう。しかし、だからこそ矛盾を感じて私は躊躇いなくその疑問を口にした。

 「……だったら、私が逃げようとしても、あなたは私のこと殺せないんじゃないですか」
 「頭の悪ぃ奴はこれだから嫌になる」
 「!?」

 彼は内ポケットから拳銃を取り出して私の額にぴたりとくっつけた。怖いのに、見たくないのに、拳銃の突きつけられている場所に視線が向く。冷たさと重さがリアルで、それを実感した途端に呼吸が乱れ始めた。

 「オレらが真っ当な人間の集まりだと思ってんのか?別に死んだら死んだで死体寄越して終わるだけだ。何がなんでも約束を守るなんて、そんなこと誰も考えちゃいねぇよ」
 「……」
 「手間と利益のことがあるから穏便に行けばラッキーっつーだけの話で、こっちの状況が不利になったり面倒なことになりそうならオマエのことはさっさと始末するってのがこっちのやり方だ。シンプルでわかりやすいだろ?」

 彼にとって私の命は本来軽くて安いものなのだと、口調から伝わってきた。いらなくなれば殺すなんて、使い捨ての物と変わりない。確かにシンプルだ。

 「死にてぇならここから出ればいい。オレは別に構わねぇぜ?ここから一歩出た瞬間、スクラップにしてやるよ」

 急に彼は「バン!」と叫び、撃った後のように銃口を上へと向けた。声を出された瞬間、本当に撃たれたのかと今までにないほど緊張が走り、私は小さく悲鳴を上げ縮み上がる。彼はお腹を抱えて、息をするのもやっとなくらい大笑いしていた。こんな悪ふざけは今は脅しであり遊びでしかなくても、いざとなれば彼は何の躊躇いもなく撃つのだろう。

 「……会ったこともない人のことを、父だとは思えません」
 「テメエの感情なんざ関係ねぇんだよ。テメエまさかこの期に及んで、まだ自分には無関係だって思ってんじゃねぇだろな?」
 「……」
 「オレらにとってオマエは金蔓だ。オマエがどう思っていようと否定しようと、血縁関係は好き勝手切れねぇ」

 最後の悪あがきは、彼の正論に何も言い返すことができずに終わった。私が父親のことをどう思おうと、親子関係であることには変わりない。そして、私が生きている限り彼らはその血縁を利用して悪事を働く。幸せになれるのは彼の組織の人間だけだ。私の命と父の会社が無事に助かっても、それで全てめでたしめでたしというわけにはいかないだろう。どんな選択をしても、もう今まで通りの生活に戻ることはできないのだと悟った。

 「わかったらここでじっとしてろ。大人しくしてりゃ殺さずにいてやるよ」

 馬乗りになるのをやめて拳銃を片付けた後、彼は部屋を出て行った。私は床に転がったまま起き上がれずに、指の感覚を確かめるかのように手を握ったり開いたりしてみる。確かにまだ生きているようだ。

 母の死を乗り越えた先にこんなことが起こるなんて、誰が予想できただろう。彼の言葉は相変わらず現実味がなかったけれど、ヤクザのような組織がこんな大がかりなことをしているくらいだから、嘘ではないような気がした。それか全てを受け入れることで、自分の精神状態を無意識に守ろうとしているのかもしれない。
 初めてここで涙が溢れてきた。彼に拳銃を突きつけられても、乱暴に扱われても、意味のわからないことを言われても出なかった涙が、両目からこぼれて耳を濡らす。優しかった母の秘密を知ってしまったショックも少なからずあったし、母以外の家族の存在も私を混乱させるだけで、とにかく涙が止まらなかった。誰か、助けて。掠れた声は誰にも届くことはない。





























三途の自宅の間取り、家具類は主にキャラクターブックを参考にしています。
2023/06/03