ホワイトアウト 05
同期入社の同僚でもあり、友人でもあったが行方不明になった。
異変に気付いたのは月曜日の朝だった。連絡もなく遅刻などしないが始業時間を過ぎても現れず、彼女のデスクは無人のままだった。個人的に彼女に連絡を入れてみても反応はない。通勤途中にトラブルにでも遭ったのか、まさか寝坊しているのか……理由をいくつか考えはしたものの、最初はそこまで大事になるとは思っていなかった。
10時、11時と時間だけが過ぎて行く中、いつまで経ってもは出勤してこなかった。相変わらず何の連絡もない。私や上司が連絡しても携帯は繋がらないまま、「電源が切られているか電波の届かないところに……」というお馴染みのメッセージ音が流れるだけだ。は一人暮らしをしているので、彼女の携帯以外の連絡先もない。流石に心配になった私は上司と話し合い、昼休みに上司と二人で彼女の家に様子を見に行くことになった。
何度もの家にはお邪魔しているので、私が上司を案内する形で彼女の自宅に向かった。最寄駅からマンションまで歩いている間もやはり彼女は電話には出ず、もどかしさが募る。
マンションに辿り着いてからまずはインターホンを押して、彼女が出るのを待った。私達の期待に反して、何度押しても反応は返ってこない。仕方がないのでマンションの管理人に事情を話し、私達が彼女の勤め先の人間であることも諸々説明したうえで、鍵を開けてもらえることになった。
管理人の後に続いて入った家の中は静まり返っていた。私と上司、管理人の3人で声を掛けながら、とにかくの無事を祈って慎重に部屋を一つずつ回っていく。もしかしたらが家の中で倒れているかもしれない。意識はあっても体調不良で動けない可能性だって捨てきれなかった。
「一人暮らしの割には広い家だな」
「元々お母さんと住んでた家なんです」
「ああ、それで……」
の家は特別面積が広いわけではないけれど、間取りは2LDKでOLが一人暮らしをするには十分だ。私がの母親の話題を出すと、上司はそれ以上何も言ってこなかった。
の母親が亡くなったのは半年ほど前だった。彼女から直接お母さんが亡くなったことを聞き、しばらく彼女は仕事を休んだ。両親が早くに離婚して、母親と二人暮らしだということは知っていたので、訃報を聞いた時は胸が締め付けられるようだった。慶弔休暇を経て仕事に復帰した彼女は何事もなかった風を装っていたけれど、辛くないはずがない。いつも通りに振る舞う彼女を見て、また辛くなった。
は緩やかに心を回復させていっているように見えたし、私も今まで通りを心掛けて彼女に接していた。お母さんが亡くなって半年。長かったのか短かったのかは私にはわからない。それでも、時間が解決してくれると思っていたところで、彼女が姿を消すだなんて信じられなかった。
玄関から順に部屋を回り、洗面所、風呂場、お手洗いと誰の姿もなかった。廊下を進んだ先のリビングに入ると、ベランダへと続く窓にはレースカーテンのみが引かれていて、日の光が差し込んでいる。廊下から入ってすぐのところにあるキッチンにも、シンクの中に水の張られた食器が数枚あるだけで変わった様子はない。キッチンからダイニングに移動した先、食卓テーブルの上にはコーヒーが三分の一ほど残されたままのマグカップが置かれていた。残したというより、後で飲もうとあえて残しているようにも見える。
その他部屋の中は荒らされた様子もなく、前に遊びに来たときと変わらず片付いていた。シンクの中の食器と、テーブルの上のマグカップだけが生活感を漂わせている。それを見る限りまだがこの家の中にいるような、何なら今にも「ごめん、コンビニ行ってた」などと言いながらから帰ってきそうな気がしてならなかった。念のためにクローゼットや押し入れも覗いてはみたものの、どこにもの姿を見つけることはできず、私達は途方に暮れる。
「……いないですね」
「うーん……。管理人さん、最後にいつさんを見かけたとかって、覚えていますか?」
「あー……最後に会ったのは土曜日のお昼前くらいだったかなぁ」
「その時の様子は?」
「様子って言われても挨拶しかしてないもんでねぇ。いつもと変わらないように見えましたよ。軽装で、旅行に行くって雰囲気でもなかったですし」
「帰宅したのは見ましたか?」
「いやぁ、それっきりです」
3人で黙り込んでリビングに立ち尽くす。本人も、何か書置きのような物も見つけられず、本当に彼女一人がこの家の中から切り取られてしまったかのようだ。不自然なものもなく、彼女を探す手掛かりはなさそうに見えた。
「とりあえず出ようか」
「……そうですね」
これ以上ここに留まってもどうしようもないと判断した上司に促され、私達は静かにの部屋から出る。心配そうに鍵を掛けている管理人さんにお礼と、警察に相談する旨を伝えてから、上司と二人でのマンションを後にした。
「さんから何も聞いてないんだよな?」
「予定とかは何も。最近は相談や愚痴も聞いてません。金曜日も、いつも通り別れただけで……」
金曜日は仕事を終えてそのまま駅で別れたけれど、帰って夕食に何を食べようとか、ドラマが楽しみだとか、そんなとりとめのない話をしたことしか記憶にない。「また月曜日に」とお互い手を振って別れたのが最後になるだなんて、少なくともその時の私には予想できるはずもなかった。
「お母さんのこと、まだ……」
「……わかりません。あまりその話は彼女としなかったので」
上司と私の間に暗く重い雰囲気が圧し掛かる。横目で見た上司の顔色は決して良いとは言えなかったものの、彼は口を閉ざそうとはしない。本人のいないところで何を話しても一方的な推測でしかなく、無意味だとわかっていても黙っていられないのは私も同じだった。のためと言うよりも、恐らく自分たちが納得できる何かを見つけたくて、私達は会話を続ける。
「こういうことになったから聞くけれど、さん恋人は?」
「ここ最近でそういう話題は……多分いなかったんじゃないかと」
「そうか。となると、失踪じゃない可能性も……」
「事件に巻き込まれたってことですか?」
私の問いに上司は静かに首を振った。わからないという意味だろう。マンションを出てから私達の間に初めて沈黙が流れた。
もしかしたら明日、明後日にでも動きがあるかもしれない。が出勤してくるなり連絡がつくなり、とにかく無事でいてくれればそれでいい。
祈るような気持ちで、もう一度だけのマンションを振り返る。影を落としている巨大な建物が、家主の帰りを待ちわびるように寂しくそびえ立っていた。
家主不在の家の中に入るには警察の許可がいるんだろうなと思いながら書きました…。
2023/06/15