私を拉致した彼は、初日以降乱暴することはなかった。ここに連れて来られてすぐの頃はいつまた床に叩きつけられたり、馬乗りの状態で脅されるのか不安でたまらなかったのに、乱暴どころか髪の毛一本触れることもなく現在に至る。
ホワイトアウト 08
今では比較的穏やかに過ごしているものの、私が一度鍵を閉め忘れて逃げようとしたのがバレたときはさすがに彼の怒りを買ってしまったと、二度目の死を覚悟した。それでも彼は「次はない」と言い放っただけで、私を殴ろうとはしなかった。手を出されることがなかった代わりに、その日を境に頑丈なワイヤーのような物で腕を繋がれることになったくらいだ。一見細めのワイヤーは自転車の鍵などに使われるような素材で、チェーンカッターでも用意しなければ切ることはできない。拘束される前より身も心も窮屈になったけれど、ワイヤーの長さは十分で、家の中ならほとんど移動することができるのは不思議な感覚だった。逃げることは困難になったのに逃げようとしなければ不自由のない状態は、真綿で首を絞められていると言っても過言ではなかった。
暴力を振るわないどころか、私にとって彼はすっかり衣食住の提供者だった。毎日彼の買ってくるコンビニ弁当で生を繋ぎ、彼の用意してくれる服に着替える。私はどこにも行かないけれど、潔癖症の彼に1日1回の入浴と着替えは欠かすなと念を押されていたのでそれを守った。むしろ、そうさせてくれるなんて有難いとすら感じる。雨風を凌げる場所で、毎晩少し薄めの毛布に包まってソファで眠る生活は、不衛生で痛い、寒い、自由がない、そう言った軟禁に対するイメージとは不釣り合いだった。
家にいてもすることのない私は、家の中を掃除することで時間を潰していた。彼が潔癖症だと知ったのと、掃除用具が一通り揃っていて、私でもできそうだったのがこれくらいだったからだ。ご機嫌取りと思われるかもしれないけれど、こんなこと程度で彼が私を解放してくれるとは思っていない。半分ご機嫌取り、半分は暇つぶしくらいにしか考えていないし、せめて家事に携わるくらいのことをしていないと本格的に自分の存在意義を見失いそうだった。
今日もいつも通り掃除を終え、いつもならソファに直行するところを、ソファには向かわずにテレビの前にスタンバイした。新たに見つけた暇つぶしを試すべく、テレビのリモコンを握る。
「このボタンだよね?」
今の生活が始まってから独り言は酷くなったと思う。無意識のうちに誰かに問いかけながらリモコンのボタンを押すと、画面が切り替わって動画視聴サービスが立ち上がった。
以前間違えてリモコンのボタンを押してしまった際、彼が動画視聴の有料サービスに加入しているのを偶然知った。毎日時間を持て余しているので、部屋を掃除した後残った時間を有効活用できるのは有難い。今まではずっとテレビを見ていたけれど、好みの番組が常に放送されているわけでもなく、このサービスへの期待度は高かった。
ちなみに、彼にテレビを見ているのは既にバレている。帰宅した彼にテレビが点いているのを見られたことがあり、何か言われるかと覚悟したもののお咎めはなかった。その時ですら完全にスルーされたので動画視聴もスルーされると踏んでいる。つくづく自由な人質だ。
検索画面に適当に知っている映画のタイトルを入力すると、ずらりと作品が並んだ。それ以外にも適当にボタンを押すだけで様々なタイトルが無限に表示されていった。今までこういうサービスを利用したことがなく、名前は聞いたことがあっても見たことのないタイトルばかりで、時間がいくらあっても消費しきれないくらいには作品がある。
「これ何だろう?」
一通り機能を確認しようと、順番にアイコンを押していたところで表示されたのは履歴画面だった。履歴を検索しているのか、画面の中心でアイコンがくるくる回るのを見ながら「ど、どうしよう」とまた独り言がこぼれる。ここに表示されるとすれば家主である彼の視聴履歴で、意図せず履歴画面を開いてしまったのを後悔した。家の中を散々荒らし回ったのに彼のプライバシーを考慮するなんておかしな話ではあるけれど、それとこれと話は別だ。彼の視聴履歴なんてここから逃げる為の何の参考にもならないし、こんな形で彼のプライバシーを侵害する気はない。焦って戻るボタンを押したのにアイコンは回転をやめてくれず、大人しく履歴が表示されるのを待つしかなかった。
罪悪感を抱えながら待つこと数秒、画面に表示されたのは「履歴はありません」という予想外の文字だった。有料サービスなのにも関わらず履歴には何も残っていない。用心深い彼が消したとも考えられるけれど、契約したのを忘れて放置したままのような気もした。
映画だと長くても2時間少々で終わってしまうので、タイトルだけ知っていた海外ドラマ「Go Astray」を視聴することにした。かなりの長編らしく、これ以上の暇つぶしはない。数話視聴してみてつまらなければ見るのをやめるつもりでいたのに、期待を裏切らない内容で今のところは当たりだった。
「Go Astray」は流行りの最新作ではないものの有名な海外ドラマで、真面目な教師があることをきっかけにドラッグの製造に関わり、それを隠すためにあらゆる犯罪に手を染め転落していくストーリーだ。嘘に嘘を重ねると取り返しのつかないことになるという典型のような内容は、たまに見ていて苦しくなる。他にいくらでもドラマはあるのにどうしてこんな暗いテーマの作品を選んだのか、自分でも不思議だった。でも、あまりに幸せに溢れている内容は今の私には感情移入できそうにないので、これくらいがちょうどいいのかもしれない。こんな私でも、暗いストーリーの中に散りばめられているお茶目なジョークで笑うことはできた。
ドラマを見ながら、彼が朝置いて行ったコンビニのおにぎりを食べた。彼のラインアップは不思議で、焼き魚の入った弁当と一緒にジャムパンが入っていたり、おにぎりだけがたくさん入っていたりする。一日一食だったり二食だったりバラバラだけれど、食事が用意されるだけ有難かった。毒が入っているのではと心配しながら食べていた時期もあったのが嘘のように、今は何も気にしていない。毒で死ぬならそれでも構わないと考え方が変わったのも、生への執着の薄れだろう。
食事を終えた後も「Go Astray」を視聴し続け、気が付けば数時間経っていた。主人公が犯罪を犯す理由は話が進むごとにどんどん利己的になっていき、ついには他人の支配から逃れるために人を殺すようになってしまった。あれだけ家族思いだった主人公が殺人を犯すまでの経緯はドラマを見ているとすんなり飲み込める流れで、状況や環境次第で簡単に人が変わってしまうのだと思い知らされる。
ドラマはフィクションでしかないけれど、今私はまるでドラマの世界の中にいるような状況に追い込まれていて、被害者として犯罪に巻き込まれるきっかけなんかその辺に転がっているのだと思わずにはいられなかった。同時に、私を被害者にした彼の顔が思い浮かぶ。彼はテレビでたまに特集が組まれているような、ヤクザとかそういう犯罪組織の一員みたいなものなのだろう。あの口ぶりだと今までにも人を殺していそうだし、犯罪に関わるのも今回が初めてではなさそうだ。自分には関係のない人たちだと思っていたのに、今や私はその一人の金蔓になってしまったと言う訳だ。
ドラマのように彼にもこんな生き方をすることになったきっかけみたいなものがあるのかもしれないと考え始めると、それはそれで複雑な心境になる。彼が私にしていることは明らかに犯罪行為なのに、私には彼が本当の意味で犯罪者なのかわからなくなっていた。
「Go Astray」の主人公とは違い、支配から逃れるために彼を殺すという選択肢は私にはなかった。もう何日も酷い扱いを受けていない所為か、まるで無愛想な人間のペットにでもなったような心境だ。とうとうおかしくなってしまったのかと、考えを振り払うように頭を振る。
どんな真面目な人でも何をきっかけに犯罪者になってしまうかわからないし、ドラマの主人公にも犯罪を犯す理由がある。お金に目がくらんだとも言えるけれど、元はと言えば家族の為にしたことだ。許されるかどうかは別として、主人公のことを悪だと言い切れる自信はなかった。それと同じように、彼の事も根本的に悪い人ではないのかもしれないと思いたくなるのは、私が病んできているからだろうか。
* * *
ドラマの主人公が死体を処理するため、タンクに液体を入れ始めたところで彼が帰宅した。おにぎりを食べた後のゴミを片付けるのも忘れていたのを思い出し、急いで袋に掻き集めながら「おかえりなさい」と声を掛けた。彼は決して「ただいま」とは返してこない。そもそも自分を拉致した犯人に対して挨拶をするなんて、私がどうかしている。
「よくこんなもん見ながら飯が食えるな」
こんなものとは死体処理シーンに対してだろう。言われてみれば、グロテスクなシーンに違いなかった。でもそんなことよりもゴミを片付ける私を見て、先程まで食事していたと勘違いした彼から反応が返ってきたのが嬉しかった。今日は機嫌がよさそうだ。
「食事したのは数時間前なので……。もしかして苦手でしたか?」
「……こういうの見ながら飯食う趣味はねぇ」
「そ、そうですよね」
軟禁生活が続いて、コミュニケーションを交わす相手は彼以外にはいなかった。相手が相手なので「仕事どうだった?」とか「今日は何してたの?」などと話しかけたりはしないし、せいぜい私から挨拶をする程度で、返ってくることも期待していない。基本的に私の存在はない者とされているのも理解していた。
それでも稀に、本当にごく稀に会話が成立することがある。先程のが「おかえり」に対する返事かは微妙なものの、コミュニケーションの相手は私で間違いない。そんな時、無性に嬉しくなってしまう。
こんな考えは異常だと自覚はあった。拉致されている人間が、犯人相手に恐怖や憎しみ、怒り以外のプラスの感情を持つことは、恐らく心理学や精神疾患の観点から何かしら名称がつけられているような事態なのだとも推測できる。
そうだとわかっていても、今私の生きる世界の中で、同じように存在しているのは彼一人だった。このマンションの一室という世界の中で、生きているのは彼と私だけ。テレビの音声は私一人に語りかけているものでもなければ、私の言葉に反応することもない。コミュニケーションの成立しない相手は、私にとって死んでいるのと変わりなかった。
彼が嫌々であっても私の面倒を見ているのは、全て交渉のためでありお金を含む利益のためだ。それは彼からも聞かされているし理解している。それをわかっていて「もう生きている理由がないから死んでも構わない」という気持ちと「人質としてでも彼に必要とされるまでは生きていたい」という気持ちがせめぎ合うときがある。生きる目的を失っていた心が、世界が狭まってしまったことで暴走しているのは明らかだった。人質としての生なんて物と同じで、本当の生ではない。それでも私が求めているのは「意味のある生」だった。母が亡くなってから凝り固まった孤独は、誰かに必要とされたいと叫んでいたのかもしれない。……だとしてもその誰かが自分を拉致した犯人だなんて、歪んでいるにも程がある。
夢主はこの病み具合(?)で話が進みます。
今更ですが潔癖の三途は海苔が散乱するの嫌がっておにぎりとか買わなさそう…。
2023/06/28