立て込んでいる仕事の合間を縫って無理矢理事務所を抜け出し、自宅に向かったのは予定時刻の30分程前だった。用事を済ませるための一時帰宅でしかないので、事務所に戻るのを踏まえて最小限の装備で車に乗り込む。
 こんな日に限って電話がひっきりなしにかかってきて、事務所を出るギリギリまで対応に追われていたのを見ていた部下は、オレがジャケットを羽織るのを見てほんの僅かながら「今?」と言いたげな顔をした。オレだって出来ることならこんな面倒なことはしたくない。時間に余裕がないので今回は見逃すが、普段なら粛清の対象になっていたところだ。

ホワイトアウト 09


 マンションに到着してからも、何度も時計を確認しながら自宅を目指した。時間指定していても多少前後するのは織り込み済みとは言え、家には何も事情を知らない女しかいないのでもたもたしていられない。
 鍵を開けて玄関に入ると、すぐ目の前で掃除機をかけている最中の人質と目が合った。コイツがテレビを見る以外に日中何をして時間を潰しているかなど興味もなかったが、まさか掃除をしているとは予想外だった。どうりで掃除機をかけてもゴミの量が少ないわけだ。人質が掃除している状況に面食らったものの、迷惑ではないので目を瞑ることにした。

 「……あの、どうかしましたか?」

 沈黙を破ったのは人質の方だった。玄関を入ってすぐのところで靴も脱がずに立ち尽くしているオレに、控えめに声をかけてくる。こんな時間に帰宅したことがないからか、今から何が起こるのか不安で仕方がないといった様子だ。

 「13時到着予定で荷物が届く。それを受け取りに帰ってきた」
 「……そうですか」
 「オマエには任せられねぇからな」

 頼めるものなら荷物の受け取りくらい頼みたかったが、人質を他人に接触させるわけにはいかない。手を繋がれている状態のコイツを見られるのも論外だ。助けを呼ばれるのも、通報されるのも絶対に避ける必要がある。

 「呼ぶまでトイレに篭ってろ。出てきたり不自然な行動を起こせば、業者の人間諸共殺すからな」
 「わかりました」

 掃除機を片付けた後、人質は素直にトイレに向かい扉を閉めた。それを見届けた後、再び玄関に戻って仕方なくその場に腰を下ろす。用が済めばすぐにまた職場に戻るので、着替える気にはなれなかった。

 しばらくしてほぼ予定時刻にインターホンが鳴った。業者の人間が2名やってきて軽い挨拶の後、洗面所に荷物が運ばれる。30分程で作業は終わると告げられ、オレは再び玄関で待つことになった。その間もドア越しにリビングの様子は窺っていたものの物音一つせず、まさか隣の部屋にもう一人人間がいるとは気付かれていないだろう。やがて作業が終わり簡単な説明を受けてから伝票にサインすると、業者はすぐに撤収した。

 「出てこい」
 
 トイレに向かって声をかける。恐る恐る扉を開けてこちらの様子を窺う女とまた目が合った。

 「ついて来い」

 人質を連れて洗面所に向かうと、慣れない圧迫感がそこにはあった。洗面所の一角に鎮座する大きな白い箱を前に、オレと人質は立ち尽くす。

 「洗濯機ですか……?」
 「毎日これを使って洗濯しろ。必要な物は買ってある」

 市販の洗剤の洗浄力にそこまで違いはないと考え、匂いが不快かそうでないかだけを基準に商品は選んだ。洗剤や柔軟剤を見つけた人質が、手に取って成分表示を凝視し始める。女は洗剤にケチをつけるわけもなく「わかりました」と短く返事をした。
 とりあえずこれで家でやらなければいけない用事は片付いた。女の足元に業者から渡された取扱説明書を放り投げ、適当に自分の洗濯物だけ袋に詰める。その袋を抱えて、オレは一人玄関に向かった。

 

* * *

 

 これまで生活していて、洗濯機の必要性を感じたことはなかった。洗濯機があると場所を取るし、洗濯機本体の掃除をするのが面倒だ。コインランドリーで事足りる上、幸い自分で行く時間がなければ押し付ける相手もいるので、オレ自身は何の不満もなかった。

 しかし、問題は数日前に起こった。何気ない会話の中で、いつものように外出のついでにコインランドリーに寄るか下っ端に尋ねられ、特に何も考えず流し気味に返事をした。そいつはすぐに事務所を出て行き、オレは再びトラブルの処理を再開した。

 「……あ」

 作業が一段落したところでコーヒーを啜っている最中、思わず声が漏れた。部屋にはオレ一人なので反応は返ってこない。スマホを開いて電話番号を遡りながら考えた結果……諦めて作業の続きに戻った。もうとっくに手遅れだった。

 数時間後にコインランドリーから戻った下っ端は、案の定どこかよそよそしかった。理由は聞くまでもないので、何も気付いていないフリをして洗濯物だけ受け取り、早々に部屋から追い出した。
 よそよそしかった理由はいつもと洗濯物の内容が違っていたからだろう。いつもはオレの洗濯物しかないのに、男物の洗濯物の中に明らかに女物が混ざっていて、しかもそれが人に頼まれたものとなれば複雑な心境になるのも頷ける。人質の洗濯物が増えてからは気を付けるようにしていたのに、忙しさを理由に対応がおざなりになってしまったオレのミスだった。
 オレの家に女がいると思われるのはどうでもいいが、家にいる理由が理由なだけに適当に触れ回られるのは困る。事情を話せば済む話だとしても、雑用させる程度の下っ端に今回のことについて説明するのは別のリスクもあった。かと言って無駄にフォローを入れたり、ムキになって言い訳するのも怪しまれかねない。

 どう対策をするか迷った挙句、オレは家電量販店のサイトで洗濯機を検索していた。人質の痕跡になるようなものは全て家の中で処理してしまえばいい。あと何日で人質の身柄を引き渡すのかもわからないまま、コインランドリー生活を続けるのは難しいと判断した結果だった。
 乾燥機能を始めよくわからない機能と説明が並ぶ中、サイズも測ることなく適当な物を購入した。入らなければ搬入業者にサイズを測らせて、合うものをまた運ばせればいいだろう。流れ作業のように配達日を決め、こうしてオレはいつも通販を利用するのと変わらないノリで大物の電化製品を注文してしまった。



 予定していたよりも早く搬入作業が片付いたので、時間には余裕があった。事務所に戻りいつもの場所にオレの洗濯物だけが入った袋をスタンバイさせてから、先に残っていた仕事を片付けた。
 ある程度作業を終えた後、電話で例の下っ端を呼びつけそれっぽい雰囲気の中で仕事の報告をさせる。クソ真面目に報告しているのを聞き流しながら、コイツが退室しようとするのを待った。

 「おい」
 「ウス!」
 「コインランドリー行く暇あるか?」
 「……ウス!すぐに行ってきます」
 
 パソコンから目を離すことなく声をかけていても、微妙な間を感じた。前回のことがあるので躊躇しているのが想像できて、溜め息が漏れそうになる。
 部下に断るという選択肢は存在しないので、そそくさと洗濯物が入った袋を掴んで部屋を出て行った。そいつが静かに扉を閉めたのを確認してから、特大の溜め息を吐き出す。バカじゃねぇならこれで察してくれ。



























長編の中の小話的な内容ですが、三途家に勝手に洗濯機をねつ造しました。
「棚」と書かれてあった部分の下の方に置いたという想定にしています。
2023/07/01