ここ数日でオレは疲れ切っていた。人質に関しては相変わらずいるのかいないのかわからないくらい実害がない。ごくたまに話しかけられるのと挨拶をされるの以外関わってこないし、逃げる素振りも今のところ見られなかった。それどころかあまりに暇なのか、家の中を掃除までしている始末だ。オマエはいつから家政婦になった。
 疲労の原因は人質よりも他の仕事の量が原因で、ついこの前はとうとう家に帰ることが出来なかった。人質の案件とは別で動いていた仕事で、倉庫に連れ込んだ関係者たちの口を割らせるために奔走したわけだが、今回の連中は近年稀に見る口の堅さだった。口封じの為に殺すのならまだしも、聞き出さなければならないことがあったので殺してお終い、というわけにもいかない。10時間以上拷問を繰り返し、連れて来た内の一人は死んだ。それを見ても怯まなかった残る駒2つで、どうにか任務をこなさなければならなくなった。

 その件がなんとか片付き、今日はそれを労うためという名目で、武臣だか誰かが運営しているクラブにやって来た。蓄積された疲労で酒を飲んで盛り上がるようなテンションではないし、帰って休みたい気持ちが勝る中、引きずられるようにして店に連れてこられた。正直、こいつらは何かしら理由をつけて飲んで騒ぎたいだけだ。

ホワイトアウト 13


 「テンション低いなぁ、オイ」
 「……どれだけ働いた後だと思ってんだよ」
 「数日前の話持ち出してんじゃねぇぞ!」
 「オレの仕事があれだけだと思ってんのか?」

 こっちはデカい案件に加えてその他の仕事もして休まる時がないと言うのに、関係ないやつらは能天気なものだ。オレの目の前でこうして楽しそうに酔っぱらう武臣はその代表格だった。

 「失礼ぇー、オマエらあっち行ってな」
 「えぇー!」
 「仕事の話だから、悪ぃな」

 武臣はとっくに移動していて、向こうで別の人間と騒いでいた。ようやく静かになったと思っていた矢先、後ろから声が掛けられる。オレの両端の女を散らした後代わりにその席に座ったのは、灰谷蘭と竜胆だった。一番面倒くさいタッグの登場に、嫌な予感しかしない。

 「挨拶代わりにまず一杯」
 「潰す気しかねぇだろ」
 「それはオマエ次第だな」

 竜胆が差し出したのはテキーラだ。うんざりしつつも一気に飲み干すと、二人もそれに続いた。

 「久しぶりだな、三途。元気そう……には見えねぇけど」
 「あぁ、見ての通り死んでる」

 半分本気で言い返すと灰谷兄弟はほぼ同時に笑い始めた。そんな二人を後目に「こんなつまらねぇこと言いに来たわけじゃねぇだろ?」と言い捨てる。この程度の世間話をする為に人払いしたとは思っていない。

 「例の案件、どうなったか気になっただけ」
 「……どうも何も、特に進展はねぇ」
 「マジで?」
 「嘘吐く理由があるかよ」
 「じゃあもうとっくに人質は処分済み?」
 「まだ生かしてるに決まってんだろうが」
 
 真実を話すと蘭と竜胆はお互いに顔を見合わせた。それから二人して小さく噴き出す。オレだってアイツらの立場なら同じことを考えるし、同じ質問をして、同じような反応をしただろう。二杯目のテキーラを飲みながら、笑いたいのはオレのほうだと溜め息が出た。

 人質の案件で納得出来ていないのは、計画の進行の遅さだった。もうあいつを拉致してからかなりの時間が経っている。一度目の交渉の後、人質を奪還しようとするなんていうバカな真似をしてくれたお陰で交渉内容が上書きされたわけだが、それにしたって時間がかかりすぎていると感じていた。普通ならとっくに人質が殺されていてもおかしくない。計画を立てている九井に何度聞いても「いくら同族経営でも株主の意向は無視できない」だとか「問題なく進んでいるからもう少し待て」としか返事がなく、好き勝手できないオレとしては待つしかない状態だった。下手に動いて九井に嗅ぎ付けられれば面倒だし、ここまでコイツが首を突っ込んでしまっている以上、何を提案しても今更だろう。

 「あれ以来何の話も聞かねぇから、もう片付いたか、人質殺っちまったのかと思ってたぜ」
 「殺してねぇよ。最初に言っただろ、他に応援も頼んでねぇし、内々でやってる。事情を知る人数も増やしたくねぇから、下っ端も最小限しか使ってねぇ」
 「何をそこまで慎重にする必要があんの?」
 「……九井の指示だ」
 「へぇ」

 薄々感じ始めていたことを的確に突っ込まれ、言い訳も思いつかなかった。全て九井の計画だと丸投げして、テキーラ三杯目。話にも酒にも付き合った、もういいだろうと話を切り上げようとしたところで、それを察知したかのように蘭が追い打ちの一手で切り込んでくる。

 「九井、何か企んでたりして?」
 「……」
 「あいつ、九井のとこのだろ?探り入れてみようぜ」
 
 助け舟を出すつもりなのか面白がられているのか、恐らく後者だが、竜胆が少し先のテーブルで女とはしゃいでいた男を席に呼ぶ。よく見れば、オレの家に三人の男が押し入ったときにオレと九井がお互い一人ずつ連れて行った部下で、九井のところの下っ端だった。九井は外出、オレは部下を連れて別件の仕事をしていた際、人質に食糧を届けさせた男でもある。今のところウチの組織の中で人質と直接会って会話したのはオレ、九井、そしてコイツしかいない。
 あまり深く考えていないのか、幹部三人の席に呼ばれているのにそいつは緊張した様子もなく、勧められるがまま蘭とオレの間に腰を下ろした。辺りを見回した後「オレ、場違いじゃないっスかね?」と言いながら顔は笑っている。

 「お前九井のとこの奴?」
 「あ、はい!九井さんとこのIT持ち場でやらせてもらってます」
 「ITねぇ。最近どうよ?」
 「新しい仕事も随時増えてってる感じで、常に忙しいっスね」

 いつもの調子で酒を飲ませながら、二人が何気ない会話を振っていく。オレは黙って聞いているだけだが、話は勝手に盛り上がって行った。

 「そう言えばオマエ、あっちの仕事は手伝ってんの?」
 「もちろんやりますよ。あんまり回ってくる方じゃないっスけど」

 九井は何故コイツを連れて来たんだと疑問に感じながら、とりあえず黙って四杯目のテキーラを流し込んだ。一瞬だけ蘭がこちらに目配せする。本題はここからだ。

 「最近デケェ案件手伝ってんだろ?三途のとこの」
 「はい。って言っても、二回だけ三途さんのお宅にお邪魔しただけっスよ」
 「どうだった人質?息してた?」

 先程のオレの説明に納得いかなかったのか、どうしても人質の安否が気になるらしい竜胆が食い気味に尋ねる。重要なのはそこじゃねぇだろと言いたくなるのを抑えつつ、酒を煽りながらスルーを決め込んだ。自分が留守にしている間の女のことは一切わからないものの、どうせあまり変わりなく過ごしているんだろうと大して興味も湧かない。

 「息してるも何も、あれじゃ人質って言われなきゃわかんないっスね」
 「え……ほぼ死体?」
 「いやいやその逆っス!パっと見人質って言うより、帰ったら彼女が待ってた的な?」

 蘭と竜胆が二人してオレを見る。誤解を招くような言い方をされて苛立ちながらも、冷静に言葉を探した。

 「家に女待たせてたことがねぇからわからねぇ」
 「じゃあこいつにもっと詳しく聞くか」
 「あ?おいテメェ……」
 「で?続きは?」

 期待の篭った眼差しで蘭と竜胆に見つめられれば、そう簡単には逃れられない。蘭に促された男は一瞬話を続けるか躊躇ったが、蘭が「早く喋れ」とでも言いたげに顎をしゃくったのを見て諦めたようだ。

 「三途さんの家に行ったらスウェット着た人質がいたんスよ。逃げないように繋がれてたんスけど、その他は普通の女って感じで」
 「普通ねぇ」
 「インターホン何回も押したのにシカトされたんで鍵使って入ったらトイレに立て籠もってて、説得するの苦労したっス」
 「全然普通じゃねぇだろそれ」
 「まぁそれは……ちょっと前にいろいろあったんで」

 「いろいろ」と濁して内容は二人に伏せてはいたが、三人組が押し入った日のことでまず間違いないだろう。女はあの時殴られていたし、痛みで涙も流していた。その後は今まで以上に怯えていると言うか、物音なんかに過敏になったように思う。殴られたのが余程怖かったようだ。女からしてみれば、本来自分を助けに来たはずの人間に殴られているわけだから、それもショックだったに違いない。知らない人間の訪問で人質がトイレに逃げ込んだというのも納得がいった。

 「でもまぁとにかく見た感じはめちゃくちゃ普通で、その辺にいる女と変わらないっス。しかもめっちゃいい匂いしたし」
 「いい匂い?」
 「三途さんと同じシャンプー使ってるらしくて、それで」
 「……」
 「……」
 「風呂入らせねぇと汚ぇだろ」
 「こんな感じなんで全然人質らしくないって言うか。想像できません?」
 「想像できっけどできねぇな」

 蘭はオレが潔癖だと知っているので、そういう意味では想像できるということだろう。オレにはオレのルールがある。それを人質に強要して何が悪い。
 元はと言えば「自宅に人質を連れて帰れ」と言い出したのは蘭だ。オマエがこんなことを言いださなければ今頃は倉庫でもビルの一室にでも軟禁していたことを思うと、憐みを含んだような目で見られて腹が立ってきた。
 
 「憔悴しきってんだろうなって思ってたから、何もかも意外すぎたっス」
 「オレもその点はオマエと同意見」
 「そっスよね?最初に逃げられたの以外は普通にやりとりもできたし、むしろ従順って言うか」
 「それは三途が躾けてるからだろ」
 「って思うじゃないスか?それが殴られた跡どころか、傷一つないんスよ。それでオレ、確かめてやろうと思って」

 人質に痣も傷もないのは殴る必要がなかったからだ。オレの優しさでも何でもない。女が逃げようとしないのだからこちらからいちいち関わることもないと言い返しかけた。
 相変わらず軽い調子で話を続ける九井の部下が、意味深なところで言葉を切って酒を煽る。それを見た蘭と竜胆は目線を合わせた。薄ら笑いを浮かべた蘭が男に尋ねる。

 「……何した?」
 「服の下なら何かあるのかなーって思ったんで、まぁ、ちょっと」
 「オイ、何で人質相手に発情してんだよ!」
 「前日にいろいろあって正直溜まってたんスよ!オレも女がほぼ死人みたいな状態だったら流石にそんな気起こさないっス!」
 「オマエのしようとしたことの方が余程犯罪者っぽいな」
 「でも未遂っスから!泣かれるのはまぁ想定内として、そのタイミングで丁度三途さんから電話かかってきて、それどころじゃなくなりました」
 「そこは空気読めよ、三途」

 笑い出した三人の声をよそに、オレは電話に出た女の声を思い出していた。若干上擦ったような、緊張感を孕んだような声。そんなに電話に出るのが怖いのかとあの時は不思議に思っていたが、今になってやっとその謎が解けた。

 「電話終わった後、続けりゃよかったのに」
 「三途さんに用が済んだらとっとと帰れって言われちゃったんで」
 「そこ素直かよ」
 「ハハ。まぁでも今思えば、あそこで無理矢理女犯さなくて正解でした」
 「何で?」
 「それは……何となく察してもらえれば」

 何を濁すことがあるのかわからず、オレと灰谷兄弟は顔を見合わせた。家に長時間居座られたり、汚されるのはたまったもんじゃないが、何かあれば人質が後処理をして終わりだろう。人質を殺すなり逃がすなりして計画の邪魔をしなければ、何をしようとオレには無関係だ。女に告げ口されることを恐れたのか。

 ここで誰かに呼ばれて、蘭と竜胆が席を外した。結局あいつらは人質についてあれこれ質問しただけで、九井の企みに関しては一切触れていない。残された九井の部下にオレが直接計画について尋ねるのはコイツに不信感を与えかねないし、何か勘ぐられてもいい結果にはならないだろう。
 これ以上この話を続けるのは諦めて下がるように言おうとすると、しばらく口を閉ざしていた男が真剣な眼差しを向けてくる。

 「三途さん、聞いてもいいっスか?」
 「何だ」
 「人質と何かありました?」
 「何もねぇよ」

 一日家を空けて帰宅した後、女は若干憔悴しているように見えはしたがその他は何も変わらないように思えた。飯を食ったかという質問にも簡潔に「食べました」としか言わなかったはずだ。帰宅した直後もその後も含め、特別なやり取りも報告も特にされていない。あえて言うならば、人質と何かあったのはオマエだ。

 「三途さんの家に三人組が乱入した後とかも特に?」
 「ねぇっつってんだろ。何が言いてぇ?」
 「大したことじゃないんスけどあの女、ずっと三途さんのこと心配?してたのが気になって」
 「どういう意味だ」
 「そのまんまっス。ずっと女に『三途さんは?』って質問されるし、三途さんの家でソファ座ろうとしたら『三途さんが嫌がるからやめて』って止められるし」

 ソファに座ろうとしたのを知ってコイツを蹴り飛ばしたくなったものの、人質が阻止したと聞いて少し安心した。危うくあのソファを処分する羽目になるところだった。

 「飯も三途さんの二の次っていうか。気になって本人にも身体何ともないこと聞いたら『三途さんは暴力振るったりしない』とか言い出す始末で」
 「……」
 「マジで見た目なんともないし、女は女でやたらと三途さんのこと庇いたがるからオレ、思わず三途さんと寝た?って聞いちゃいましたよ」

 何を言いだすのかと九井の部下を睨みつける。すると「女も否定してたんで、完全にオレの誤解っス!すみません!」と勢いよく頭を下げ始めて、周りが何事かとざわつき始めた。人に寄ってこられても困るのでとりあえず頭を上げさせれば、失言した本人が遠慮がちにオレを見上げる。

 「ああいう状態で三途さんに依存してるんじゃないっスかね?ちゃんと病院行きなよって本人にも言いましたけど」

 外に出るのを禁じられている身であるが故に、人質がある程度オレに依存するのは想定内ではある。あのまま放置されれば飢え死にする事になり、オレの存在が女の命を握っているという意味では、オレの心配をするのも頷けた。
 
 「女とは他に何か話したか?」
 「得には。さっき灰谷さん達に話したこと以外だと、三途さんに指示された鍵のことくらいしか」
 「……そうか」
 「今もあの子三途さんの家にいるんスよね?向こうの連中は何ちんたらやってんだか……」
 「おい、うちのが何かやらかしたか?」
 「違うっス九井さん!オレが三途さんに失礼を……」

 自分の部下がオレに詰められているように見えたのか、九井が入ってきてこの話はお開きになった。
 九井の部下が嘘の報告をしているようには思えないが、聞かされた人質の言動は意外なものばかりだった。オレのいないところでオレを庇うようなことを口にしたり、オレの嫌がることを阻止したり、意図がよくわからない。

 考え込んでいたところで今度は既に出来上がった望月が勢いよくオレの隣に座り、肩を組んできた。望月が持ってきたウイスキーの瓶が視界に飛び込んでくる。瓶を掴んで中の液体を雑にグラスに注ぎ、勢いそのまま一気に身体に流し込めば、それを見て大はしゃぎする望月と乗っかって騒ぐ下っ端たちの声が遠くに聞こえる。連日に及ぶ長時間労働に加え睡眠不足なのも全部ひっくるめて、今のオレには酒で洗い流すことしか出来そうになかった。

 


























ココのIT云々~の流れは東卍が反社になった時に原作で出てきた設定ですが、梵天も同じような道を辿るんだろうということで今回その設定でいくことにしました。
2023/07/15