ホワイトアウト 22
九井のオフィスから寄り道することなく家路についた三途とは、いつも通り帰宅してまず風呂に入った。先に風呂を済ませた彼がリビングでくつろいでいると、後に出てきた彼女が髪の毛にタオルを巻いた状態でやってきてソファに身体を預けた。
「大丈夫か?」
「……うん。ちょっと疲れちゃっただけ」
普通に過ごしていると言っても、家に閉じこもりきりだったの身体は軟禁される前に比べて精神的にも肉体的にも衰えていた。今日は外出に加え人にも会っているので、買い物や散歩に出かけるよりも疲れが出たらしい。三途はソファで丸まる彼女の姿に懐かしさを覚えつつも、精神的に彼女が追い詰められてはいないかと心配になった。
「仕事も始めるのに、こんなことでバテてちゃダメだね。早く働いてたときの感覚取り戻さないと」
「焦る気持ちもわかるが、徐々に慣らしていくしかねぇ」
「そうだね」
三途の助言を素直に受け入れたが伏し目がちに微笑む。もう少し優しい言葉をかけたほうが良かったかと思案してから、彼はタオル越しに彼女に触れた。水分を吸って重たくなったタオルを弄びながら言葉を探す。
「……前にがオレの髪乾かした時のこと、覚えてるか?」
「春千夜がものすごく酔っぱらって帰ってきた時のこと?」
「あぁ」
「もちろん覚えてるよ。本当に死んじゃったらどうしようって怖かったから」
「……仕方ねぇから今日はオレがオマエの髪乾かしてやるよ」
「本当に!?」
疲れ切っていたのが嘘のように目を輝かせながら起き上ったを見て、三途が呆れたような目をした。自分の一言でこんなに元気になってくれるのは嬉しいが、それを素直に伝えられるほど彼は器用ではない。
「そんなに元気なら自分でやれ」
「ほんとだ、嬉しくて元気になっちゃった」
「……はぁ」
溜め息をついてからリビングを出た三途は、暫くして手にドライヤーやブラシを抱えて戻ってきた。てっきり自分の髪を乾かしに洗面所へ向かったと思っていたは、いそいそとドライヤーをコンセントに繋ぐ彼を見て言葉を失う。ただ無言で三途を見つめていると、立ち上がった彼と目が合った。
「……何だ」
「本当にしてくれるって思わなくて」
「やめるか?」
「お願いします!」
即答したに苦笑しつつ、三途は以前の自分と同じように彼女をソファに座らせた。丁寧に髪の毛をブラッシングしてから毛先にヘアオイルをつける。直後にリビングを出て行った彼の背中を見た彼女は、手についたオイルを洗い流しに行ったのだとすぐに察しがついた。
少ししてから再び扉の開く音が聞こえて、は背筋を伸ばした。口にせずとも「お願いします!」と彼女の後ろ姿が語っていて、三途は笑いそうになってしまう。
三途が髪に触れているのが心地よくて、姿勢を正したままは目を閉じた。顔周りの髪が後ろに流されるのを感じながら、ドライヤーが始まるのを待つ。
ふと、三途の指ではない何かが首元に触れたような気がして静かには瞼を開けた。彼の手が首の後ろに触れるか触れないかくらいの位置にあるのが体温でわかる。そっと何かに手を伸ばしてみると、自分で身に着けた覚えのないアクセサリーの存在があって、彼女は小さく息を飲んだ。
「これ……!」
「……大したもんじゃねぇ」
「今つけてくれたの?」
「だったら何だ」
「鏡で見てきてもいい?」
「……好きにしろ」
は一度三途を振り返った後、急ぎ足で洗面所へと向かった。前のめりになりながら鏡の中の自分を見つめる。風呂上りのいつものジャージ姿に濡れたままの髪、しかし首元には見たことのない何かが光っている。更に鏡に近付きながら確認すると、恐らくダイヤモンドと思われる宝石がキラキラと輝きを放っていた。その一粒を指で触れ、存在を確かめるように角度を変えてみる。そのままゆっくりと石に繋がったチェーンをなぞれば、美しさと感嘆で思わず溜め息が漏れた。
洗面所に向かった時とは対照的に静かにリビングに戻ってきたを迎えた三途は、彼女が泣いているのに気付いて目を見開いた。そのまま彼の胸元に飛び込んだ彼女は、くぐもった声でゆっくりと話し始める。
「……いつの間に準備してくれたの?」
「いつって……仕事の合間に」
「もしかしてサプライズ考えてくれてた?」
「偶然こういうタイミングになっただけだ」
三途が何かプレゼントをと思いついたのは、が人質でなくなってすぐのことだ。少なからず親の事で落ち込んでいたし、これから改めて関係を結ぶことの意味も込めて彼女に喜んでもらえれば、くらいに思っていた。
指輪やピアス、ブレスレット、贈り物の候補としてあれこれ考え、最終的にネックレスに決めた。特に意味はなく、いつも身に着けてもらえるものにしたかったが故だ。最後まで指輪と迷ったものの、指輪はこれから先贈る機会があることを考慮して見送ることにした。
何をプレゼントしてもが喜ぶ姿は想像できた。準備してから渡すまでに時間がかかってしまったものの、泣くくらい喜んでくれるのなら毎月、毎週でも何か贈ってやるのにと考えながら、三途は濡れたままの彼女の髪を撫でる。
「ありがとう春千夜、大切にするね」
「泣くほどのことじゃねぇだろ」
「本当に嬉しいの。嬉しい意外言葉が出てこないくらい嬉しい」
「だったらまた何か買ってきてやるよ」
「……贈り物をしてもらったから嬉しいっていうのとはちょっと違うかな。これを身に着けてると、春千夜のこと身近に感じられるのが嬉しいの。春千夜のこと思い出せるのが嬉しいんだよ」
「……そうか」
「このネックレスも、春千夜の隣も相応しい女になれるように努力します。毎日欠かさずつけるね」
黙ってを抱き寄せた三途は彼女の言葉を繰り返しながら、自分自身に呆れていた。物だとか値段だとか、彼女が気にするのはそんなことではない。もちろん個数や頻度とも違う。の原動力はいつだって三途のことを想う気持ちだ。
それを再び痛感した彼は考えを改めると共に、彼女に想ってもらえる存在で在り続けようと自分に言い聞かせた。今まで誰かの為にと思えた存在は組織のボスであるマイキーしかいない。第三者の為に自分を変えたり、自分に何か言い聞かせたりしたことが皆無に等しかった三途にとって、この変化は大きかった。
「……ドライヤーすんぞ」
「うん!」
「髪、だいぶ乾いちまったな」
「そうだね。でもこのまま放置するのが一番よくないんでしょ?」
「自然乾燥は髪が傷む」
「どれだけ忙しくても春千夜は絶対髪乾かしてるもんね」
「あぁ」
「疲れたときは私が乾かしてあげるからね。その間春千夜はソファで居眠りできるから」
自分がソファで居眠りしながらドライヤーをされている姿を三途は想像できなかった。しかし、近いうちにこれも現実になるのだろう。
三途が鼻で笑った声はドライヤーの音で掻き消された。片手を左右に動かしながら熱風を髪の毛に当てると、ほとんど乾いてしまった髪が宙に舞い上がる。時折髪の隙間から見えるネックレスのチェーンを眺めながら、彼は今まで考えもしなかったありふれた幸せについて考えた。仕事の内容はさて置き、帰れば夕食が用意されていてテレビを見ながら一緒に食べる。ソファで何気ない会話をしながら居眠りをしたり、たまに髪の毛を乾かし合ったり、それは全てここ数か月の間にによってもたらされた時間であることに気付いた。
ドライヤーの音が大きいので、髪を乾かす間は三途ももお互い話しかけることはない。用がない限り、彼女が振り返ることもないだろう。相変わらず背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見つめる彼女の頭に彼はそっと顔を寄せる。相変わらずドライヤーの音はうるさいままだ。三途はに気付かれないように、感謝と愛情を持って彼女の髪に口付けを落とした。これから先も、こんなささやかな平穏が長く続きますようにと、願いを込めて。
長期間かけて書いていたホワイトアウト、遂に完結しました。
この話は「酔っぱらった三途を介抱することで芽生える関係を書きたい」というところからスタートしました。
その部分だけを短編として書くことも考えましたが、それまでの関係とその後の関係や心の変化にも触れたいという思いが強くなり、結果長編にしました。
管理人にしては珍しく夢主の生い立ちの設定を盛り込んだのと、恋愛に至るまでの関係が長くかかってしまったので、三途にも酷い扱いをされながら長く暗く苦しい前半となりました。
後半は夢小説するんだ!と決めていたとは言え、夢主の名前変換が使えるようになるまでが長かったです。
そもそも三途に関してもほとんど管理人の妄想で補ってるようなものでしたが、かき乱し要因の灰谷兄弟や悪いことばかり考えているココなど、12年後の彼らも書けて楽しかったです。
途中、夢小説なんだからもっと恋愛の部分にフォーカスを当てた内容のほうがよかったのではと考えたりもしました。
ですが、みなさんからいただいた感想に救われ最後まで書ききることができました。
完結まで期間もかかってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2024/06/02 完結