※『ラストステップは鮮やかに』のおまけ
ラストステップは鮮やかに 後日談
と元手芸部の飲み会で再開してから1年が経った。わかっていたけれど仕事に追われた1年は、あっと言う間に過ぎていった。
今日までにも何度か飲み会の誘いはあった。でもその度に納期が近かったり、仕事で問題が起こって心の余裕がなかったりと、参加は見送る羽目になっていた。あまり仕事を言い訳にしたくなかったのに、そうせざるを得ない状況が続いていた。
連休を取ったのは久々だ。元々飲み会のための連休ではなかったものの、タイミングがよかった。
自宅から電車に乗り、今回の集合場所へと向かった。前回参加したときはアトリエから徒歩で行ける範囲内だったのを思い出す。元手芸部の飲み会以外の集まりもほとんど参加できなかった1年だったので、こういう待ち合わせも久しぶりだ。
徐々に人が集まり、時間になって店内へと移動した。当たり前だけど大人になると、1年くらいではそこまで見た目の変わっている子はいなかった。1年前の飲み会のときとほとんど変わらないみんなの姿に安堵しつつ、そのままの流れで適当な席に座って乾杯の合図で飲み会が始まった。
近くに座る子たちと思い出話や仕事の話、近況報告をし合っていると、話題は突然オレの方に転がり込んできた。
「えーっ!?部長、左手の薬指のそれ、まさか!」
「あー……結婚した」
「いつの間に!?」
「籍入れたのが……一か月くらい前だっけ?」
「何で部長本人が疑問形なんですか!」
グラスを持つ手が一人の目に留まり、予想はしていたもののすぐに指輪が話題に上る。隠す気も否定する気もないのであっさり認めた。その場は今までの飲み会で経験したことがないくらいの盛り上がりを見せ、他のテーブルの人間が何事かとこっちを窺っていた。
「ついに部長も結婚ですかぁー!おめでとうございます」
「おー、ありがとな」
「お相手どんな方なんですか?」
「どんなって……そりゃ可愛いよ」
「「「惚気ー!」」」
質問攻めにされるのも当然予想していたけれど、想像以上の圧だ。何を言っても歓声が上がるし、まだ酔うほど飲んでいないだろうに、みんな素面とは思えない。
「結婚式はするんですか?」
「する予定にはしてるけど、何せスケジュールがさ」
「仕事忙しそうですもんね」
「仕事のこともあるけど、それと並行してウェディングドレスの準備があるから」
「部長がお相手のドレス作るんですか?」
「おぅ」
「素敵!」
「オレとしてはやっぱ凝りたくなるだろ?」
「いいなぁ、旦那様が自分のためだけにドレスを仕立ててくれるなんて」
「オレのは向こうが仕立ててくれることになってんだ」
「お相手の方、同業者ってことですか?」
「そーいうコト。お互いにデザインは当日着るまで秘密」
「何それロマンチックー!」
少し離れた席で誰かが盛大に咽た音が聞こえた。おしぼりを口にあててるところを見ると、咽たと言うよりも噴出したのかもしれない。周りの人間も驚いて、自分たちのおしぼりを差し出していた。
『大丈夫!?』
『ごめん、変なとこ……』
『っていうかさっきから……指輪気になって……』
『私も!……さんもしかして!』
『うん……結婚……』
『えーいつ!?何で……!?』
『報告……次に会った時で……』
『もー!お相手はどんな…』
『結婚して苗字は……』
断片的に聞こえてくる会話によると、先程咽た彼女の座っているテーブルも数人で盛り上がっていた。既に結婚している子も数名いるらしく、こちらほど熱狂的な盛り上がりはない。それでもオレと同じように質問攻めに合うのは、どこの席でも同じようだ。
彼女は輪の中心で困ったように笑っていた。相手のことをどこまで話すべきか、言葉を選んでいるようだ。わかるよその気持ちと心の中で頷きながら、それでもオレには何も出来ないので、遠巻きに見ているしかない。
オレも彼女も相変わらず質問攻めにあっている途中で、本日の幹事が店の真ん中に出てきた。飲み会の開始時に挨拶していたのにまた挨拶するのかと疑問に思っていたら、アクセサリーの落し物があったというお知らせだった。お手洗いに続く道で落ちていたというブレスレットの持ち主はすぐに見つかり、場は和やかなムードに包まれる。
「結婚しようと思ったきっかけは何だったんですか?」
「まだその話すんの?」
「いいじゃないですかぁ」
「……きっかけねぇ。もう少し広い家に引っ越そうと思ったからかな」
「同棲はせず?」
「お互い家は行き来してたし一緒に住んでるみたいなもんだったよ。でもそれなら尚更、広いとこ借りるかって」
二人とも一人暮らしする前提の家に住んでいたので、二人で住むのには少々狭かった。それでも、徐々に増えていく互いの私物の存在を認識しながら、引っ越しすることはなかった。
単純に引っ越す時間がなかったし、家を探して手続きをするまでの一連の流れが面倒だったのもある。でも一番怖かったのは、オレが一人で引っ越す決断をしたときに、全てのタイミングを失ってしまうことだった。だからこそ、オレが次に引っ越すときは彼女も一緒にと決めていた。引っ越しはオレにとって、覚悟と決意の表れだったわけだ。
「確かに広い家に引っ越すタイミングで何も言われなかったら、将来のこと心配になるかも」
「だろ?妹にも散々言われたわ」
「妹さんに?」
「『節目はそこだよお兄ちゃん』ってうるさくて」
「さすが妹さんですね」
妹に言われたからみたいに話を持って行ったのは、単なる照れ隠しに過ぎなかった。確かに話した通りのことを会う度に言われはしたけど、だから結婚に踏み切ったわけではない。
ふと結婚したらどうなるんだろうと考えた時、変わるのは向こうの名前や戸籍くらいなもので、今とほとんど変わらないのではないかと思った。きっと生活スタイルも今のままだし、彼女も仕事を続けるだろう。それについてオレが意見することもない。
それほど長く彼女と付き合ったわけでもないのに、そんな未来が違和感なく簡単に想像できた。彼女も同じことを考えているといいなと考えたときに、特に何の準備も雰囲気作りもないまま、隣に座っていた彼女に全てを打ち明けていた。それがオレのプロポーズになってしまったというわけだ。こんな話、女性陣からはブーイングが飛んできそうなので、照れとは別の意味でも避けたいところではあった。
「引っ越しは終わったんだけど、まだ全然片付けられてねぇんだよ。特にオレの物が」
「家の中段ボールだらけなんですか?」
「そーだよ。今日と明日で片付けようと思って、連休取ったくらいには汚ぇ」
幸いにも、段ボールだらけの家に興味を持つ子はいなかったようで、話がそこから発展することはなかった。似たような事例として、彼氏と同棲しているという子の話へと徐々に話題は移り、オレは解放された。
自分の話をするためだけに飲み会に参加したわけではないし、これでよかったと思う。みんなに結婚のことを報告したくなかったわけではないけれど、みんなのための飲み会なのでオレが主役みたいになるのは嫌だった。
* * *
数時間店で飲んで話して過ごすと、解散する頃にはそれなりに体力を消耗していた。それなのに周りのみんなはまだまだ元気そうで、酔っぱらってはいても疲れている様子はない。どうでもいいところで女子の強さみたいなのを感じていると、同じテーブルではなかった子たちが数人で声をかけてきた。
「部長!お久しぶりです」
「おー、久しぶり」
「部長は二次会行きます?」
「いや、オレはやめとく」
「えー!行きましょうよ!」
「引っ越ししたところでさ、今日と明日で片付けしねぇとヤベぇんだわ。ゴメンな」
何も嘘は吐いていない。今日と明日、本来は引っ越しの片付けをするための連休だった。今日も飲み会に来るまでは自宅で一人、延々と段ボールと格闘していた。
「部長も引っ越したんですか?そう言えば、同じテーブルだったさんも最近引っ越したって言ってたんですよ」
「さんは結婚したから引っ越ししたって言ってたじゃん」
「そうそう!っていうか部長も結婚したって聞きましたよ!おめでとうございます!」
「ありがと」
「手芸部結婚ラッシュですねー」
「結婚ラッシュなぁ」と話を聞きながら笑っていると、二次会参加者を募る声が聞こえてきた。幹事が人数を数えながらメンバーをまとめ始める。この場で二次会参加者と不参加者は別れることになるようだ。
きょろきょろと辺りを見まわす。オレ以外にも二次会不参加者はいて、何気なく固まっているその面子で新たにお喋りが始まりそうな雰囲気だった。不参加者の集団の中から彼女の姿を探して、声をかける。
「そろそろ帰るか、」
「うん」
はいつも通り仕事で日中は家にいなかった。飲み会の間も別のテーブルに座っていて一度も話さなかったので、こうして話すのが久しぶりであるかのような気分になる。
朝、いってらっしゃいと送り出して以降初めて声をかけたは、なんとなく1年前の飲み会のときに再会した彼女を思い出させた。
「部長とさん、方向同じ?」
「同じっつーか」
この質問で、あの時咽ていたが全てを話していなかったことを理解した。話さなかったと言うより落し物の件で話が中断されて、そのまま有耶無耶になってしまったんだろう。彼女は少し戸惑ったような素振りの後、控えめにオレのほうをチラ見した。
隠すことは何もない。勿体ぶるようなことでもない。一言報告すればいいだけのこと。
期待や困惑の入り混じったいくつもの視線が、オレたち二人を見つめる。まだ出発していなかった二次会参加者も、何故か一緒になってこちらを窺っていた。
今日散々あれこれ質問されて、その度に口にしてきた単語を言うだけなのに今が一番緊張する。
「結婚したんだよ、オレたち」
はもう、さんではない。三ツ谷さんだ。
おまけでした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
2024/08/18