さてそろそろディナーにしようかというころ、ガレージにの愛車が帰ってきた。
ほどなく玄関の開く音がして、はソファから飛び降りて母の元へ走る。
「ママ!おかえり!」
「ただいま、。
悪いんだけどこれ、わたしの部屋まで運んでくれる?」
抱えていた大きな段ボールを顎で示し、が言った。
はすんなりそれを受け取って、階段へ向かった。
そこへリビングに居たシリウスがひょっこり顔を出し、
上半身が段ボールに挿げ替わっているを見つけ、「何事だ?」と眉を顰めた。
は『気にするな』というように手を振り、化粧を落とすべく洗面台へ向かう。
シリウスがやはり事態を理解できずに怪訝な顔をしていると、
予想していたよりも早く、軽快な足音を立ててが階段を下りてきた。
「シリウス、せーのっ」
「は?何が――!」
あろうことかは最後の数段を自分の足で降りずに、
麓に突っ立っていたシリウス目掛けて飛び降りたのだった。
慌てた彼は咄嗟に腕を差し伸べて少女の軽い身体を掴まえる。
もしシリウスが一時のように骸骨のような身体だったら
ジャンプしたをきちんと掴まえられたかどうか危ういところだが、
大分持ち直してきた現在の彼には造作も無かった。
は満足そうに「ナイスキャッチ!」と言うと、
服の裾を翻しながら一目散に夕食のテーブルへと駆けて行く。
皿に盛り付けをしていたリーマスが「ご機嫌だね」と笑うのが聞こえた。
「…なによシリウス。
何をそんなに面白い顔して突っ立ってるの?」
「……いや…は本当にお前にそっくりだと…」
化粧を落とし、さっぱりした顔で現れたが放心したままのシリウスを見つけた。
何を言ってるんだコイツは。
とでも語るようなの表情に、シリウスは「何でもない」と言い繕う。
もしかして熱でもあるんじゃないのかと一瞬考えたが、
きっとまたいつものように娘にデレデレしているだけだろう。
はそう結論を下し、テーブルに向かった。
ダイニングには既にとリーマスが着席していて、いつでも食べ始めまられる状態だった。
しかし、足をぶらつかせながらニヤニヤしているは、
なぜかその手にフォークやナイフではなく封筒をひとつ握っている。
「今回はすごい人からの手紙があったの見つけちゃった。
ねぇママ、誰からだと思う?」
「ハーパーさんちのスナイダーね、犬の。
この前話を聞いたら尻尾で文字を書くようになったらしいけど」
「なにそれ。誰から聞いたの、その変なニュース。
そうじゃなくて手紙!ダドリー・ダーズリーからなの!」
は見せつけるようにその封筒を前に出した。
ひどく派手な封筒はコミックのヒーローが描かれていて、
宛名に使われている蛍光黄緑のインクが目に痛い。
ダドリー・ダーズリーはハリーの従兄弟だが、詳しい説明は要らないだろう。
シリウスは明らかに嫌そうな顔をしたし、リーマスは苦笑いをしている。
ただひとり、だけは顔色を変えずに「そうなの」と言ってのけた。
「どうしてハリーの豚従兄弟から手紙が来るんだ!
この家はが結界を仕掛けているはずじゃ――」
「吼えないの、シリウス。
レニーの事務所に届いたファンレターのひとつよ。あの段ボール、見たでしょう?」
シリウスは説明されても釈然としない様子で、まだ何か反論したさそうだったが、
好奇心を隠しきれていないの「読んでいい?」という声に遮られた。
魚にナイフを入れながらが頷き、は迷うことなく封筒を破く。
「“親愛なる美しきレディ・ジョーへ!
僕はちいさいころからあなたの役のレディ・ジョーがすきです。
今回、ダグラスシリーズの特別編が特別に放送されるのがとても嬉しい!
ぜったいにダグラスをぶちのめして、いつものキメせりふを聞かせてください。
―――『オスロに沈め、ブタ野郎!!』”……うわぁ、スペル間違いだらけ」
「………あの、聞いてもいいかな、?
レディ・ジョーだとかダグラスだとか、いったい誰の話だい?」
はダドリーの手紙を朗々と読み上げ、最後に少し苦笑した。
リーマスは手紙の意味がよく分からなかったようで、おずおずとに尋ねてきた。
シリウスもリーマスと同じような顔をしている。
は噛み潰していたポテトを飲み込んで、何でもないことのように口を開いた。
「わたしがテレビの仕事で売れたきっかけの番組でね。
ヒーローものの教育番組だったんだけど、ダグラスがそのヒーローよ。
わたしはダグラスの敵グループの下っ端、だけど紅一点のレディ・ジョー。
いつも画面の端っこで見切れながらダグラスに悪態を吐いてたわ」
「オスロに沈め、ブタ野郎!って」
の言葉尻を継いで、が言う。
教育番組とは思えない口汚さに、シリウスとリーマスは揃って閉口した。
実際、があまりにもノリノリでスラングを口にするために
番組には保護者や権利団体からのクレームを受けたのだが、
世の悪ガキたちにはそこがウケたのだった。
ダドリーもそんな悪ガキのうちのひとりなのだろう。
のキャリアはぶっ飛んだキャラのレディ・ジョーから始まったようなもので、
そのキャラのファンというのはたとえダドリーであっても嬉しく思う。
「……それは、何というか…マグルの世界は奥深いんだね…」
「紳士的なフォローをありがとう、リーマス」
苦笑いのままリーマスが言い、も苦笑いで返す。
それから夕食が終わるまでの話題は、主にダグラスと敵一味の戦歴についてだった。
♪
シャワーを浴びたが自室に戻ると、ベッドにはシリウスが腰掛けていた。
手紙の詰まった段ボールを覗き込み、手に取ったり箱に戻したりを繰り返している。
「…個人情報保護法案の観点から申し上げて、ミスター・ブラック、
その行為はあなたに既に科せられている罪状を重くするものだと理解しているんでしょうね」
「嫌な言い方をするなよ。次の役は裁判官か?それとも陪審員か?」
シリウスは手元の封筒をすべて箱の中に落とし、わずかに不満の色を滲ませた。
は肩を竦めて「通販番組へ電話するクレーマーよ」とだけ言い返した。
そうして一通の手紙を摘み上げると、シリウスの横に座り、声に出して読み始める。
「誉れ高き私の。私と貴女が結ばれていることはご存知でしょう。
私はダグラスシリーズの復活を完璧に予期していました。
私たちの間に張り詰める運命の糸が、貴女からのメッセージを伝えてくれるからです。
明日にはマルメロの実が生るでしょう。貴女が来てくれることを祝って!」
「……誰からだ、それ」
「まあ一般的には“熱狂的”と形容される人からでしょうね」
読み終えたそれを、は丁寧に畳んで段ボールに戻した。
てっきり捨てるのかと思っていたシリウスは拍子抜けし、「捨てないのか?」と聞いた。
からは「捨てないわよ」というあっさりした言葉が返ってくる。
「たとえ差出人がどんな人であっても、わたしにとっては宝物よ。
この商売、独り善がりじゃやっていけないもの」
「…でもソイツは明らかに―」
明らかに正常じゃない、と言おうとしたシリウスの口をが押しとどめる。
差出人の頭の中ではどんな設定になっているのか、いっそ聞いてみたいくらいだ。
おまけにシリウスには、が手紙を捨てない理由も、なんだか妙に彼女らしからぬ印象さえあった。
これが「からの伝言メモさえ捨てられない」というのならまだ分かる。
しかし今回の場合、相手が相手だ。どうかすると身の危険さえあるかもしれない。
(魔法の使えるが一般マグルに負けるはずが無いというのはともかくとして)
言いようのない不快感がシリウスの腹の底でむずむずしている。
ふう、と息を吐いて、は見透かしたように言った。
「…妬くくらいなら、偽名でも使ってとびきりロマンチックなファンレターを頂戴よ。
そしたらこの山の中から見つけ出して、大切にできるでしょう?」
反論に詰まって油断したシリウスの背を叩き、はドアに向けてぐいぐい押す。
「はいはい分かったらほら、さっさと帰る!
それで手紙を書くなりハリーのことを想うなりしなさいったら」
「、おい、だったら昔の、俺からの手紙は!」
「さあね、昔のアパートにならいくらかは残ってるんじゃないの?
まさかこっちに持ってくるわけがないじゃない、二重の意味で“ブラック”なんだから」
その扱いはあんまりだ、というような抗議の声が聞こえたが、は構わず締め出した。
今夜はひとりで、この手紙の山とゆっくり向き合いたいのだ。うるさい犬が居ては集中できない。
確かにの手元には昔の手紙はひとつも残っていない。
けれど、しょんぼり肩を落として男部屋に戻るシリウスは知らないだろう。
一通だけ、『愛しの鷹へ』と題された暗喩だらけの手紙は、の机の中へ大切に仕舞ってある。
レ デ ィ ・ ジ ョ ー の 秘 め 事
(どうしてオスロか、って?ただのアドリブよ)
流音さんへ!リクエストありがとうございました!
微妙に『ファンレター発見』とは趣旨が違ってしまってすいません!