Chapitre EX. l'inspection de l'ennemi de Sunday
みなさんこんにちは。老舗洋菓子店・日輪堂の下っ端、です。そして私の二歩前を歩いているのは日輪堂のラスボス、毛利元就シェフといいます。 今日はなんとお店を臨時休業にしちゃって、私とシェフはデートをしているのです。 「逢引ではない。敵情視察だ。何を履き違えておるか、捨て駒風情が」 怒られました。デートではなく敵情視察だそうです。私なんて所詮は下っ端、シェフに比べたらモノローグすら自由にできる身分ではありません。 シェフのばか!でもそういうところが素敵なのです。 シェフは私を無視してずんずん進んでいきます。この調子で駅から出発して10分前後、私たちはついに目的地を視界に収めました。 パティスリーSAN。それが今日の目的地です。 上階部分はマンションなのでしょうか、駅から近すぎず遠すぎず、どこかひっそりと落ち着いた建物の1階にそのお店はありました。 僅かのくもりもないガラス扉にはアンティーク調のドアベルが掛かっています。 「わぁ、なんかお洒落なお店ですね!本当にシェフのお友達が働いてるんですか?」 「…貴様それは如何いう意味ぞ」 「だ、だってうちのお店って純和風じゃないですか、パッと見だけだと和菓子屋さんじゃないですか。 だからこんなに、“いかにも洋風!”なお店を出す方と仲が良いなんて想像してなかったんですよう」 必死で弁解する私を鼻で嘲笑い、シェフはデジカメを取り出しました。 ちなみにその嘲笑を翻訳すると意味は「だからこその敵情視察だ」とかいう感じでしょう。たぶん。 角度を変えて何枚か写真を撮ったら偵察の第一段階は完了です。速やかに第二段階に移ります。 デジカメを仕舞ったシェフは一秒も躊躇わずにドアを開けました。その思いきりの良さに若干びびりつつ、私も後に続きます。 鼻先で閉められるかと思いきや、シェフは知らん顔ながらもドアを軽く押さえていてくれました。 ツンデレなんです。デレが分かりにくいだけなんです。そこがまた良いのです。 曇りひとつないガラスのショーケース、適度に差し込む日光、焼き菓子の並んだバスケットの木目と壁の白さのコントラスト。 オープンしたばかりなだけあって、店内はとてもきれいでした。 ドアベルの残響音に気付いたのか、ショーケースの奥でトレイを拭いていた男性が私たちを振り返りました。 明るいオレンジ色の髪を揺らしながら「いらっしゃいませ」とにこやかに言います。内装・接客態度、共に二重マル。私は心の中の評価シートに書き込みました。 「あのう…店内でも食べられますか?」 「もちろん、あちらのテーブルをお使い下さい。お先にケーキのご注文だけ頂けますか?」 オレンジ髪の店員は私の突然の申し出にも穏やかで感じの良い対応です。 おまけにカッコいいので、きっとこのお店は若い女の子で賑わうだろうなと私は思いました。 シェフは「フレジエ」とぼそっと言うなり、さっさとテーブルに向ってしまいます。 フレジエってなんですかと思いながらケースを見れば、クリームとイチゴの基本的なケーキでした。 なるほどお店の味を見るにはクリームですね。じゃあ私はチョコにします。 笑顔が素敵な店員さんにフレジエとマルジョレーヌを頼んでテーブルに向かいます。 シェフは無表情でドリンクのメニューを私の前に突き出してきました。 「お飲物はお決まりですか?」 「水で良い」 「えっ!お水なんですか?私ミルクティーがいいんですけどお水じゃないとダメですか?」 シェフは面倒臭そうに「好きにすれば良いだろう」と言いました。 なにせ今日はお店の経費(偵察費用が予算に組み込まれてるのってうちだけですか?)なので許可が要るのです。 店員さんは私たちのやり取りに笑いを堪えているようでした。倹約カップル、とか、思われてたり、して!えへ! 「にやけるな」 「ごめんなさい」 だってなんか嬉しかったんです。 シェフに睨まれた私は店員さんが厨房に消えるのを見届けてから手帳を取り出し、おとなしく任務を遂行することにしました。すなわち、店内のスケッチです。 外観ならまだしもさすがに内装を堂々とデジカメで撮るなんてことは出来ません。 まるで明日の予定を書き込んでいるだけのような顔をして、私はペンを走らせます。 私が今日連れてこられたのも、こっちの任務のためというのが主な理由です。 なんたってシェフは壊滅的に絵が下手なのですから。あ、うそです睨まないでください。 そのシェフは私がスケッチする間なにをしているのかというと、嫁の荒探しをする姑みたいな目つきで店内を隅々までチェックするのです。 「さっきの店員さんは男性でしたけど、女性の方もいらっしゃるんですかね、ここ」 「………」 「バスケットの編み目とか、なんだか細かい部分も凝ってて可愛いなーって。こういうのって男性だったらあんまり気付かないじゃないですか」 「………」 「そういえばケースの中のプレート見ました?文字まで可愛かったんですよ。手書きですかねえ」 「……恐らく、」 珍しくシェフが私と会話してくれる様子を見せたとき、厨房の扉が開きました。 んもう!邪魔しないで!と思わないこともないですがケーキも楽しみなのでひとまず忘れましょう。 口を閉ざして顔をそちらに向ければ、トレイを片手に立っていたのは先程のオレンジ頭の店員さんではありませんでした。 きれいな銀色の髪で、とても大柄で、左目に眼帯をしていて、さっきの店員さんに負けないくらいの男前です。 このお店、スタッフは顔で採用してるんでしょうか。 「よォ、元就。本当に来やがったな」 「…なぜ態々貴様が出てくる。引っ込め、阿呆面」 「日輪堂の店主直々のお出ましとあっちゃ出ねえわけにいかねぇだろ、能面野郎」 言葉遣いとは対照的に、銀髪の店員さんはとても丁寧な動作でお皿とティーカップをテーブルに置きます。 そしてトレイの上が空になると、私たちの近くのイスにどかりと座ったのでした。シェフはそれを横目で見て、けれど何も言わずにフォークを持ちます。 恐らくこの銀髪の店員さんがシェフのお友達だとは思うのですが、その割には雰囲気が刺々しく思われます。なんでしょうね、この光景。 理解できないので私も普通にケーキを頂くことにします。 私が二人を放って食べ始めると、それに気付いた銀髪の店員さんが私の方に顔を向けました。 眉間に寄った皺で威圧感がすごいことになっています。こわい! 「………あ、あの、なにか?」 「いや、あんた元就の女の割に普通っぽいなと思って」 その言葉に、シェフは正気を疑うような表情で、私は自分でも分かるほど輝いた表情で、それぞれ銀髪の方を見ます。 元就の女。それは私がシェフのパートナーとして、シェフのお友達っぽいこの方に認められたということでいいのでしょうか。いいですよね! この際、“普通っぽい”の意味は深く考えませんから! 「…貴様のその、男女が行動していれば全て逢引としか判断出来ぬ粗末な頭は、いい加減どうにかしたらどうだ。 この女は我の駒よ。面倒な勘違いをするでない、これが調子に乗る」 「全くです、乗らずにはいられません。嬉しいですねシェフ!」 私がそう言うと、シェフはお水を飲みながら何食わぬ顔で私の足を踏みました。ごめんなさい。 銀髪の方は私たちの一連のやりとりを驚いた顔で見守ったあと、唐突にプスッと吹き出して笑いました。 それを睨むシェフ。なぜか余計に笑いが止まらなくなったらしい銀髪の方。うわっはっは!と豪快な笑い声がお店中に響きます。 「おもしれぇなぁ、あんた!名前は?」 「あれっ?私が笑われてたんですか…申し遅れましてすみません、日輪堂で下っ端をしています、です。もっぱら捨て駒と呼ばれています」 まあ私ひとりが捨て駒というよりは、シェフ以外の全員が捨て駒扱いなのですがね、うちのお店では。でも、私たちはそれで良いのです。 シェフの作るお菓子は和の趣を忘れず、繊細で、美しくて、私たち下っ端や捨て駒は見惚れるほかありません。 そんな風に私たちを虜にするシェフのお仕事を少しでも手伝えたら、それで良いのです。つまり日輪堂は、お店単位でシェフのファンをやっているようなものです。 銀髪の方は笑いすぎで滲んだ涙を拭いながら「俺は長曾我部元親だ」と名乗りました。そしてシェフを指差し、「コイツとは腐れ縁みてぇなもんよ」とも。 シェフは『腐れ縁』の部分で少し嫌そうに目線を逸らしました。長曾我部さんはそれを見てまたニヤニヤします。仲良しのようで羨ましいです。 「お前よ、こんな冷血仏頂面野郎なんかの店でよく働けるな」 「あっ、それはたまに…自分でも思います」 「そうか貴様解雇されたいのだな」 ほんの冗談じゃないですか!と、私は間髪入れず抗議しました。シェフが本気で私をクビにするつもりじゃないと分かっていても、 やっぱりなんだか背筋がヒヤッとするものです。洒落になりません。 長曾我部さんがまた大笑いする声を背景に、シェフは黙々とケーキを消費していきます。見ればもうほとんど食べ終わりそうではありませんか。 ヤバイと思った私は食べる速度を上げました。シェフを待たせたりなんかしたら自腹での支払いを命じられかねないからです。ほんと洒落になりませんったら。 「うめぇだろ?」と長曾我部さんがシェフに話しかけますが、シェフは全く聞いているような素振りを見せません。 替わりに私が「とても美味しいです!」と答えると、長曾我部さんは少しも怒った様子はなく嬉しそうに笑いました。 どうやら良い人のようです、こんなに怖そうなのに。 「まあもう一杯飲めや。ちったあ元就もあんたくらい可愛げってもんがありゃあな、茶の一杯でも淹れてやろうかって気にもなるもんを」 「結構。客に出す水の質も評価対象なのでな」 長曾我部さんが私のカップにミルクティーのおかわりを注ぎながらシェフに言うと、シェフは一瞥もせずしれっと答えました。 あ、だからお水だったんですね、ようやく意味が分かりました。 もはやただのお客さんを装うこともせず堂々とスパイ宣言するシェフですが、長曾我部さんは不敵に笑ったままです。 片手でお水のピッチャーを持ち上げて、透明なガラスの中にあるレモンスライスとミントの葉を見せて来ます。抜かりはない、という意味でしょうか。 さて、どこか子供っぽくも見える応酬を見ているうちに、私もすっかりケーキを食べ終えてしまいました。 ナッツとチョコがうまく合わさっていて、とても美味しかったです。フォークを置いて、再びティーカップを持って2杯目のミルクティーを飲んでいると、 シェフが呆れたような目で私を見ていました。 「…貴様は、自身の食後のその間抜け面を一度鏡で見てみるが良い。へらへらしおって」 「ええっ、ヘラヘラしてました?そんなアホ面してました?でもだって美味しかったんですもん…」 不味くてしかめっ面とか、美味しいのにしかめっ面とかよりマシですよ。と、カップの縁に齧りつくようにゴニョゴニョ反論しますが、 シェフは私の必死の反論も華麗にスルーしてお水を飲んでいました。無視ですか、別に慣れてますけどね! 「ガタガタ言うんじゃねえよ、元就。も気にすんな。俺ぁアンタみたいに美味そうに食ってくれる奴の方が好きだぜ」 すると長曾我部さんがシェフをデコピンし、私にそう言って笑いかけてくれました。まるで潮風がどこからともなく吹いてくるような爽やかさで、 思わずアニキ!と慕いたくなるような大らかさ。おまけに結構な美丈夫なので、私はその笑顔に見惚れてしまったのでした。 「…………」 「いたい!ちょ、シェフ、なんで足踏むんですか!」 無言の攻撃。やられっぱなしの私。そしてそれを見てまた大笑いする長曾我部さん。 # そうして、しばらく歓談を(主に私と長曾我部さんだけが)楽しんだあと。 日輪堂の皆にお土産のケーキを買ったあと、長曾我部さんに見送られて、私たちは駅へ向かいます。 「いいお店でしたね!」と私が言っても、シェフはむっすりしたまま先に歩いて行ってしまいました。 「あのお店、きっと大繁盛ですよ。ちゃんと美味しいし、お洒落だし、シェフの水質チェックもクリアしたし」 「……」 「あと何よりイケメン揃いですしね!最初に応対してくれた店員さんも長曾我部さんもカッコよかったし、オーナーさんや他の店員さんも見てみたかったです」 お持ち帰りのケーキボックスを揺らしながら、私は良かったところを指折り数え上げていきます。 そうして、私たちの間隔が大股で5歩分くらいにまで開いたとき、シェフは急に立ち止まって私を振り返りました。 「…貴様は先刻、プレートの筆跡を気にかけていたな」 「え?あ、そういえば、やたら可愛い字だったっていう…」 「あれは長曾我部の字ぞ」 シェフとの距離を詰めることも忘れて、ぽかんと立ち尽くす私。 プレートに書かれていた可愛い字がフラッシュバックのように脳裏を駆け巡ります。あの丸文字を?あの長曾我部さんが? 私の驚いた様子に、シェフは満足そうでした。僅かに口の端を歪めて笑っています。 「う、うそだぁ!騙されませんよ!だって、え?あの字、私が言ってるのはあの可愛い丸文字のことですよ?」 「幼少期の長曾我部は女のような奴でな…姫と呼ばれていた。その頃の名残りであろう」 「ひ、ひめ…!?」 姫とも呼ばれた少年がどうやったらあの厳ついお兄さんに進化するのでしょうか。空いた口が塞がらないとはこのことです。だって、だって………無理でしょう! 唸る私を放って、またシェフが歩き出します。私は足を動かしながらそれを追って、でもやっぱり“姫”が想像できなくてウンウン唸ります。 ああ、でも、“姫”だったからこそパティシエになったと考えると納得できるような気がしないでも… 「それでも貴様が“姫”が良いと言うのならば引き留めはせぬ、何処へなりと行くが良い」 迷走する私の思考に、シェフの言葉が飛び込んで来ました。驚いて顔を上げるとシェフとの距離はまた少し開き気味になっていて、私は駆け足で追いつきます。 何処へなりと…って、何ですか!もう! 「拗ねないでくださいよう…私、怒鳴られたってお店を辞めるつもりないですからね。シェフのお菓子にどれだけ憧れたか、 どれだけ苦労して入店したか、知らないとは言わせませんから!」 「………」 「今はまだ下っ端ですけど、虎視眈々と狙ってるんですからね、第二シェフの座を!」 打倒・熊谷さんですよ!と私が意気込むと、シェフが呆れたような溜息を吐いたのが分かりました。 さっきまでと違って、少し機嫌を直してくれたらしい雰囲気です。 何処へなりと、って、私が長曾我部さんをあんまり持ち上げるからつまらなくなったゆえの言葉ですよね。 分かりにくいですけど、でも私には分かりますよ、シェフ。ツンデレですもんね。その分かりにくさがまた素敵なのですから。 「………生意気な口を叩く暇があるなら、まずはオーブン担当にまで出世してみせよ」 シェフはそう言って、私の後頭部を軽く叩きました。ひどい! しかし面と向かって「ひとでなし!」とは言えないので、代わりに「もちろんです待っててください!」と元気よく返事をするのです。 私、負けませんからね!宍戸さんにも熊谷さんにも、シェフの隣を手に入れるまでは負けませんからね! リクエストありがとうございました! 元就シェフは本編でもそのうちちょろっと出てくる予定です。 |