は菊と一緒にお手玉を投げて遊んでいた。菊の妹の梅の姿は、その傍には無い。 いまごろ何をしでかしているのやらと思う反面、恐らく自分の幼い頃も梅のような落ち着きの無いお転婆娘だったのだろうと思うと、あの頃はただ煩わしかったお付きの女中の苦労が偲ばれる。 その一方で菊は、自分の娘だというのに何故?と首を傾げたくなるほど大人しい子だった。始終そこいらを駆けている梅と違って室内に居ることを好むし、自ら進んで琴を習いたいと言い出したりもした。お作法の時間になると脱走する梅とは大違いである。 「見ててね、かあさま。 みっついっしょに投げられるようになったのよ、ほら」 菊は数珠球を詰めた小袋を掴み、ひとつを宙に放った。それが落ちてこない間にもうひとつ放り、たどたどしい様子で三つ目も投げて見せた。 少し得意気な顔をした娘を一通りすごいすごいと褒めて、「では次ね」とはお手玉を五つ掴んだ。順序よく空中へと放り投げては指先で掬うように受け、一瞬の後にはまた放る。菊は「かあさますごい」と言って、大きな瞳をぱちぱちさせながらを見た。 と、そのとき、廊下の奥から泣き声が微かに聞こえてきたかと思いきや、ばたばたどすんと床を踏みつけるような音がの部屋に近付いてくる。 「―――っっは、は、ははうええぇぇっ!!」 ばしん!と爽快な音を立てて滑る襖。 目線だけでなく身体ごと廻らせて見れば、そこには木刀を掴んだまま顔を真っ赤にして涙を流す大助の姿があった。は小さく溜息をつき、「若殿、お静かに」と一応注意するが、泣きじゃくる彼は聞いてもいないようだ。 突進する瓜坊さながらに駆け寄る大助の勢いに怖気づき、菊はさっと部屋の隅へ避難した。 「…今回はどうしたの、大助。梅?父上?」 「父上っ…」 木刀を放り投げ、大助はの背中にしがみついた。今回の火元は父であるらしい。木刀を持っていたことから推察するに稽古が原因なのだろうとあたりをつけつつ、はよしよしと息子の頭を撫でてやった。涙(と鼻水)で生温かい背中に多少げんなりしたが、慰めついでに瘤が出来ていないかを探る。 大助が語るところによると、型を見てもらっていたはずがいつの間にか打合いになり、やられっぱなしではなかったがやはり敵わなかったとのことである。から身を離し、彼は空中で木刀を叩き込む動作を真似、父の懐を狙った切っ先は虚しくも肘を掠めるだったとべそをかいた。 思い出したらまた悔しくなってきたのか、大助はの背に額をつけてぐずぐずと鼻を鳴らす。父親によく似た色の髪は短いながらも項で結わえられていて、鼻を啜るたびにちょろちょろと揺れた。 と、そこでまた、床板を荒々しく踏む足音が響いてくる。 「大助そなた、またここに逃げておったのか! さあ稽古の続きだ、そのような軟弱な心構えではお館様に顔向け出来ぬぞ!」 顔を覗かせたのは、戦装束を着込んだ幸村だった。 彼はに張り付いている大助をひっぺがし、道場まで引き摺って行こうとするのだが、大助も意外に粘っての着物を離そうとしない。 こうして近くに並べて見るとよく分かるのだが、幸村と大助はよく似ている。海老茶色の髪も、丸く大きな目も、すっきりした鼻筋も、親子というよりはまるで生き写しのようだった。 同じ顔ふたつに挟まれ、は「ああもう」と内心で頭を抱える。 「大助。父上の仰る通りですよ、泣くのはお止しなさい。 父上のように強くなりたいといつも言っているのはどちらの若殿ですか」 「っ…ははうえ…っ!」 「それ聞いたことか。分かったらいい加減にその手を放さぬか! その着物は父が見立てたのだぞ、皺になったらどうするのだ!」 「幸村様もですよ。頭は叩いてはだめですと何度申し上げればよろしいの」 てっきりが味方してくれると思った幸村は思わぬ攻撃に怯み、うむとかああとか言葉を濁した。大助はその隙に幸村の手から離れ、再びの背後に回る。よっぽど痛く叩かれたのだろう、大助にしては珍しいことだった。 菊は部屋の隅で膝を抱えながら喧騒を見守っていたが、やがて手中のお手玉さえも置いて、俯いてしまった。母はすっかり父と兄に取られてしまったし、他に菊を気に掛けてくれる人も居ない。 一番最初に母と遊んでいたのは菊なのに、父と兄はいつも乱入してきては菊から母を奪ってしまう。だからと言ってあの中に割って入るというのはとても無理だ。大きな声はびりびり響いて、身体が竦んでしまう。 背景の一部になってしまった菊を見つけてくれるのは、母以外にはただひとり。 「……さすけ…」 「はいよ、っと。菊ちゃん、お呼び?」 菊がぽつりと零した言葉を待っていたかのように、佐助はどこからともなく菊の目の前に降り立った。涙を溜めながら両手を差し出してくる小さな姫は、ひょっとすると幸村以上に放っておけないように思う。 菊は佐助に腕を引かれて立ち上がると、迷彩の端を掴んで腿にしがみついた。「これじゃ歩けないよ」と佐助は言うが、離れようとしないのでそのまま歩くしかない。諦めついでに部屋の様子を振り返れば、主は息子と並んで正座で奥殿に説教されていた。 「(俺様は何も見なかった)……で、梅ちゃんは?」 「しらない、ずっといないもん」 「またぁ?今度は何してくれちゃってんだかなぁ、もう…」 やれやれと溜息をつき、佐助は足にくっついていた菊を見下ろした。馬鹿親子のほうはに任せて、もうひとつの頭痛の種を探さなければならない。 「行こっか」と声を掛けると、菊は佐助を見上げて小さく頷いた。不安そうに下がったままの眉尻に、なにこの可愛い生き物!という感想が胸の内を駆け巡る。佐助は菊を腰にぶら下げたまま歩き出した。もうこの際小さい姫様と散歩にでも行ってしまいたかったが、お転婆の方がどこかで皿を割っているんじゃないかと思うと、そういう訳にもいかないのだ。 ◎ ◎ ◎ 「どくがんりゅーどの!!いざ、じんじょーに、勝負!」 政宗が上田城の城門をくぐるなり、背後から甲高い声が聞こえてきた。「あ?」と物騒な声を発しつつ振り返ってみれば、そこに居たのは彼の腰の丈にもとどかない少女である。 見るからに溌溂とした少女の髪はよく手入れをされていて、深い紅色に明るい色の模様が染め抜かれた着物を纏っている。元はそれなりの織物だったであろうに多少裾が擦り切れているのは、彼女の元気の良さのせいだろう。少女はその両手に木製の短い脇差を持ち、政宗に向かって構えている。 政宗はにやりとした笑みを浮かべた。用事というほどでもない些事に理由をつけて奥州からわざわざやって来たのは、この少女に会うためだったとも言える。 「よう、梅。相変わらずのTomboyだな、良い子にしてたか」 「うん!とんぼいってなに?」 「別嬪さんだってことだよ」 “別嬪さん”という言葉に、梅は赤い頬を緩めて「うふふ」と照れ笑いを浮かべた。あまりに嬉しそうだから、政宗は本当は何と言ったのかは黙っていることにした。 腰を屈めて少女を持ち上げ、よっこいせと幾分おっさんくさい呟きを漏らしながら肩に座らせる。拓けた視界に臆することもなく、梅は政宗の頭に腕を回して感嘆の声を上げていた。大したものだ、真田の娘ならばやはりこうでなくては。 「Okay,Princess.真田幸村はどこにいるか、分かるか?」 「とうさまは、あにさまとお稽古してたの。 でもね、大助ー!ってとうさまがばっちんってやって、あにさま痛い痛いって、かあいそう」 「Ha,相変わらずだな。乱入してやっても良いが…梅、食いたいもんあるか」 「おそば!あのね、お湯でね、つゆ飲むとおいしいの」 せめて甘味にしておけよという政宗の言葉を綺麗に聞き流し、梅は奥州筆頭の肩の上で自作の鼻歌を歌いながら脚をぷらぷら揺らしている。たまに顎を蹴り上げられそうになるので、足首を掴んで「じっとしてろ」と言った。 このまま城門を出て、日暮れまで町で時間を潰そうか。そんな事を考えながら踵を返した時、政宗はふと足を止めた。担いだ梅は特に気にしていないようだが、どうやら彼は“気付かれた”らしい。大きな影が掛かったと思った瞬間、足元に数本のくないが降ってきた。 「――ちょっとちょっとさぁ… 年端も行かない女の子を拐かすなんて、奥州筆頭の名前が泣くんじゃなーい?」 「No Problem,こいつはいずれうちのもんになるんだからな。 ……文句があるなら、せめてそのひっつき虫を引っぺがしてからにしろよ、猿」 くないに次いで城壁から降ってきたのは、趣味の悪い緑を身に纏ったいけ好かない忍であるが、なぜだかそれの脚にも真田の娘がひっついている。いつ見ても半泣きで怯えたような表情は、いま政宗の肩の上でご機嫌最高潮な妹姫とは正反対だ。 佐助はしかめ面で政宗を見る。確かに梅は片倉の嫡男と言い交している間柄ではあるが、伊達そのものに嫁がせるわけではない。そもそもまだどこに遣るとも考えていなかったのに、当の姫君が片倉重長をすっかり気に入ってしまったのをこれ幸いと、伊達が武田に持ちかけて済し崩し気味に婚約関係へ至ったと言うのが正しい現状である。 「百歩譲って奥州にお嫁にやるのは認めてやったとしても、 あんた本人のとこには絶対、ぜーったいにやんないっての!」 「忍風情がほざきやがる……おい梅、猿は重長のこと嫌いだってよ」 面倒臭そうに舌打ちをして、政宗は頭上の梅に声を掛けた。佐助は焦った様子で「言ってないからね!」と否定するが、少女は頬をぷうと膨らませて、いまにも政宗の頭を滑り落ちそうな程に身を乗り出し佐助を睨む。この体勢のままでいたら独眼竜の首が折れ固まりそうだなと思ったが、敢えて佐助はそれには言及しなかった。 「左門さまはかっこいいもん、いじわる言うさすけより強くなるもん! 菊ちゃん、もう行こ。これからどくがんりゅーとおそば食べるの」 「……いかないもん…」 菊はますます佐助の脚にしがみつく力を込め、蚊の鳴くような声で「さすけの方がつよいよ」と反論した。なにこの可愛い生き物!という声無き声が佐助の頭の中いっぱいに響き渡る。撫で回したくなる衝動を抑えて一瞬言葉に詰まった隙に、梅は政宗の肩から飛び降りて佐助の足元まで来ていた。そっくり同じ顔が、身体のあっちとこっちで睨み合っている。 ―この独眼竜を足蹴にするたぁお前の教育も大したもんだな。 ―ほんとにね、将来楽しみだよね。 同じように、佐助と政宗も互いに睨み合った。ただし小さい姫たちと違って言葉に出さない、視線での罵り合いである。 梅の主張曰く、左門こと片倉重長は佐助より政宗より男前で強い武将になる予定なのだそうだ。対する菊は政宗よりも小十郎よりも佐助が強いに違いないのだと譲らない。 本当は“でも佐助より政宗より父上の方が強い”“でも父上よりお館様の方が強い”という言葉が隠れているのは承知の上だとしても、佐助にとっては菊が自分を庇ってくれることが嬉しい。ついでに、梅が持ち上げる相手が伊達本人ではなく片倉の息子だということにざまーみろと思う。 そうこうしている内に、わーん!という泣き声が足元の双方から同時に上がった。姉妹の喧嘩は、いつも大体こうして収まる。はっと我に返った佐助は、「やべぇ」と呟いて城の奥へ視線を遣った。 赤い鎧に木刀を構え、戦時と同じ構えを取る上田城主の姿がそこにはあった。 「――政宗殿…それに、佐助… なにゆえ我が双姫が泣いておるのかご説明願おうか…」 姉妹の喧嘩はいつも大体こうして収まり、いつも大体、彼が飛んでくるものだ。 佐助は菊を、政宗は梅を抱え上げた。よくよく見ると幸村の背後でが苦笑いで立っている。これなら大丈夫、と妙な安心を覚えた。 「……逃げるか」 「賛成っ。でも、うちのお姫様落っことしたら命の保障はしないぜ」 待たぬか!!という主の大声が背後から追いかけてくる。 縋るように廻された細い腕をしっかりと抱え直し、佐助は屋根の上へと飛び上がった。 さて、これで暫しの逢引だ。 リクエストありがとうございました! 史実の姫様方からお名前お借りしました。左門は2代目小十郎の幼名ですね。 |