「が居ないと生きていけないー、だって」 最近どうよと聞かれたので、私は素直に答えた。これはつい先日の佐助の言葉だが、私が恣意的なフィルターをかけた解釈ではなく、一言一句違わずこの通りの発言だった。それを聞いたチカ君は何とも言えないしょっぱい顔をして、そうか、と言った。 佐助という一見して古風な名を持ちつつ、本人は実に現代的な私の恋人(そう呼んで差し支えない関係のはずだ)は、生活能力のどこかが欠落している。乏しいのではなく、どこかに置いてきてしまったレベルで何もできない分野があるのだ。人によってはその能力を自己管理と呼ぶ。あるいは自己防衛、かもしれない。 寒ければ人は厚着をするし、温かいものを飲む。雨が降れば傘を差すだろう。 だけど佐助は普段着のまま「寒い」と震えるし、雨でずぶ濡れになってから「冷たい」と呟くような人間だった。 掃除は大好きで、料理も出来ない訳ではなく、仕事をするという概念だってちゃんとあるのに、自分の身を守るというのか、大事にするというのか、そういう発想が頭の中に存在しないタイプの人間だった。 それでよく今まで生きてこれたものだと思ったが、チカ君曰く、 「だってお前みたいなのが居るから」ということだった。 “みたいなの”って何よ。そう思っても私は聞かない。 チカ君とのお喋りを終えて家路に着く。 アパートの外から見上げた私の部屋はカーテンが閉ざされたままだったが、遮光されているのではなく明らかに部屋の明かりが点いていない様子だった。自分の部屋の前に辿り着き、鍵を差して回す間も部屋の中に人が居る気配は感じられない。 だからって本当に無人だとは限らないのが彼が彼である所以というものだ。 私はドアを開ける。玄関にだけ明かりを点ける。オレンジの色の電球が、くたびれた男物の靴を照らす。自分の靴を脱ぐ。鞄を置く。さっと手を洗って居室に入ると、締め切っていた部屋に特有の篭った空気が私を出迎えた。その熱気の奥に冬眠中の熊のようなシルエットがあるのを眺めつつ、電灯のスイッチを入れる。 パッと白けた視界に目を細めたが、丸いそれは案の定布団の塊で、その所々から明るい色の髪の毛や恐ろしく白い足首がはみ出ているのが見えた。 「起きなさいよ」と声を掛けながら、私は佐助の鎧と化した布団を引っぺがした。 きっと私がドアを開けた時には起きていたのだろう、彼は素直に「うん」と返事をして身体を起こし、盛大な寝癖を直すでもなく撫で付けるように手を動かした。 「、おかえり」 「ただいま。顔洗ってうがいしてきなさい、すごい声よ」 「え…俺様の美声、台無し?」 「台無しね」 そんなに?という顔で佐助が私を見るので、私は黙って頷いた。低くて聞き取りやすい元の声はどこへやら、一晩カラオケに費やしたと言われたら納得するような声だったのだ。 佐助は軽く咳払いをしながら「台無しだって」とにやにや笑い、覚束ない足取りで洗面所へ姿を消した。 布団を整えてキッチンに戻り、冷蔵庫を開ける。中に入っていたものは全てそのままの位置にあり、欠片だって減っていない。 安っぽいカップに水を注ぎながら、私の胃の底は少しむかむかしていた。この息苦しい空間で何時間も転がったまま、食事も摂らず、水さえ飲まず、どうして彼はそれを良しとするのだろうかと。 幾許もしない内に佐助は再び私の前へ姿を現した。 「これで完璧?」と作り声で尋ねる彼に水の入ったカップを押し付け、私はタオルを装備する。地で明るい彼の髪は今は十分に湿って心なしか色濃く見えていて、ぽたぽたと水滴を落としていた。髪を上げずに顔を洗えば、そりゃあこうなる訳である。 「俺、が居ないと、生きていけないよ」 「……」 「本当だぜ?」 それは、そのご自慢の良い声で威張って言うことじゃあない。 私はひたすら無言で、丸洗いした犬にするかのように全力で、彼の頭を捏ねくり回した。くすくすと忍び笑いが漏れ聞こえる。 私の恋人(そう呼んで差し支えない関係のはずなのに、何かおかしい)は、されるがままだ。 “――真田が居ればなぁ…” ふと。かつてチカ君がべろべろに酔っ払った時の言葉を思い出す。 真田って誰よ。そう思っても、私は、聞かない。 リクエストありがとうございました! 短編佐助がお好きとのことだったので、やはり真田が居ない前提でお送りしました。 |