都の水無月といえば祇園の御霊会である。
朔日の吉符入りから始まり、山鉾の組み上げやら曳き始めやらでたっぷり汗をかいたあと、二日に分けて巡行が行われる。それから前祭の始まる前の三日間は、夜遅くまで賑やかな宵山が催される。ひとつきの間、都にはお祭り騒ぎの空気が満ちていて、お上品な春の祭の時とは違うその空気が慶次にはとても気持ち好い。

中でも彼が一番好きなのは神輿渡御の行事だ。
山鉾巡行も決して地味なものではないが、こちらの荒々しさは比べ物にならないこの行事は神の御霊を神輿に宿し云々と謂れがあると聞いたが、詳しいことは記憶の彼方である。だって祭なのだから、小難しいことを思うより楽しまなければ損だと思うのだ。

だが、年中そうして都を謳歌している慶次は今、贔屓の甘味処で肩をがっくり落としていた。



「駄目って言われた…」

「そりゃ、慶さんは居候だもの。
 こういうのはちゃんと氏子さんがやるべきよ」



おまけにあちこちに“つけ”ているのはどちら様でしたっけ、との言葉は容赦がない。
ひでぇや、と恨み言を溢して団子を齧る。

慶次が何を落ち込んでいるのかというと。
山鉾の囃子方か、できれば神輿渡御の担ぎ方になりたいと現在の居候先の主に申し出たのだが、の言うとおり“氏子がやるものだから”と断られたのだ。
どれだけ馴染んでいようとも結局は慶次は加賀からの流れ者であって、昔からこの地に住んでいたのではない。それにせめて金を落としていく居候であればまだ話の付けようもあろうが、慶次の場合は金を吸い上げていく方の居候である。



だって舞なり唄なり奉納したいって思うだろ?
 せっかく朝から晩まで練習してんだからさあ」

「お、思わないよ、さすがに。故郷の小さいお祭ならともかく…」



は呆れた様子で言う。
そこから“故郷”という言葉を聞き取り、慶次が「甲斐だっけ」と何気なく尋ねると、は一瞬間を空けて、そうだよと頷いた。



「甲斐にはどんな祭があるんだい?」

「どんな、って…藤切祭、とか?
 お寺の御神木の藤の木から根っこを切って蛇の形にしてね、
 それを拾えた人には一年無病息災のご利益があるって言われてるの」

「へえ、それで修行先を“藤屋”にしたってかい?」



そういう訳じゃないんだけど、とは今度は苦笑いする。慶次の視線にはどこか探るような色がありありと映っていたが、こればっかりは本当に偶然なのだからにはこれ以上弁明のしようがない。

と慶次はお互いにわざとらしく視線を逸らしてみたり、逆に執拗に目を合わせようと首をあちこちに向けたりするのを少しの間繰り返し、しまいに何が何だか分からなくなって同時にぷっと笑い合った。



「ははっ、なんだよこれ。面白い奴だなあ、

「お互い様よ。でも本当に、へんなの」



互いの声や顔が否応なしに次の笑いを誘発し、くすくすぷすぷすと忍び笑いが止まらなくなった二人のことを周囲の客も楽しそうに見ている。
やがて、店主が汲んで来てくれた冷えた水をぐっと飲み干し、はようやく一息吐いた。



――あ、おれ今、すっげー良いこと思いついた!」

「慶さんのそういうせりふって、あんまり良い予感がしないけど…」

「鷺舞の舞方が残ってたんだ!」



同じく水を飲み干した慶次が急に目を輝かせたので、は思わず身構えた。
そうして彼から紡がれた言葉はやはりというかなんというか――往生際の悪い慶次らしい思いつきだった。

鷺舞は御霊会で奉納される舞のひとつで、鷺に扮するために重い衣装を身に着ける必要があることから、多くの場合は それなりの体格をした男衆から舞方が選ばれる。それを考えると、流れ者ではあっても流石は武士と言うべき上背に太い骨を持つ慶次は、確かに条件は満たしているのかもしれない。



「ちょっとあの被り物はださいかなーと思わないこともないけど、
 贅沢言える立場じゃないしな、うん。ってな訳で、」

「……あれ?わたし、そろそろねえさん達に呼ばれてる気が…」

「あっ逃げるなって!練習付き合ってくれたっていいだろ!
 ていうか今日は確かうゐちゃんたちも休みだっただろ」



そそくさと立ち上がろうとしたところを、がっしり肩を掴まれ戻された。
どうしてか慶次は姉弟子たちの予定まで把握していて、の退路は断たれてしまった。

慶次はこれで風流な人なので舞の基本は抑えているし、鷺舞だって少しばかり練習すれば奉納しても罰があたるような出来にはならないはずだ。だから彼の舞う練習を見ているだけなら付き合うのはやぶさかでないのだが、決してそれだけでは済まないことをはなんとなく悟っている。



「なあ、唄方やってくれよ。できれば三弦も」

「…後でお店で、って意味、よね?」



慶次はにっかり笑って、「いま、ここで」との希望を打ち砕いた。
そう言うであろうと察していたはずなのに、面と向かって告げられるとなぜだか言葉に詰まって反論できなかった。

はこめかみに手を当てて項垂れる。
その一瞬を見逃さず、慶次は立ち上がって勝手に口上を述べ始めてしまった。



「さあさ!このおれの鷺の舞、茶請けついでに見てってくんな。
 目指すは御霊会、荒削りはご愛嬌。だがね、藤屋の“えーす”が唄ってくれんだ、
 見ねえ聞かねえってのは、ちょいともったいないぜ!」

「けいちゃん、“えーす”ってなんだい?」

「一騎当千って意味だよ、じいちゃん。まあおれも又聞きなんだけど」



慶次はばちばち手を叩き鳴らし、店の内外から注目を促した。
寄ってらっしゃい聴いてらっしゃい、と威勢の良い声は止まる気配がない。
顔馴染みの扇子屋が「ちゃんじゃねえか」と嬉しそうに言うのが聞こえて、はとうとう覚悟を決めた。

は鷺舞の唄には三弦は必要ないことや、次からはきっちり店で支払ってもらうことを言い含めるように慶次の背中を小突いたが、彼はちっとも痛くなさそうに笑うだけだった。
慶次は髪に挿していた簪を引き抜いて、扇の代わりに身体の前で構える。もばちを構え、喉をすこし整えてから、ふと息を詰めた。


二人の呼吸がすう、と合う瞬間があって。




――橋のうえにおりた鳥はなん鳥」




ぱち、ぱち、
周囲に集まった人々が手を鳴らし、拍子を打つ。




「かわささぎの、かわささぎの、ヤァかわささぎ
 さぎが橋を渡した、さぎが橋を渡した」




よっ、ほっ、
と動作の合間も慶次はうるさいことこの上ない。




「しぐれの雨にぬれとりとり、ヤァかわささぎ
 さぎが橋を渡した、さぎが橋を渡したぁ、」




いつの間にか誰かが箸で鳴らしていた湯呑みが、かん、と一際高い音を立てた。
一瞬あけて、わっという歓声が上がる。

に対しては度胸を褒める声がほとんどで、慶次には「でっかいから鷺じゃなくてとんびだ」とか「修行不足だなあ」とか、 からかい半分の声が聞こえてきた。きっと風流の町に生きる人々の自恃の心でもあるのだろう。
慶次もそれは分かっているようで、今に見てろと不敵に笑っていた。

稽古の中休みだったのにこんなことになるなんて、と思わないこともないが、いつか故郷に戻った時に、きっと大切な思い出になるだろうというのも分かっている。
が甲斐から呼び出しを受けるすこし前の、賑やかな一日のことである。
















リクエストありがとうございました!
慶次くんと祇園祭の前哨戦でした。鷺舞の唄については津和野観光協会のものを参考にしています。