「おばちゃあん、団子一皿ね!」

「あいよ、ちょっと待ってなね」



ようやく信濃・上田城下へと辿り着き、慶次は近くにあった甘味処に入った。 空を見上げると雲ひとつない日本晴れで、わけもなく気分が高揚する。 京の都からの道中、越後へ寄り道して手に入れた土産の酒を脇によけると、 そこへ甘味処の女将が団子の乗った皿を置いた。



「あれ?おばちゃん、おれ、きな粉は頼んでないよ?」

「いやだねお兄さん、おまけだよ!城主さまが御正室を娶られたお祝いじゃないか!」



そう言われ、慶次は周りの客たちを見回してみた。 どの客の皿にも必ず、小振りではあるが立派な黄金色の丸餅が添えられている。



「へえ、そいつぁ知らなかったなあ!
 だっておばちゃん、おれさっき京から着いたとこなんだぜ?越後にも寄り道したけど」

「おやまあ、京のお方かね!
 そんな雅び男さまが、こんな田舎まで何しにおいでなさったんだい?」

「いやね、おれの友達が結婚するってからさあ、ちょいとひやかしに来たんだ」



女将は「そりゃめでたいね!」と言って慶次の肩をぺちりと叩いた。 驚いた夢吉が飛び上がり、慶次の頭に乗る。



「なあおばちゃん、甲斐のことにも詳しかったりしねぇかな?
 おれの友達、って言う子なんだけど、屋敷がどこにあるか知らずに来ちまったんだ」

、って……まさかの弐之姫さまのことかい?」

「お、知ってるんなら話は早ぇや」



呑気に言う慶次に、女将は「知ってるもなにも」と呆れ返る。
女将と慶次の会話が盛り上がっているのに引き寄せられたのか、 いつの間にか通りすがりの男たちまで会話に参加していた。



「おいおい、城主さまが娶られたのがその弐之姫さまじゃないか!」

「ここいらじゃさまといえば弐之姫さま、弐之姫さまといえばさま。
 実はその女子ってのは遊び女でよ、兄さんは騙されちまったんじゃないのかい?
 わざわざ姫さまと同じ名前名乗るなんて、ふてえ女子も居たもんだねえ」

「いーや。正真正銘、を探してるんだ。
 まあでも、騙されたっちゃあ騙されたかもなあ。最後まで自称・町娘で通されたし」



女将は群がった男たちの間を器用にすり抜け、慶次に湯呑みを渡すと、 少し離れた所に腰掛けていた男に「ちょいとあんた、」と声を掛けた。 男はきな粉餅を頬張りながら、慶次と女将のほうを振り向く。



「あんた、この兄さんに姫さまの話をしておやりよ!どうせ暇なんだろう?」

「姫さま?ああ、弐之姫さまと幸村さまのことかい!
 任せな任せな!その代わりお茶をもう一杯おくんなよ」



男の言葉に一瞬瞠目したものの、慶次は次の瞬間にはにやりと口の端が緩むのが分かった。
言葉尻からの旦那と目される『幸村さま』と言えば、この界隈でただひとりだけだ。 なんだいなんだい、面白いことになってるじゃないか!

本当は、信濃は越後から甲斐へ抜ける単なる通過地点のつもりだった。 からの文には“甲斐国武田一門”とあったから、もし領地があるのならそちらで名乗るだろうと思われたからだ。
それがまさか、路銀節約のために幸村に宿を工面してもらうつもりでやって来たこの上田が、 この旅の終着点であったとは。

慶次は団子をひとつ男に差し出し、「ここはひとつでかいのを頼むよ!」と言った。



「そうさなあ、弐之姫さまといや、ここらじゃ有名なお転婆姫さまでなあ。
 まだ童でいらっしゃった時分から、よく幸村さまと城下に遊びにおいででな、
 その度にお世話係の兄さんが迎えに寄越されるのを何度お見かけしたことか!」

「おうおう、予想がつくねえ!」

「一時はお屋敷を出ておられたんだが、一月ほど前にお戻りになって、
 あれよあれよと言う間に幸村さまの御正室になられたのさ。
 そうさなあ、弐之姫さまがお戻りになって十日くらいだったか?
 とにかく、気付いたときにゃ、お輿がそこの大手筋をお通りになってたってわけよ」

「十日ぁ?そりゃまた性急な話だねえ」

「俺の店にいらしたお方の話だと、なんでも幸村さまがお逃げになるのを防ぐためだとか」



慶次は「そりゃごもっとも!」と膝を叩いて笑う。
男はそれに気を良くしたようで、女将に団子の追加注文をした。



「でもだからって、不仲でいらっしゃるわけじゃない。むしろ仲睦まじいご夫婦でおいでさね!
 この茶屋にも何回かお二人でお見えになったんだよなあ、女将?」

「そうだよう、そりゃもうお可愛らしいおふたりでねえ!」

「で、また世話係の兄さんが寄越されるって寸法さ」



慶次と数人の男たちは声を出して笑う。
『猿飛も大変だなあ』と、慶次は胸中で思った。



「しかし姫さま、お美しくなられたのもそうだが、
 童の時分に比べてずいぶんお淑やかになられたよなあ」

「ばかお前、四日前のあれを忘れたか?」



ひとりの男が夢見るように言うと、別の男がにやにやして反論した。



「兄さん、幸村さまが色事に不得手なのはご存知かい?」

「そりゃあね、真田と言えば『絶叫“破廉恥!”』だろ?」

「おう、よくご存知でいらっしゃる。
 さて四日前、お二人はまたお忍びでこの茶屋にいらして、
 幸村さまは餡子餅、弐之姫さまは蓬をお頼みなさった」

「そりゃ仲良しなこって」

「ここの主人の甘味は絶品だもんで、幸村さまはもう夢中でお食べになった。
 あんまり夢中で食べなさるもんだから、餡がここについちまったんだな」



男は自分の頬を人差し指でとんとん叩く。
他の男たちのうち、この話の顛末を知っている者は慶次の反応をにやにやしながら窺っていた。



「そこで姫さまが教えてやった、“源二郎さま、餡がついておられますよ”。
 幸村さまは指で拭おうとしたんだが、どうにもうまく拭いきれない。
 あまりに上手くいかないもんで、見かねた姫さまは――どうしたと思う?」

「いやあ、焦らすねえ!どうせが拭ってやったんだろ?」

「そうともさ、こう、ぺろっと舐めてな!」



慶次は思わず『ぶはっ』と吹き出した。何事かと問うてくる様に、夢吉が慶次の長い髪を引っ張って鳴く。 男たちは口々に「羨ましいよなあ」と言い合っていた。 恐らくは可愛らしい新妻で羨ましいという意味なのだろうが、 慶次からすればが完全に面白がっているがための行動にしか思えない。



「そ、そりゃ幸村のやつも驚いたろうなあ!はれんちでござるー!って大絶叫だったろ?」

「いやあそれがどうして、叫びはしたが“破廉恥!”とは仰らなかったのさ。
 なあ女将、なんて仰っておいでだったか憶えてないか?」

「何だったかねえ、ただ口をついてお声が出てしまっただけのようにお見えだったけどねえ」



ふむふむと頷きながら慶次は茶を啜る。
どうせ『わああぁぁああ!!』とかそんなところだろうが、いつもの“破廉恥!”ではなかったとは驚きだ。



「そのまま一目散に駆け出しちまって、置いてけぼりを喰った姫さまはぽかんとしてらっしゃった」

「えっ、まさか独りで帰っちまったのかい?」

「俺たちもそうだと思ってな、姫さまもお可哀想にと思っていたところで、
 幸村さまが戻っていらした。ありゃきっと、城下を一周したんだろうなあ。
 全速力で戻ってきて、姫さまの腕をひっ掴んで、そのまま全速力で城へお帰りになったわけよ」



これで終いだとばかりに、男が湯呑みを持ち上げた。
集まった男たちは口々に「七日前は市に来ていた」とか、「いやその日は遠乗りに行くのを見た」とか言い合っている。

慶次は残りの団子をすべて口に詰め込み、よっこいしょと腰を上げた。



「さあて、いい話聞かせて貰ったところで、そろそろ行こうかね。おばちゃん、お勘定!」

「はいよ――って兄さん、団子一皿がこんなにするわけないだろうに。
 いやだよう、うちはそんなに悪徳茶屋に見えたのかい?」

「まあまあ、面白いもん聞かせてもらったお礼だと思って取っといてくれよ。
 どうしても受け取れねえってなら、この旦那たちに団子一本ずつ食べさせてやってくんな」



渡された小銭の多さに女将が慌てて慶次を引き留めるが、慶次は笑って手を振るだけで取り合わない。 男たちも女将も、こんな風にあっさり大金を支払える慶次がただの旅行者では無いと気付き始めた。 よく見てみてれば出で立ちは驚くほど派手だし、背中に負った大剣は身の丈ほどもある。



「あ、あんた何者だい?団子一皿にこんな大金、お侍さまにしても気前が良すぎるよ、」

「そういや最初に姫さまのご友人だって……そ、それに幸村さまを呼び捨てにしてたよな、」

「まさかどこかのお偉いお方なんじゃ、」



店中の視線を一身に集めた慶次は、困ったように頭を掻いた。
確かに叔父の利家は加賀国主だが慶次は家出中だし、気前がいいのだって、 藤屋の女将と越後の軍神から路銀をたっぷり借り入れたのに、旅がここで終わってしまうから、余裕があるだけだ。



「前田慶次―――ただの風来坊さ」



片目を瞑ってにかりと笑うと、呆気に取られる甘味処の女将たちを残し、慶次は上田城を目指した。 さては、突然やって来た自分を見たらどういう反応をするのだろう。











◎ ◎ ◎
◎ ◎ ◎












幸村は仕事用の部屋で政務に励んでいたが、ふと顔を上げて、 陽がもうじき天頂に届きそうな位置にあることに気付いた。 肩が重く感じられるのも無理はない。 凝りをほぐそうと腕を回すと、たまにばきばきと軋んだ音がする。



「佐助」

「はいはい何用ですかー、っと」

は自室か?」



またこれだ、と佐助は溜息を吐いた。もちろん幸村にはばれないよう、こっそりと、だが。

あの見事に噛み合わなかった見合いもどきから、二十日ほど経っただろうか。
幸村は暇さえあればこうしての元を訪ねようとする。 もちろん顔も合わせないほど不仲であるよりは仲睦まじい方が良いことは確かだが、それにも限度というものがあるだろう。 しかも、城内で大人しくしているならまだなんとか我慢も出来ようが、 城下の茶屋へ繰り出す計画を頻繁に練っているというのだからたちが悪い。



「そりゃ自室でしょうよ、ここに居ないんだから」



あんたら四六時中ひっつきすぎなんだよ、と佐助は言外に嫌味を込めて言うのだが、 幸村は嬉しそうな顔で「そうか」と答えるだけで、ちっとも佐助の気苦労が伝わったようには見えない。
そもそもの部屋へ行ったって何をするかといえば武器の手入れをするくらいで、 の“特訓”が成果を顕してきているわけでもない。 むしろが「幸村さま」と可愛らしい声を出しながらくっついても、ぎゃあ!だの、わあ!だのと騒ぐばかりなのだ。 ただひとつ改善が見られたとしたら、例の「破廉恥な!」が咄嗟に我慢出来るようになったことだろうか。



「姫さまんとこ行くのはいいけど、勝手に抜け出したりしないでよね。
 あ、あと姫さま誘って稽古もだめ!禁止!わかった?」

「分かっておる、だからそこを通さぬか」



拗ねたようにくちびるを尖らせて言う幸村に、佐助はまたひとつ溜息を吐く。 仕方なく、自身の身体でそれとなく塞いでいた道を譲った。そのまま見送るのも癪なので 「今日こそ押し倒せよ旦那ァ」と声をかけると、動揺した幸村は障子の角に足をぶつけた。


情けない主の背中を見送って、佐助はくるりと踵を返した。 と、その時、城門の方から微かに騒がしい声が聞こえた。 聞こえたとは言っても風に乗って本当にかすかに耳を掠めたに過ぎず、 忍でなければ気付けそうにないほどだった。
気のせいである可能性は高いのだが、如何せん彼は根っからの忍であるため、捨て置くなど出来る筈がない。 まじ給料上げてくれねえかなぁと溜息を吐いて、佐助はその場から音もなく、消えた。





「―――っからさぁ、……に …せろって……」



常人には影すらも捉えられないだろう速さで屋根の上を駆けていると、徐々に声がはっきり聞こえてくる。 やはり空耳ではなかったかと気を締めるが、どうにも嫌な予感がする。 何故だろう、その声に聞き覚えがあるような気がするのだ。



「だーかーらあ、に会わせろって言ってんだろ」

「ならぬ!其の話、どこで聞き付けた!さては間者を放っておったのか!」

「んなわけねーじゃん!から聞いたんだってば。それに、城下中で噂の的だったぜ?」



門番の兵と一進一退の攻防を繰り広げているその男。 離れていても分かるほど大きな体躯に派手な着物を纏い、背には大剣、肩には猿、靡く髪には羽飾りを挿している。
前田慶次。当世一の傾奇者として名高い男である。



「―――何しに来たの、風来坊?」

「猿飛殿!」

「おっ、猿飛ひさしぶり!
 あのさあ、この門番どうにかしてくんねえかな?おれの話ちっとも聞きやしねえんだ」



木の葉のように身軽な動作で佐助が城門前、慶次と門番の間に降り立つと、 双方が「やっと話の分かる相手が来た」とばかりに目を輝かせる。 佐助としては関わりたくないのが本音だが、実は慶次が奇襲に来た可能性も零ではない以上、 そういうわけにも行かない。



「姫さんに会いに来たんだって?っかさあ、そう言われてほいほい通せると思う?
 それともあんたの家では奇襲をかければまつさんに会えるっての?」

「そうだなあ、まつ姉ちゃんなら自分で追っ払いかねねえから、ある意味その通りだよなあ」

「………あ、そ。でもうちは生憎だけど前田家じゃないんでね」



だからもう帰れ、と、佐助は犬でも追い払うように手をひらひら振って見せる。
慶次はひょっとこのように口を尖らせて「けちくせー」と呟いた。



「じゃあ今すぐ通してくれなくていいからさ、に伝えてくんねえかな?
 慶さんが遊びに来たけど通せんぼされて困ってるからなんとかしてくれーって言ってるぜ、って」

「………どーしよっかな。あんたが本当に姫さんの知り合いだって証拠もないしなー」



佐助はつま先で地面を蹴りながら思案した。

戦乱の世の常として、同盟関係にあるわけでもない他国の者を城に入れることなど到底出来ることではない。 内部情報を持ち出されるかもしれないし、警備の隙を突いて要人が暗殺されてしまうかもしれないのだから。
しかし、もし慶次が本当にの友人なのだとしたら、 通さないことでかえって咎めを受けるかもしれない可能性を見落としてはいけない。 何せは今や中流武家の姫ではなく、城主の正室、 つまりその気になれば城内を裏から支配することだって出来るのである。 もし信玄や幸村へ「佐助が働かない」と流言を囁かれてしまえば、佐助の無職がそこで決定してしまう。 それだけは絶対に御免だ。

そんな佐助の思案に気付いてか、慶次はぱっと顔を輝かせて「証拠!あるよ!」と言い、懐から和紙を取り出した。



「ほら、からの文!
 最後に印があるだろ?甲斐国武田一門弐之姫、、って」

「これ……本物?偽装とかしたんじゃないの?」

「してねえって!がそれに見覚えがあるって言えば証拠になるだろ?」



まあね、と返事をし、佐助は門番の兵に向き直った。 城門の開閉を担うだけあって、兵の体つきはしっかりしている。 これなら万が一慶次が暴れたとしても時間稼ぎにはなるか、とある種冷酷な打算をした。



「……悪いんだけど、姫に確認取ってくる間、風来坊見張っててくんない?」

「さっすが猿飛!話が分かるねえ」

「真ッ正面からあんたとやりあうのはさすがにしんどいしねえ。
 その代わり、ちょっとでも怪しい動きしたらその首がふっ飛ぶと思いなよ」

「相変わらずおっかねえなあ」



慶次は門前にどかりと座り、厳しい視線をぶつけてくる佐助を見上げた。 両腕を広げて、逃げも隠れもしないことを態度で語る。

突如大役を仰せつかってしまった門番の困惑した顔は(同情してしまいそうなので)見ないようにして、 佐助はの部屋に向かった。