ある日、奥州から上田へと乗り込んできた伊達政宗は、
持参した枡と酒を見せつけながら、「飲むぞ」と、言った。


好敵手の突然の来訪に、槍を片手に勇んでいた幸村は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。
政宗はそんな幸村には興味がないようで、視界から赤を押し退けると、我が物顔で廊下を進んでいく。



「ま、待たれよ!政宗殿、一体なにを…」

「酒だよ、酒。あんたの嫁さんは大層な酒豪だそうじゃねぇか」



ひゅう、と口笛を鳴らしながら歩く政宗と、その一歩後ろを慌てて追いかける幸村。
陽は傾いていて、もう二刻もすれば完全な暗闇の世界になるだろう。 茜色に染め上がった障子をいくつか通り過ぎていると、漂う匂いから夕餉の準備が整いつつあることが分かった。

どうかうっかりと鉢合わせたりしませんように。
袖を引っ張っても髪を引っ張っても政宗が止まらないと悟った幸村は、 祈る対象を政宗からへ、内容を「止まってくれ」から「出てこないでくれ」に変えた。 できることなら、この状況を聞きつけた佐助にを遠ざけておいて欲しいのだが、 あとでまた「俺様は忍であって便利屋じゃありません」と嫌味を言われかねない、とも思う。


政宗の足はまっすぐにの自室の方へ向かっていた。
まさか部屋の場所まで知られているのか、と焦る幸村は、政宗を背後から半ば羽交い絞めるように引き止める。



「だ、だめでござる政宗殿!まさむねどのぉおおお!!」

「声がでけぇんだよ、うっせーな」

「そうですよ幸村様。何事ですか、騒々しい」



目についた部屋の襖を開けて、幸村の必死さを内心愉快に思いながら政宗が目的の人物の姿を探していると、 自身の背後に居る幸村の、そのまた背後から声がした。

ふたりは揃った動作で振り返る。
声で分かっていた話ではあるが、そこに居たのは不思議そうな顔をしただった。



Oh!It's been a long time,Lady Canary!

「あら…え?伊達殿、お出でと知りませんで挨拶も無く、失礼を致しました」

「構わぬ、勝手に来たのだ!下がって良いぞ!」



政宗が「いや良くねぇよ」と言うが、幸村には聞こえていなかった。 の肩を掴んでくるりと反転させ、さあ戻れとばかりに押しやろうとする。 幸村の騒ぐ声を聞きつけて来てみたばかりのは、状況が理解できずに「え?なに?」と幸村に抵抗しようとしていた。



「おい、無視すんなよ。俺たちゃ飲み比べの約束をしてたんだぜ、なァ?」

「そういえば、そんなお話もいたしましたね」

「なっ…いつの間に!!」



が「奥州に居た際に」と答えると、幸村はそれ以上反論することが出来なくなってしまった。
武家たる者、一度交わした約束は、遠き日に交わしたものであろうとも違うことは恥である。大袈裟な言い方をすれば、 そういうことだ。

「そういう事ならば、」と言って、幸村は渋々を押しやるのをやめた。そのまま政宗に向き直ると、宴会用の座敷に案内することを告げる。 政宗はにんまり笑うと、「Thanks」とだけ言うのだった。











◎ ◎ ◎
◎ ◎ ◎












ちらちらと揺らめく蝋燭の灯りを背景に、政宗とと、ついでに幸村の飲み比べが始まった。
奥州の国主が賓客であるということで、幾人かの家臣が同席を申し出たが、それらは全て断った。 彼らには「非公式のものであるから」と言い訳したが、要するにどうなるか予測もつかないので 保険として少人数の席にしたのである。



「なんだ、蕎麦じゃねぇのか」

「ご所望なら準備させますが…」



野沢菜をつつきながら政宗は言うが、すかさずが腰を浮かせながら対応すると、「いや、いい」と返事をした。 これから酒を飲もうというのだから、蕎麦が出されるより軽い副菜があってくれたほうが有難いと言えば有難い。 どこかの風来坊ではあるまいし、蕎麦をたかりに来たわけではないのだ。

幸村はただ黙って、が酌をするのに任せている。
怒っているというよりそわそわと落ち着かない様子は、ある意味気味が悪い、と政宗は思った。



「……Hey,やけに大人しいじゃねぇか、真田」

「そん、そんなことはない!さあ政宗殿、たんと飲まれよ!」



政宗の一合枡に溢れるほど酒を注ぎ、幸村は自分の杯を呷った。
多少ひっかかる気持ちはあるが、まあいい。政宗も枡を傾けて酒を流し込む。 はふたりが飲むのを見届けたあと、「では頂戴いたします」と言ってから 漆器にくちをつけた。











〜宴会開始から半刻〜



「――しかし佐助がっ、背後に立っておったのだ!柄杓を構えっ、鬼のような目で!蛇のように笑いっ… あまつさえ、柄杓で頭を殴った!!たかが枇杷のひとつやふたつや!――いくつだったか忘れたが…」

It was your fault,I think.



とのなれそめを訊ねられ、熱く語る幸村は、普段の声量を上回るほどのやかましさだった。
政宗は早くも、話題を間違えたかと後悔しつつある。意識はしゃんとしているようなのでまだ良いが、 これで絡み酒になり出したらさっさと追い出そうと思った。耳が耐えられない。



「こぶにならぬような力加減が、逆に痛かった!!」

「幸村様が石頭なんでしょう、わたしの頭はこぶができました」

「なんと、そうであったか!!それはっ…おなごのからだに傷をつけるなどっ…」



なにやら悶絶している幸村を視界から外し、政宗はの方を見た。
ほんのり、どころか結構しっかりと色付いた頬は、明らかに酒のせいだろう。



「……あんた、強いんじゃなかったのか?」

「政宗殿、油断は禁物にござる!!」



は口元に手を当てて、「ふふ」と笑う。幸村が慌てたように政宗の着物の袖を引っ張るのを振りほどきながら、 彼は思わず「はァ?」と零すのだった。











〜開始から一刻〜



空になった徳利が、そろそろ山を形成し始めていた。
政宗も幸村も飲み干す速度が遅くなっていたのだが、だけは変わらない速度で杯を傾けている。



「……まだまだ余裕、ってか…」

「だから言ったのでござる、油断は禁物であると」



“わざと酔ったふりをしていた”とでもいうような言い方をされたが「失礼ですね」と不満そうに言う。 背筋はまっすぐ伸びたまま、口調もはっきりしていて、ちっとも酔った様子を感じさせない。 ただ色付いた頬だけが、わずかに酒の名残りを留めている。

追加の酒を持ってくるように言いつけようと、は腰を浮かしかけた。
しかし、すかさず幸村がその腕を掴み、「どこへ行く?」と訊ねた。



「お酒をもっと持ってくるように厨へ言おうかと…」

「佐助に頼めば良いだろう、どうせ天井裏に潜んでいるのだ」



それはちょっとどうなんだろう、と思ったのはと政宗である。呼応するように、天板が乱暴な音を立てて軋んだ。 まるで「ざけんな!」と怒る声が聞こえてくるようだが、音は厨の方へ進んでいく。

は佐助の律儀さに感動の涙がこみ上げてきそうになるが、幸村はそうでもないらしい。 にこにこ笑いながら掴んだ腕に力を込めて、を引っ張る。



「……酔ってるでしょう」

「なんの、まだまだ」



あぐらをかいて座った足の上にを乗せて、幸村は満足そうに笑っている。
「うぜぇ」と呟いた政宗の声は、どうやらどちらにも届いていない。











〜開始から二刻〜



「………なあ…」

「お気になさらず」



にこりと笑ったまま、はきっぱり言い切った。
政宗は曖昧に言葉尻を濁し、目線を逸らす。

幸村は相変わらずを足の上に乗せているのだが、もはや酒を飲むのは止めていた。 腹を抱えこむように腕を回し、顔は肩口に埋まっている。眠っているのかと思いきや、 時折思い出したように腕に力が篭ったりする。

飲み比べをしようなどと言い出した数刻前の自分が憎たらしいと政宗は思った。
こんな光景を見せつけられるくらいなら来なければよかった。酒が美味いのが、また一層に口惜しい。

一方で、少し前には確かに赤かったはずのの顔色は平時のものに戻っていた。
政宗はそれを横目で窺いながら、枡を口に運ぶ。甘い口当たりが、徐々に苦味に変わっていくような気がした。 限界酒量はもう超えているかもしれない。少し体勢を変えようと身動ぎするだけで、頭が眩んだ。



「どうしてあんたは、気味悪いくらい平然としてられんだ…」

「ご質問はお酒のことですか、幸村様のことですか?
 ちなみに幸村様は稀にこうなりますので、どうぞお構いなく」



そう言って、は傍にあった徳利を引き寄せる。最後の二本だった。厨に頼めば持ってきてくれるかもしれないが、 政宗の様子を見ればそろそろ潮時だろうと思われた。
片方を政宗に渡し、「さあ、飲みましょう」と笑顔で言い放つと、彼は苦い顔で受け取った。

視線で合図をして、同時に徳利ごと一気に呷る。



「――――Oh,shit…!」



ぐら、と脳を揺さぶられた感覚がした。

只でさえくらくらしていた頭は飲み干した勢いで更に眩み、政宗はそのままばたりと倒れこんだ。
揺れた視界では、が空になった徳利を事も無げに畳に置いている。なんだこの女は。 最初は火照った顔をしていたくせに。ああ、吐きそうだ。



「伊達殿、そこで寝たらお風邪を召しますよ」

「うる、せえ……!ばけもんか、あんた…最初は、あんな、真っ赤な顔で…」

「最初の一合はすぐに顔に出てしまうのです。
 けれど、“酔いました”とは一度も申し上げておりませんわ」



幸村が『油断禁物』と言っていたのは、そこだった。 最初にあれだけ赤い顔をしていればすぐに潰れるだろう、と高を括り、急頻度で飲み続けると、いまの政宗のように 逆に潰されてしまう。
ちなみに決して酒に弱いわけではない幸村も、同じ手で酔い潰されたことがあった。

政宗は「Goddamn…!」と呟き、酔いの波をやり過ごすために眼を瞑った。
もういっそ、このまま寝てしまうのもいい。どうせ幸村だって潰れているのだから、 朝になって佐助に小言を言われるのはきっとそっちだ。



「………政宗殿も落ちたか…」

「起きてたの」



ぽつりと言ったのは幸村だった。
彼はから少し身体を離し、その耳元でぼそぼそと「初めから寝ておらん」と反論する。



「策だ。どうせ、同時に飲んでいてはまた負ける。
 ならば…政宗殿を潰すまで飲ませたあと…じっくり、俺が…」

「無理よ、もう限界まで飲んでるでしょ」

「…試してみるか?」



言葉は勇ましいが、指摘された通り、幸村の指先はおぼつかない。
の腰を掴まえたまでは良かったものの、帯を解くのには苦戦しているようだった。

遊ぶような幸村の手を掴まえて外し、は拘束から逃れた。 背後の幸村は目を細めて不満そうな顔をしている。彼の全身から漂う酒気や 焦点の合わない瞳孔が、酔態であることをありありと告げていた。



「そういう――ことは――素面のときになさい!」



がぐっと幸村の肩を押せば、彼は簡単に後ろに傾いてしまった。
お?と不思議そうな声をあげて倒れていく幸村は、何が何だか分かっていないようだった。

そのまま畳に頭を打ち、眠そうに目を瞬いたまま動かない幸村は、まるで大きなこどものように見える。 しかしこどもには決して無いしっかりした体つきは、下手な遊女より色香のあるものだった。 よくぞ自分と婚姻を結ぶまで、どこぞの女に押し切られていなかったものだ、と不思議にもなる。



「おやすみなさい、ここは片付けておくから」

「…も…」

「だめ。伊達殿と一緒に寝てなさい」



犬のような触感の海老茶色の髪をがしがし掻き回してやると幸村は満足そうに目を瞑り、一瞬の後には 寝息が聞こえてきた。ちらり、と政宗のほうを横目で見れば、彼も同じように寝息を立てている。

散らかった徳利を掻き集め、運搬用の盆に乗せて立ち上がろうとすると、足元がふらついた。



「……さすがに、のみすぎた…?」

「そりゃ、こんだけ飲めばねぇ」



独り言に返ってきた声に驚いて振り返ると、手中から盆が消えた。
の背中を支えつつ、盆を片手に持ちつつ、佐助が幸村と政宗を見下ろしていた。



「いやー、寝首掻いてやろうかね、まじで。
 飲まず食わずで警備してた俺様への挑戦としか思えねーわ」

「佐助」

「じょーだん、ほんの冗談ですってば。
 ここは俺様が片しておくから、姫さんは早く寝所に戻っちゃって下さいよ」



飲まず食わず、の部分に恨みが篭っているような気がして、は引き攣った笑いを浮かべた。
申し訳無くなって「一緒に飲む?」と聞けば、「遠慮しとく」とあっさり断られてしまった。



「お誘いはすっげー嬉しいんだけど、今なら姫さんでも潰せちゃうから、やめとく」

「なによ、まだ飲めるもの」

「あっれぇそんなこと言っていいの?今の姫さんなら俺様、あっさり喰えちゃうよ?」

「幸村が起きるわよ」

「ごめん、無かったことにして」



げんなりした佐助の言い方に口元を綻ばせながら、は襖を開けて廊下へ出た。
ひんやりと冷えた空気が着物の裾から入り込んでくるようで、少し身震いする。

明日の仕事は、二日酔いの男ふたりを介抱することになりそうだ。









上田城深酒戦

戦闘時間:二刻
撃破武将:伊達政宗、真田幸村、猿飛佐助(戦意喪失)





















佐助は武将じゃなくて忍だというのはつっこんじゃいやなんだぜ。