晩秋に発端を喫した戦は年の瀬に一応の決着をつけたが、依然として睨み合いの状態が続いたまま、 季節は冬を越し春になっていた。

戦の合間合間を縫って幸村から届けられる手紙は、全て丁寧に畳んで保管してある。
その内容は主に、共に出陣した息子、大助のことだった。幸村も大助も大きな怪我をせずに 先の戦を乗り切ることが出来たという文が届いたとき、は安堵に胸を撫で下ろした。


だがそれも過ぎたこと。
卯月を迎える頃には、再び開戦の噂が聞こえてくるようになった。




卯月の二十六日
徳川の勢力は、左縦隊に伊達らを、右縦隊に前田らを従え、進攻を開始。


卯月の二十九日
たちの蟄居する九度山を治める城主、浅野長晟に対し、豊臣方が進軍。
しかし浅野征伐は失敗に終わり、豊臣方は大坂城に撤退した。

その際、は屋敷を開放し、麓の農民たちを匿った。
運び込まれてくる農夫の中には、豊臣方の武将が死ぬ様を見たという者も居た。
は必死で目を凝らしたが、真田の赤備えは見えなかった。



皐月の一日
道明寺の戦いにて徳川方左縦隊と相対するべく、幸村は毛利らと共に天王寺に進軍。
道明寺出撃隊は前軍と後軍に二分され、幸村は後軍であった。
一方で長曾我部らは、右縦隊に対抗すべく八尾に進軍していた。


皐月の六日
幸村、毛利らの後軍は濃霧のため豊臣方の前軍との合流に遅延。
これにより前軍は早朝に壊滅したため、その生き残りは後軍に合流。

午後には、幸村は誉田稜の西南に、毛利軍は藤井寺周辺に陣を展開していた。
しかし形成の不利から大坂城からの撤退命令が下り、後退。

止むを得ず民家に放火するなどしながら撤退していく豊臣方への追撃を徳川の武将は望んだが、
「深追いすべきでない」という伊達政宗の説得により、この日の戦を終えた。

また、八尾・若江にて交戦していた長曾我部らも、
徳川方にそれなりの損害を与えたものの、大坂城へと撤退した。


皐月の七日
幸村は茶臼山に、毛利は天王寺南門に、長曾我部は大坂城付近に陣を展開。
対する徳川方は、岡山口に前田、天王寺口へ本多・伊達などを配備。

日の出と共に、家康は茶臼山へと出陣。
日が天頂に架かる頃、天王寺にて本多の隊と毛利軍が衝突。
徳川方勢力を押し返すも、毛利軍の行動自体は作戦からは逸していたものだった。
そのために戦線は混乱し、幸村は大助を前線から外し大坂城の秀頼の元へ下がらせた。

幸村の指揮下にある軍の人数は、およそ二千。
対するは徳川・本多隊の一万五千であった。























城に戻らせた大助が気がかりだった。
赤で揃えた全身が、切り伏せた敵の血で更に赤く染まるのを見ながら、 幸村が考えていたのはそのことだった。大助は無事に大坂城に戻れただろうか。 まさか退却途中で敵に遭遇してはいないだろうか。
秀頼と命運を共にするようにと告げたとき、大助は「父上と共に戦います」と必死で懇願をした。 自分によく似た息子の顔から涙が零れるのを見るのは、なんとも不思議な気分だった。

戦況は極めて不利。何よりもまず数の上で圧倒されている。
もはや自分が生きて戻ることは不可能だろうという事は悟っていた。だからせめて、 大助だけでも、と思って前線から退かせた。しかしそれも単なる時間稼ぎに終わるかもしれない。

本多の率いる部隊を蹴散らし進み、一時は希望さえ見えた。
幸村の猛攻に怯んだ徳川は、馬印を封してまで退却をしたのだ。いける、と思った。 家康の首はすぐ手に届く距離だった。しかしそこで徳川に援軍が到着してしまい、引かざるを得なくなったのだ。

いざ前線を下げたものの、陣を張っていた茶臼山は、既に徳川の手に落ちていた。
味方の士気が急落していくのが、手に取るように分かった。それでも幸村は全身で槍を振るった。
今となっては佐助ともはぐれてしまった。奴のことだから生きているであろうとは思うが、果たして。


日は天頂を過ぎた。
一日のうちで最も気温が高いと言われる時刻になっていた。


汗と血と土埃に塗れた身体で、見つけたのは神社の鳥居である。 指先の強張りをほぐしながら鳥居に近付くと、味方の負傷兵が何人か休んでいた。 無事か、と声を掛けながらその面子をさっと見回す。彼らの中に見知った顔はない。 少なくとも大助ではないし、佐助でもない。そのことに少し、安堵した。

戦況はどうなっているのだろう。勝てる見込みは少しでも上がったのだろうか。
兵士が寄越した竹筒から水を飲み、連日の戦で固まりきった筋をほぐしていく。



はどうしているのだろう。
先立って浅野との戦が行われたとき、幸村は大坂城に居た。まさか九度山の方まで戦火が 届いたとは思わないが、もし情報が此方に入っていないだけで、や娘たちが和歌山城まで来ていたら。

暑さのせいだろうか、眩暈がした。左手に纏めて槍を持って、右手で目許を覆う。
瞼の裏には、幸村がこの生涯で出会った人たちの顔がちらつくようだった。

父上、母上、兄上。お館様。佐助。。大助、菊、梅、大八。

父母と信玄は既に鬼籍に入っている。兄は徳川に助力している。佐助とははぐれてしまった。
もう半年もの顔を見ていない。どうしているのだろう、と思考が逸れる。梅は相変わらず脱走を試みているのだろうか、 菊はひとり泣き腫らしているのだろうか、大八は立てるようになっただろうか。



そのとき、少し離れた所で休んでいた兵たちがどよめいた。
何事かと顔を上げる。陽光が目を眩ませた。思わず瞼を細める。白む視界に、立ち塞がる人影。





「―――こんな所に隠れてやがったか、真田幸村ぁ!」

「…伊達……政宗ぇ…ッ!」





ぼたり、ぼたりと音を立て、政宗の刀の切っ先から血が滴っていた。先ほどの兵たちのものか、 それとも午前に立ち回った際のものか、どちらかは知らない。
幸村は槍を支えに立ち上がり、大きく息を吐いた。そして構える。


どうか見ていてほしい、と、幸村は師と父の姿を思い浮かべた。
自分はいま死闘に赴こうとしている。勝てるかどうかは分からない。 それでも、一歩も退かず、一視も逸らさず、武士としての生を全うしてみせる。 それが彼らの誇りだった。それが幸村の信条だった。そのことには恐れも後悔も何も無い。


恐らくは最後になるだろう斬り合いの相手が、彼で、良かった。
幸村は腹の内で、無意識にそんなことを思っていた。意識して思っていたのなら、 一度槍を置いて『端から負けるつもりで勝負に臨むなど!』と頬を叩くくらいはしていたかもしれない。


しかし、ああ、願わくは最後にもう一度、の顔を見ておきたかったものだ。























七日の戦にて豊臣は敗北し、大坂城は焼け落ちたという。
の元には幸村が安居神社で討ち取られたこと、大助が秀頼の後を追って自害したことなどの 報せがもたらされた。

九度山に残った下男下女たち、そして娘たちが咽び泣く中、はひとり頑としてその報せを信じようとしなかった。 その首を自分の目で見るまでは決して信じない、と言い、働く気力を失った者たちの分を 穴埋めするように働いた。


天下は着々と徳川の手により整備されていく。
戦が終わって幾日も経ったが、幸村も、佐助も、大助も、誰ひとりとして帰って来ない。
屋敷に残った者の中には、九度山から退去するよう勧める者も居た。しかしはそれを受け入れず、山から降りようとはしなかった。幸村が帰ってくるとしたら、 此処以外には無いのだ。上田には戻れず、の実家も、武田の潰えるのと同時に絶えてしまった今となっては。




戦が終わってから、もうどれだけ日が経っただろう。
ある日の午後、麓の農夫が慌てたように駆けて来て、に会いに侍が来ていると言った。

侍。わざわざそういう言い方をしているということは幸村たちではないのだろうか。
それとも佐助の手によって変装させられているから、農夫には幸村たちだと判断できなかったのだろうか。

はその侍を通すように言った。
屋敷内はざわざわと落ち着きが無い。もしや、もしや、と気が逸った。


だが、山を登ってきたのは、眼帯をした蒼い装束の男と、派手な衣装に長い髪をした男だった。



「Long time,Lady」

「……伊達殿……それに、慶さん…」



慶次は俯き、の顔を見ようとしない。
だが政宗はぴりぴりした気配を漂わせながら、真っ直ぐにを見ていた。

なぜこの二人が。徳川についた伊達と前田の武将が、なぜ。

政宗はを睨むように見据えながら、徐々に距離を詰めてくる。
その左手に掴んだ、西瓜ほどの大きさの包みは、底が赤黒く染まっていた。



「せめてあんたにだけは見せておかねぇと、と思ってな」



ぶん、と放り投げられた包みが、の腕の中に収まる。
なにを、とは聞けなかった。まさか、まさか、この包みは。その中身は。



「開けよ。あんたには見届ける義務がある。だろ?」



政宗の言葉に操られるように、包みの結びに指を掛けた。はあ、はあ、と呼吸が逸る。 嫌な予感しかしない。背には冷や汗が浮いてきた。 身体で覆い隠すようにして、ゆっくりと結び目を解く。
はらり、と布が滑り落ちて行き、そうして。





「―――っ…!」





頬や鼻や口はあちこち切れていて、傷口に固まった血で黒ずんでいる。 片側の耳が千切れかけたのか、首にかけては真っ赤になっている。 それでも口許は僅かに弧を描き、どこか満足そうで。きっと瞼をこじ開けたら、 同じように満足そうな瞳をしているのだろうと、思った。

その、幸村の首を眼前に見据えた時、の中で張り詰めていた糸がようやく切れた。
ぷつりと、頭のどこかで音が聞こえた気がした。その瞬間から視界が滲み、 腕の中の幸村の顔さえもよく見えなくなってしまった。

何を笑っているんだ、と腹が立つ。
娘たちがどれだけ泣いたことか、と腹が立つ。
大助や佐助はどうして一緒じゃないのか、と腹が立つ。

腹が立って腹が立って、これだから戦馬鹿と言われるんだ、と、娘時代のように罵りたくなったけれども、 喉がひりついて何も言葉になりそうになかった。




「ごめん…!ごめんな、ほんとに、ごめん!
 、ごめん。ごめん。幸村も、猿飛も、大助も、」




は幸村の首を抱えるようにうずくまった。
慶次はひたすら「ごめん」と謝りながら、の肩を抱いて一緒に泣いた。


おかえりなさい、と、ようやく声に出せたのはそれだけだった。




政宗がひとりその場を離れると、背後を着いて来る気配があった。
嗚咽を隠しもせず、その気配はふらふらとした足取りで必死に政宗を追ってくる。

足を止めると、それはどすんと音を立てて政宗の背中にぶつかった。




「荷物を纏めろ。全員まとめて奥州に来い。……重綱も待ってる」




その言葉を聞いた梅は政宗の背中にしがみ付き、一層声を上げて泣いた。
いつか必ず決着をつける日が来るのは分かっていた。それが戦だ。罪悪感なんて無い。 謝罪の言葉こそが幸村への冒涜になるだろうとさえ思う。だから政宗は、幸村を討ったことを少しも後悔していない。





慶長二十年の、夏のことである。

















慶長二十年 五月七日 大坂夏の陣にて
* 戦の状況はある程度まで史実を基にしていますが、後半にかけて相当いろいろ捏造してます。