啓蟄も過ぎて、一月。 衣更えにはまだ日があると云えども近頃は暖かく、真冬のように綿入れを羽織る機会もとんと無い。使わないものを次の一月まで置いていても、無駄に場所を取るだけだ。 は少し手の空いた今のうちに軽く片付けをすることにした。 生地が厚く重いこの羽織は蔵へ。 同じような羽織でも、少し色の明るいこちらはまだ手元に。 紫や蘇芳の単は、冬の色だから蔵へ。 紅梅も冬によく使う色ではあるが、菖蒲の襲や撫子の襲にも使うから、手元に。 袴はまだ仕舞わないでおこう。 ただ、幸村は寒かろうが暑かろうがよく動くから、裾のほつれは目を皿にして探さなければ。 幸村のものとのものと。 二人分の着物を出しては広げ、確認していると、あっという間に布の山ができてしまった。 侍女を呼んで手伝ってもらおうかとも思ったが、すぐに気が変わった。せっかくだから全部自分の手で畳んでしまおう。だって着物の畳み方くらいは知っているのだ。(それでも彼女らの方がきっちり畳めるかもしれないが) まずの着物。 向かって左に衿が来るよう畳の上に広げ、脇の縫い目に合わせて下前から上前の順にたたむ。次に袖つけの縫い目で、右袖から左袖の順に身頃に重なるようにたたむ。 刺繍の部分には薄い紙を敷いておいて、身頃を半分に折る。たしか、裾は肩山を少し越えるようにすると良いと教えられた気がする。最後に丈を半分にして、終わりだ。 畳み終わった着物とまだ手をつけていない着物の山のふたつができるまで、そう長い時間はかからなかった。 京で弟子入りさせてもらってすぐの頃は、姉弟子の着物も畳んでいたのだ。間違いがあるとしたら都の流儀と信州の流儀の違いだろう。 自分の仕事を満足そうに眺め、は次に幸村の着物に手をつけた。 同じように両手に持って広げる。当然のことだが、幸村の着物はより大きい。つまり、自分の着物を畳むときより腕を大きく開かなければならなかった。 しばらく腕を持ち上げたまま、その大きさに見入ってみる。 肩幅はよりひとまわり、いや、ふたまわりはあるだろうか。袖の長さはの指先まで飲み込んでもまだ余りそうだ。 大きい。 知っていたことだが、改めて明白な面積を目の当たりにすると、驚くほど大きい。 もしかすると彼も大きさを持て余していて、だから頻繁に破いたり引っ掛けたりするのかもしれない。そんな仮説を立ててみたが、は幸村が裾を引き摺っている姿は見たことがない。これは幸村の身体そのままの大きさなのだ。 はようやく腕を下ろし、手に余る相手に取り掛かることにした。 自分の着物を畳むのと同じように畳に広げて、前身頃の縫い目に合わせておくみを裏返す。左右両方のおくみを裏返したら、背の縫い目で半分にたたむ。 左右の裾と裾、脇縫いと脇縫い、衿と衿を丁寧に重ねるが、ひょっこり飛び出してしまう衿先は内側に折り込んでしまう。 衿が終わったら袖を縫い目で折り返し、そこに身頃を持ってきて裾を重ねる。あとはもう一度袖をたたんで、丈を半分にすれば終わりだ。 ようやく全ての山を捌ききって一息つくと、さらさらと風に乗って花びらが飛んできた。 薄い桃色のそれらは、最近咲き始めた桜のようだ。畳に落ちた春の使いを一枚拾い上げて匂いを確かめると、陽気に温められた土の香りがする。 さて、けれどもは障子を開け放したままだったろうか。 風のせいでたたみ掛けた着物が崩れては困ると思って閉めたような気がするのだが。 首を捻りながら振り向くと、くつくつとしのび笑いの幸村が桟にもたれてを見ていた。庭先に落ちた花びらを拾い集め、わざわざ此処まで持ってきてに吹きかけた犯人である。 いつも騒々しいくせに、こんな時ばかり気配を殺して来るのだから笑ってしまう。 「花見にでも参ろうか、」 の髪を梳いて、絡まっていた花びらを取りながら、幸村が言った。 旧暦・四月の衣更え |