何の宴会であっただろう、確か武芸に関係のある宴会であったように思う。
実業団の者たちや、町道場のメンバー、それから高等学校の先生や生徒をも含め、かなり大人数の宴会であった。 高等学校の生徒でそこに出席していたのは、ほとんどが上級生で、下級生は俺ひとりであったような気がする。 とにかく、俺は末席であったのだ。絣の着物に袴をはいて、身を小さくして座っていた。
するとひとりの芸者が俺の前へ座って、話しかけてきた。

「お酒は?飲めないの?」
「いや…好かぬのだ」

当時の俺は、まだ日本酒が飲めなかった。あのにおいがいやでたまらなかったのである。
ビールも、苦くて苦くて、とてもいけない。ポートワインであるとか、白酒であるとか、 甘みのある酒でなければ美味いと思えず、飲めなかったのだ。

「あなた、義太夫はお好きなの?」
「なぜだ?」
「去年の暮れに、あなた、小土佐を聞きにいらしていたでしょ?」
「うむ」
「あのとき、あたしはあなたのお傍にいたのよ。あなた、稽古本なんて出して、なんだか印をつけたりしていた。 キザだったわねえ。お稽古もやってるの?」
「やっておる」
「あら感心。お師匠さんはどなた?」
「咲栄太夫殿だ」
「そうなの。いいお師匠さんにおつきになったのね。あの方はこの近辺じゃいちばんお上手よ。 それに、おとなしくって、いいお人だわ」
「うむ、できた人だ」
「あんなお人がお好きなの?」
「師匠であるからな」
「お師匠さんだから、どうなの?」
「そのような、好きだの嫌いだの、師匠に失敬であるぞ。あの人は本当に、生真面目なお方だ。 好きだの嫌いだのと、破廉恥な」
「ふうん、そうなの。いやに堅苦しいのね。あなた、これまで芸者遊びをしたことはおあり?」
「………これからする」
「あらぁ、そんなら、あたしを呼んでね。あたしの名前はね、と言うのよ。ねえ、忘れないでね」

昔の低俗な花柳小説などというものであれば、よくこんな場面があって、そうしてそれが 『妙な縁』ということになり、恋愛が始まるという陳腐な趣向が少なくなったものだが、 しかし俺のこの体験談においては、なんの恋愛も始まらなかった。したがって、 のろけ話というわけではちっとも無いのであるから、警戒は御無用である。
さて、宴会が終わり、俺は料亭から出た。粉雪が舞っていた。ひどく寒い。

「ちょっと、待って、待って」

芸者は、は、酔っている。
お高祖頭巾をかぶっていた。俺は言われた通りに、待った。
すると俺は、ある小さな料亭に案内された。は、そこのお抱え芸者とでもいうものであったらしいのである。奥の部屋に通され、俺は炬燵にもぐった。

は酒や料理を自分で部屋に運んできて、それからその家の朋輩らしき芸者を二人呼んだ。 みな紋付きの和服を着ていた。なぜ紋付きを着ていたのかは俺には計り知れぬが、とにかく、 酔っているというその芸者も、朋輩の芸者たちも、みな紋のついた裾の長い着物を着ていたのだ。
は、二人の朋輩を前にして、宣言した。

「ねえ、あたし、こんどはこの人を好きになることにしましたから、そのつもりでね」

二人の朋輩は、いやな顔をした。そうして二人で顔を見合わせ、なにごとかを目で語ると、 二人のうちの若いほうの芸者が膝をすこし進めて、「ねえさん、それは本気?」と怒っているような口調で問うた。

「ええ本気、本気ですとも」
「だめですよ、間違っています」

若い芸者は眉をひそめて真面目に言い、それから、俺には分からないが、花柳隠語、 とでもいうような妙な言葉を使いながら、三人の紋付きの芸者が大いに言い争いを始めた。

しかし、そのときの俺の思いは、ただ一点に向かって凝結していた。
炬燵の上には料理の膳が載せられてある。その膳の一隅に、あんころもちの皿がある。 俺はその、あんころもちが食いたくてならぬのだ。頃の季節は大寒である。 大寒のころのあずきは、寒さによってなんとも言えぬ甘みが利いていて、季節を通して最も美味いものなのだ。 この大寒のころのあずきは、寒小豆と言って、上田の童児たちの人気者であり、 ひとさまの垣根や柵を越えてこっそりと豆のさやを頂戴しては、湯がきもせずそのまま 皮ごとむしゃむしゃと食べるのである。

が紋付きの長い裾をひきずって、その料理の膳をささげて部屋へ入って来て、 そうして俺がぬくまっている炬燵の上に置いた瞬間、すでに俺は膳の一隅にあんころもちを発見し、 『あれは寒小豆ではなかろうか!』と内心ひそかに狂喜したのである。
食べたかった。しかし、俺は見栄っ張りでもあったので、紋付きを着た美しい芸者三人に 取りまかれているなかで、むしゃむしゃと二つも三つも頬張る勇気はなかった。 ああ、あの餡の中の餅はどんなにか柔らかく、美味であることだろう。 思えば寒小豆もしばらく食べていなかったな、と悶えても、猛然とそれを頬張る勇気はやはり出ないのである。

俺は、しかたなく、爪楊枝で銀杏の実をつついて食べたりしていた。
しかし、どうしても諦めきれない。

一方、女たちの言い争いは、いつまでもごたごたと続いている。

俺は立ち上がって、「お暇致そう」と言った。
は、「お送りしましょ」と言った。俺たちはどやどやと玄関に出た。 そこで俺は、「あ、すまん」と言って、飛ぶ鳥のごとく奥の部屋に引っ返し、 さっとあたりと見回して、やにわに膳のあんころもちを二つ掴んで懐紙にくるみ、ふところに捻じ込んだ。 そうして、ゆっくりと玄関へ出て行って、「忘れ物だ」と、かすれた声で嘘を言った。

は再びお高祖頭巾をかぶり、おとなしく俺のあとについてきた。 俺は早く下宿へ行って、ゆっくりと二つのあんころもちを食べたい、と、そればかり思っていた。
ふたりは雪道を歩きながら、格別なんの会話もない。

下宿に着いたとき、その門は閉まっていた。

「しまった、締め出された」

下宿先のお館さまは厳格なお人で、俺の帰宅の遅すぎるときには、こらしめの意味で 門を閉めてしまうのである。(普段は佐助が締め出されることが多い)

「かまわないわよ」とは落ち着いて、「知っている宿があるわ」

引っ返して、の知っているその旅館に案内してもらった。かなり上等の宿屋である。 は戸をたたいて番頭を起こし、俺のことを頼んだ。

「では失礼する。世話になった、かたじけない」と俺は言った。
「ええ、さようなら」とも言った。

これでよし、あとはひとりであんころもち、ということになる。
俺は部屋に通され、番頭に敷いてくれた布団にさっさともぐり込んで、さあこれから食すぞ、 と思った。途端、

「番頭さん!」

と、の声。
俺はぎょっとして耳を澄ませた。

「あのね、下駄の鼻緒を切らしちゃったの。ね、お願いだから、挿げてくださらない? あたしその間は、お客さんのお部屋で待ってるわ」

これはまずい、と俺は枕もとの餅を掛け布団の下に隠した。
は部屋へはいって来て、俺の枕もとにきちんと座ると、なんだか色々と話しかけてくる。 そこで俺は、眠そうな声で、いいかげんな返辞をしている。掛け布団の下には、あんころもちがある。
とうとう、とはこれほどたくさんのチャンスがあったのに、恋愛の「れ」の字も起こらなかった。 はいつまでも俺の枕もとに座っていて、しまいにはこう言った。

「あたしを、いやなの?」

俺はそれに対して、こう答えた。

「いやではないが、ねむいのだ」
「そう…それじゃ、またね」
「ああ、では、おやすみ」
「おやすみなさい」

はそう言って、やっと立ち上がった。

そうして、それだけである。
その後、俺は付き合いなどで芸者遊びをする機会もままあったのだが、の居る料亭の近くでは遊ばなかった。問題のあんころもちは、の退去後に食べたか、または興ざめて捨ててしまったか、思い出せない。 さすがに食べるのが申し訳なくなって、捨ててしまったような気がする。 (あとで聞いたことだが、はその界隈の、さる有力者のお妾で、当時ではまあ一流の芸者であったようである。 すらりとした体つきの、細面の古風な美人型の人だった)


これがすなわち、「恋はチャンスによらぬものだ。一夜のうちに『妙な縁』やら『ふとしたこと』やら 『もののはずみ』やらが三つも四つも重なって起こっても、ある強固な意志のために、 いっこうに恋愛が成立しない」ということの例証である。

ただもう、『ふとしたこと』で恋愛が成立するものであるとすれば、この世は実に卑猥な世相となってしまうことであろう。 恋愛は意志によるべきものである。恋愛チャンス説は、淫乱に近いのだ。
それではもうひとつの、十年間ひとつのチャンスもなかったのに恋をし続けた、という経験とはどのようなものであるかと 訊ねられたならば、俺は次のように答える。

それは片恋というものだ。
そうして、片恋というものこそ、常に恋の最高の姿である。

庭訓:恋愛に限らず、人生すべてをチャンスに乗ずるのは、下卑たことである。





太宰治の短編小説、「チャンス」より。
実際はあんころもちではなく雀の串焼きなのですが、エグイので幸村らしさを押し出した甘味に変更してあります。 それから、電車でもたれかかった人の話。実際は主人公の体験談ですが、 幸村が女性にひどいことを言うのを想像できなかったので、光秀。言われた女性は濃姫をイメージしていたりします。 その他はほぼ原作どおり。カッコ内の、慶次とか佐助とかへの一言はもちろん創作です。 興味を持たれた方は読んでみてください、結構おもしろかった。