Chapitre I. Associe de destin -- 01
「あのね、かすが、まつ。あたし、失業した」 前田夫婦の新居にて。高校時代からの友人たちとの久々の再会は、の失業宣言で幕を開けた。 ぽかんとするかすがとまつをなるべく視界に入れないようにしながら、は手土産のケーキを切り分ける作業に集中する。 アーモンドクリームカスタードと併せた特製クリームに、イチゴをふんだんに載せたタルトだ。 「な…何ゆえにござりまするか!は勤勉に働いていたというのに!」 「まさか―上司にセクハラでもされたのか!?」 「違う、違うって!お店自体が潰れちゃったんだってば」 二人の剣幕に、は慌てて否定した。その言葉にかすがはホッと息を吐き、まつはまるで泣きそうな顔をする。 アルバイトから始まり、大学卒業後もずっと勤めていたスーパーが閉店してしまったのはつい先日のことだった。 個人オーナーが経営している地域密着型の小さな店だったため、社員を支店に異動させるという救済措置すら 取ることができなかったのだ。 「そうか…4年も勤めたのに、残念だったな」 「ね、仕事探さなきゃ。でもあたしパソコン詳しくないから、厳しいかなあ…」 小皿に取ったタルトを配り、は溜息を吐いた。まつは新婚の主婦で、かすがはリフレクソロジーのサロンに勤めている。 いざとなればかすがに口を利いてもらって、受付事務かマッサージ師にでもなるしかない。 まつは紅茶を淹れる手を休め、のボヤキにパッと目を輝かせた。 「でもは手作りお菓子のブログを持っているではありませんか!」 「あのねぇ、まつ、あれは誰でも作れるんだよ。パソコン知識なんて要らないの!」 「じゃあ『管理人へメール』の所から送ると、勝手ににメールが届くのか?」 「うん、そう。あたしが何もしなくてもね」 いただきます、と声を揃えて以外の二人が言う。ブログでも好評だったタルトを頬張ると、我ながら上手く焼けたな、と嬉しくなった。 それからしばらく、まつのラブラブな新婚生活だったりかすがの仕事のグチだったりを聞きながら 喋っていると、不意にまつがの方を見て「あっ」と声を上げた。 「ということは、、今こそ永久就職のチャンスなのでは!」 「そ、そっか!その手があったんだ!…って相手がいないんじゃ意味ないよ!」 「ノリツッコミだな。何なら結婚相談所に登録するか?」 「それはイヤ!」 即答で拒絶するに、かすがは「我侭な奴だ」と口先を尖らせる。『彼氏は作るものではなく、自然とできるものだ』、 それがの持論である。対するかすがは『相手は自分から探しに行くもの』というのを持論にしていて、 話を聞けばその都度彼氏の名前が違う。なんでも、遥か昔に出会った運命の人と再会するために、色々な相手を 手当たり次第に試しているらしい。高校時代から、「ケンシンさま」というその運命の人について 何度話を聞かされたことだろう。 結婚願望は小さい頃から強かった。なるべく20代のうちに結婚して、少しでも若いお母さんになりたくて。 けれどまだお見合いパーティーや結婚相談所には頼りたくはない。頼らなくても、結婚する運命にあるような 相手とはいつか必ず出会えると信じている。というか、信じていたい。 「は、オトメだからな」 「ん?それって褒め言葉?」 にも全く出会いが無かったわけではない。それなりに気になる相手も居たし、 「もしかして好かれてる?」みたいなこともあった。それでもやはり、「この人とちゃんと付き合いたい」 と思える相手との出会いじゃなければ意味がないと思うのだ。 その結果として、25歳になった今でも、男の人とまともに手を繋いだことすら、無い。 「話を戻すとして、はパティシエになるつもりは無いのですか?」 「そうだな。これだけ上手いんだから、どの店に行っても通用するんじゃないか?」 「あー…それは…無いなあ。お菓子作りはあくまで趣味だし」 パティシエとしてガンガン仕事をするよりも、やはりは結婚したいのだ。まつとかすがは声を揃えて「野心がない」と言うが、 “運命の人と出会いたい”とか“とにかく幸せな結婚をしたい”というのだってからすれば『野望』に含まれる。 しかし、とにかく今は早く再就職して両親を安心させてあげるのが先だ。 # 「これだから女子は好かぬのだ!!!」 都内近郊、ビル一階のテナントの、とあるパティスリーで。 苛々とした様子で頭を抱える男を、数人の男と背の低い少女が取り囲んで宥めにかかる。 「ま、まあ落ち着けって。な?」 「ええい、今日はもう、“アレ”だ!“アレ”しかあるまい!!」 「Are you serious?“アレ”はヤバイだろう」 「笑止、行くに決まっておろう!度胸があるのならば某に続け!」 数分後、賛同者をひとりも得られなかった彼は、店の裏口からひとりで飛び出して行った。 # 前田家から戻ると、の両親はリビングのソファに並んで座って映画を見ていた。 の両親はとても仲睦まじく、結婚して何十年も経った今でも時々手を繋いでコンサートに出掛けたりする。 すごい時にはリビングでチークダンスを始めるものだから、一人娘であるはサッと自室に避難するしか無くなってしまうことさえあった。 ハリウッドスターなら絵にもなろう光景だが、中年二人がほろ酔い加減で踊っているというのは中々に ショッキングなものだ。 そんな両親に育てられたからこそ、の心の中に『幸せな結婚』というイメージが焼きついてしまったのだと思う。 嬉しいような、迷惑なような、複雑な気分だが。 「ただいま」と両親に帰宅の挨拶を済ませ、2階の自室へ戻ると、パソコンのスイッチを入れた。 ほどなくしてOSが立ち上がり、設定どおりにメールソフトが自動で起動する。部屋着に着替えていると、 新着メールを示す「ピロン♪」という音がの耳に聞こえてきた。 『きままメモ管理人さんへ』と銘打ってあるそのメールは、ブログから送られてきたものだった。 パソコンの前に座り、わくわくしながらクリックする。 『ちゃん 憶えてるかな?家庭教師をしていた、猿飛佐助です。 人違いだったらごめんね。偶然 このブログを見つけたんだけど、 プロフィールを見る限り、俺の知ってるちゃんに間違いないと思って、メールを送ってみることにしました』 文面を目にした途端、の身体と思考が、カチンと音を立てて停止した。 家 庭 教 師 猿 飛 佐 助 憶えて いない わけがない! 「佐助先生」と呼んで慕っていた彼は、何を隠そう、の初恋の相手だった。当時大学生だった佐助は、のクラスメイトの男子たちとは違う生き物なんじゃないかと思うほどスマートな物腰で、 なのに母親が差し入れに持ってくるケーキやプリンなんかを嬉しそうに食べる顔は どこか子供っぽく見える、そんな人だった。 佐助に喜んでもらいたくて、お菓子作りを始めた。初めて作ったクッキーは、無塩バターの代わりに マーガリンを使い、“切るように混ぜる”の意味が分からずに練って練って練りまくった結果の ガチガチに固いものだったが、それでも佐助は「これちゃんが作ったの?すげぇー!」と笑って言ってくれた。 勉強だって頑張って、バレンタインにはチョコレートを渡した。 けれど簡素なラッピングにしたのが裏目に出てか、佐助はそれがバレンタインチョコであることに気付かず、 いつも通りに「すっげぇ美味そう、ありがとな」と言うだけで帰ってしまった。 その後もの想いが通じた様子はなく、それどころか3月に入ると佐助は突然家庭教師を辞めてしまったのだ。 涙を堪え、「佐助先生が来なくなっても成績落とさないから安心して!」と笑ってお別れしたのは、もう 何年も前のことだ。それでもは佐助を憶えている。憶えているどころの話じゃないレベルにさえなっているかもしれない。 この話を、かすがやまつにしたことは無い。「いつまでそんな初心な初恋を引きずっているんだ」と 言われてしまうのが目に見えているからだ。確かに初心な恋だった、それでもにとっては大事な大事な思い出なのだ。そんな言葉ひとつで片付けて欲しくはない。 落ち着きを失くし、暴れる心臓を抱えたまま数分ほど部屋の中をウロウロしたあと、はキーボードに指を置いた。ひとつひとつ、言葉を選んで、慎重に返事を書き始める。 『お久しぶりです、メールありがとうございました。 …なんちゃって。もちろん憶えてるよ、佐助先生!』 かすがは、『相手は自分から探しに行って見つけるものだ』と、いつも言う。 それでもは、「相手を見つけなきゃ」と焦ることが出来なかった。運命の人とは必ず出会える。 自分はそういう星の下に生まれたのだと、そういう気がしてならなかった。 『ちゃん返信ありがとう。そっか、やっぱりあのちゃんで間違いなかったみたいで、良かった! ちゃんは、元気?今もあの家に住んでるの?懐かしいなあ、あれからもう10年?だっけ? 良かったら近いうちに会って、ゆっくり話でもしようよ』 『佐助先生 私も嬉しいよ! こっちは両親も含めてみんな元気です。佐助先生こそ、元気? 実は私、勤め先が潰れちゃって、暇人なんです。だから佐助先生の時間のあるときに ゆっくりお会いできたらいいなって思います』 『ちゃん 早速予定を教えてくれてありがとう。 そっかー、そんな事情があったのか。でもそれなら、平日の日中でも大丈夫ってことだよね? じゃあ明日なんてどうかな?ちょっと急だけど、善は急げ、ってことで』 明日。明日、彼に会える。 はパソコンの電源を切ると、クローゼットを全開にし、片っ端から服を漁り始めた。 ← SAN Entree → |