Chapitre I. Associe de destin -- 03
手招きする佐助に従い、は店内に入った。再び、ほんの少し前に辞したばかりの窓際の席に案内され、 「さて本題だけど」といきなり切り出される。 「ちゃんさ、スーパー潰れちゃって、再就職先さがしてるんだよね? もし、まだどこにも応募してないんだったら、うちで働くって選択肢を考えられない?」 「え、っと…でもそれって、“売るだけ”じゃなくて“作る”のも仕事…なんだよね…?」 「うん、だってちゃんの得意分野っしょ?」 佐助はニコリと笑ってを見る。は思わず「全然だよ!」と勢い良く否定してしまった。のお菓子作りはあくまで趣味、プロの世界で通用する知識も技術も持ち合わせていないのだ。 しかしがそう反論しても、佐助は「マドレーヌかなり上手だったよ」と、いまが最も触れられたくないことをサラリと言ってのけるのだった。 確かに、もし佐助と一緒に働けるならそれほど嬉しいことはない。のだが、 「でもあたし、歓迎されてないんじゃ……その…真田さん、に…」 「旦那?大丈夫だよ、旦那ともちゃーんと『話し合って』納得ずみ―…」 「―…佐助。おい佐助、少し良いか」 何も問題は無い、と続けようとした佐助の言葉を遮ったのは幸村だった。 佐助とが『SANで働くこと』について話をしている間、幸村は厨房に引っ込んでいたのだが、 いまは眉根を寄せた顔を覗かせ、佐助を中へと手招きしている。 佐助は「ちょっとゴメンね」と言うなり、溜息を吐きつつ厨房へ向かった。 ボソボソと、話し合う声がの耳にも僅かに聞こえてくる。先程のように怒鳴っているわけではないようだが、 それでも「女は根性なし」だとか「とりあえず3日」だとか「使えなかったら」云々という言葉が 切れ切れに聞こえた。要するにあのサナダユキムラは全くもって反省していないのだ。 が「聞こえてますけど?」と言ってやりたい衝動と戦っていると、 やがて佐助が「お待たせ、ごめんね」と苦笑しながら再び姿を現した。 「旦那さ、急に辞めちゃった女の子2人、アレでかなり懲りたみたいで。ちゃんがどうこういうわけじゃないけど、今すぐ採用するのは怖いみたい。ちゃんも、本当にうちで働けるかどうか不安に思う部分もあるっしょ?」 「うん…」 「だからさ、お互いに様子見ってことで3日間販売と厨房を体験してもらうってのはどうかな? あ、厨房って言ってもスタッフのアシスタントみたいなことになると思うんだけど」 内容としては同じような事を言っているはずなのに、佐助を通して聞かされた言葉はまるで 翻訳されたように優しい言葉だった。10年前、佐助がまだの『先生』だった頃と同じで、優しくて頼れる人柄を感じる。 佐助先生と一緒に働きたい。お客さんとしてではなく、もっと近くに居たい。 「……うん。じゃあ、よろしくお願いします!」 「良かった、なら明日9時にここに来てくれる?ミーティングの時に紹介するから」 「うん!」 スーパーに勤めていた4年間、は一度だって遅刻や無断欠勤をしなかった。そういう意味でも、上司や同僚に 信頼されていた自負はある。きちんと仕事をすることは出来ているつもりだ。 だからきっと、サナダユキムラだって、がちゃんとした態度で居れば認めてくれるはずなのだ。 彼がよほどの偏屈でない限りは。 (よーし、見てなさいよ、サナダユキムラ!) 帰り道、は心の中で静かな闘志を燃やすのだった。 # 翌日。 「―――そーいう訳で、今日から3日間お手伝いしてもらう、ちゃんです」 「よろしくお願いします!」 SANの厨房で、佐助にそう紹介されたは腰を折って挨拶をした。まだ名前も知らないスタッフからは 「おう、よろしく」や「頑張れよ」などと好意的な言葉が返って来る。 佐助は幸村に向き直って「スタッフ紹介してよ、旦那」と言うが、幸村は 「佐助に任せる」と短く答えるだけだった。「はぁ?」と不満そうな顔をした佐助だが、 どうにも幸村には動く気が無いらしいと悟ると、の方を向いた。 「ほんじゃ端から。えーと、銀髪・巨体・左目眼帯の彼は長曾我部元親。チカちゃんって呼んであげて」 「佐助テメェ!」 “チカちゃん”と称された彼は、昨日にドリンクのメニューを渡してくれた彼だった。佐助の言う通り、銀髪で、ガタイの良い体で、 左目には眼帯をしている。 「そのとなりがチカちゃんのソウルブラザー、伊達政宗。眼帯は右目ね」 「Ha!この田舎モンと一緒にされたかねぇな」 「二人とも同レベルに女の子が大好きだから気をつけてねー」 今度は政宗と元親のふたりから同時に抗議の声が上がるが、佐助はまたしてもきれいに受け流す。 「で、最後はうちに来てまだ半年の米田いつきちゃん」 「よろしく頼むだ!ねぇちゃん!」 最後に紹介されたのはアイスグレーの髪をふたつに結った少女だった。 キラキラと輝いた瞳で見つめられ、は思わず一歩後ろに下がった。日本人離れした風貌、だが、言葉は北のほうの訛りがある。 「いつきちゃんは日本語が怪しくて販売任せらんないんだよねー」 「すまねぇ…おら、ブサイクで…」 「いつき殿、それを言うなら“不器用”でござろう」 「また間違えただ…!」 いつきは頬を掻きながら「てへっ」とでも効果音がつきそうな笑顔を浮かべる。とても可愛らしいのだが、 不器用と不細工を間違えるようでは販売を任せるわけにいかないというのにも納得できるのだった。 「しかしいつき殿は、誕生日用のケーキなどにつけるプレートを書くのが一番上手でござろう! …まあ…恐ろしく遅いが…」 は思わず「サナダユキムラが他人を褒めた!」と心の中で叫んだ。 しかもその相手は少女だ。女は信用できないと散々言っていたくせに、 (少女とはいえ)スタッフにも女性が居るではないか。これはどうしたことか、 あとで佐助にそれとなく聞いてみなければならない。 ミーティングが終わり、の仕事はまず午前中は販売ということで、昨日と同じようにカウンター内に立った。 佐助はこれから午後にケースに並べるケーキの調理に取り掛かるらしく、 「手が空いたらギフト用とか説明しに来るから」と言い残して厨房へ戻ってしまった。 カウンターの内側から見れば、ショーケースにはメモがたくさん貼られている。 それは『どのケーキがレジの何番か』という対応表のようなものだったり、 ナッツやお酒などの『特定食材不使用のケーキ』はどれかというメモだったりした。はひとまず『ナッツ不使用』と『お酒不使用』のメモを手に取り、 リストに挙がっている名前とケースに並べられたケーキとを対応させていった。 クレームカラメル、ガトーフレーズ、アリアンス、タルトフリュイ… 仕事をしているはずなのに、はケーキに目も心も奪われてしまうようだった。どのケーキもみんなキレイで可愛くて、 それでいて美味しそうで、不謹慎ながら「売れ残れば持って帰れるのかな…」などと思ってしまったほどだ。 そんなことを考えていると、入り口のドアに取り付けられたベルが“カラン”と音を立てた。 ハッとして振り向けば女性客がひとりで入ってくる。は笑顔を浮かべて「いらっしゃいませ!」と言った。 「あの、小さいお子さんの居るお宅に持って行きたいんですけど、お酒の入ってないのはありますか?」 「あ…はい、ございます!」 手の中のメモを見つつ、女性にいくつかケーキを紹介する。 結局、彼女はが紹介した中から数点選び、購入して行った。 「ありがとうございました!」と女性客を見送ったとき、出てくるタイミングを見計らっていたように 佐助が厨房から出てきて「順調?」と尋ねた。 「佐助先生、あのね、今お酒の入ってないケーキありますかって聞かれて…」 「あ、それ説明し忘れてた。分かった?」 「うん!ちょうどここのメモを見てたところだったから。なんか、勉強したてのことが テストに出たときみたいで、ちょっと嬉しかった!」 「ちゃんは昔っから頑張り屋さんだったもんねぇ」 わざとなのか、佐助はの顔を覗きこむようにしてニィと笑う。それこそ“昔っから”変わらない 佐助の笑顔が間近に迫り、の頬は自分でも分かるほどに熱くなった。 昨日の元親のように、佐助が大きなトレイに乗せた焼き菓子を棚に陳列していくのを、は彼の背後から着いて回って眺める。クッキー、パウンドケーキ、フィナンシェ、 マドレーヌ。それらは、あのデリカシーの無い幸村が作ったとは思えないほどだ。 「……ねえ先生、ここのケーキって全部真田さんが考えたの?」 「そ。試作品なんかはスタッフみんなに『どうだ?』って聞くんだけど、いっつも 完璧だから溜息しか出ないね」 「…やっぱりイメージじゃないなぁ……」 佐助はそのの呟きに苦笑するが、に言わせればやはり佐助の方がイメージに合うのだ。先入観を差し引けども、 佐助の洗練された出で立ちと幸村の寝癖を比べれば結論がそうなってしまうのは仕方がない。 午後になり、は厨房で調理補佐をすることになった。 佐助が具体的にどう動けばいいか説明しようと「じゃあまずは」と喋り出したとき、 突然「あっ!!」という大声がそれを遮った。何事かと振り向けば、呆然とした様子で立ち尽くす いつきの姿。 「どうしたのだいつき殿!そのように声を荒げて!」 「あっ…す、すまねぇだよ…ガス代の振込みするの忘れちまっただ、って思い出して…」 「それっくらいでバカでけぇ声出すんじゃねぇよ!見ろよコレ!端が潰れちまっただろ!!」 「堪忍!堪忍な!」 ひぃっと身を縮めるいつきに、政宗は端が潰れたケーキを見せ付ける。キレた政宗の相棒らしく、 元親が宥めて乱闘騒ぎはどうにか免れたが、厨房内の空気は一気にギスギスしたものに変わってしまった。 大丈夫だろうか、とがハラハラしていると、幸村は仕上げのツヤ出しをしながら「いつき殿」と静かに切り出す。 「振り込み忘れたなら、ガスが止まるでござるな」 「んだ…今ごろ止まってるだよ…今夜は半身浴だべ…」 「“水風呂”な、“水風呂”。半身浴じゃなくて」 始まってみれば、いつも通りの会話に戻っている。 呆気に取られるの耳元で、「いつもこんなだから気にしないで」と佐助が忍び笑った。 「さぁて、ちゃんには卵の黄身と白身を分けてもらおうかな」 「はいっ」 佐助が一度手本を示すが、特別な機械を使うわけでもなく、特別な選り分けをするわけでもなく、 それはごく普通に殻で白身を落とす作業だった。が挑戦しても、「そうそうそんな感じ」と一発で合格が貰えた。 しかし視線をずらせば、その先には大量の卵の山。(ちなみに更に先には幸村が居た) 「佐助先生、これ全部?」 「うん、全部。大変?」 「あ!違う、違うの!そういう意味じゃなくて、すごい量だから何に使うのかなーって…」 佐助が「大変?」と尋ねたあたりで幸村の耳がピクッと動き、は慌てて言い足した。確実に、幸村はが「こんなにいっぱいできなーい」とでも言っているのだと誤解しかけたに違いない。 失礼な話だが、最初から『女は根性なし』だと言っていた色眼鏡でもあるのかもしれない。 それと同時に思うのは、間違ってもいつきは「できなーい」などとは言わないタイプの子だろう、ということだった。 だから彼女は、この店でやっていけているのかもしれない。先程の会話でも、 まるでいつきが女の子だと知らないかのような扱いだったではないか。 「この卵はほら、“クレームカラメル”―プリン用のやつだから」 「あ、なるほど」 「Hey、」 不意に政宗に名前を呼ばれ、は振り向いた。 元親が「お前なに呼び捨てにしてんだ」と言っているようだが、政宗は無視である。 「誰かさんのせいで端が潰れちまったcake、食うか?」 「え、いいんですか?じゃあ後で頂きます!」 「――政宗殿、カラメルが焦げすぎてはおりませぬか」 楽しく会話していた政宗との間に、ピシャリとした幸村の言葉が割り込む。 政宗は眉を顰め、「Shit!」と呟きながら持ち場の鍋の元へ戻っていた。 それを見送りながらを見た幸村の表情は、険しい。 まるでカラメルが焦げたのはの所為だとでも言いたげな顔だ。 なんで?カラメルが焦げたのはあたしのせいじゃないよ!?と、は声にならない抗議をするのだった。 # そうして、体験入店3日目・最終日。 が来るより少し早目にミーティングを始め、そこで佐助は「ちゃんどーよ?」と幸村以外の全員に尋ねた。 政宗、元親、いつきはそれぞれ機嫌良さそうに感想を口にする。 「俺ァいいと思うぜ」 「Me too、昨日は2日目だってのもあって先回りして動いてたしな」 「デジカメでケーキの写真撮って、全種類名前覚えたみてぇだしよ」 「ネッチューだべ!」 「ネッシン、な。熱心」 いつきの間違いを訂正したあと、政宗は元親と視線を合わせてニヤリと笑い、 「何より女が居るってのは華があっていいよなぁ」とオヤジ臭いことを言った。 それを受けて、幸村は「そなたら…」と苦い顔をする。 「―――全っ然反省しておらぬな!?そなたらは先日辞めていった 二人にも『女子だから』と言ってチヤホヤして、挙句あの様であったというに!!」 「まぁまぁ、旦那、アレで相当腹立ったのは分かるけどさ。でも実際、いま何かちゃんに不満ある?」 「…………と、とにかく、今日が最終日でござろう。終わってみるまでは採用・不採用は断言出来ぬ!」 幸村がそう言ったところで、ちょうどが「おはようございます」とやって来た。 途端に態度を変えて、「よう!」「Good morning!」と笑顔で挨拶をする政宗・元親には、 幸村はもう呆れるほか無かった。 午前はレジ打ちをして、午後は厨房に入る。 の、卵の黄身と白身を分けるスピードは初日よりも早くなったように思う。 流しに重ねられた鍋や泡だて器を洗っていると、不意に棚の一番上に置かれた大きな鍋が目に入った。 確か、いつも政宗と元親のどちらかが洗っていたはずだ。 先に洗っておこう、と決意し、は背伸びをしてその鍋に手を掛けた。 が、意外に重かった。 このまま引っ張れば落としてしまうかもしれないが、戻すことも出来そうにない。 おまけに限界まで爪先立ちをしているせいでふくらはぎの辺りはプルプル震えてきた。 もしこのまま、この大きな鍋を落としたら――それは 初日に見た、いつきが大声を上げてしまった状況を繰り返すことになるだろうことは間違いない。 そして今度責められるのは、だ。 誰かに、出来れば佐助に手助けしてもらいたいのだが、生憎みんなそれぞれの仕事で忙しそうだった。 唯一を助けてくれる余裕がありそうなのは一人だけ、幸村だった。 よりによって……よりにもよって!は表情を歪ませるが、背に腹は変えられない。 「す……すみません!手を貸してください!」 振り向いた幸村はが何を求めているのか理解すると、いとも簡単にひょいと鍋を持ち上げた。 そのまま無言でそれを渡し、「ありがとうございます」とが言うのにも会釈しか返さなかった。 あの表情はどうせ『鍋のひとつも持てない、使えない女』とでも思っているのだ。 真田め!真田め!!と、は無言で暴言を吐いた。 もうこれで、佐助と一緒に働ける望みは完全に無くなったに違いない。 # しかし、最終日のこの日を終えたあと佐助から聞かされたことに、は耳を疑った。 「……採用?」 「うん、ちゃん良ければぜひ!あした…は定休日だから、明後日から来られる?」 「ほ、ほんとに?」 「嘘ついてどうすんの。ね、旦那」 佐助に話を振られた幸村は、売上表から視線だけ上げると「早朝出勤になるが、よろしく頼む」 と朴訥に答えた。その言葉で“採用”の二文字が一気に現実感を伴った。 「そんじゃ、ちゃん、旦那の代わりに給料の話とかするから、こっち来てもらっていい?」 「うん!」 佐助はそう言うと、をいつもの窓際の席に促した。 これから毎日佐助に会える。一緒に働ける。まるで夢のようだった。 厨房を出る直前、何気なく振り返った幸村を眺めて、は思った。 絶対に不採用だと思っていたのに、なぜ彼はを採用しようと思ったのだろう? この人はどうして、パティシエになったのだろう? ← SAN Entree → |